第5話 AI同士ではなく、人間同士でやりましょう
第5話 AI同士ではなく、人間同士でやりましょう
午前九時。
神崎蓮司は、国会内の小さな会議室にいた。
睡眠時間は三十分。
朝食はコンビニの鮭おにぎり一個。
コーヒーは二杯。
ヤミちゃんが印刷した「神崎蓮司はAIに乗っ取られている」という紙束は、三島が大きな封筒にまとめて持ってきていた。
「持ってくる必要あったか?」
神崎が言うと、三島は真顔で答えた。
「資料です」
「陰謀論だぞ」
「国民の不安の一部です」
「その言い方やめろ。急に立派な資料に見える」
三島は封筒に太いマジックで書いた。
『国民不安サンプル』
「もっと嫌だな、それ」
会議室の机の上には、神崎側の資料が並んでいた。
『政治分野におけるAI利用の透明性・検証責任に関する緊急提言』
A4三枚。
別紙として、AI利用区分表、一次資料確認フロー、想定批判一覧、炎上見出し予測、陰謀論リスク一覧。
短時間で作ったにしては、よくできていた。
よくできすぎていた。
だからこそ、神崎は怖かった。
「三島」
「はい」
「これ、本当に俺が作ったって言っていいのか?」
「先生が責任を持つなら、いいです」
「AIが作っただろ」
「先生が指示しました。先生が読んで、先生が修正して、先生が出します」
「それで十分か?」
三島は少し考えた。
「今までは、十分じゃなかったんだと思います」
神崎は黙った。
三島は続けた。
「でも、昨日の法案事故で、それが分かりました。だから今日は、そこから始めればいいんじゃないですか」
神崎は資料の表紙を見た。
AIを禁止するのではなく、人間の責任を明確にするために。
自分で書いたような、AIに書かせたような、もうよく分からない言葉だった。
だが、今の自分が言うべき言葉ではある。
扉が開いた。
雨宮紗季が入ってきた。
黒いスーツに、薄いグレーのブラウス。
手にはタブレット。
後ろには、秘書が一人。
神崎は立ち上がった。
「雨宮議員」
「神崎議員」
二人は握手した。
記者はいない。
カメラもない。
公開でやりましょう、と雨宮は書いてきたが、いきなりテレビカメラの前で殴り合うわけではない。
まずは与野党の実務者協議。
その後、合意できる範囲を公開する。
それが雨宮の提案だった。
雨宮は席に着くと、すぐに言った。
「まず確認します。今日のこの場に、AIは入れていますか」
神崎はタブレットを机に置いた。
「入れています。ただし、発言は私がします。AIの出力は記録します」
雨宮もタブレットを置いた。
「こちらも同じです。KIRIKOを起動しています。発言ログは残します」
神崎は少し笑った。
「お互い、AIを連れて人間同士で話すわけですね」
「ええ。まるで保護者同伴みたいですね」
「どちらが保護者かは怪しいですが」
雨宮は笑わなかった。
「神崎議員。昨日のあなたの答弁は評価しています」
「ありがとうございます」
「ただし、法案事故の責任は消えません」
「分かっています」
「では始めましょう」
雨宮はタブレットを操作した。
「こちらの基本姿勢です。AI使用を禁止することは現実的ではない。ただし、政治分野で使う以上、最低限、利用範囲、検証責任、記録保存、情報管理、説明責任を明確にすべきです」
神崎は頷いた。
「ほぼ同じです」
「では、争点は細部ですね」
「その細部で燃えるんですよ」
「政治ですから」
雨宮が資料を開いた。
「まず、AI利用の表示義務について。あなたの案では、高リスク文書については利用記録を保存するが、公表は原則不要になっています」
「公表を義務化すると、各事務所がAI利用を隠す方向に行きます」
「しかし、公表しなければ国民は分かりません」
「全部公表すると、“AIを使った”という一点だけで叩かれます」
「叩かれるべき使い方なら叩かれるべきです」
「翻訳、要約、誤字修正まで叩かれたら政治が止まります」
