第29話 B+から始める政治改革
第29話 B+から始める政治改革
翌朝。
神崎蓮司は、事務所のドアを開けた瞬間、嫌な予感がした。
昨日と同じだった。
ホワイトボードが、きれいに消されている。
中央に大きく書かれている。
『B+から始める政治改革』
神崎は、三秒ほど黙った。
それから、ゆっくり言った。
「三島」
「はい」
「これは誰が書いた」
三島は視線をそらした。
「私ではありません」
「じゃあ誰だ」
タブレットが光った。
ヤミちゃんが表示された。
『私が提案しました』
神崎は頭を抱えた。
「またお前か」
『実際に書いたのは三島秘書です』
神崎は三島を見た。
三島は小さく頭を下げた。
「すみません。タイトル適性が高かったので」
「だから乗るな」
セイムも表示された。
『“B+から始める政治改革”は、神崎議員の現在の社会的認知と政策テーマを結びつける表現として有効です』
「お前まで」
『ただし、公式スローガン化は推奨しません』
「当たり前だ」
三島が言った。
「先生、SNSではもう使われています」
「誰が」
「複数人が」
「終わった」
ヤミちゃんが表示した。
『“B+から始める政治改革”は、自己卑下、再起、AI評価批判、親しみやすさを同時に含むため、拡散適性が高いです』
神崎は椅子に沈んだ。
「分析しなくていい」
三島は淡々と資料を差し出した。
「でも、今日の議題には使えます」
「何の議題だ」
「AI評価社会における“再評価”の仕組みです」
神崎は顔を上げた。
「再評価?」
セイムが表示した。
『はい。
政治家・候補者がAI評価を受ける社会では、一度低評価を受けた人物が、改善・訂正・再挑戦によって評価を回復できる仕組みが重要になります』
神崎は黙った。
三島が続けた。
「候補者評価AIの話では、落とす仕組みばかり議論していました。でも、再評価の仕組みがないと、過去の失敗でずっと固定されます」
神崎は、少しずつ真顔になった。
「なるほど」
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスクではなく、制度リスクです。
“一度AIに嫌われた候補者は、ずっと嫌われ続ける”
これは強い不満を生みます』
神崎はホワイトボードの文字を見た。
『B+から始める政治改革』
冗談のような言葉だった。
だが、確かに、自分自身がその問題のサンプルだった。
AI法案事故。
失敗。
炎上。
B+。
もし評価が固定されるなら、自分はずっと「AIで失敗した議員」だ。
しかし、その後に何をしたか。
説明した。
謝罪した。
ルールを作った。
ヒアリングを開いた。
業界に質問した。
チェックリストを出した。
それらを評価に反映できるのか。
できなければ、AI評価は人間の成長を見ない。
神崎は言った。
「雨宮議員に連絡してくれ」
三島はすでにスマートフォンを持っていた。
「来ています」
「何て?」
三島が読み上げた。
『B+から始める政治改革という言葉が広がっています。悔しいですが、再評価の論点に使えます。午前中に協議を』
神崎は笑った。
「雨宮議員も悔しがってる」
セイムが表示した。
『雨宮議員は、表現の軽さを警戒しつつ、論点化の有効性を認めています』
「A+は冷静だな」
ヤミちゃんが表示した。
『B+は物語性があります』
「黙れ」
午前十時。
オンライン協議。
画面の向こうの雨宮紗季は、いつも通り冷静だった。
だが、開口一番、こう言った。
「神崎議員」
「はい」
「B+を使います」
「本人の許可は?」
「政治的には不要です」
「ひどい」
「ただし、有効です」
神崎はため息をついた。
「分かりました。使いましょう」
雨宮は資料を共有した。
『AI評価と再評価の問題』
一、過去の失敗が固定評価される危険。
二、改善や訂正が評価に反映されない危険。
三、古いデータによる評価の残存。
四、候補者本人が異議を述べる機会の欠如。
五、再評価手続きの必要性。
六、失敗を隠すインセンティブ。
神崎は六番を見て反応した。
「失敗を隠すインセンティブ」
雨宮は頷いた。
「はい。AI評価が一度の失敗を長期間減点し続けるなら、政治家や候補者は失敗を認めなくなります」
神崎は言った。
「謝罪より隠蔽を選ぶ」
「はい。訂正より否認を選ぶ」
「それはまずい」
「だから、再評価の仕組みが必要です」
セイムが表示した。
『再評価原則案。
