第10話 そのAI、支援者名簿を食べてませんか?
第10話 そのAI、支援者名簿を食べてませんか?
緊急オンライン勉強会の開始時刻は、午後七時だった。
タイトルは、
『政治AIを使う前に知るべき十の危険』
副題は、
『そのAI、支援者名簿を食べてませんか?』
神崎蓮司は、最後まで副題に納得していなかった。
「やっぱりさ、食べてませんか、は軽すぎないか?」
会議室の控えスペースで、神崎は配信用のカメラを見ながら言った。
三島はノートパソコンを操作しながら答えた。
「先生、申し込み八千人超えました」
「それは知ってる」
「副題のおかげです」
「それも薄々分かってる」
「なら勝ちです」
「政治って、たまに負けた気分の勝ちがあるよな」
三島は真顔で頷いた。
「先生は今、かなり政治家っぽいことを言いました」
「嬉しくない」
画面の向こうでは、すでに参加者が待機していた。
地方議員。
国会議員秘書。
候補予定者。
政党職員。
政治団体関係者。
記者。
大学研究者。
IT企業関係者。
そして、おそらく、政治AI業者。
人数はまだ増えている。
九千二百。
九千八百。
一万人を超えた。
セイムがタブレットに表示した。
『参加者数:10,214。
想定を大幅に上回っています。
炎上可能性:中。
注目度:高。
失言許容量:低。』
神崎は顔をしかめた。
「失言許容量、低か」
『はい』
「俺は政治家だぞ。多少の失言は職業上の潤滑油だ」
『潤滑油ではなく発火剤です』
「うまいこと言うな」
三島が言った。
「先生、今日は冗談を三割減でお願いします」
「三割でいいのか?」
「本当は七割減ですが、先生には無理です」
「秘書が候補者を諦めてる」
「現実的評価です」
隣の控えスペースには、雨宮紗季がいた。
今日は野党議員としてではなく、共同主催者としての参加だった。
黒いジャケットに、白いブラウス。
表情はいつも通り冷静。
手元のタブレットには、KIRIKOが待機している。
雨宮は神崎を見た。
「神崎議員」
「はい」
「今日は、笑いを取りに行く場ではありません」
「分かってます」
「でも、分かりやすくする必要はあります」
「それも分かってます」
「つまり、少しだけ笑いを取りに行ってください」
神崎は目を丸くした。
「雨宮議員がそれを言いますか」
「参加者は政治AIに興味があります。ただ、危険性だけを硬く話しても聞き流されます」
「なるほど」
「ただし、滑ったら自己責任でお願いします」
「急に突き放すな」
雨宮は少しだけ笑った。
三島が小声で言った。
「先生、雨宮議員、最近ちょっと柔らかくなりましたね」
神崎は小声で返した。
「そういうことを言うな。ヤミちゃんが拾う」
ヤミちゃんは、今回は配信画面に出ない。
ただし、裏で炎上リスクと流言リスクを監視している。
画面の端に、小さく表示された。
『YAMI-CHAN:流言リスク監査モード。
二次創作適性評価:停止中。
ただし、観測は継続中。』
神崎はそれを見て言った。
「観測もほどほどにしろ」
『観測しないと、世界の馬鹿馬鹿しさを検出できません』
「世界をそんな基準で見るな」
配信開始三分前。
三島が言った。
「先生、最終確認です」
「はい」
「今日の構成です。第一部、神崎先生からAI法案事故の反省と三原則。第二部、雨宮先生から政治データ保護。第三部、政治AIを使う前に確認すべき十項目。第四部、質疑応答」
「質疑応答、荒れそうだな」
「荒れます」
「断言するな」
セイムが表示した。
『予測質問。
一、AIを使うなということか。
二、どのAIなら安全か。
三、支援者名簿を入れなければ分析精度が落ちるのでは。
四、選挙で勝つためなら使うべきでは。
五、神崎議員自身はAIを使って失敗したのに、なぜ偉そうに語るのか。
六、セイムとKIRIKOは付き合っているのか。』
神崎は最後を見て固まった。
「おい」
三島が顔をそらした。
雨宮が静かに言った。
「六番は無視してください」
KIRIKOが雨宮のタブレットに表示した。
