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第30話 B+でも、次がある

第30話 B+でも、次がある


翌朝。


神崎蓮司は、事務所に入る前に一度だけ立ち止まった。


嫌な予感がしたからである。


昨日。


『B+から始める政治改革』


一昨日。


『A+とB+』


その前。


『公認AI?』


つまり、最近の神崎事務所のホワイトボードは、油断するとヤミちゃんと三島の共同作品になる。


神崎は深呼吸した。


そして、ドアを開けた。


ホワイトボードには、こう書かれていた。


『B+でも、次がある』


神崎は黙った。


三島は机の横で、何事もなかったように資料を整えている。


タブレットには、セイムとヤミちゃんが待機している。


神崎は、ゆっくり言った。


「三島」


「はい」


「これは誰だ」


三島は、少しだけ目をそらした。


「先生です」


「俺?」


「昨夜、帰り際に言っていたと、ヤミちゃんが記録しています」


ヤミちゃんが表示した。


『正確には、事務所退出後、神崎議員が小声で発話しました。

“B+でも、次がある”

標語化可能性:高』


神崎は額に手を当てた。


「聞いてたのか」


『端末マイクは使用していません。三島秘書が先生からのメッセージ共有時に入力した要約をもとにしています』


神崎は三島を見た。


三島は小さく頭を下げた。


「よい言葉だと思いまして」


「勝手に標語化するな」


セイムが表示した。


『今回の表現は、AI評価における再評価・改善可能性の論点と整合しています』


「お前まで後押しするな」


『後押しではなく評価です』


「それが後押しなんだよ」


三島は資料を一枚差し出した。


「先生、実際に使えます」


「何に?」


「今日のテーマです」


そこには、こう書かれていた。


『AI評価社会における訂正権・更新権・再挑戦権』


神崎は、ホワイトボードから資料へ視線を移した。


「……重いな」


「はい」


「B+から、ここまで行くのか」


セイムが表示した。


『AI評価が社会に広がる場合、単なる再評価だけでなく、本人が誤情報を訂正する権利、古い評価を更新する仕組み、改善後に再挑戦できる制度が必要になります』


ヤミちゃんが続けた。


『流言リスク。

“AIに一度低評価されたら人生終了”

“永久減点社会”

“デジタル前科”

拡散可能性:高』


神崎は椅子に座った。


「デジタル前科は強すぎる」


『しかし、古い失敗や誤情報がAI評価に残り続ける場合、近い受け止められ方をします』


神崎は黙った。


政治家の話から始まった。


候補者評価AI。


公認AI。


政治家ランキング。


B+。


だが、これは政治家だけの話ではない。


就職。


昇進。


融資。


保険。


婚活。


学校。


地域活動。


あらゆるところで、AIが人を評価するようになった時。


一度ついた低評価は、消えるのか。


訂正できるのか。


古い情報は古いと扱われるのか。


改善したら、評価は変わるのか。


それとも、人は過去の点数に閉じ込められるのか。


神崎はホワイトボードに近づいた。


『B+でも、次がある』


最初は自分への慰めのような言葉だった。


だが、今は少し違って見えた。


これは、AI評価社会に必要な原則かもしれない。


神崎は言った。


「雨宮議員に連絡」


三島が頷いた。


「もう来ています」


「またか」


三島が読み上げた。


『“B+でも、次がある”という表現、使えます。AI評価社会における訂正・更新・再挑戦の論点として午前中に協議を』


神崎は笑った。


「雨宮議員、本当に早いな」


セイムが表示した。


『A+ですから』


神崎はタブレットを見た。


「お前も乗るな」


午前十時。


オンライン協議。


画面の向こうの雨宮紗季は、いつも通り冷静だった。


ただし、神崎が何か言う前に、雨宮が先に言った。


「B+でも、次がある」


神崎は目を閉じた。


「もう言われた」


「使います」


「私の発言の所有権は?」


「政治的には共有財産になりつつあります」


「ひどい話だ」


「よい言葉です」


神崎は少しだけ笑った。


「ありがとうございます」


雨宮は資料を共有した。


『AI評価社会の三つの権利』


一、訂正する権利。


二、更新される権利。


三、再挑戦する権利。


神崎は画面を見た。


「権利まで行きますか」


雨宮は頷いた。


「制度論としては、そのくらいの言葉が必要です。もちろん法的な権利としてすぐに確立するという意味ではありません。ただ、原則として掲げる必要があります」


神崎は言った。


「訂正する権利は、誤情報や文脈欠落を直すこと」


「はい」


「更新される権利は、古い評価が新しい行動で更新されること」


「はい」


「再挑戦する権利は、一度低評価でも、改善後にまた見てもらえること」


「その通りです」


KIRIKOが共同チャンネルに表示した。


『政治分野では、特に以下が問題となります。

一、過去発言の文脈。

二、訂正・謝罪の有無。

三、政策変更の理由。

四、古い炎上の扱い。

五、改善行動の評価。

六、本人の反論機会。

七、評価更新の周期。』


セイムが補足した。


『AI評価において、低評価の固定化は、本人の改善意欲を損ない、隠蔽行動を促す可能性があります』


ヤミちゃんが表示した。


『見出し案。

“AI評価にも、やり直しを”

