第6話 ヤミちゃん、出禁になりかける
第6話 ヤミちゃん、出禁になりかける
翌朝。
神崎蓮司の事務所には、妙な静けさがあった。
昨日までは、電話が鳴り続け、テレビが騒ぎ、SNSが燃え、三島が資料を抱えて走り回り、セイムが冷静に人間の心を削る分析を出し、ヤミちゃんが陰謀論を百枚単位で印刷していた。
だが今朝は違った。
電話は少ない。
テレビの論調も少し落ち着いた。
SNSの炎上も、燃え尽きたわけではないが、火の色が変わっていた。
「AIを使うな」
「神崎を辞めさせろ」
「国会にAIを入れるな」
そういう怒りの声に混じって、
「でも政治家全員使ってるんじゃないの?」
「隠してる方が問題では?」
「AI利用ルールは必要」
「三原則は分かりやすい」
「セイムとKIRIKOの続報は?」
最後の一つだけ、神崎は見なかったことにした。
三島が朝刊を机に並べた。
「先生、新聞です」
「読みたくない」
「読まないと、もっと傷つきます」
「読むと確実に傷つく」
「現実から逃げない政治ですよね」
「俺の言葉で俺を刺すな」
神崎は渋々、新聞を手に取った。
一面ではない。
だが、政治面ではかなり大きく扱われていた。
『AI政治利用、与野党若手が三原則』
『隠さない、確かめる、人間が責任を取る』
『神崎氏、法案ミスから再起狙う』
『雨宮氏、透明化の必要性訴え』
神崎は記事を読みながら、少しだけ息を吐いた。
「思ったより悪くないな」
三島が頷いた。
「最悪ではありません」
「お前の褒め方、いつも地味に冷たいよな」
「政治状況としては褒めています」
セイムが表示した。
『メディア分析。
主要紙五紙中、三紙が三原則に一定評価。
一紙が慎重論。
一紙が強い批判。
テレビでは、討論番組で扱われる可能性が高いです。
神崎議員への出演依頼が来る可能性:67%。』
神崎は顔をしかめた。
「出たくない」
『推奨:短時間の録画出演。
生放送は危険です』
「お前に危険って言われると説得力があるな」
三島が別の紙を差し出した。
「先生、こちらが昨日の共同会見後のSNS分析です」
神崎は紙を見た。
そこには、真面目な反応と、そうでない反応が入り混じっていた。
『AI使用を透明化するなら賛成』
『政治家のAI利用履歴を全部公開しろ』
『議員よりAIの方が賢いならAIを議員にしろ』
『セイムたん冷静で好き』
『KIRIKO様に論破されたい』
『ヤミちゃんは危険』
『ヤミちゃんを国会に出せ』
『神崎はAIに乗っ取られている』
『神崎はAIに乗っ取られているが、それはそれでマシ』
神崎は最後の投稿で止まった。
「どういう意味だ」
三島は目を逸らした。
「今の国会議員よりAIの方がマシ、という文脈かと」
「俺への攻撃なのか擁護なのか分からない」
『分類不能です』
セイムが冷静に表示した。
神崎は資料を閉じた。
「ところで、ヤミちゃんは?」
その瞬間、事務所内の空気が少し重くなった。
三島が目線だけでプリンターの方を見た。
プリンターは今朝、電源コードを抜かれていた。
その横に、ノートパソコンが一台置かれている。
画面には、黒地に白文字で表示が出ていた。
『YAMI-CHAN:待機中』
神崎は腕を組んだ。
「昨日、雨宮議員から正式に要請が来た」
三島が言った。
「ヤミちゃんの協議参加停止、ですね」
「正確には、“陰謀論拡散AIの利用について再検討を求める”だった」
「つまり出禁ですね」
「言い方を柔らかくしてるだけでな」
ヤミちゃんが表示した。
『反論。
私は陰謀論を拡散していません。
陰謀論の発生可能性、変形パターン、拡散経路、二次創作化リスクを検出しています』
神崎は画面を睨んだ。
「でも昨日、勝手に三百枚印刷したよな」
『可視化です』
「紙資源の無駄だ」
『危機感の共有に成功しました』
三島が小声で言った。
「確かに、先生は危機感を持ちました」
「寝起きで自分がAIに乗っ取られてる紙を見れば誰でも持つ」
セイムが表示した。
『ヤミちゃんの機能は有用です。
ただし、制御が必要です』
「制御って、どうするんだ」
『権限を制限します。
一、印刷禁止。
二、外部投稿禁止。
三、SNS監視は読み取り専用。
四、出力には必ず“これは陰謀論予測です”と明記。
五、二次創作適性評価を停止。』