雨宮はタブレットを見た。
KIRIKOが何か表示している。
神崎のタブレットにもセイムが表示していた。
『論点整理。
双方の対立は、公表対象の範囲。
妥協案:使用内容の段階分類。
一、補助使用:公表不要。
二、本文生成・分析使用:内部記録。
三、法案・答弁・予算資料への直接反映:事後開示対象。
四、自動意思決定:禁止。』
雨宮が少し眉を上げた。
「こちらのKIRIKOも、似た妥協案を出しています」
神崎は言った。
「AI同士は話が早いですね」
「人間同士も、たまには早くしましょう」
二人は同じ紙に線を引いた。
第一合意。
AI利用は段階分類する。
補助使用は過度に縛らない。
法案、答弁、予算資料など、国民生活に直接影響する文書への実質的反映は、内部記録と検証を義務付ける。
自動意思決定は禁止。
雨宮は次の論点に進んだ。
「次。一次資料確認」
神崎は身構えた。
昨日の事故の本丸である。
雨宮は淡々と言った。
「AIが引用した制度、統計、条文、予算額、告示、判例、国際合意については、一次資料かそれに準じる資料で確認する。ここは必須です」
「異論ありません」
「本当に?」
「昨日、痛いほど分かりました」
「なら確認者を明記すべきです」
「そこは反対です」
雨宮の目が鋭くなった。
「なぜですか」
「個人名まで明記すると、秘書や官僚に責任が集中します。最終責任は議員か大臣です」
「しかし、誰も確認していなかった場合は?」
「確認工程の記録は残す。ただし、外に出す責任者は政治家。実務担当者を盾にしない」
雨宮は少し黙った。
KIRIKOが表示している。
神崎には見えない。
しばらくして、雨宮は言った。
「その点は、認めます」
神崎は少し驚いた。
「いいんですか」
「秘書に責任を押しつける政治家を増やしたいわけではありません」
神崎は小さく頷いた。
第二合意。
一次資料確認を義務化する。
確認工程の記録を保存する。
ただし、対外的な最終責任は政治家、または公的決裁権者が負う。
三島が小さくメモした。
「いい流れですね」
神崎は小声で返した。
「怖いくらいな」
雨宮が耳ざとく聞いた。
「怖いですか」
「ええ。昨日まで殴り合っていた相手と、今日は合意しているので」
「私は殴り合いがしたいわけではありません」
「そうなんですか?」
「必要ならします」
「ですよね」
雨宮は少しだけ笑った。
その時、神崎のタブレットが振動した。
セイムの表示。
『注意。
ENJO-1より警告。
現在の協議内容が外部に漏れた場合、見出し候補:
“与野党、AI使用の合法化で密室合意”
“AIで失敗した議員がAIルール作成”
“政治家のAI隠しに抜け穴”
炎上可能性:中高』
神崎はため息をついた。
雨宮も同時にタブレットを見た。
「こちらにも同じような警告が出ました」
「炎上AIは、どこの陣営でも性格悪いんですね」
「性格ではなく機能です」
「機能が悪い」
雨宮は資料を閉じた。
「神崎議員。ここからが本題です」
「何でしょう」
「このルール案を、誰が作ったことにしますか」
神崎は黙った。
それは、かなり重要な問題だった。
神崎が単独で出せば、「事故を起こした本人が自己弁護のために作った」と見られる。
雨宮が出せば、「野党が与党の失点を利用して規制強化を狙った」と見られる。
与党だけで出せば隠蔽に見える。
野党だけで出せば攻撃に見える。
政府が出せば官僚統制に見える。
第三者委員会を立てれば時間がかかる。
「共同提言にするしかないでしょう」
神崎が言った。
雨宮は頷いた。
「私もそう思います。ただし、与野党の若手だけでは軽い」
「誰を巻き込みますか」
「法制局経験者、情報法の専門家、AI研究者、元官僚、メディア関係者、消費者団体」
「大きくなりすぎませんか」
「大きくしないと信用されません」
「でも大きくすると、まとまりません」