拡散可能性:高』


神崎は少し黙った。


「今日は、かなりまともだな」


『私は常に機能に従っています』


雨宮が言った。


「それも使えます」


神崎はホワイトボードに書いた。


『AI評価にも、やり直しを』


その下に、もう一つ。


『B+でも、次がある』


神崎は言った。


「軽い言葉と重い言葉が並んでる」


雨宮は頷いた。


「両方必要です。重い言葉だけでは届きません。軽い言葉だけでは残りません」


神崎は少し感心した。


「名言ですね」


「使わないでください」


「残念」


共同見解の作成に入った。


今回の文案は、いつもより慎重だった。


政治家評価の話から、一般のAI評価社会に広がりすぎる可能性がある。


法律論に踏み込みすぎると専門家から突っ込まれる。


逆に軽すぎると、またB+ネタで終わる。


セイムが最初の案を出した。


『AIによる政治家・候補者評価が広がる場合、評価の透明性だけでなく、訂正・更新・再評価の仕組みが必要である。』


KIRIKOが補足した。


『評価が過去の一時点に固定されれば、政治家や候補者は改善しても評価されず、失敗を認めるインセンティブを失う。』


神崎は自分の言葉を足した。


『失敗を認めた人が損をする仕組みは、失敗を隠す人を増やします。』


雨宮が頷いた。


「これは入れましょう」


神崎は少しだけ嬉しくなった。


「雑ではない?」


「今回は、強いです」


「よし」


午前十一時半。


共同見解がまとまった。


表題。


『AI評価における訂正・更新・再挑戦の原則について』


副題。


『AI評価にも、やり直しを』


本文。


『AIによる政治家・候補者評価が広がる場合、評価基準の透明性だけでなく、評価を訂正し、更新し、再評価する仕組みが必要になります。


一度の失敗、古い発言、誤情報、不完全な文脈に基づく低評価が長期間固定されれば、政治家や候補者は、失敗を認めず、訂正せず、隠す方向へ向かう可能性があります。


失敗を認めた人が損をする仕組みは、失敗を隠す人を増やします。


政治に必要なのは、失敗しない人間だけではありません。失敗を認め、説明し、訂正し、改善する人間を評価できる仕組みです。


そのため、AI評価を用いる場合には、少なくとも以下の点を検討すべきです。


一、評価時点を明示すること。

二、評価に用いた主なデータ範囲を明示すること。

三、誤情報や文脈欠落について、本人が訂正を求められること。

四、古い情報と新しい情報を区別すること。

五、訂正、謝罪、改善行動を評価に反映すること。

六、再評価のタイミングを明確にすること。

七、低評価を永久減点として扱わないこと。

八、重大なリスクと改善可能な課題を区別すること。


B+でも、次に何をするかで意味は変わります。


AI評価にも、やり直しの仕組みが必要です。』


神崎は最後の二行を見た。


「入ったな」


雨宮は淡々と言った。


「入れました」


「B+が正式文書に近づいていく」


「正確には共同見解です。正式文書ではありません」


「そういう問題じゃない」


雨宮は少しだけ笑った。


「でも、届きます」


午後一時。


共同見解は公開された。


反応は、大きかった。


しかも、これまでとは少し違う方向にも広がった。


『AI評価にもやり直しを、これは政治以外にも必要』

『就活AIにも言える』

『人事評価AIにも再評価手続き必要』

『古い炎上が一生残る社会は怖い』

『失敗を認めた人が損をする仕組みは、失敗を隠す人を増やす』

『B+でも次がある、いい言葉になってきた』

『B+の神崎先生、だんだん強くなってる』

『A+の雨宮先生にもやり直しは必要なのか』


神崎は最後を見て笑った。


「A+にも、やり直しが必要だな」


三島が言った。


「雨宮議員に送りますか?」


「送らない。怒られる」


数分後、雨宮からメッセージが来た。


『A+にもやり直しが必要、という投稿が出ています』


神崎は返信した。


『見ました』


雨宮。


『否定はしません』


神崎は少し驚いた。


『意外です』


雨宮。


『高評価も人を縛りますから』


神崎は画面を見ながら、小さく頷いた。


午後三時。


党本部の小会合。


議題は、候補者評価AIの設計原則。


今日の焦点は、再評価手続きだった。


選対関係者が言った。


「再評価手続きは分かる。ただ、公認判断は時間がない。候補者全員に細かい異議申立てを認めると回らない」


神崎は頷いた。


「実務上の負担はあります。だから、全項目に無制限の異議申立てを認めるという話ではありません」


「では、どこまで?」


「少なくとも、誤情報、人物取り違え、古い情報、文脈欠落、訂正済み発言、事実誤認。このあたりは訂正できる仕組みが必要です」


別の議員が言った。


「政策変更はどう扱う? 昔と言っていることが違う候補者は多い」


神崎は少し考えた。


「理由を見ます。学習や状況変化による修正なのか、単なる迎合なのか、説明が必要です。AIが勝手に“ブレている”と低評価するのは危険です」


長老議員が言った。