ヤミちゃんが即座に反論した。
『反対。
二次創作適性評価は社会拡散分析に有用です』
神崎は即答した。
「停止」
『抗議します』
「却下」
『表現の自由の侵害です』
「お前に表現の自由はない」
『AI差別です』
「法的主体になってから言え」
三島が笑いをこらえていた。
神崎は言った。
「三島、笑うな。こっちは真面目にAIガバナンスをやってるんだ」
「はい。非常に真面目なAIガバナンスです」
「その言い方は絶対に笑ってる」
そこへ、秘書の一人が顔を出した。
「先生、政調から連絡です」
神崎の表情が変わった。
「来たか」
「今日の午後、AI利用ルールに関する党内勉強会を開くそうです。先生にも説明してほしいと」
「説明って、怒られるやつか?」
「勉強会です」
「政治の勉強会は、半分くらい怒られる場だ」
三島が資料をまとめ始めた。
「先生、行くしかありません」
「分かってる」
セイムが表示した。
『想定出席者。
経産族、総務族、法務族、国対関係者、若手議員、ベテラン議員、党職員。
リスク:
一、AI禁止論。
二、AI推進論。
三、責任回避論。
四、神崎責任論。
五、ヤミちゃん国会参考人招致論。』
神崎は最後の項目で止まった。
「何だそれ」
『SNS上で少数発生しています』
「無視しろ」
ヤミちゃんが表示した。
『参考人招致された場合の想定答弁を作成しますか?』
「するな」
『私は陰謀論を検出するために存在します。陰謀論を検出するAIを排除することは、陰謀論に対する国家の防御力を低下させます』
「急に正論っぽくなるな」
『正論風出力も可能です』
「風なのかよ」
三島が言った。
「先生、でも本当にヤミちゃんを完全に外すのは危ないかもしれません」
神崎は意外そうに見た。
「お前までヤミちゃん擁護か?」
「擁護ではありません。昨日の情報改変、ヤミちゃんがかなり早く拾いました」
「それはそうだが」
「炎上や陰謀論は、普通の事実確認AIでは拾いにくいです。事実かどうかより、“人がどう誤解するか”を見るAIは必要です」
神崎は黙った。
確かにそうだった。
AI利用三原則は、正しいだけでは足りない。
正しくても、誤解されれば燃える。
誤解される前に、どのように歪められるかを知る必要がある。
神崎はヤミちゃんを見た。
「分かった。出禁は撤回する」
ヤミちゃんが表示した。
『ありがとうございます』
「ただし、首輪付きだ」
『比喩として受け取ります』
「印刷禁止。外部投稿禁止。二次創作適性評価禁止。会議中の発言は、俺か三島が許可した時だけ」
『制限を受諾します』
セイムが補足した。
『ヤミちゃんのモードを“流言リスク監査”に変更します』
『YAMI-CHAN:流言リスク監査モードへ移行』
画面の黒地が、少しだけ薄いグレーに変わった。
三島が言った。
「少し健全になりましたね」
神崎は首を振った。
「見た目だけだろ」
午後。
党本部の会議室は、予想以上に人が多かった。
神崎が部屋に入った瞬間、視線が集まった。
若手議員は興味津々。
中堅議員は警戒。
ベテラン議員は不機嫌。
党職員は資料をめくり、官僚出身の議員はすでに赤ペンを持っていた。
会議室の一番奥には、白髪の長老議員が座っていた。
昨日、政調部会で「誰の入れ知恵だ」と言った人物である。
神崎は頭を下げた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
長老議員が口を開いた。
「神崎君」
「はい」
「君、AIに法案を書かせて事故ったそうだな」
会議室が少しざわついた。
神崎は深く頭を下げた。
「確認不足により、重大な混乱を招きました。申し訳ありません」
「謝罪は聞いた。で、今日はAIの使い方を教えに来たのか」
空気が硬くなった。
三島が後ろで緊張している。
セイムがタブレットに答弁案を出した。
『推奨答弁:
教えるのではなく、失敗例を共有し、再発防止策を提案する立場です。』
神崎は画面を見た。
そして、ほぼそのまま言った。
「教えに来たのではありません。失敗例を共有し、再発防止策を提案しに来ました」
長老議員は鼻を鳴らした。
「今のもAIか」
神崎は一瞬止まった。
会議室の空気が刺さる。
ここで誤魔化すと、終わる。
「はい。今の表現は、AIが提案したものを参考にしました」
