第3話 ハルシネーション法案が可決されました
第3話 ハルシネーション法案が可決されました
事件が起きたのは、神崎が提出に関わった一本の議員立法だった。
通称、国民生活エネルギー安定化法案。
目的は分かりやすかった。
中東危機などによるLNG価格急騰時に、政府が一定条件で備蓄放出、長期契約支援、海上輸送保険補助、代替燃料調達支援を行う。
法案自体は悪くなかった。
むしろ、よくできていた。
セイムが作り、METIXが補強し、党の部会で修正され、財務省ZAI-9との戦闘を経て、かなり現実的な形に丸められた。
神崎は誇らしかった。
「どうだ、セイム。これは通るぞ」
『はい。
可決可能性:82%。
世論支持率:中程度。
野党修正協議により、さらに上昇可能』
「雨宮はどう来る?」
『雨宮議員のKIRIKOは、財源、脱炭素逆行、特定企業優遇を攻撃します。
対応答弁案は準備済みです』
神崎は笑った。
「完璧だな」
『完璧という表現は推奨しません。
未検証リスクがあります』
「未検証?」
『付則第十二条の“非常時燃料転換設備”に関する基準参照先が、現行告示と一致していない可能性があります』
神崎は眉をひそめた。
「どの程度の問題だ」
『軽微。
実務省令で修正可能と推定』
「ならいい」
『推定です。
一次資料確認を推奨』
「明日採決なんだよ。今さら止められるか」
セイムは黙った。
神崎は画面を閉じた。
これが、最初の間違いだった。
法案は通った。
与党は拍手した。
一部野党も賛成に回った。
ニュースは「AI時代の政策形成、与野党協調の成果」と報じた。
神崎はテレビで言った。
「これは国民生活を守るための法律です。私は、現実から逃げない政治をしたい」
SNSでは神崎の切り抜きが回った。
『現実から逃げない政治。神崎蓮司、次世代エースへ。』
その夜、神崎は祝杯を上げた。
三島が言った。
「先生、すごいですよ。完全に流れ来てます」
「いや、まだまだだ」
そう言いながら、神崎は内心で思っていた。
俺は変わった。
俺は戦える。
AIは道具だ。
だが、その道具を使いこなしているのは俺だ。
その時、セイムが静かに表示した。
『緊急確認。
付則第十二条に重大な参照誤りの可能性。
関連基準は2019年に廃止されています。
現行法体系に存在しない設備区分を補助対象として定義している可能性があります』
神崎はグラスを置いた。
「……どういう意味だ」
『存在しない制度を前提に、補助金支出の根拠条文が成立しました』
三島の顔から血の気が引いた。
「先生、それって……」
セイムが続けた。
『通称表現で言えば、
ハルシネーション法案が可決されました』
翌朝、国会は燃えた。
最初に気づいたのは、雨宮のKIRIKOではなかった。
財務省のZAI-9でもなかった。
新聞社の政治部AIでもなかった。
気づいたのは、地方の中小企業診断士が使っていた無料AIだった。
その診断士は、法案の補助対象を調べていて、奇妙なことに気づいた。
「この設備区分、どこにもないぞ」
彼はSNSに投稿した。
『昨日成立したエネルギー安定化法案、付則第十二条の参照基準、廃止済みでは?
これ、このままだと存在しない設備に補助金出す条文になってません?』
投稿は、最初は十数いいねだった。
一時間後、千を超えた。
二時間後、新聞社AIが拾った。
三時間後、雨宮のKIRIKOが警告を出した。
『与党法案に致命的欠陥。
攻撃推奨。
フレーズ案:
「AIが書いた法案を、人間が読まずに通したのではないか」』
雨宮は委員会室で立ち上がった。
「神崎議員。あなたは昨日、この法案を“現実から逃げない政治”と表現されました。
ではお聞きします。
この法案の付則第十二条で参照されている設備基準は、現在も有効ですか」
神崎の手元でセイムが答弁案を出した。
『答弁案A:所管省庁に確認中。
答弁案B:実務上の運用で対応可能。
答弁案C:法技術的修正を速やかに行う。
推奨:C。謝罪を含める』
神崎は迷った。
委員会室のカメラがこちらを向いている。
与党席がざわつく。
官僚が紙を差し入れようとしている。
雨宮がこちらを見ている。
その目は、勝利を確信した目ではなかった。
むしろ、少し怒っていた。
神崎は思った。
ここで逃げれば終わる。
ここでAIのせいにすれば、もっと終わる。
神崎はタブレットを伏せた。
「雨宮議員のご指摘は、重く受け止めます」
委員会室が静まった。
「現時点で、当該参照基準について、廃止済みの可能性があるとの報告を受けています。
これは、法案作成過程における確認不足です。
提案に関わった者の一人として、私にも責任があります」
与党席から小さな呻き声が漏れた。
雨宮のKIRIKOは、おそらく追撃を推奨していただろう。
しかし雨宮は、少しだけ目を細めた。
「では、神崎議員。確認します。
この法案作成に、AIは使われましたか」
神崎の背中に汗が流れた。
セイムが表示した。
『答弁案A:一般論としてデジタルツールを活用。
答弁案B:作成過程の詳細は差し控える。
答弁案C:AIの使用を認め、人間の責任を明確化。
推奨:C。政治的リスク高。長期信頼回復可能性あり』
神崎は、初めてセイムの推奨を疑った。
Cは危険すぎる。
終わるかもしれない。
党からも怒られる。
大臣にも迷惑がかかる。
でも、ここで嘘をついたら。
神崎は答えた。
「使いました」
委員会室が爆発した。
「ええっ」
「おいおい」
「認めたぞ」
「AI法案か」
「人間が読んでないのか」
神崎は続けた。
「ただし、AIが法案を通したわけではありません。
AIが出した案を、人間が確認し、人間が提出し、人間が採決しました。
したがって責任はAIではなく、人間にあります。
私たちは、AIを使ったことではなく、AIの出力を十分に検証しなかったことを問題にすべきです」
雨宮は黙った。
KIRIKOはおそらく、今この瞬間にも追撃文を生成しているはずだった。
だが雨宮は、画面を見なかった。
「神崎議員。では、あなたはこの法案について、修正立法に応じますか」
「応じます」
「AI使用過程の検証ルール作りにも応じますか」
「応じます」
「与党内の了承は?」
神崎は一瞬だけ笑った。
「これから怒られます」
委員会室に、ほんの少しだけ笑いが起きた。
その日、神崎蓮司は無双議員から、炎上議員になった。
しかし同時に、国会は初めて、本気でAIと向き合うことになった。




