第25話 AIに嫌われた候補者
第25話 AIに嫌われた候補者
午前十時。
党本部の会議室は、昨日よりもさらに重かった。
議題は、党内AI基盤。
表向きには、外部AIへの情報流出を防ぐための安全なAI環境整備。
だが、今日の本題は別だった。
候補者評価。
公認判断。
選挙支援配分。
つまり、神崎蓮司が朝から頭を抱えた言葉。
公認AI。
もちろん、正式資料にはそんな言葉は書かれていない。
資料上の表現は、もっと穏当だった。
『候補者情報分析支援機能』
神崎はその文字を見た瞬間、心の中で言った。
やっぱり来た。
説明役の党スタッフが話し始めた。
「本機能は、候補者の経歴、過去選挙結果、地域活動、政策分野、SNS発信、報道履歴等を統合的に整理し、公認判断や選挙支援の参考情報を提供するものです」
会議室の空気は静かだった。
だが、静かすぎた。
皆、分かっている。
これは便利だ。
候補者の情報を一覧化できる。
勝てそうな選挙区を見つけられる。
炎上しそうな候補を事前に把握できる。
支援を厚くすべき場所を分析できる。
人間の勘と派閥の都合だけで公認を決めるより、よほど客観的に見える。
だから危ない。
神崎は資料をめくった。
『候補者分析項目案』
一、選挙区適合度。
二、過去得票推移。
三、地域活動実績。
四、政策一致度。
五、SNS影響力。
六、炎上リスク。
七、支援団体接続度。
八、資金調達力。
九、メディア対応力。
十、党方針整合性。
十一、離党・造反リスク。
神崎は十番と十一番に赤線を引いた。
党方針整合性。
離党・造反リスク。
来た。
来てしまった。
部会長が言った。
「意見を」
何人かの議員が手を挙げた。
若手議員が言う。
「候補者情報の整理自体は有用だと思います。特に新人候補の発掘には使えるのでは」
選対関係者が続く。
「選挙資源は限られています。重点区を見極めるためには、データ分析は不可欠です」
別の議員。
「炎上リスクを事前に見られるのは大きい。過去発言やSNSを人力で全部見るのは無理です」
どれも正論だった。
神崎も反対できない。
実際、便利なのだ。
そこで長老議員が、奥から言った。
「神崎君」
神崎は顔を上げた。
「はい」
「君、言いたそうな顔をしている」
会議室の視線が集まった。
神崎は少しだけ苦笑した。
「では、言います」
三島が後ろで資料を構える。
セイムはタブレット上で静かに待機している。
ヤミちゃんは、裏で流言リスクを監視している。
神崎は立ち上がった。
「候補者情報の整理や、選挙区情勢分析にAIを使うこと自体には意味があります。人間の勘、派閥、人脈だけで判断するより、客観的な材料が増える面もあります」
選対関係者が頷いた。
神崎は続けた。
「ただし、候補者評価AIには、三つの危険があります」
ホワイトボードに書く。
一、評価項目を誰が決めるのか。
二、スコアを誰が見るのか。
三、そのスコアが公認判断にどこまで影響するのか。
会議室が静かになる。
神崎は続けた。
「たとえば、“党方針整合性”や“造反リスク”という項目があります。これをAIが評価する場合、何をもって造反リスクと見るのでしょうか」
誰もすぐには答えなかった。
神崎は言った。
「党内で異論を述べたことか。政策に疑問を持ったことか。執行部案に反対したことか。支持者の声を受けて慎重論を述べたことか。もしそれらがスコアに反映されるなら、議員や候補者はAIに評価されることを恐れて、異論を言いにくくなります」
若手議員の顔が変わった。
神崎は続けた。
「これは、外部流出とは別の危険です。AIによる内部統制です」
部会長が眉をひそめた。
「内部統制という言い方は強いな」
神崎は頭を下げた。
「表現が強ければ、候補者評価の萎縮効果と言い換えます」
長老議員が少し笑った。
「言い換えても中身は同じだ」
神崎は頷いた。
「はい」
選対関係者が言った。
「だが、候補者のリスクを見ないわけにはいかない。公認後に問題が出れば党全体に影響する」