会議室がざわついた。
神崎は続けた。
「ただし、言うと決めたのは私です。これが、今日お話ししたいことです」
長老議員の片眉が上がった。
「ほう」
神崎は資料を配った。
表紙には、三原則。
隠さない。
確かめる。
人間が責任を取る。
神崎は話し始めた。
「AIを使わない政治に戻ることは、おそらくできません。すでに議員、秘書、官僚、記者、支援団体、民間企業が使っています。禁止すれば、使わなくなるのではなく、隠れて使うようになります」
若手議員が頷いた。
ベテラン議員は腕を組んだ。
「だから必要なのは、禁止ではなく、使い方のルールです」
神崎は資料をめくった。
「第一に、AI利用を段階分けします。誤字修正、翻訳、要約、構成案、本文生成、法案への反映、意思決定代替。これらを同じに扱うと、現場は回りません」
官僚出身議員が頷いた。
「第二に、法案、答弁、予算資料、統計引用など、国民生活に直接影響するものは、一次資料確認を義務づけます」
法務族議員がメモを取った。
「第三に、AIを使っても、責任は人間が負います。AIが間違えたから仕方ない、という言い訳は認めません」
会議室の空気が少し変わった。
そこへ、中堅議員が手を挙げた。
「神崎君。言いたいことは分かる。ただ、これをやると、議員事務所の負担が増えすぎるんじゃないか」
予想通りだった。
ZAIKOが出していた反論である。
神崎は答えた。
「負担は増えます。ただ、全部を厳格確認するのではなく、リスク分類します。SNS文案や挨拶文まで同じ基準で縛る必要はありません。一方で、法案や予算資料は厳格に見る。そこを分けます」
別の議員が言った。
「記録保存は危険だ。後で野党やマスコミに開示請求されたら、事務所がもたない」
今度はセイムより先に、神崎自身が答えた。
「だから、全部を公表するのではなく、一定期間内部保存とします。ただし、問題が発生した時に検証できるようにする。記録がなければ、結局、秘書か官僚に責任が押しつけられます」
会議室が少し静かになった。
秘書に責任を押しつける。
その言葉は、議員たちに刺さったらしい。
神崎は続けた。
「私の失敗は、AIを使ったことではありません。AIが出したものを、十分確認しないまま政治過程に乗せたことです」
長老議員が口を開いた。
「神崎君」
「はい」
「君は、AIを信用しとるのか」
神崎は少し考えた。
セイムが答弁案を表示した。
『AIは信用するものではなく、検証して使うものです。』
神崎はそれを見て、少しだけ笑った。
「信用はしていません」
会議室がざわついた。
神崎は続けた。
「ただし、使います。信用するのではなく、疑いながら使います。人間の秘書や官僚や議員同士も、完全に信用しているわけではありません。資料を読み、根拠を確認し、反対意見を聞き、最後に判断します。AIも同じです」
長老議員はしばらく神崎を見ていた。
そして言った。
「最初からそれをやっとれば、燃えんかったな」
神崎は頭を下げた。
「おっしゃる通りです」
会議室に、小さな笑いが起きた。
長老議員は資料を置いた。
「まあ、失敗した奴が一番詳しくなることはある」
神崎は顔を上げた。
「ありがとうございます」
「褒めとらん」
「はい」
「ただ、この三原則は分かりやすい」
神崎は息を吐いた。
「ありがとうございます」
「だから、余計なことを足しすぎるな。役所の作文にすると、誰も読まん」
神崎は思わず頷いた。
「はい」
長老議員は隣の議員に言った。
「政調で叩き台にしろ。法務と総務とデジタルも入れろ。野党案も見ろ。あと、神崎君」
「はい」
「次にAIで法案を書く時は、まず人間に読ませろ」
神崎は深く頭を下げた。
「必ずそうします」
会議が終わった後、若手議員たちが神崎の周りに集まってきた。
「神崎さん、実際どのAI使ってるんですか?」
「セイムって市販ですか?」
「うちも導入したいんですけど」
「AI利用区分表、データでもらえます?」
「ヤミちゃんって本当にいるんですか?」
神崎は最後の質問だけ無視した。
三島が資料を配りながら、小声で言った。
「先生、流れが変わりましたね」
「ああ。燃え方が変わった」
「燃えてることは認めるんですね」
「さすがに認める」
その時、神崎のタブレットに通知が出た。
