第33話 壁にするな、窓をつけろ
第33話 壁にするな、窓をつけろ
翌朝。
神崎蓮司の事務所のホワイトボードには、予想通り新しい文字が書かれていた。
『壁にするな、窓をつけろ』
神崎は、もう驚かなかった。
むしろ少しだけ、諦めに近い落ち着きがあった。
「三島」
「はい」
「今日は長老議員の言葉だな」
「はい」
「俺の言葉じゃないから、少し安心した」
「先生の言葉より重いです」
「そこは否定してほしかった」
セイムが表示された。
『長老議員の発言は、業界団体の閉鎖性と透明性の関係を端的に示しています』
ヤミちゃんも続いた。
『標語化可能性:高。
ただし、誰の発言かを明示しないと、神崎議員の言葉として流通する可能性があります』
神崎は腕を組んだ。
「勝手に俺の言葉になるのは困るな」
三島が言った。
「でも、長老議員は名前を出すなと言いそうです」
「言うだろうな」
「では、“党内会合で出た表現”くらいにしますか」
「それでいい」
神崎はホワイトボードの前に立った。
壁にするな、窓をつけろ。
業界団体は、壁になりやすい。
外からの批判を遮る壁。
新規参入を阻む壁。
法規制を遅らせる壁。
業界の都合を守る壁。
だが、窓があれば少し違う。
外から見える。
中の議論が漏れる。
空気が通る。
誰かが閉じようとしても、開けろと言える。
神崎は言った。
「今日のテーマは、協議会の“窓”だな」
三島が頷いた。
「具体的には?」
「議事概要公開、利益相反開示、外部委員、利用者代表、違反時公表、基準の見直し」
セイムが表示した。
『加えて、以下が必要です。
一、少数意見の記録。
二、非公開理由の明示。
三、基準案へのパブリックコメント。
四、外部監査報告の公開。
五、協議会認証の取消事例公開。
六、政治家・政党との接触記録。』
神崎は少し顔をしかめた。
「政治家・政党との接触記録か」
三島が言った。
「入れると、先生たち自身も記録されますね」
「そうだな」
ヤミちゃんが表示した。
『自分たちに不利な透明性を求めると、信頼性が上がります』
神崎は苦笑した。
「嫌な正論だ」
『流言リスク低下に有効です』
「分かった。入れる」
午前十時。
雨宮紗季とのオンライン協議。
画面の向こうの雨宮は、開口一番言った。
「壁にするな、窓をつけろ」
神崎は少し笑った。
「今日はそれですね」
「はい。協議会の透明性条件を、“窓”として整理します」
「A+が言うと、すぐ資料になりそうですね」
「もうなっています」
画面に資料が表示された。
『政治AI協議会に必要な“窓”』
神崎は思わず笑った。
「本当に資料になってる」
雨宮は淡々としていた。
「比喩は、制度に落とし込まなければ意味がありません」
資料には、十項目が並んでいた。
一、参加者の窓。
誰が参加しているかを公開する。
二、利益相反の窓。
どの企業、政党、団体、資本と関係があるかを開示する。
三、議題の窓。
何を議論するかを事前に公開する。
四、議事の窓。
議事概要と少数意見を公開する。
五、非公開理由の窓。
非公開にする場合、その理由を明示する。
六、基準案の窓。
自主基準案に外部意見募集を行う。
七、認証の窓。
認証基準、審査主体、取消条件を公開する。
八、違反の窓。
基準違反時の是正勧告、公表、取消を明示する。
九、見直しの窓。
基準を定期的に更新する。
十、政治接触の窓。
協議会と政治家・政党・行政との接触記録を残す。
神崎は十番を見て、静かに頷いた。
「入れましたね」
雨宮も頷く。
「はい。こちらにも跳ね返る条件です」
「それを入れるから強い」
「入れなければ、業界だけに透明性を求める形になります」
セイムが表示した。
『この十項目は、協議会ガバナンス原則として有効です』
KIRIKOが補足した。
『特に少数意見の記録が重要です。議事概要が多数派の整理だけになると、実質的な異論が消えます』
ヤミちゃんが表示した。
『見出し案。
“少数意見を消すな”
拡散可能性:中高』
神崎は頷いた。
「それも大事だな」
雨宮が言った。
「協議会で一番危ないのは、異論が“建設的に整理された”結果、消えることです」
神崎は苦笑した。
「黒瀬代表が得意そうですね」
「はい」
三島がホワイトボードに書いた。
『建設的に消される異論』
神崎はそれを見て言った。
「嫌な言葉だ」
セイムが表示した。
『非常に重要な概念です』
ヤミちゃんも表示した。
『標語化可能性:高』
神崎は、もう否定しなかった。
昼前。
神崎と雨宮は、共同提案を発表した。
表題。
『政治AI信頼推進協議会の透明性確保に関する十の提案』
副題。
『業界団体を壁にせず、窓をつけるために』
本文には、こう書いた。
『政治AIの安全基準づくりは、業界内部の閉じたルールではなく、国民が検証できる公共的な基準であるべきです。業界団体が自主基準を作ること自体は重要ですが、その過程が見えなければ、自主基準は社会的信頼の根拠ではなく、外部からの批判を遮る壁になりかねません。
必要なのは、壁ではなく窓です。』
十項目の「窓」が続いた。
参加者の窓。
利益相反の窓。
議題の窓。
議事の窓。
非公開理由の窓。
基準案の窓。
認証の窓。
違反の窓。
見直しの窓。
政治接触の窓。
最後に、神崎が加えた。
『窓のない信頼は、外から見れば密室です。』
雨宮は一度、「文学的」とコメントした。
しかし、残した。
理由は短かった。
『今回は効きます』