「その通りです」
神崎は即答した。
「だから、リスク分析そのものは必要です。問題は、評価項目と権限です」
セイムがタブレットに表示する。
神崎は、それを参考にしながら言った。
「候補者評価AIを使うなら、最低限、次の原則が必要です」
ホワイトボードに書く。
一、AIは公認を決めない。
二、評価項目を公開または候補者に説明する。
三、候補者が評価結果に異議を述べる機会を持つ。
四、政策的異論と不祥事リスクを分ける。
五、党方針への従順さを過度に評価しない。
六、スコアの閲覧権限を制限する。
七、AI評価だけで支援配分を決めない。
八、最終判断者を明確にする。
九、評価に使ったデータの範囲を記録する。
十、差別的・不合理な評価を監査する。
会議室の空気が、少し変わった。
単なる反対ではない。
使う前提で、危険を分けている。
選対関係者が資料を見ながら言った。
「AIは公認を決めない、か」
神崎は頷いた。
「はい。AIが候補者を推薦することはあっても、公認を決めるのは人間です。そして、その人間が責任を負うべきです」
長老議員が言った。
「公認AIなどと言われたら、選挙前に炎上するぞ」
会議室がざわついた。
公認AI。
正式資料にはない言葉。
だが、全員が頭の中で考えていた言葉。
長老議員は続けた。
「AIに嫌われた候補者、などと言われたらどうする」
若手議員の一人が、思わず笑いかけて、すぐに真顔に戻った。
笑えない。
あり得るからだ。
神崎は言った。
「まさにそこです。候補者評価AIが導入されれば、“AIに嫌われた候補者”という言葉は必ず出ます」
ヤミちゃんがタブレットに表示した。
『拡散可能性:非常に高』
神崎は見なかったことにした。
「もし、ある候補者が公認されなかった時、“AIスコアが低かったからだ”と言われたらどうするのか。逆に、公認された候補者が不祥事を起こした時、“AIは見抜けなかったのか”と言われる。どちらにしても、AI評価と人間の責任の線引きが必要です」
情報システム担当者が言った。
「では、AI評価を参考資料に限定する?」
「まずはそうすべきです」
神崎は答えた。
「しかも、候補者本人に説明できない評価は使うべきではない」
選対関係者が顔をしかめた。
「説明できない評価では、AIの意味が薄れるのでは」
神崎は首を横に振った。
「説明できない評価で人の政治生命を左右する方が危険です」
会議室が静かになった。
その言葉は、少し強かった。
だが誰もすぐには反論しなかった。
長老議員が言った。
「そこは神崎君の言う通りだな。人を選ぶ仕組みを、人に説明できないものにしてはいかん」
部会長が資料にメモをした。
「候補者評価支援機能については、権限設計、評価項目、説明可能性、異議申立てを再検討する」
神崎は息を吐いた。
まず、一つ入った。
会議後、若手議員が神崎のところに寄ってきた。
「神崎さん、さっきの話、怖かったです」
「公認AI?」
「はい。もし本当に導入されたら、みんなAIに好かれる発言しかしなくなりそうで」
神崎は頷いた。
「AIに好かれる発言というより、AIに減点されない発言ですね」
「それ、もっと嫌ですね」
「嫌です」
若手議員は少し考えて言った。
「でも、今も人間に減点されないようにしてますよね」
神崎は苦笑した。
「そうですね。AIで新しくなるというより、今ある空気が数値化されるのかもしれません」
「数値化されると、逆らいにくいですね」
「はい。数字は、偉そうですから」
若手議員は深く頷いた。
「数字は偉そう、使えますね」
神崎は少し笑った。
「それは私の言葉です」
「使っていいですか」
「どうぞ。採用するのは人間です」
午後。
神崎は雨宮紗季に、党内での議論を共有した。
雨宮からの返事は速かった。
『野党側でも候補者評価AIの話が出ています。公認AIという言葉は危険ですが、避けて通れません』
神崎は返信した。
