第21話 黒瀬代表、黙っていませんでした
第21話 黒瀬代表、黙っていませんでした
翌朝。
神崎蓮司は、いつものように牛乳を飲みながら新聞を読んでいた。
いや、正確には読もうとしていた。
一面ではない。
だが、政治面の見出しが目に入った瞬間、牛乳を持つ手が止まった。
『政治AI安全基準、業界側が新団体設立へ』
神崎は、ゆっくり紙面を開いた。
記事には、こうあった。
政治AIサービス事業者、選挙コンサルティング会社、データ分析企業、複数のIT関連団体が連携し、政治AIの健全利用に関する業界団体を設立する方針を固めた。
仮称。
『政治AI信頼推進協議会』
代表幹事には、PoliBrain Pro代表の黒瀬明人が就任予定。
神崎は牛乳を置いた。
「黙ってなかったな」
スマートフォンが震えた。
三島からだった。
『先生、見ましたか』
神崎は返信した。
『見ました。黒瀬、動きましたね』
三島。
『事務所で資料をまとめています。雨宮議員からも連絡あり』
神崎は短く返した。
『すぐ行きます』
事務所に着くと、三島がすでにホワイトボードに書いていた。
『政治AI信頼推進協議会』
その下に、参加予定団体。
PoliBrain Pro。
複数の政治AI事業者。
選挙コンサル会社。
データ分析会社。
広告配信会社。
IT業界団体。
法律顧問。
元官僚。
大学教授。
神崎はホワイトボードを見て、腕を組んだ。
「でかくしてきたな」
三島が頷いた。
「はい。個別企業への追及を、業界全体の自主基準づくりに転換しています」
セイムが表示された。
『分析。
黒瀬代表の戦略が第二段階に移行しました。
第一段階:批判を受け止める。
第二段階:安全対応版を発表する。
第三段階:業界団体を設立し、自主基準の主導権を取る。
第四段階:国会・行政に対し、“業界は自律的に対応中”と主張する。』
神崎は言った。
「規制は参入障壁。自主基準は主導権」
『はい』
ヤミちゃんが表示された。
『流言リスク。
“黒瀬代表、政治AI業界の王になる”
“神崎・雨宮の問題提起が黒瀬の団体設立に利用された”
“政治AI利権団体爆誕”
拡散可能性:高』
神崎は額に手を当てた。
「黒瀬、村を作りに来たな」
三島が頷いた。
「はい。しかも、村の名前が“信頼”です」
セイムが表示した。
『政治AI信頼推進協議会は、表向きには業界全体の自主基準づくりです。
しかし、実質的には以下の機能を持つ可能性があります。
一、政治AI市場のルール形成。
二、認証制度の準備。
三、業界の窓口一本化。
四、国会・行政へのロビー機能。
五、法規制を先回りする自主基準。
六、批判者の取り込み。』
神崎は画面を見た。
「全部やる気だな」
『可能性は高いです』
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスク。
“政治AI村、村長は黒瀬”
拡散可能性:高』
神崎は言った。
「それは流すな」
『観測のみです』
三島が言った。
「先生、どうしますか」
神崎はしばらく黙った。
拒否する。
それは簡単だ。
「業界団体には参加しません」
「民間主導には反対です」
「国会で議論すべきです」
そう言えば、分かりやすい。
だが、その場合、協議会は神崎抜きで進む。
雨宮抜きで進む。
国会側の厳しい視点抜きで、自主基準が作られる。
そして黒瀬は言うだろう。
『業界としては、自主的に安全基準を整備しました』
それを政府や党が便利に使う。
「業界も対応している」
「まずは自主基準を見守る」
「法規制は時期尚早」
そうなる可能性は高い。
神崎は言った。
「逃げると、外で勝手に決められる」
三島が頷く。
「はい」
「参加すると、利用される」
「はい」
「だったら、利用される前提で参加条件を出すしかない」
セイムが表示した。