公開後、反応はかなり大きかった。
『壁にするな、窓をつけろ』
『窓のない信頼は密室』
『政治AI協議会にも透明性を』
『政治接触の窓、これ大事』
『少数意見を消すな』
『建設的に消される異論、分かりすぎる』
『業界団体はだいたい壁になる』
神崎はSNSを見て、少し安心した。
主論点が広がっている。
B+いじりは少なめだった。
いや、少しはある。
『B+、今日は窓職人』
『A+とB+、今度はリフォーム業者』
『政治AI村に窓をつける回』
神崎は画面を閉じた。
「見なかったことにする」
三島が言った。
「先生、窓職人は悪くないのでは」
「職人になった覚えはない」
ヤミちゃんが表示した。
『窓職人は親しみやすさがあります』
「やめろ」
午後。
政治AI信頼推進協議会から、早くも反応があった。
『神崎議員、雨宮議員よりご提案いただいた透明性確保に関する十項目について、協議会設立準備会合において検討いたします。自主基準策定にあたっては、社会的信頼を確保するため、議事概要公開、利益相反開示、外部意見聴取等について前向きに取り組みます。』
神崎は画面を見た。
「また前向きだ」
三島が言った。
「前向きは、進んでいるように見えて、まだ歩いていない場合があります」
神崎は三島を見た。
「今日、言葉が鋭いな」
「先生たちに鍛えられました」
セイムが表示した。
『三島秘書の発言は有用です』
ヤミちゃんが表示した。
『標語化可能性:中』
三島は少し照れた。
「ありがとうございます」
神崎は笑った。
「この事務所、全員が標語を作り始めてるな」
その時、雨宮からメッセージが届いた。
『協議会の反応、確認しました。“前向きに取り組む”だけでは不十分です。各項目について採否と理由を求めましょう』
神崎は返信した。
『了解。窓ごとに回答せよ、ですね』
雨宮。
『その表現は分かりやすいですが、少し整えましょう』
神崎。
『A+に任せます』
雨宮。
『その話はしません』
夕方。
党本部で、業界団体への透明性提案について報告した。
長老議員は、資料を見て少しだけ笑った。
「わしの言葉をだいぶ増築したな」
神崎は頭を下げた。
「使わせていただきました」
「名前は出してないな」
「はい」
「よろしい」
部会長が言った。
「政治接触の窓というのは、かなり踏み込んでいる。党としても記録される側になるが」
神崎は頷いた。
「はい。だからこそ入れるべきです。業界側に透明性を求めるなら、政治側との接触も見えるようにしなければ片手落ちです」
選対関係者が少し渋い顔をした。
「全部記録となると、実務が重くなる」
「全部ではありません。基準策定、認証、制度提案、政治AIサービス導入に関わる正式な接触を対象にするイメージです」
官僚出身議員が頷いた。
「ロビー活動透明化に近い論点ですね」
神崎は言った。
「はい。政治AI基準が事実上の制度になるなら、その形成過程も見える必要があります」
長老議員が言った。
「窓をつけるなら、こちら側にも窓が開く。それを嫌がるなら、最初から透明性など言うな」
会議室が静かになった。
神崎は思った。
やはり強い。
A+でもB+でもない。
評価不能。
夜。
事務所に戻った神崎は、ホワイトボードに今日の言葉を書き足した。
『前向きは、まだ歩いていない』
『窓ごとに回答せよ』
『窓をつけるなら、こちら側にも窓が開く』
三島が言った。
「今日は窓だらけですね」
「窓職人だからな」
「認めましたね」
「今日だけだ」
セイムが表示した。
『本日の成果。
一、協議会透明性十項目を提示。
二、政治接触記録を論点化。
三、少数意見の記録を論点化。
四、協議会側を“前向き”から具体回答へ誘導。
五、党内にも透明性の跳ね返りを認識させた。』
神崎は頷いた。
「悪くない」
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスク。
“政治家側も記録されるなら困るはず”
“神崎・雨宮、本気で窓を開ける気か”
“政治AI村リフォーム計画”
拡散可能性:中』
神崎は少し笑った。
「最後は何だ」
『SNS上の表現予測です』
「くだらないけど、分かりやすい」
二十二時前。
神崎は帰り支度をした。
雨宮からメッセージが来た。
『今日の十項目、想定より広がりましたね。特に政治接触の窓が効いています』
神崎は返信した。
『こちらにも跳ね返る窓ですからね』
雨宮。
『はい。だから意味があります』
神崎。
『長老議員が、“窓をつけるならこちら側にも窓が開く”と言っていました』
雨宮。
『評価不能ですね』
神崎は笑った。
事務所を出る前に、ホワイトボードをもう一度見た。
壁にするな、窓をつけろ。
最初は、長老議員の比喩だった。
今は、十項目の提案になった。
業界団体が壁になるなら、窓を開ける。
政治家が壁の裏に隠れるなら、こちらにも窓を開ける。
窓があれば、風が入る。
虫も入る。
冷たい空気も入る。
見られたくないものも見える。
だが、窓のない部屋は、やがて腐る。
神崎は明かりを消した。
外へ出ると、夜風が冷たい。
今日は、その冷たさが少しだけ心地よかった。
政治AI村に、最初の窓を開けた。
まだ小さい。
すぐ閉められるかもしれない。
だが、開けた。
神崎は歩きながら、小さくつぶやいた。
「窓は、開け続けないと意味がない」
また標語が増えた。
今度は、自分で少し笑った。