『与野党共通で、候補者評価AIの原則を作るべきかもしれません』
雨宮。
『はい。ただし、党内事情に踏み込みすぎると各党が嫌がります』
神崎。
『でしょうね』
雨宮。
『それでも、最低限の原則は必要です。AIは公認を決めない。説明できない評価で政治生命を左右しない。この二つは柱になります』
神崎は頷いた。
『同意します』
その後、雨宮から一文が届いた。
『AIに嫌われた候補者、という言葉は広がります。先にこちらで定義しておいた方がよいです』
神崎は画面を見て、少し笑った。
雨宮まで、ヤミちゃんのようなことを言い始めている。
いや、これは政治家の嗅覚だ。
危ない言葉は、先に掴む。
放置すると、相手に使われる。
セイムが表示した。
『共同論点メモ案を作成しますか?』
神崎は少し考えた。
「その前に、自分で書く」
ノートを開く。
『候補者評価AIの暫定原則』
一、AIは公認を決めない。
二、候補者に説明できない評価を使わない。
三、政策的異論をリスク扱いしない。
四、造反リスクという言葉を安易に使わない。
五、スコア閲覧権限を制限する。
六、異議申立ての機会を設ける。
七、支援配分をAIスコアだけで決めない。
八、最後の責任者を明確にする。
九、数字を神様にしない。
十、AIに嫌われた候補者を作らない。
神崎は最後を見て、少し笑った。
雑だ。
でも、必要だ。
セイムに見せる。
「どうだ」
『良好です。
九と十は制度文書向けには修正が必要ですが、問題提起として有効です』
「制度文書なら?」
『九、AIスコアを絶対視しない。
十、AI評価により候補者が不当に排除されることを防ぐ。』
「つまらないな」
『正確です』
「両方使う」
『適切です』
三島が覗き込んだ。
「九番、いいですね。数字を神様にしない」
「これは俺」
「分かります」
「雑だけど強い?」
「はい」
「聞く前から分かってた」
夕方。
神崎と雨宮は、共同で短い論点メモを出した。
表題。
『候補者評価AI・公認判断支援AIに関する暫定論点』
本文。
『政治活動において、候補者情報の整理や選挙区情勢分析にAIを活用することは、今後避けられない可能性があります。一方で、AIが候補者の当選可能性、炎上リスク、党方針との整合性、造反リスク等をスコア化し、公認判断や選挙支援配分に影響を与える場合、党内民主主義、候補者の説明を受ける権利、政治的多様性に重大な影響を及ぼすおそれがあります。』
暫定原則。
一、AIは公認を決定しない。
二、AI評価を用いる場合、評価項目と利用目的を明確にする。
三、候補者本人に説明できない評価を、公認判断の主要根拠にしない。
四、政策的異論や党内での正当な議論を、安易にリスク評価しない。
五、AIスコアを絶対視しない。
六、評価結果の閲覧権限を制限する。
七、候補者が評価に異議を述べる手続きについて検討する。
八、最終判断者と責任者を明確にする。
最後に、神崎が入れた一文。
『数字は便利ですが、数字を神様にしてはいけません。』
雨宮は一度、「やや俗」とコメントした。
しかし最終的に残した。
理由はこうだった。
『雑だけど強いので』
公開後、すぐに反応が来た。
『公認AI、ついに来た』
『AIに嫌われた候補者、怖すぎる』
『数字を神様にしてはいけない、分かる』
『候補者スコアとか絶対やるだろ』
『今も人間がやってることがAI化されるだけでは』
『説明できない評価で政治生命を左右するな』
『造反リスクAI、ディストピア』
神崎はSNSを見て、ため息をついた。
「ディストピアって便利な言葉だな」
三島が言った。
「今回は少し当たっています」
「少しどころじゃないかもしれない」
ヤミちゃんが表示した。
『公認AI関連ワードの拡散状況。
“AIに嫌われた候補者”
“造反予測AI”
“公認スコア”
“数字を神様にするな”
拡散速度:高』
神崎は頭を抱えた。
「やっぱり広がったか」
『先に論点メモを出したことで、一定程度フレーミングを確保しています』