『妥当です』
ヤミちゃんも表示した。
『流言リスクを下げるには、参加前に条件を公開することが有効です』
神崎はスマートフォンを手に取った。
雨宮に連絡する。
『黒瀬代表、業界団体を出してきました。対応協議をお願いします』
返信は早かった。
『確認済みです。参加拒否ではなく、条件付き関与が必要です』
神崎は少し笑った。
やはり同じことを考えている。
『参加条件を先に出しましょう』
雨宮から返事。
『はい。参加=お墨付きではない、と明記します』
神崎は三島を見た。
「雨宮議員も同じです」
三島はすでにホワイトボードに書いていた。
『参加=お墨付きではない』
神崎は頷いた。
「それだ」
セイムが表示した。
『共同声明案を作成しますか?』
神崎は少し考えた。
「その前に、自分で骨子を書く」
ノートを開く。
一、業界団体設立自体は否定しない。
二、ただし、業界だけで政治AIの基準を決めてはならない。
三、参加するなら、議事概要公開が必要。
四、参加者・資本関係・利益相反の開示。
五、支援者情報、AIログ、候補者評価AI、個別最適化政治広告を議論対象にする。
六、法規制や第三者監査を排除しない。
七、参加者名を宣伝に使わせない。
八、参加はお墨付きではない。
神崎は書き終えて、セイムに見せた。
「整理してくれ」
『了解しました』
セイムが整えた文案を、三島が確認し、雨宮事務所へ送った。
十分後、雨宮側から修正が来た。
KIRIKOの赤字は容赦がなかった。
『“業界団体の意義は認める”は弱めすぎ。
“業界団体が議論を始めること自体は重要な動き”に修正。』
『“参加者名を宣伝に使わせない”は表現を整える。
“参加者の氏名・肩書を、特定企業または協議会の信用補強として広報利用しない”に修正。』
『“法規制や第三者監査を排除しない”は重要。前半に移動。』
神崎は赤字を見て言った。
「KIRIKO、相変わらず鋭いな」
三島が頷く。
「雨宮議員らしい修正です」
雨宮からメッセージが来た。
『共同声明、今日中に出しましょう。黒瀬氏の会見が広がる前に、こちらの立場を固定します』
神崎は返信した。
『了解』
共同声明は午後に公開された。
表題。
『政治AI信頼推進協議会への対応について』
本文。
『政治AI関連事業者が、政治AIサービスの安全基準について議論を始めること自体は重要な動きです。
一方で、政治AIのルール形成は、特定の事業者や業界団体の利益に左右されるべきではありません。支援者情報、献金者情報、陳情記録、選挙戦略、AIログ、候補者評価AI、個別最適化政治メッセージは、民主主義の基盤に関わる重要な論点です。
民間自主基準だけで十分と結論づけることはできません。法制度、公的監査、第三者監査、国会での議論の必要性を排除すべきではありません。
私たちは、同協議会への関与について、以下の条件が満たされることを前提に検討します。
一、議事概要の公開。
二、参加企業・団体・有識者の一覧公開。
三、主要な資本関係・利益相反の開示。
四、支援者情報、AIログ、候補者評価AI、個別最適化政治メッセージを議論対象に含めること。
五、法制度・第三者監査の必要性を議論対象から排除しないこと。
六、参加者の氏名・肩書を、特定企業または協議会の信用補強として広報利用しないこと。
七、協議会への参加は、同協議会または特定企業へのお墨付きを意味しないこと。
政治AIの安全基準は、業界のためだけではなく、政治参加する国民のために作られるべきです。』
公開直後、反応は大きかった。
『参加=お墨付きではない』
『神崎・雨宮、業界団体に条件提示』
『政治AI村に釘』
『黒瀬代表、また受け止めそう』
『民間自主基準だけでは足りない』
『政治AIの基準は国民のために』
そして、やはり。
『政治AI村、村長は誰だ』
『黒瀬村長』