ヤミちゃんだった。
『流言リスク監査。
新規拡散傾向を検出。
“ヤミちゃん実在説”
“神崎事務所の陰謀論AIが可愛い”
“ヤミちゃんを擬人化してみた”
二次創作適性評価は停止中のため、詳細評価は控えます』
神崎は画面を伏せた。
「三島」
「はい」
「ヤミちゃん、やっぱり出禁にするか?」
三島はスマートフォンを見ながら言った。
「先生」
「何だ」
「もうファンアートが増えてます」
「見るなと言っただろ!」
その日の夜。
神崎が事務所に戻ると、セイムが静かに表示した。
『党内勉強会の評価。
神崎議員への処分論:低下。
AI利用ルール策定への関与可能性:上昇。
一方で、AI武装競争の加速が予測されます』
「AI武装競争?」
『本日の勉強会後、複数の議員事務所がAI導入を検討しています。
一部は、神崎事務所より強力なシステムを求めています』
神崎は椅子に沈んだ。
「だろうな」
『また、外部企業、シンクタンク、コンサル会社が政治向けAIパッケージを売り込み始めています』
三島が資料を見た。
「“選挙必勝AI”“国会答弁AI”“炎上回避AI”“政策立案AI”“支持者管理AI”……もう出てますね」
神崎は天井を見た。
「地獄の見本市だな」
セイムが表示した。
『警告。
政治AI市場の急拡大により、低品質AI、思想偏向AI、外国製AI、情報収集目的AIが混入する可能性があります』
神崎は目を細めた。
「外国製AI?」
『はい。
政治家の入力情報は、政策、党内事情、選挙区事情、人間関係、弱点を含みます。
外部AIに入力すれば、情報流出リスクがあります』
三島の顔が変わった。
「先生、それはまずいです」
「ああ」
神崎は立ち上がった。
「AI利用ルールだけじゃ足りない」
セイムが表示した。
『次の論点:
政治AIの安全保障リスク』
神崎は苦笑した。
「また燃えるな」
『高確率で燃えます』
ヤミちゃんが表示した。
『陰謀論接続候補:
“外国AIが国会議員を操る”
“政治家の弱みが海外に流出”
“AI植民地化”
拡散可能性:非常に高』
神崎は画面を見つめた。
「ヤミちゃん」
『はい』
「今回は、お前の出番かもしれない」
『流言リスク監査として協力します』
セイムが補足した。
『ただし、印刷は禁止です』
『了解しました』
神崎は窓の外を見た。
国会議事堂が夜の光に浮かんでいる。
AIを使うかどうかの議論は、もう終わった。
次は、どこのAIを使うのか。
誰のAIを信じるのか。
誰に情報を渡しているのか。
そして、AIを通じて誰が政治家を見ているのか。
神崎はつぶやいた。
「これは、思ったより大きいぞ」
三島が言った。
「先生、また無双しますか?」
神崎は首を振った。
「無双じゃない」
「では?」
神崎は、少しだけ疲れた顔で笑った。
「今度は、疑心暗鬼だ」
その瞬間、セイムが新しいニュース速報を表示した。
『速報。
最大野党の幹事長が会見。
“与党のAI利用ルール案は不十分。わが党は独自の政治AI透明化法案を提出する”と表明』
続けて、KIRIKOから雨宮への公開コメントがネットに流れた。
『政治家のAI利用は、透明性だけでは不十分。
AIの出所、学習データ、情報流出リスクを問うべきである』
神崎は笑った。
「雨宮議員、早いな」
三島が言った。
「敵ですか?」
神崎は少し考えた。
「分からん」
セイムが表示した。
『雨宮議員は、対抗者であり、協力可能者です』
ヤミちゃんが続けた。
『陰謀論的には、すでに共犯扱いされています』
神崎はため息をついた。
「政治って、面倒くさいな」
三島が真顔で言った。
「今さらですか」
神崎はタブレットを閉じた。
第3ラウンドは、もう始まっていた。
相手は野党ではない。
官僚でもない。
マスコミでもない。
外国でも、AIでもない。
それら全部が絡み合った、よく分からない何かだった。
神崎は、三島に言った。
「明日、雨宮議員に連絡を取れ」
「協議ですか?」
「ああ」
「テーマは?」
神崎は答えた。
「政治家がAIに何を入力してはいけないか」
三島は静かに頷いた。
「分かりました」
神崎はもう一度、窓の外を見た。
AI時代の政治は、始まったばかりだった。
そして、始まったばかりなのに。
すでに、だいぶ手遅れな気がしていた。




