1534年5月3週目。一郎兄様と千代姫とご飯を食べた夕刻。自分の役目や島津本家の立ち位置。伊東攻め前に市を導入検討しないと遅い。
一郎兄様と千代姫とご飯を食べたの夕刻。
春姫は、島津本家から来ている姉姫、妹姫たちを集め、静かな部屋で茶を囲んでいた。
昼に一郎と千代姫と食事をしたばかりである。
春姫は茶碗を置き、少し考え込むようにして口を開いた。
「今日、一郎兄様と千代姫様とご飯を食べてきました」
姫君たちは顔を上げる。
「千代姫様は今、鳥獣対策をなさっているそうです」
「猪や鹿が田畑を荒らすので、島津分家のお侍様方をこちらの領地にも入れて、
村々と一緒に狩りや見回りをしているとか」
「その仕事で、お侍様方の借金が数百万文ほど消えると聞きました」
妹姫の一人が目を丸くした。
「千代姫様が、侍たちを束ねて猪狩りを」
「はい」
春姫は小さく息を吐いた。
「とても凛々しかったです」
「私は、何か役目があるのだろうかと考えてしまいました」
長女格の姫が、静かに春姫を見る。
「それで、何を思われたのですか」
春姫は頷いた。
「千代姫様からは、島津本家との連絡役も大事な仕事だと言われました」
「それから、市の導入について、もう少し話してみてはどうかとも」
「あと、皆様と三郎様以下のお弟君たちとの縁談も、私が間に入ることができるのではないかと」
姫君たちは、少し顔を見合わせた。
春姫は続ける。
「近々で、私にできることがあるとすれば」
「今、島津本家に一部だけ入れている市を、もう少し広げてもらうことだと思っています」
「私も詳しい帳面は分かりません」
「でも、お父様への手紙には、今の状況をいくつか書いています」
「旧島津分家では、農民や庄屋衆の借金がなくなりました」
「本家で一部導入しているところでも、借金はかなり減っています」
「それなら、もっと早く広げた方がよいのではないかと」
妹姫が不安そうに尋ねた。
「それは、お父様に強く言うということですか」
「そこを迷っています」
春姫は正直に答えた。
「手紙でもっと強く書くか」
「あるいは、連絡役の家臣に早馬で来てもらい、私が今の状況を説明して、それを飛ばしてもらうか」
「どこかのタイミングで、直接言いに行くか」
長女格の姫が目を細めた。
「急ぐ理由は、伊東ですか」
春姫は静かに頷いた。
「はい」
「八郎様は、先々、日向の伊東を攻めることを考えておられます」
「もし伊東が八郎様の手で落ちるとなれば、島津本家として広げる領地が少なくなります」
「その前に、市を入れるか、入れないか」
「これは、ただ豊かになるかどうかだけではありません」
「面子の問題にもなると思います」
姫君たちの表情が引き締まった。
春姫は言葉を選びながら続けた。
「自分から市を入れてくださいと頼んだのか」
「追い詰められて、入れさせられたのか」
「同じ市でも、見え方が変わります」
「伊東が落ちる前に、島津本家が自分から八郎家の仕組みを取り入れたなら、面子はまだ保てます」
「でも、後からでは、頭を下げさせられたように見えるかもしれません」
部屋が静かになった。
春姫は少し俯いた。
「だから、夏までには、市をどれだけ入れられるかが肝になると思うのです」
「ただ、私はまだ嫁いで一月も経っていません」
「どこまで言ってよいのか」
「どこまで動いてよいのか」
「それも迷っています」
長女格の姫は、春姫の言葉を最後まで聞いた後、ゆっくりと口を開いた。
「春姫が、全部背負う必要はありません」
春姫が顔を上げる。
「結婚して、まだ一月も経っていないのです」
「そこまで片肘を張る必要はありません」
「けれど、こうして情報を共有してくれることは、とてもありがたいです」
別の姫も頷いた。
「春姉様お一人で動くには、考えることが大きすぎます」
「だから、私たちを間に入れてくださったのでしょう」
春姫は少し驚いたように瞬きをした。
長女格の姫は微笑む。
「分かりました」
「どうするかは、皆で考えましょう」
「お父様へ強く書くのか」
「家臣を走らせるのか」
「一度、春姫自身が戻るのか」
「あるいは、姫たちからも別々に話を入れるのか」
「一つずつ決めればよいのです」
春姫の肩から、少し力が抜けた。
「ありがとうございます」
「一人で思い悩む必要はありませんよ」
そう言われて、春姫はようやく小さく笑った。
「今、少し肩が張っていたのだと思います」
「千代姫様を見て」
「とても凛々しくて」
「私も何かしなければと、焦ってしまいました」
妹姫が苦笑する。
「千代姫様は、姫武者ですから」
「春姉様が同じように猪を追う必要はありません」
別の姫も言う。
「春姉様には、春姉様のやり方があります」
「まずは、二郎様と仲良くなることも大事ではありませんか」
春姫は少し頬を赤らめた。
「それは、もちろん」
「でも、ゆっくりでは駄目なのです」
長女格の姫が首を傾げる。
「ゆっくりでは、駄目」
「はい」
春姫は真剣に頷いた。
「八郎家は動きが早いです」
「市も、湯浴みも、借金整理も、戦の準備も」
「気づいた時には、もう次の段に進んでいます」
「夏までに、島津本家がどこまで市を導入できるか」
「それが、今後の立場をかなり左右すると思うのです」
姫君たちは、互いに顔を見合わせた。
茶の湯気が、静かに揺れている。
長女格の姫は、ゆっくり頷いた。
「難しいですね」
「八郎家は、本当に動きが早い」
「でも、だからこそ、こちらもただ待つだけではいけないのでしょう」
春姫は深く頷いた。
「はい」
「ただ、急ぐにしても、一人ではなく」
「皆様と相談しながら進めたいです」
長女格の姫は優しく笑った。
「ならば、まずはそこからです」
「春姫は、情報を集める」
「私たちは、聞いて、考える」
「必要なら、お父様へも、それぞれの口から伝える」
「それでよいのではありませんか」
春姫の表情が、少し明るくなった。
「はい」
「ありがとうございます」
妹姫がふと笑った。
「それで、三郎様と五郎様の縁談の話は、どうなさいますか」
春姫は一瞬固まり、それから困ったように笑った。
「それも、考えなければいけませんね」
「本当に、やることが多いです」
長女格の姫が茶を口に運びながら言った。
「八郎家と縁を結ぶというのは、そういうことなのでしょう」
「飯と帳面と市と戦と縁談が、全部一緒にやってくる」
春姫は思わず笑った。
「本当に、その通りです」
その笑いで、部屋の空気が少し柔らかくなった。
春姫はまだ迷っていた。
けれど、もう一人で抱え込む必要はない。
島津本家の姫たちは、ただ嫁ぎ先を待つだけの存在ではなくなりつつあった。
市を入れるか。
父にどう伝えるか。
八郎家の弟たちと、どう向き合うか。
その話を、女たちの茶会で決めていく。
それもまた、戦国の一つの戦い方なのだと、春姫は少しだけ分かり始めていた。




