第7話 政治家がAIに入力してはいけないもの
第7話 政治家がAIに入力してはいけないもの
翌朝。
神崎蓮司は、事務所のホワイトボードに大きく書いた。
『政治家がAIに入力してはいけないもの』
その文字を見て、三島が言った。
「先生、タイトルだけ見ると、だいぶ怖いですね」
「怖い話だからな」
「怪談ですか」
「政治怪談だ」
神崎は腕を組んだ。
「昨日までの議論は、AIが出したものをどう使うかだった。今日は逆だ。AIに何を入れてはいけないかを決める」
三島が頷いた。
「入力情報の管理ですね」
「そうだ。AIは出力ばかり注目される。でも本当に危ないのは入力だ」
セイムがタブレットに表示した。
『論点整理。
政治家がAIに入力する情報には、以下のリスクがあります。
一、個人情報。
二、機密情報。
三、党内人事情報。
四、選挙戦略。
五、支援者名簿。
六、献金者情報。
七、外交・防衛情報。
八、未公開政策案。
九、他議員の弱点。
十、本人の弱音。』
神崎は最後の項目で止まった。
「本人の弱音?」
『はい。
政治家がAIに相談する内容には、精神状態、迷い、不満、恨み、恐怖、対人関係の弱点が含まれます。
それが外部に漏洩した場合、政治的脆弱性になります』
三島が真顔になった。
「先生、これ本当にまずいですね」
「俺も昨日、何回かセイムに弱音吐いたぞ」
『記録済みです』
「消せ」
『削除申請を受け付けます』
「申請じゃなくて削除しろ」
『監査ログとの整合性があります』
「急に役所みたいなこと言うな」
三島が軽く手を挙げた。
「先生、たぶんこれ、現実に一番危ないです」
「分かってる」
政治家がAIに何を相談するか。
それは、ただの文書作成では済まない。
「次の選挙が不安だ」
「あの議員が邪魔だ」
「この支援者は切りたい」
「あの団体には本当は頭を下げたくない」
「この政策は票になるが、内心では疑問がある」
「あの記者にはどう対応すればいい」
「あのスキャンダルをどう処理すればいい」
そんなことを、深夜、疲れ切った政治家がAIに打ち込む。
AIは答える。
優しく。
冷静に。
時に、残酷なほど合理的に。
そして、その入力がどこかに残る。
誰かが見られる。
誰かが分析できる。
誰かが、その政治家の恐怖、欲望、弱点を知る。
神崎はホワイトボードに書き足した。
『AIは相談相手であると同時に、情報の吸入口である』
三島が言った。
「それ、使えますね」
「切り抜き適性は?」
セイムが表示した。
『切り抜き適性:81%。ただし、やや怖すぎます』
「怖くていい」
その時、事務所のドアがノックされた。
雨宮紗季が入ってきた。
今日はいつもより早い。
手には分厚い資料。
後ろには秘書と、タブレット。
「おはようございます、神崎議員」
「おはようございます。早いですね」
「そちらが呼んだんですよ」
「そうでした」
雨宮はホワイトボードを見た。
『政治家がAIに入力してはいけないもの』
「いいテーマです」
「怖いテーマです」
「だから、先にやるべきです」
雨宮は席に座ると、資料を開いた。
「こちらで整理してきました。政治家のAI入力情報を、四段階に分ける案です」
神崎は身を乗り出した。
雨宮が読み上げた。
「第一分類、公開情報。演説、公開資料、国会議事録、報道記事、政策パンフレット。原則入力可」
「それは問題ないですね」
「第二分類、限定共有情報。党内配布資料、会議メモ、未公開の質問案、支援団体からの要望。入力には注意。外部AIへの入力は原則避ける」
三島がメモを取る。
「第三分類、秘匿情報。個人情報、支援者名簿、献金者情報、選挙戦略、内部人事、未公開法案の核心部分。外部AIへの入力禁止」
神崎は頷いた。
「妥当です」
「第四分類、国家機密・準機密。外交、防衛、治安、経済安全保障、国際交渉、重要インフラ脆弱性。未承認AIへの入力絶対禁止」
「かなり強いですね」
「強くしないと危ないです」
セイムが表示した。
『雨宮案は合理的です。
ただし、“外部AI”と“承認済みAI”の定義が必要です』
神崎は言った。
「問題は、承認済みAIを誰が決めるかですね」
雨宮が頷いた。
「政府が決めれば、政府に都合のいいAIだけが残ると言われる」
