1534年5月3週目。二郎と春姫は芋の様子を見ながら一郎の館で昼を食べる。千代姫も合流。鳥獣対策。春姫が自分の役目も考えないとと焦る。
帳面合わせから数日後。
春姫は二郎とともに、領内を歩いていた。
目的は芋である。
どこの畑に植えたか。
水は足りているか。
農民たちはどう見ているか。
二郎は一つ一つ丁寧に聞き、春姫も隣で耳を傾けた。
昼頃、一郎の館近くで一郎と合流し、そのまま昼飯を取ることになった。
膳には握り飯、味噌汁、焼いた芋、漬物、川魚が並ぶ。
春姫は辺りを見回して、ふと尋ねた。
「千代姉様は、今日はご一緒ではないのですか」
一郎は味噌汁を飲みながら答えた。
「千代は今、鳥獣対策や」
「鳥獣対策、ですか」
「猪狩りやな」
一郎は少し笑った。
「島津分家の侍たちを束ねて、村の者と一緒に山へ入っとる」
「猪や鹿が田畑を荒らすからな」
「農民から侍へ正式に頼む仕事にしたんや」
春姫は目を丸くした。
「千代姉様が、侍たちを束ねて狩りへ」
「かっこいいですね」
そこへ、外から声がした。
「そう言っていただけると嬉しいです」
千代姫だった。
袖口に少し土がつき、髪もいつもより乱れている。
だが、その姿には不思議な凛々しさがあった。
春姫は思わず立ち上がった。
「千代姉様」
「お疲れ様です」
千代姫は笑って席に着いた。
「猪は逃げました」
「ですが、足跡と通り道は見つけました」
「次は罠を置けます」
二郎が感心したように頷く。
「すごいですね」
千代姫は少し肩をすくめた。
「八郎様に仕事を振られただけです」
一郎が苦笑する。
「まあ、うちはみんなそんな感じやな」
春姫は箸を置いて、ゆっくり言った。
「八郎家の皆様は、本当によく働かれますね」
一郎は少し考えてから答えた。
「働くな」
「もともと庄屋の人間やから、働くという感覚はある」
「けど、今は八郎の走ってる船に、勝手に乗ってるようなもんや」
「船、ですか」
「そうや」
一郎は芋を割りながら笑った。
「あいつが勝手に船を走らせる」
「俺らは落ちんようにしながら、自分の持ち場でやるべきことをやる」
「八郎の足手まといにはなりたくない、というのはあるな」
二郎も静かに頷いた。
「でも悪い気はしません」
「八郎は、得意なことを見て仕事を振ってくれます」
「私なら芋や畑」
「一郎兄様なら農と領地」
「三郎なら料理」
「五郎なら市」
「規模は大きくなっていますが、やっていることは庄屋の延長です」
千代姫も頷いた。
「それに、八郎様ご自身がずっと働いておられます」
「四歳なのに」
一郎が笑う。
「四歳なのに、やな」
春姫は少し俯いた。
「私も、何か考えなければいけませんね」
千代姫は穏やかに首を振った。
「もう、あるのではありませんか」
「え」
「島津本家との連絡役です」
「それは、とても大事な仕事です」
春姫は驚いたように千代姫を見た。
千代姫は続ける。
「私は全部を聞いているわけではありません」
「ですが、島津本家では今、一部導入という形で市を入れているのでしょう」
「分家は、もう全部導入しています」
「市、寺社市、湯浴み、帳面、借金整理」
「それが入ると、領地の動きが変わります」
一郎が補足する。
「鳥獣対策もそうや」
「八郎が振ったおかげで、分家の侍たちは一律二百万文ほど借金が減る」
千代姫は少し笑った。
「私のところは、領分を広げていただいた分もありますから、さらに三百万文ほど減る見込みです」
「だから私は、自分の領分の侍たちがサボらないように、見張りも兼ねて狩りに出ています」
春姫は感心した。
「そこまで」
「はい」
「でも、春姫様には春姫様のやるべきことが、きっとたくさんあります」
千代姫は指を折っていく。
「島津本家で今年から始めた芋の作付けの様子を聞くこと」
「市や寺社市の導入状況を見ること」
「湯浴み場をどこに入れるか、お父様方へ伝えること」
「そして、縁談の続きです」
春姫の顔が少し赤くなる。
「縁談の、続き」
「はい」
千代姫はにこりと笑った。
「私は一郎さんに嫁ぎました」
「春姫様は二郎さんに嫁ぎました」
「となると、お父様方はまた、がちゃがちゃ言っておられるでしょう」
一郎が吹き出した。
「がちゃがちゃって」
「本当のことでしょう」
千代姫は涼しい顔で言った。
「三郎様、五郎様、四郎様、六郎様、七郎様」
「誰と誰を会わせるか」
「どういう場なら話しやすいか」
「堅い茶会ではなく、飯の会にするか」
「遊びを入れるか」
「それを考えるのも、仕事になります」
春姫はしばらく黙っていた。
「でも、結婚してすぐに、そこまでできるかどうか」
二郎が心配そうに春姫を見る。
千代姫は優しく頷いた。
「もちろんです」
「すぐでなくてよいのです」
「二人の生活もあります」
「まずは、二郎様と春姫様が落ち着くことです」
「こちらだって、少しずつ思うところは出てきましたけれど、仲良くしております」
一郎がぴくりと反応した。
「思うところって何や」
千代姫はにっこり笑った。
「今晩、話します」
一郎の顔が固まった。
二郎が小さく笑い、春姫もつられて笑った。
「お二人も、仲睦まじそうで」
春姫がそう言うと、千代姫は少し照れたように視線を落とした。
「春姫様と二郎様も、きっとそうなります」
「障害を乗り越えたのですから」
「その分、お互いを大事にできるはずです」
二郎は少し頬を赤くした。
春姫も同じように赤くなる。
一郎はその様子を見て、満足そうに味噌汁をすすった。
「まあ、焦らんでええ」
「俺らは、飯を食って、畑を見て、狩りをして、少しずつや」
二郎は頷いた。
「はい」
春姫も静かに頷いた。
「私も、私にできることから始めます」
千代姫は微笑んだ。
「それで十分です」
外では、鳥獣対策に向かう侍たちの声が聞こえていた。
畑では芋が育ち、市では銭が動き、館では姫たちが新しい役目を見つけていく。
八郎の船は、今日も勝手に走っている。
けれど、その船に乗る者たちは、もうただ運ばれているだけではなかった。
それぞれが、自分の櫂を持ち始めていた。




