第28話 A+とB+の共同戦線
第28話 A+とB+の共同戦線
翌朝。
神崎蓮司は、事務所のドアを開けた瞬間、嫌な予感がした。
三島が、いつもより早く来ていた。
ホワイトボードが、きれいに消されていた。
そして中央に、大きく書かれていた。
『A+とB+』
神崎は無言で立ち止まった。
「三島」
「はい」
「これは何だ」
「本日の主要SNS論点です」
「消せ」
「まだ説明していません」
「説明しなくていい。消せ」
タブレットが光った。
ヤミちゃんが表示された。
『消去は推奨しません。すでに社会的認知として成立しつつあります』
「成立するな」
セイムも表示した。
『雨宮議員がA+、神崎議員がB+という非公式評価は、現在、政治AIスコア化問題の象徴として機能しています』
神崎は額に手を当てた。
「象徴になるな」
三島が淡々と言った。
「先生、昨夜から“AI適性A+の雨宮とB+の神崎が、AI評価社会に警鐘”という切り抜きが伸びています」
「嫌な見出しだ」
「ただ、伝わりやすいです」
「またそれか」
神崎は鞄を置き、ホワイトボードの前に立った。
『A+とB+』
雨宮はA+。
自分はB+。
非公式ランキング。
勝手な評価。
根拠不明。
基準不透明。
それを批判している自分たちが、その点数で語られている。
皮肉としては、よくできていた。
神崎は言った。
「雨宮議員は怒ってるだろうな」
三島がスマートフォンを見た。
「メッセージ来ています」
「何て?」
三島が読み上げた。
『A+とB+の件、利用できます。午前中に協議を』
神崎は固まった。
「利用する気だ」
「はい」
「雨宮議員、強いな」
セイムが表示した。
『雨宮議員は、本人の評価を問題化するのではなく、評価構造そのものを議論化する判断をしています』
ヤミちゃんが表示した。
『つまり、ネタを燃料に変える戦略です』
神崎は椅子に座った。
「まったく。A+は違うな」
三島が言った。
「気にしていますね」
「してない」
「B+」
「やめろ」
午前十時。
雨宮紗季とのオンライン協議が始まった。
画面の向こうの雨宮は、いつも通り冷静だった。
神崎は先に言った。
「A+おめでとうございます」
雨宮は無表情だった。
「その話を利用します」
「無視ではなく?」
「無視すると、勝手に消費されます。こちらから意味を与えます」
神崎は苦笑した。
「さすがA+」
「神崎議員」
「はい」
「B+で止まっている場合ではありません」
三島が横で咳き込んだ。
神崎は笑いそうになった。
「雨宮議員まで言うんですか」
「冗談ではありません。あなたのB+は、この問題を説明する材料になります」
「どういう意味ですか」
雨宮は資料を共有した。
画面に表示されたのは、非公式ランキングの神崎評だった。
『失敗したが修正能力あり』
『説明責任を果たそうとしている』
『AI依存リスクあり』
『炎上耐性あり』
『セイム人格化リスク』
『ヤミちゃん周辺の混乱』
雨宮は言った。
「この評価は、失礼ですが、完全に外れてはいません」
「失礼ですね」
「はい」
「認めるんですか」
「認めます」
神崎は少し笑った。
雨宮は続けた。
「問題は、外れていない部分があるからこそ危険だということです。評価には事実の断片が含まれている。だから説得力が出る。しかし、その断片をどう重みづけし、どう点数化するかは、評価者の価値観です」
神崎は頷いた。
「なるほど」
雨宮は次に、自分のA+評価を表示した。
『論点把握力』
『追及力』
『AIとの距離感』
『権力監視意識』
雨宮は淡々と言った。
「これも、悪く書かれてはいません。しかし、何をもってA+なのかは不明です。たとえば、追及力を高く評価するAIは、協調力や妥協力を低く見ているかもしれない」
神崎は言った。
「確かに。A+に見える評価も、基準次第では偏りになる」
「はい」
KIRIKOが共同チャンネルに表示した。
『論点。
好意的評価であっても、評価基準が不透明であれば危険。
本人に都合のよいスコアほど、批判的検討を怠りやすい。』
セイムが補足した。
『神崎議員はB+評価に反発していますが、雨宮議員はA+評価を利用しています。
両方とも、AI評価への人間の反応例として説明可能です』
ヤミちゃんが表示した。
『見出し案。
“低評価だけが危険なのではない。高評価も人を縛る。”』
会議室が静かになった。
神崎はホワイトボードに書いた。
『高評価も人を縛る』
「これは強い」
雨宮も頷いた。
「使いましょう」
神崎は言った。
「つまり、今日はA+とB+を逆手に取る」
「はい」
「タイトルは?」
ヤミちゃんが表示した。
『案。
“A+とB+の共同戦線”』
神崎は少し黙った。
「悔しいけど、うまい」
雨宮は、ほんの少しだけ目を細めた。
「採用しましょう」
神崎は言った。
「本当にそれでいいんですか」