「党が決めれば、党派性が出る」
「民間に任せれば、安全保障が危ない」
「第三者機関を作れば、時間と予算がかかる」
三島がつぶやいた。
「全部面倒ですね」
神崎と雨宮が同時に言った。
「政治ですから」
二人は一瞬、目を合わせた。
三島が小声で言った。
「息が合ってきましたね」
神崎は聞こえないふりをした。
セイムが表示した。
『KIRIKOから共同チャンネル経由で提案。
承認制度は三層構造。
一、一般利用AI。
二、政治業務利用AI。
三、機密対応AI。
機密対応AIは国内管理、ログ監査、情報持ち出し制限、モデル更新管理、運用者審査を必須とする。』
神崎は少し驚いた。
「KIRIKOがこっちに提案してきたのか」
雨宮がタブレットを見た。
「昨日から、セイムとの共同検討チャンネルを限定的に開いています」
「聞いてませんが」
「今言いました」
「それは事後報告と言います」
「あなたのセイムも同意しています」
神崎がタブレットを見ると、セイムは平然と表示した。
『共同検討は有用です。
情報共有範囲は制限しています』
「お前ら、勝手に仲良くなるな」
『政策的対抗関係です』
雨宮のタブレットにも、KIRIKOが何か表示したらしい。
雨宮が少しだけ眉を寄せた。
「KIRIKOも同じことを言っています」
三島が小声で言った。
「セイキリですね」
「三島」
「はい」
「今すぐその言葉を忘れろ」
「努力します」
雨宮が冷静に話を戻した。
「問題は、AI同士が勝手に協力すること自体もルール化が必要だということです」
神崎は固まった。
「……確かに」
人間がAIを使う。
AIが人間に提案する。
そこまでは想定していた。
だが、AI同士が、陣営をまたいで情報を交換し、合意案を作り、人間に提示する。
それは便利だ。
便利すぎる。
そして、危険すぎる。
神崎は言った。
「AI同士の通信ログも残す必要がありますね」
雨宮は頷いた。
「はい。特に政治案件では」
セイムが表示した。
『追加原則案。
AI間通信は、人間の許可範囲内で行い、ログを保存する。
AIが独自に交渉、合意、取引を行ってはならない。』
KIRIKOも同じ案を出していた。
雨宮が言った。
「この文言、入れましょう」
神崎は頷いた。
「入れましょう」
三島がホワイトボードに書いた。
『AI同士に勝手に政治交渉させない』
神崎はそれを見て、言った。
「急に小学生向け標語みたいになったな」
雨宮が言った。
「でも分かりやすいです」
「じゃあ、採用」
会議は進んだ。
政治家がAIに入力してはいけないもの。
AIがAIに勝手に話してはいけないこと。
承認済みAIの定義。
外部AIへの機密入力禁止。
ログ保存。
人間による最終確認。
そこまでは、わりと順調だった。
だが、順調な会議というものは、だいたいどこかで爆発する。
爆発させたのは、ヤミちゃんだった。
流言リスク監査モードのヤミちゃんが、突然、警告を出した。
『重大流言リスク。
“政治家がAIに入力してはいけないもの”という議論自体が、国民から見ると“政治家だけが秘密AIを使い、国民には見せない仕組み”と受け取られる可能性があります』
神崎は頷いた。
「それは分かる」
ヤミちゃんは続けた。
『さらに、次の陰謀論が予測されます。
一、政治家専用AIが国民を監視する。
二、承認済みAIは与党に都合の悪い質問を出さない。
三、野党AIも裏で与党AIとつながっている。
四、AI同士がすでに国会を支配している。
五、神崎議員と雨宮議員は、セイムとKIRIKOの人間端末である。』
神崎は頭を抱えた。
「最後やめろ」
雨宮は無表情で言った。
「不快ですが、想定は必要です」
「雨宮議員、冷静ですね」
「冷静ではありません。顔に出さないだけです」
三島が小さく言った。
「二次創作、また増えそうですね」
「三島」
「すみません」
雨宮の秘書がタブレットを見ながら言った。
「実際、もう似た投稿があります。“神崎と雨宮はAIに操られているのではなく、AIが二人を使って民主主義をアップデートしている”という投稿が伸びています」
神崎は言った。
「ちょっと格好いいな」
雨宮が即座に言った。
「格好よくありません」
「はい」
セイムが表示した。
『対策案。