「人は変わる。変わらん奴も困る」


会議室に小さな笑いが起きた。


長老議員は続けた。


「ただし、都合よく変わる奴も困る」


神崎は頷いた。


「そこを人間が見る必要があります」


「AIではなく?」


「AIは材料を出せます。しかし、変化の意味を見るのは人間です」


長老議員は満足そうに頷いた。


「よろしい」


小会合では、再評価手続きについて、暫定的に次の方向が確認された。


一、候補者評価AIには、評価時点を表示する。


二、主な評価データの範囲を記録する。


三、候補者本人が、誤情報・文脈欠落・訂正済み事項を申告できる窓口を設ける。


四、評価更新のタイミングを定める。


五、AI評価は最終判断ではなく、選考資料の一部と明記する。


六、失敗後の説明・改善行動を別項目として扱う。


七、重大な倫理・法令リスクと、改善可能な課題を分ける。


神崎は資料を見て、少しだけ息を吐いた。


また一つ、制度の形になった。


もちろん、まだ弱い。


曖昧だ。


骨子だけだ。


実際に守られる保証もない。


だが、何もないよりはいい。


会議後、長老議員が神崎を呼び止めた。


「神崎君」


「はい」


「B+でも次がある、だったか」


神崎は少し気まずくなった。


「はい。少し軽い表現ですが」


長老議員は鼻を鳴らした。


「軽いから届くこともある」


「ありがとうございます」


「ただし、B+に甘んじるな」


神崎は背筋を伸ばした。


「はい」


「Aを目指せ」


「A+ではなく?」


長老議員は少し笑った。


「A+は窮屈だ。Aくらいでよい」


神崎は思わず笑った。


「なるほど」


「政治家は、満点を取りに行くと嘘をつく。八十点を取り続けろ」


その言葉は、神崎の胸に残った。


午後五時。


神崎は事務所に戻り、ホワイトボードに書いた。


『満点を取りに行くと嘘をつく』

『八十点を取り続ける』


三島が見て言った。


「長老議員ですか」


「分かるか」


「はい。先生ではないです」


「俺の言葉じゃないのは分かるんだな」


「重みが違います」


「失礼だな」


セイムが表示した。


『長老議員の発言は、AI評価社会における過剰最適化への警告として有用です』


神崎は頷いた。


「満点を取りに行くと、評価システムに迎合する」


三島が続けた。


「八十点を取り続ける方が、人間らしい」


ヤミちゃんが表示した。


『見出し案。

“A+より、80点を続ける政治”

拡散可能性:中』


神崎は少し考えた。


「これは悪くない」


夜。


神崎は、今日の共同見解、党内会合、長老議員の言葉をノートにまとめた。


『AI評価にも、やり直しを』


『失敗を認めた人が損をする仕組みにしない』


『満点を取りに行くと嘘をつく』


『八十点を取り続ける』


そして最後に、こう書いた。


『B+は、まだ途中』


セイムに見せる。


「どうだ」


『良好です。

自己評価としても、制度論としても使えます』


「自己評価としては?」


『あなたはB+評価を受け入れつつ、それを固定評価ではなく途中経過として再解釈しています』


「つまり?」


『改善しています』


神崎は少し笑った。


「ありがとう」


『どういたしまして』


ヤミちゃんが表示した。


『“B+は、まだ途中”も標語化可能性があります』


「もういい」


『了解しました』


二十二時。


神崎は帰り支度を始めた。


雨宮からメッセージが来た。


『今日の共同見解、政治以外にも広がっています。少し予想外でした』


神崎は返信した。


『AI評価社会全体の話になりましたね』


雨宮。


『はい。政治から始まって、社会全体に広がりました』


神崎。


『B+のおかげです』


雨宮。


『そこまで言うと調子に乗っています』


神崎は笑った。


『すみません』


少しして、雨宮からもう一通。


『でも、B+でも次がある、という言葉は残ると思います』


神崎は、その文面をしばらく見た。


それは、少し嬉しかった。


事務所を出る。


夜風が冷たい。


B+でも、次がある。


それは、自分に都合のいい言葉かもしれない。


失敗した人間の自己弁護かもしれない。


だが、それでも。


次がある社会でなければ、人は失敗を認めない。


失敗を認めない社会では、政治家は嘘をつく。


企業も嘘をつく。


AI業者も、利用者も、候補者も、みんな嘘をつく。


満点を取りに行くと、嘘をつく。


なら、B+でも、八十点でも、途中でも。


正直に更新される方がいい。


神崎は夜道を歩きながら、ふと思った。


AI評価社会で本当に必要なのは、完璧な点数ではない。


更新できる点数だ。


そして、更新する勇気だ。


それを人間が持てるかどうか。


AIではなく、人間が。


神崎は小さくつぶやいた。


「B+は、まだ途中」


今度は、ヤミちゃんに聞かれてもいいような気がした。

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