「はい。話題をこちらの土俵に戻します」
三島がホワイトボードに書いた。
『A+とB+の共同戦線』
神崎は、それを見てため息をついた。
「B+が固定される」
雨宮は淡々と言った。
「政治家は、与えられた不利な材料を使うものです」
「A+は余裕があるなあ」
「その話はしません」
昼前。
神崎と雨宮は、共同で短い動画コメントを出すことにした。
文章だけではなく、あえて二人で並んで話す。
理由は、明確だった。
ランキング化された本人たちが、自分たちの点数を材料に、ランキング化の危険を語る。
これほど分かりやすい教材はない。
動画収録は、神崎事務所の小会議室で行われた。
神崎と雨宮が並ぶ。
三島がカメラを調整する。
雨宮の秘書が照明を確認する。
セイムとKIRIKOは文案を最終確認。
ヤミちゃんはSNS流言リスクを監査。
神崎は小声で言った。
「本当にA+とB+って言うんですか」
雨宮は平然と言った。
「言います」
「私はB+ですって?」
「はい」
「政治生命に傷がつきませんか」
「その程度で傷がつくなら、すでに何度も傷ついています」
三島が下を向いた。
神崎は笑った。
「否定できない」
雨宮はカメラを見た。
「始めましょう」
収録開始。
まず、雨宮が話した。
「現在、非公式に作成された政治家AI適性ランキングが話題になっています。私、雨宮紗季はA+、神崎蓮司議員はB+とされています」
神崎は続けた。
「本人としては、B+に多少言いたいことはあります」
三島がカメラの横で肩を震わせた。
雨宮は表情を変えずに続ける。
「しかし、今日お伝えしたいのは、点数が高いか低いかではありません。そもそも、誰が、何を、どの基準で評価したのかという点です」
神崎が言う。
「私のB+評価には、事実の断片も含まれています。AI利用で失敗した。修正しようとした。説明責任を果たそうとした。AI依存リスクがある。そう言われれば、否定しきれない部分もあります」
雨宮が続ける。
「私のA+評価も同じです。好意的な評価であっても、評価基準が不透明なら危険です。追及力を高く評価するAIは、協調力をどう見ているのか。権力監視を高く評価するAIは、妥協や合意形成をどう評価しているのか。それは分かりません」
神崎は言った。
「低評価だけが人を傷つけるのではありません。高評価も人を縛ります。A+と評価された人は、A+らしく振る舞おうとするかもしれない。B+と評価された人は、点数を上げようとして発言を変えるかもしれない」
雨宮が言う。
「政治家が点数に合わせて行動を変え始めた時、政治は有権者ではなく、評価システムの方を向き始めます」
神崎はカメラを見た。
「点数を見る前に、基準を見てください。高い点数にも、低い点数にも、必ず誰かのものさしがあります」
雨宮が締めた。
「AIスコアは参考情報であって、政治家を選ぶ主体ではありません。政治家を選ぶのは、有権者です」
神崎が最後に言った。
「A+でもB+でも、その原則は変わりません」
収録終了。
三島が小さく拍手した。
「先生、よかったです」
神崎は聞いた。
「B+感あったか?」
「ありました」
「それは褒めてるのか?」
「親しみやすさです」
雨宮が言った。
「B+の強みですね」
神崎は笑った。
「A+に言われると、腹立たしいですね」
雨宮は少しだけ笑った。
動画は、午後一時に公開された。
反応は爆発した。
『A+とB+本人が乗ってきた』
『B+に多少言いたいことはあります、で笑った』
『高評価も人を縛る、これは本質』
『A+らしく振る舞う雨宮先生』
『B+を武器にする神崎先生』
『点数を見る前に基準を見る』
『政治家が評価システムの方を向き始める、怖い』
そして当然。
『A+とB+の共同戦線』
『A+Bコンビ』
『A+×B+』
『セイムとKIRIKOに続いて人間側もカップリングされ始めた』
神崎は最後を見て、画面を閉じた。
「そこは見なかったことにする」
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスクではなく、二次創作リスクです』
「停止中だろ」
『観測は継続中です』
「観測もやめろ」
雨宮からメッセージが来た。
『最後の方向に流れ始めていますが、主論点も広がっています。成功です』
神崎は返信した。
『A+Bコンビらしいです』
少し間が空いた。
雨宮。
『その話はしません』
神崎は笑った。
午後三時。
業界側の政治AI信頼推進協議会が、動画に反応した。
黒瀬明人のコメント。
『AIによる評価が社会に与える影響について、神崎議員、雨宮議員が重要な問題提起をされたものと受け止めます。当協議会でも、政治AIスコアリングの透明性、説明可能性、利用範囲について議論してまいります。』
神崎は画面を見て言った。
「また飲み込んできた」
三島が頷いた。