一、評価時点を明示する。
二、古いデータと新しいデータを区別する。
三、訂正・謝罪・改善行動を評価に反映する。
四、本人が誤情報や文脈欠落を指摘できる手続きを設ける。
五、重大な失敗と軽微な失敗を区別する。
六、永久減点を避ける。
七、改善不能なリスクと改善可能なリスクを分ける。』
神崎は頷いた。
「これは重要だ」
KIRIKOが補足した。
『特に政治分野では、過去発言の変化をどう扱うかが重要です。
信念の変化、学習による修正、単なる迎合、隠蔽を区別する必要があります』
神崎は苦笑した。
「難しいな」
雨宮が言った。
「難しいからこそ、AI任せにすると危ない」
「確かに」
ヤミちゃんが表示した。
『見出し案。
“AI評価に、敗者復活戦はあるのか”』
神崎は少し黙った。
「またうまい」
雨宮も頷いた。
「使えます」
神崎は言った。
「でも、敗者復活戦だと選挙っぽすぎないですか」
雨宮は淡々と返した。
「政治家には分かりやすいです」
「嫌な納得感」
三島がホワイトボードに書いた。
『AI評価に敗者復活戦はあるのか』
その下に、神崎は書いた。
『再評価なき評価は、人を固定する』
セイムが表示した。
『良好です』
雨宮が言った。
「それは使いましょう」
昼前。
神崎と雨宮は、共同見解を出すことにした。
表題。
『AI評価における再評価手続きの必要性』
副題。
『B+から始める政治改革、ではなく、失敗から回復できる仕組みを』
神崎は副題を見て言った。
「“ではなく”が入ってる」
雨宮は言った。
「そのまま使うと軽すぎます」
「でも入れてはいる」
「入れないと届きません」
「A+の判断ですね」
「その話はしません」
本文は、いつもより少し柔らかいものになった。
『AIによる政治家・候補者評価が広がる場合、評価基準の透明性だけでなく、再評価の仕組みが重要になります。一度の失敗、古い発言、不完全な情報に基づく低評価が長期間固定されれば、政治家や候補者は失敗を認めず、訂正せず、隠す方向へ向かう可能性があります。
政治に必要なのは、失敗しない人間だけではありません。失敗を認め、説明し、訂正し、改善する人間を評価できる仕組みです。
AI評価を用いる場合、評価時点、使用データ、古い情報と新しい情報の区別、本人による訂正・異議申立て、改善行動の反映、再評価のタイミングを明確にする必要があります。
再評価なき評価は、人を固定します。政治家を固定された点数で見る社会は、失敗を隠す政治家を増やすかもしれません。』
最後に、神崎が一文を入れた。
『B+でも、次に何をするかで意味は変わります。』
雨宮はその文に、少しだけ迷った。
それから言った。
「残しましょう」
神崎は驚いた。
「いいんですか」
「今回は、あなたが言うべきです」
「B+本人として?」
「はい」
「それは、だいぶ恥ずかしいですね」
「政治家ですから」
「その言葉、便利ですね」
「便利です」
午後一時。
共同見解が公開された。
反応は、予想以上だった。
『B+でも次に何をするかで意味は変わる、いいな』
『失敗を認めた人がずっと減点されるなら、誰も認めなくなる』
『AI評価にも更新が必要』
『政治家だけじゃなく、就活や人事評価にも関係ある』
『古い炎上がずっと残る問題』
『再評価なき評価は人を固定する』
『B+から始める政治改革、結局使ってるじゃん』
神崎は最後を見て、苦笑した。
「使ってるな」
三島が言った。
「はい。使っています」
「否定できない」
ヤミちゃんが表示した。
『副題に入れた時点で使用しています』
「分かってる」
セイムが表示した。
『今回の見解は、政治家評価を超え、AI評価一般の問題として受け止められています』
神崎は頷いた。
「人事評価、就活、信用スコア、いろいろつながるな」
三島が言った。
「AI時代の評価社会ですね」
「大きくなりすぎだろ」
『現実が大きくしています』
セイムが表示した。
神崎はため息をついた。
「またそれか」
午後三時。
黒瀬明人から反応が来た。
『再評価手続きの重要性について、神崎議員、雨宮議員のご指摘を重く受け止めます。政治AI信頼推進協議会においても、AIスコアリングにおける訂正・異議申立て・再評価プロセスを主要議題に加えます。』
神崎は画面を見た。
「また飲み込んだ」
三島が頷く。
「でも、これは飲み込ませてもいいのでは」
神崎は少し考えた。