「フレーミングって言うな。政治っぽくて嫌だ」
『政治です』
「分かってる」
その夜。
黒瀬明人から、神崎宛てにメールが届いた。
件名。
『候補者評価AIに関する意見交換のお願い』
神崎は画面を見て、眉をひそめた。
「黒瀬、もう来た」
三島が言った。
「早いですね」
メール本文。
『本日公表された候補者評価AI・公認判断支援AIに関する論点メモを拝見しました。非常に重要な問題提起であり、弊社としても、政治AIサービスの適切な活用に向けて、候補者情報分析機能の透明性と説明可能性を高める必要があると認識しております。
つきましては、貴職および雨宮議員と、候補者評価AIの安全基準について意見交換の機会をいただければ幸いです。』
神崎は黙った。
三島が言った。
「取り込みに来ましたね」
「うん」
セイムが表示した。
『黒瀬代表は、候補者評価AI領域にも主導権を広げようとしています』
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスク。
“公認AIを作る会社が、反対派議員に接近”
“神崎・雨宮が公認AI基準づくりに関与”
拡散可能性:高』
神崎は椅子にもたれた。
「まただ」
三島が聞いた。
「会いますか?」
神崎は少し考えた。
「会う。ただし、雨宮議員と一緒に。条件付きで。議事概要公開」
「いつもの形ですね」
「いつもの形になってきたのが嫌だな」
雨宮に転送する。
すぐ返事が来た。
『黒瀬氏、早いですね。会いましょう。ただし、公認AIという名称を使わず、候補者評価AIの説明可能性と権限設計に絞ります』
神崎は返信した。
『了解。数字を神様にしない方向で』
雨宮。
『その表現は、意外と効いています』
神崎は少し笑った。
夜十時前。
神崎は帰り支度を始めた。
ホワイトボードには、新しい論点が追加されていた。
『候補者評価AI』
『公認AI』
『造反リスク』
『説明可能性』
『異議申立て』
『数字を神様にしない』
『AIに嫌われた候補者』
神崎は最後の言葉を見て、少しだけ背筋が寒くなった。
AIに嫌われた候補者。
本当は、AIは好き嫌いなどしない。
ただ、評価する。
分類する。
スコアを出す。
リスクと表示する。
しかし人間は、それを嫌われたと感じる。
落とされたと感じる。
否定されたと感じる。
そして、その数字を見た人間は、責任をAIに押しつける。
「AIが低評価だったから」
「データ上、仕方ない」
「客観的に見て難しい」
便利な逃げ道だ。
神崎はノートを閉じた。
「セイム」
『はい』
「AIは、人を嫌えるのか?」
『現在の私は、人を好き嫌いする感情を持ちません』
「評価はできる」
『はい』
「人間は、その評価を嫌悪と受け取る」
『その可能性があります』
「面倒だな」
『はい』
神崎は少し笑った。
「そこは同意するんだ」
『面倒です』
その言い方が、少しだけ人間っぽく見えた。
見えただけ。
神崎はタブレットを閉じた。
事務所の明かりを消す。
外に出る。
夜風は冷たかった。
政治家は、昔から人間に嫌われる仕事だった。
有権者に嫌われる。
党内に嫌われる。
メディアに嫌われる。
支持団体に嫌われる。
相手陣営に嫌われる。
そこに、AIに嫌われる、が加わるかもしれない。
もちろん、AIは嫌わない。
ただ、数字を出すだけだ。
だからこそ怖い。
嫌いだから落とす人間より、数字だから仕方ないと言う仕組みの方が、冷たく、強く、逃げ場がない。
神崎は歩きながらつぶやいた。
「数字を神様にしない」
その言葉は、候補者に向けたものでもあり、党に向けたものでもあり、自分自身に向けたものでもあった。
AIが何点を出しても。
最後に人を選ぶのは、人間でなければならない。
そうでなければ、選挙の前に、政治家がAIに選別される時代が来る。
そしてその時、人間はきっとこう言うのだ。
自分が決めたのではない。
データがそう言っている、と。