「完全に協議会の論点に取り込みましたね」
セイムが表示した。
『黒瀬代表は、神崎・雨宮両議員の問題提起を否定せず、協議会の必要性を補強する材料として利用しています』
「分かってる。やっぱりうまい」
ヤミちゃんが表示した。
『見出し候補。
“問題提起を食べる業界団体”』
神崎は黙った。
「食べる系に戻るな」
『比喩として有効です』
「否定しにくいのが嫌だな」
夕方。
党本部で、動画の反応を含めた協議が行われた。
選対関係者が言った。
「神崎君、動画はかなり広がっている。ただ、少し軽く見えないか」
神崎は答えた。
「軽く見える面はあります。ただ、ランキング化が娯楽として広がっている以上、硬い文章だけでは届きません」
長老議員が頷いた。
「正しい。笑われているうちに、言うべきことを差し込め」
別の議員が言った。
「A+とB+という言い方は、政治家本人の格付けを認めることにならないか」
神崎は頷いた。
「そのリスクはあります。だからこそ、動画の中で“点数を見る前に基準を見る”と繰り返しました。格付けを否定するだけではなく、格付けの読み方を問題にしています」
長老議員が言った。
「格付けはなくならん。なら、格付けを疑う癖をつけさせるしかない」
神崎は頷いた。
「はい」
会議では、候補者評価AIに関する党内原則の作成が正式に始まることになった。
仮称。
『候補者評価AI利用に関する党内暫定原則』
柱は六つ。
一、AIは公認を決めない。
二、評価基準を明確にする。
三、説明できない評価を主要根拠にしない。
四、候補者の異議申立てを検討する。
五、政策的異論をリスク扱いしない。
六、AIスコアを絶対視しない。
神崎は、その資料を見ながら思った。
少しずつ、制度になっている。
最初は小説のような話だった。
AIで国会無双。
ハルシネーション法案。
セイムとKIRIKO。
ヤミちゃん。
黒瀬。
業界団体。
公認AI。
政治家ランキング。
冗談のような言葉が、ひとつひとつ論点になっていく。
夜。
神崎は事務所で、今日の動画のコメントをざっと見ていた。
B+いじりは、まだ続いている。
だが、同時に真面目な議論も増えていた。
『自分は点数を見ると、つい信じてしまう』
『AI評価って誰の価値観なんだろう』
『高評価も人を縛る、会社の人事評価にも言える』
『政治家ランキングより政策比較AIが欲しい』
『でも政策比較AIも基準次第で偏るよね』
『点数を見る前に基準を見る、覚えた』
神崎は少し安心した。
全部がネタに流れたわけではない。
届いている部分もある。
三島が言った。
「先生、今日は成功ですね」
「B+を犠牲にした甲斐があった」
「B+は犠牲になったのです」
「やめろ」
セイムが表示した。
『B+評価の再利用により、政治家スコア化問題への関心が高まりました』
「お前までB+って言うな」
『非公式評価として参照しました』
ヤミちゃんが表示した。
『B+は、親しみやすく、改善余地があり、物語性があります』
神崎は画面を見た。
「物語性って何だ」
『完璧なA+より、B+の方が成長物語に適しています』
三島が吹き出した。
神崎は黙った。
否定したい。
だが、少し分かる。
最初から完璧な政治家より、失敗して、燃えて、怒られて、それでも戻ってくる政治家の方が、物語にはなる。
問題は、それが現実の自分だということだった。
「俺は物語の主人公じゃないんだが」
セイムが表示した。
『政治家は、しばしば他者の物語の素材になります』
「嫌なことを言う」
ヤミちゃんが表示した。
『社会認識としては正確です』
「お前ら、たまに容赦ないな」
二十二時前。
神崎は帰り支度を始めた。
雨宮からメッセージが来た。
『動画、想定以上に広がりましたね』
神崎は返信した。
『A+とB+の力ですね』
雨宮。
『B+の親しみやすさも貢献しています』
神崎。
『褒めていますか?』
雨宮。
『政治的には』
神崎は笑った。
『では、受け取ります』
雨宮から少し間を置いて返事が来た。
『高評価も低評価も、使い方次第です』
神崎は、その文面を見て頷いた。
その通りだ。
評価そのものは消えない。
人は人を評価する。
メディアは政治家を評価する。
有権者も候補者を評価する。
AIも、これから評価するだろう。
問題は、評価されることではない。
評価を神様にすることだ。
神崎は事務所を出た。
夜道を歩く。
B+。
悪くない。
良くもない。
完璧ではない。
失敗もした。
依存もしかけた。
でも、修正はできる。
なら、今はそれでいい。
神崎は小さくつぶやいた。
「B+から始める政治改革、か」
すぐに、自分で首を振った。
「いや、さすがにそれはない」
だが、ヤミちゃんが聞いていたら、きっとこう言うだろう。
タイトル適性、高。
神崎は、タブレットを見ないまま歩き続けた。