『B+とA+、村に乗り込む』
神崎は最後の投稿を見て、画面を閉じた。
「見なかったことにする」
三島が言った。
「先生、政治AI村という言葉、広がりそうです」
「広がらなくていい」
ヤミちゃんが表示した。
『広がります』
「断言するな」
午後三時。
黒瀬明人からコメントが出た。
『神崎議員、雨宮議員からのご指摘を重く受け止めます。政治AI信頼推進協議会は、透明性ある運営を目指し、議事概要公開、参加者情報の開示、利益相反への配慮を含め、建設的な制度設計を進めてまいります。お二人にもぜひ、前向きな議論にご参加いただきたいと考えています。』
神崎は画面を見て言った。
「やっぱり受け止めた」
三島が頷いた。
「しかも、また誘っています」
セイムが表示した。
『黒瀬代表は、対立構造ではなく、包摂構造を維持しています』
「つまり、村の門を開けて待ってるわけだ」
『比喩としては適切です』
ヤミちゃんが表示した。
『見出し案。
“政治AI村、門は開いている”
拡散可能性:中』
「やめろ」
夕方。
党本部の部会でも、協議会の話題になった。
部会長が言った。
「神崎君、雨宮議員と共同声明を出したな」
「はい」
「党としても、業界団体との距離感を考えなければならない」
選対関係者が言った。
「AI業者とは協力が必要です。現場はもう使い始めている」
神崎は頷いた。
「協力は必要です。ただし、協力とお墨付きは違います」
長老議員が腕を組んで言った。
「村に入るなら、村長を決めさせるな」
会議室が静かになった。
神崎は思わず顔を上げた。
長老議員は続けた。
「業界団体に任せると、いつの間にか一番声の大きい会社が村長になる。基準を作る者が、基準で得をする。そこを見ろ」
神崎は、すぐにメモした。
『基準を作る者が、基準で得をする』
長老議員が神崎を見た。
「それは使ってよい」
「ありがとうございます」
部会では、党としても協議会に対して、透明性、利益相反、法制度との関係を確認する方針が共有された。
小さな前進だった。
だが、重要だった。
夜。
神崎は事務所に戻り、ホワイトボードに今日の言葉を書いた。
『参加=お墨付きではない』
『協力とお墨付きは違う』
『基準を作る者が、基準で得をする』
『村に入るなら、村長を決めさせるな』
三島が言った。
「完全に政治AI村編ですね」
神崎は苦笑した。
「村編って何だ」
セイムが表示した。
『物語構造上は、業界団体編です』
「お前まで」
ヤミちゃんが表示した。
『タイトル案。
“政治AI村には、村長を作らせない”』
神崎は画面を見た。
「それ、かなり強いな」
『次話向けです』
「次話って言うな」
二十二時前。
雨宮からメッセージが来た。
『今日の共同声明、一定の効果がありました。黒瀬氏は受け止めましたが、条件を明文化させる余地ができました』
神崎は返信した。
『長老議員が、“村に入るなら村長を決めさせるな”と言っていました』
雨宮。
『評価不能ですね』
神崎。
『はい。完全に評価不能です』
雨宮。
『次は、協議会の運営構造です。誰が議題を決め、誰が基準案を書くのか』
神崎。
『政治AI村には、村長を作らせない、ですね』
雨宮。
『その表現は強すぎますが、趣旨は正しいです』
神崎は笑った。
外に出ると、夜風が冷たかった。
黒瀬は村を作った。
いや、まだ村の看板を立てただけかもしれない。
だが、放っておけば、道ができ、門ができ、村長が決まり、掟が作られる。
そして、気づいた時には、その掟が政治AIの標準になっている。
神崎は歩きながら、小さくつぶやいた。
「政治AI村には、村長を作らせない」
今度は、明日のホワイトボードに書かれる気がした。
たぶん、確実に。
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