「だから、まずは緊急原則だけ出す」
神崎は資料を見た。
「三原則ですか」
雨宮は頷いた。
「透明性、検証、責任」
セイムが表示した。
『短縮版提言案:
政治AI利用三原則。
一、隠さない。
二、確かめる。
三、人間が責任を取る。』
神崎は思わず声に出した。
「隠さない。確かめる。人間が責任を取る」
雨宮が反応した。
「いいですね」
「AIが出しました」
「なら、人間が採用しましょう」
三島がまたメモした。
「使えますね」
雨宮の秘書もメモしていた。
その瞬間、会議室に少し妙な空気が流れた。
与党議員、野党議員、双方の秘書、双方のAI。
誰が考えたのか。
誰が採用したのか。
誰が責任を取るのか。
まさに、その議論をしている最中に、その境界が曖昧になっていた。
神崎は言った。
「雨宮議員」
「はい」
「これ、国民にどう見せればいいと思いますか」
雨宮は少し考えた。
「政治家がAIを使うこと自体は、もう避けられない。なら、国民が見るべきなのは、“AIを使ったかどうか”だけではなく、“AIの出力をどう検証したか”です」
「長いですね」
「あなたならどう言いますか」
神崎はセイムを見ずに答えた。
「AIを使った政治家を責める時代から、AIを雑に使った政治家を責める時代に変える」
雨宮は一瞬、黙った。
そして言った。
「それ、あなたが言ったんですか?」
「今のは、たぶん私です」
セイムが表示した。
『発言生成元:人間推定。
切り抜き適性:88%。』
神崎は思わず笑った。
「高評価だ」
雨宮も、少し笑った。
だが、会議室の空気が緩んだのは、そこまでだった。
三島のスマートフォンが震えた。
同時に、雨宮の秘書のスマートフォンも震えた。
二人が画面を見て、顔色を変えた。
「先生」
三島が言った。
「漏れました」
「何が」
「この協議です」
神崎は目を閉じた。
「どこに」
「SNSです」
雨宮の秘書が読み上げた。
「与野党のAI武装議員が密室会談。AI政治合法化へ。神崎・雨宮両氏が“AIを使った政治家を責める時代は終わり”と発言、という投稿が拡散中です」
神崎は机を叩いた。
「早い! 漏れるのが早すぎる!」
雨宮が厳しい顔で言った。
「この部屋から出た情報ではありませんね。表現が違います」
三島が画面を見せた。
投稿には、なぜか会議内容の一部に似た文章が含まれていた。
ただし、歪んでいた。
隠さない、確かめる、人間が責任を取る。
それが、
AIを使うことは隠してもよい。
確認はAIに任せればよい。
責任は最終的に制度が取る。
という、ほぼ逆の内容に変わっていた。
神崎は呆然とした。
「何だこれ」
雨宮がタブレットを操作した。
KIRIKOが解析を始める。
神崎側でも、セイム、ENJO-1、ヤミちゃんが同時に動いた。
数秒後、セイムが表示した。
『情報改変の可能性。
原文に近いフレーズを生成AIで変形し、炎上しやすい内容に加工した投稿です』
ENJO-1が続けた。
『炎上加速度:高。
三十分以内にトレンド化可能。
見出し化リスク:高』
ヤミちゃんが表示した。
『陰謀論接続候補:
“AI議員たちが国民支配ルールを密室で決定”
“与野党は裏でつながっていた”
“AIに不利な情報を消すためのAIルール”
拡散可能性:非常に高』
神崎は頭を抱えた。
「ヤミちゃん、嬉しそうに言うな」
『嬉しくはありません。
機能です』
雨宮が立ち上がった。
「神崎議員。予定を前倒しします」
「何をですか」
「公開します」
「今?」
「今です」
「まだ合意文も完成していません」
「未完成だからこそ、改変されます。先にこちらから出す」
神崎は一瞬迷った。
セイムが表示した。
『推奨:即時共同会見。
内容:
一、協議の事実を認める。
二、密室合意ではなく緊急原則の協議であると説明。
三、三原則を先に公表。
四、詳細制度は専門家を含めて検討すると明言。