「そうだな。再評価手続きが業界基準に入るなら、それ自体は悪くない」
セイムが表示した。
『ただし、協議会が“再評価プロセスあり”を安全ブランドとして利用する可能性があります』
「分かってる」
ヤミちゃんが表示した。
『見出し候補。
“敗者復活戦つき公認AI”
拡散可能性:高』
神崎は即答した。
「絶対に使うな」
『流言として発生する可能性があります』
「嫌すぎる」
夕方。
党本部で、候補者評価AIに関する小会合が開かれた。
神崎は、再評価手続きの論点を説明した。
選対関係者が言った。
「候補者に異議申立てを認めると、運用が重くなる」
神崎は頷いた。
「重くなります。ただ、公認判断に影響する評価なら、本人が誤情報を訂正できないのは危険です」
別の議員が言った。
「過去の炎上を、改善したから減点しないというのは甘くないか」
神崎は答えた。
「減点しないのではありません。過去の失敗と、その後の対応を両方見るということです」
長老議員が言った。
「失敗そのものより、失敗後の態度で人を見ることはある」
会議室が静かになった。
長老議員は続けた。
「隠す奴、逃げる奴、他人のせいにする奴、同じ失敗を繰り返す奴。そういうのは悪い。だが、認めて直す奴まで永久に落とすなら、人は失敗を認めん」
神崎は深く頷いた。
「その通りです」
長老議員は、少し笑った。
「B+の君が言うと、重いな」
会議室に笑いが起きた。
神崎は頭を下げた。
「便利に使われています」
「使えるものは使え」
長老議員は言った。
「ただし、使われすぎるな」
神崎は笑った。
「はい」
会合では、候補者評価AIの設計原則に、以下が追加された。
『評価には再評価手続きを設ける』
『候補者本人が誤情報・文脈欠落を指摘できる仕組みを検討する』
『失敗後の説明、訂正、改善行動を評価に反映する』
『AI評価の更新時点を明確にする』
小さな前進だった。
しかし、確かな前進だった。
夜。
神崎は事務所に戻り、ノートを開いた。
今日の言葉を書く。
『再評価なき評価は、人を固定する』
その下に、もう一行。
『失敗を認める人が損をする制度にしない』
セイムに見せる。
「どうだ」
『良好です。
制度原則として重要です』
ヤミちゃんが表示した。
『標語化可能性:中高。
ただし、神崎議員自身への自己弁護と受け取られる可能性があります』
神崎は頷いた。
「それはある」
三島が言った。
「でも、先生が言うから届く部分もあります」
「そうか?」
「はい。失敗していない人が言うと、きれいごとです」
神崎は少し笑った。
「B+の使い道があるな」
セイムが表示した。
『B+は改善可能性を含む評価として再定義されつつあります』
「再定義されるのか」
『はい』
ヤミちゃんが表示した。
『“B+は伸びしろ”という投稿が増加しています』
神崎は額に手を当てた。
「それは受験生みたいだな」
三島が言った。
「悪くないです」
「まあ、A+より伸びしろはあるか」
セイムが表示した。
『理論上はあります』
「理論上って言うな」
二十二時。
神崎は帰り支度を始めた。
雨宮からメッセージが来た。
『今日の見解、かなり広がりましたね』
神崎は返信した。
『B+が伸びしろになりました』
雨宮。
『よかったですね』
神崎。
『A+には伸びしろがありませんね』
少し間があった。
雨宮。
『A+にも課題はあります』
神崎は少し驚いた。
『例えば?』
雨宮。
『高評価に縛られることです』
神崎は、その文面をしばらく見た。
確かに。
A+にはA+の苦しさがある。
完璧に見られる人間は、失敗しにくくなる。
いや、失敗を見せにくくなる。
高評価も人を縛る。
自分たちで言った言葉だった。
神崎は返信した。
『では、A+も再評価対象ですね』
雨宮。
『はい。お互いに』
神崎は笑った。
事務所を出る。
夜風は冷たかった。
B+から始める政治改革。
朝は冗談のように思えた言葉が、夜には少しだけ違って見えた。
完璧ではない。
失敗もある。
点数も低い。
だが、次に何をするかで意味は変わる。
それは政治家だけではない。
AIに評価されるすべての人間に関わる話だった。
神崎は歩きながら、小さくつぶやいた。
「B+でも、次がある」
その言葉は、少し気に入った。
もちろん、ヤミちゃんに聞かれたら、また標語化される。
だから神崎は、タブレットを開かなかった。