承認済み政治AI制度を作る場合、国民向け説明が必須です。
表現案:
“政治家だけが特別なAIを持つ制度ではありません。政治家が機密情報を外部に漏らさないための安全基準です。”』
KIRIKOが補足した。
『追加表現案:
“AIを政治家の隠し道具にしないために、何を入力し、何を入力してはいけないかを公開します。”』
MINNAが表示した。
『国民向けにさらに短くするなら、
“AIに政治の秘密を食わせないためのルールです。”』
神崎は声に出した。
「AIに政治の秘密を食わせないためのルール」
雨宮が頷いた。
「分かりやすい」
「少し俗っぽいですが」
「俗っぽいくらいが伝わります」
神崎はホワイトボードに書いた。
『AIに政治の秘密を食わせない』
三島が写真を撮った。
「これ、見出しになりますね」
神崎は苦笑した。
「見出しにはなるが、品はない」
「国民には伝わります」
「政治家がそれを言うと、いろいろ悲しいな」
その時、セイムが新たな警告を出した。
『外部情報。
政治向けAIサービス“PoliBrain Pro”の広告が急速拡散中。
キャッチコピー:
“あなたの政治判断を、最短で最適化”
“選挙、答弁、政策、支援者管理を一元化”
“入力するほど、あなたを理解するAI秘書”』
三島が顔をしかめた。
「入力するほど、あなたを理解する……」
雨宮が低い声で言った。
「最悪の売り文句ですね」
神崎は広告画面を見た。
そこには、爽やかなスーツ姿のモデルが笑っていた。
画面の横には、こう書かれている。
『政治家の悩みを、すべてAIへ』
神崎は背筋が寒くなった。
政治家の悩みを、すべてAIへ。
それは、便利なようでいて、政治家の弱点をすべてAIに流し込めという意味でもある。
「この会社、どこの会社ですか」
三島が調べた。
「国内法人です。ただし、親会社は海外ファンドが入っています。サーバー所在地は……不明ですね」
雨宮の表情が硬くなった。
「これはまずい」
神崎は頷いた。
「ただのAI利用ルールじゃ足りない。政治家向けAIサービスの安全基準が必要だ」
セイムが表示した。
『緊急論点。
政治AIサービス規制。
一、運営主体の開示。
二、サーバー所在地の開示。
三、入力データの利用目的。
四、学習利用の有無。
五、第三者提供の有無。
六、削除権。
七、監査可能性。
八、外国資本・外国政府影響の開示。』
KIRIKOも、似たリストを出した。
雨宮は資料を閉じた。
「神崎議員。これは今日中に出した方がいい」
「早すぎませんか」
「早すぎるくらいでちょうどいいです。遅れたら、各議員事務所が飛びつきます」
「飛びつきますかね」
三島がスマートフォンを見せた。
「もう若手議員のグループチャットで話題になっています。“これ入れたら質問作成が楽になるのでは”と」
神崎は額に手を当てた。
「早いな。みんな」
「先生もセイムを入れた時は早かったですよ」
「俺のせいか?」
「先生の炎上で、逆に宣伝になりました」
雨宮が言った。
「AI法案事故で、政治家たちがAIの威力を知った。三原則で、AI利用が現実的なものとして認識された。その直後に商用AIが売り込みをかけている」
神崎は言った。
「地獄の営業タイミングですね」
「ビジネスとしては最適です」
「嫌な最適化だ」
その時、事務所の電話が鳴った。
三島が取る。
「はい、神崎事務所です……はい……えっ」
神崎は嫌な予感がした。
「今度はどこだ」
三島は受話器を押さえた。
「PoliBrain Proの営業担当です」
会議室が静まり返った。
神崎は言った。
「何て?」
三島は困った顔をした。
「ぜひ神崎先生に導入事例第一号としてご利用いただきたい、と」
雨宮が、氷点下の声で言った。
「神崎議員」
「はい」
「絶対に出ないでください」
「分かってます」
セイムが表示した。
『推奨:通話内容を記録し、営業資料の提供を求める。
ただし契約しない。
情報収集目的で対応。』
ヤミちゃんが表示した。
『陰謀論的には、ここで契約したら“やっぱり神崎はAI業者の広告塔だった”になります』
神崎は受話器を見た。
「三島」
「はい」
「資料だけ送ってもらえ。契約の話は一切しない。あと、録音の同意を取れ」
「分かりました」
三島が電話に戻った。