五、改変情報に注意喚起。』
KIRIKOも、ほぼ同じ結論を出しているようだった。
雨宮が言った。
「AI同士の意見は一致していますね」
神崎は立ち上がった。
「人間同士も一致しましょう」
三島が資料をまとめた。
雨宮の秘書が記者クラブに連絡した。
神崎は歩き出した。
廊下に出ると、すでに数人の記者がこちらを見つけて走ってきた。
「神崎先生!」
「AI使用ルールを密室で決めているというのは本当ですか!」
「雨宮先生と合意したんですか!」
「AI法案事故の責任はどう取るんですか!」
神崎は足を止めた。
雨宮も隣に立った。
カメラが向く。
マイクが突き出される。
神崎のタブレットには、セイムの答弁案が表示されていた。
雨宮のタブレットにも、おそらくKIRIKOの発言案が出ている。
神崎は、それを見なかった。
雨宮も、画面を伏せた。
神崎が口を開いた。
「まず、密室で何かを決めたという事実はありません。私たちは、昨日の法案事故を受けて、政治分野におけるAI利用の最低限の原則について協議していました」
雨宮が続けた。
「AIを使うこと自体を、現実に禁止することは困難です。だからこそ、政治家がAIを隠れて雑に使うことを防ぐ必要があります」
神崎は言った。
「原則は三つです」
雨宮が言った。
「隠さない」
神崎が言った。
「確かめる」
二人は一瞬だけ視線を合わせた。
そして、同時に言った。
「人間が責任を取る」
記者たちが、一斉にメモを取った。
三島が小声で言った。
「切り抜き適性、百点ですね」
神崎は小声で返した。
「今それ言うな」
しかし、その瞬間から流れは少し変わった。
SNSにはすぐに動画が出た。
『神崎・雨宮、AI政治三原則を表明 “隠さない、確かめる、人間が責任を取る”』
批判は消えなかった。
むしろ、まだ燃えていた。
だが炎上の中心は少しずつ変わった。
「AIを使うな」から、
「どう使わせるべきか」へ。
「神崎を辞めさせろ」から、
「政治家全員のAI利用を調べろ」へ。
「AIは危険だ」から、
「AIを隠して使う方が危険だ」へ。
事務所に戻った神崎は、椅子に座り込んだ。
「寿命が縮んだ」
三島が言った。
「伸びたかもしれませんよ、政治生命は」
「それはどうかな」
セイムが表示した。
『世論分析更新。
批判:48%。
擁護:29%。
判断保留:23%。
三原則への支持が増加。
共同会見は有効でした』
神崎はタブレットを見た。
「お前の案だったな」
『採用したのはあなたです』
「そういう言い方、ずるいぞ」
『責任の所在を明確にしています』
神崎は少し笑った。
その時、ヤミちゃんが新しい警告を出した。
『新規陰謀論を検出。
“神崎と雨宮はAI同士に結婚させられた”
拡散可能性:低。
ただし、二次創作適性:高』
神崎は無言になった。
三島が画面を覗き込んだ。
「先生」
「言うな」
「もうイラスト出てます」
「見るな!」
三島はスマートフォンを隠した。
「ちなみに、セイムとKIRIKOのカップリング名はセイキリらしいです」
「やめろ!」
セイムが表示した。
『KIRIKOとの関係は政策的対抗関係です』
神崎は叫んだ。
「お前も反応するな!」
その頃、雨宮事務所でも。
KIRIKOが同じ画像を表示していた。
雨宮紗季は、無表情でタブレットを閉じた。
そして秘書に言った。
「次の協議から、ヤミちゃんは出禁にしてもらって」
秘書は真顔で頷いた。
「了解しました」
しかし、国会はもう止まらなかった。
神崎と雨宮の共同会見は、政治AI利用ルールの始まりになった。
そして同時に、別のものの始まりでもあった。
AIを使う政治家。
AIを監視するAI。
AIの発言を改変するAI。
AI同士を勝手にカップリングする国民。
政治は、かつてなく高度になり。
かつてなく、馬鹿馬鹿しくなり始めていた。