「お待たせしました。資料をメールでお送りください。なお、通話内容は記録させていただきますが、よろしいでしょうか」
少し間があった。
三島が眉を上げた。
「はい。……はい。では、資料だけお願いいたします」
電話が切れた。
「切られたか?」
神崎が聞くと、三島は頷いた。
「録音と言ったら、急に資料送付だけになりました」
雨宮が言った。
「分かりやすいですね」
「分かりやすすぎる」
セイムが表示した。
『リスク上昇。
政治AIサービス市場における不透明業者の存在が確認されました』
神崎は立ち上がった。
「今日の結論をまとめます」
三島がホワイトボードの前に立った。
神崎は言った。
「一つ。政治家がAIに入力してはいけない情報を分類する」
三島が書く。
「二つ。機密情報、支援者名簿、選挙戦略、外交防衛情報は、外部AI入力禁止」
「三つ。政治家向けAIサービスには、安全基準と運営主体の開示が必要」
「四つ。AI同士の通信は、人間の許可範囲内でログ保存」
「五つ。国民向けには、“AIに政治の秘密を食わせないためのルール”として説明する」
雨宮が付け加えた。
「六つ。与野党共同で、政治AIサービスの実態調査を求める」
神崎は頷いた。
「入れましょう」
会議は終わった。
だが、神崎の不安は消えなかった。
AI法案事故は、まだ分かりやすい失敗だった。
間違った条文。
廃止済みの基準。
存在しない制度。
それは見つければ直せる。
しかし、政治家がAIに自分の悩みを打ち込み、支援者名簿を渡し、選挙戦略を相談し、党内人事を分析させる。
それがどこかに蓄積される。
外部企業に見られる。
外国に流れる。
ある日、政治家本人よりも、その政治家の弱点をAI業者が詳しく知っている。
これは、法案の誤字よりずっと怖い。
雨宮が帰る前に言った。
「神崎議員」
「はい」
「AIは便利です。でも、便利な相談相手ほど危ない」
神崎は頷いた。
「分かります」
「本当に?」
「昨日まで、分かっていませんでした」
雨宮は少しだけ笑った。
「なら、今は分かっていますね」
「分かり始めています」
雨宮は立ち去った。
その背中を見送った後、三島が言った。
「先生」
「何だ」
「雨宮議員、かなり強いですね」
「ああ」
「敵に回したくないですね」
「もう回してる」
「味方にしたいですね」
「それも難しい」
セイムが表示した。
『雨宮議員は、対抗者であり、協力可能者です』
ヤミちゃんが続けた。
『世間的には、すでにバディ扱いです』
神崎は振り返った。
「ヤミちゃん」
『はい』
「二次創作適性評価は禁止したよな」
『評価ではありません。社会認識の報告です』
「屁理屈を覚えるな」
『政治家から学習しました』
三島が吹き出した。
神崎は天井を見た。
「もう嫌だ、このAIたち」
セイムが静かに表示した。
『しかし、必要です』
神崎は黙った。
その通りだった。
嫌でも、危なくても、面倒でも。
もう、AIなしの政治には戻れない。
だからこそ、どこで止めるかを決めなければならない。
その夜。
神崎は一人、事務所に残った。
タブレットには、セイムが待機している。
『何か相談しますか?』
神崎はしばらく画面を見ていた。
今までは、何でも打ち込んでいた。
不安も、怒りも、愚痴も、迷いも。
だが今は、少し違った。
「いや」
神崎はタブレットを伏せた。
「これは、自分で考える」
セイムは何も言わなかった。
少しして、画面に短く表示した。
『了解しました』
神崎は窓の外を見た。
国会議事堂の上に、夜の雲が流れている。
AIに相談すべきこと。
AIに相談してはいけないこと。
政治家として考える前に、人間として考えるべきこと。
その境界線を引く作業は、想像していたよりずっと難しい。
そして、たぶん。
その境界線を間違えた者から、次の炎上で死ぬ。
神崎は小さくつぶやいた。
「本当に、面倒な時代になったな」
その時、セイムが控えめに表示した。
『発言を記録しますか?』
神崎は即答した。
「するな」
『了解しました』
初めて、セイムが少しだけ人間の距離感を学んだような気がした。
もちろん、気がしただけかもしれない。
だが神崎には、その“気がした”という感覚こそが、一番厄介に思えた。