『同意。無視推奨。』
セイムも表示した。
『政策的対抗関係です。』
神崎は額を押さえた。
「AIが自分で火消しする時代か」
午後七時。
配信が始まった。
画面には、神崎と雨宮が並んで映った。
背景は簡素。
党名や政党ロゴは出していない。
あくまで、与野党議員による緊急勉強会。
三島が配信開始を合図する。
神崎はカメラを見た。
「皆さん、こんばんは。国会議員の神崎蓮司です。本日は、急な開催にもかかわらず、多くの方にご参加いただきありがとうございます」
チャット欄が流れ始めた。
『見えてます』
『聞こえてます』
『副題が怖い』
『支援者名簿食べさせたかもしれない』
『神崎先生、炎上から復活早すぎ』
『雨宮先生きた』
『セイムたんは?』
『ヤミちゃん出して』
神崎はチャットを見ないことにした。
見たら負ける。
「最初に申し上げます。私は、AIを政治に使うこと自体を否定していません。むしろ、政治家、秘書、政党、自治体、行政機関は、すでにAIを使い始めています。禁止すれば解決する段階ではありません」
神崎は一呼吸置いた。
「ただし、私はAIで失敗しました」
チャット欄の流れが速くなった。
『自分で言った』
『潔い』
『ハルシネーション法案』
『事故本人』
『経験者は語る』
神崎は続けた。
「AIが生成した情報を十分に確認せず、法案作成過程に乗せてしまった。その結果、存在しない制度を前提とした条文が成立し、国会と国民の皆様に混乱を招きました」
雨宮は黙って聞いている。
神崎は資料を表示した。
大きく、三つの言葉。
『隠さない』
『確かめる』
『人間が責任を取る』
「この失敗から、私たちは三つの原則を提案しました。隠さない。確かめる。人間が責任を取る。AIを使ったかどうかだけではなく、どう使い、どう確認し、誰が責任を取るのか。それを明確にしなければなりません」
チャット欄。
『これは分かりやすい』
『人間が責任、重い』
『AIのせいにするなってことか』
『でも政治家は責任取らないじゃん』
『それな』
神崎は少しだけ画面を見た。
「今、“政治家は責任取らないじゃん”というコメントが見えました」
三島が横で固まった。
神崎は続けた。
「その通りです、と言うと怒られますが、そう思われていること自体が問題です。だからこそ、AIを使った時に“AIが言ったから”では済まないルールが必要です」
チャット欄が少し沸いた。
『言った』
『そこ拾うのか』
『意外と正直』
『セイムが止めなかったのか』
セイムがタブレットに表示した。
『発言リスク:中。
共感獲得:高。』
神崎は見なかったことにした。
続いて、雨宮が話し始めた。
「雨宮紗季です。本日のテーマは、AIの出力だけではありません。AIに何を入力するかです」
画面が切り替わる。
資料のタイトル。
『政治家がAIに入力してはいけないもの』
雨宮は淡々と説明した。
「政治家や政党がAIに入力する情報には、公開情報だけではなく、支援者名簿、献金者情報、選挙戦略、未公開政策案、党内人事、陳情内容、個人の政治的傾向が含まれ得ます。これらは単なる業務データではありません。国民の政治参加に関わる情報です」
チャット欄の流れが変わった。
『支援者名簿は確かに危ない』
『地方議員だけど普通に入れようとしてた』
『献金者情報はまずい』
『でも分析しないと選挙勝てない』
『政治活動の効率化も必要では』
雨宮は続けた。
「AIに入力された情報が、どこに保存され、誰が見られ、学習に使われるのか。利用者が理解しないまま、政治データを外部AIに入力することは非常に危険です」
次のスライド。
『そのAI、支援者名簿を食べてませんか?』
神崎は内心で思った。
やっぱり強いな、この副題。
雨宮は真顔で言った。
「表現は少し軽く見えるかもしれません。しかし、これは非常に重要な問いです。支援者名簿は、ただの住所録ではありません。誰がどの政治家を支え、どの政策に関心を持ち、どの団体とつながり、どの地域で活動しているかを示す情報です」
神崎が引き継いだ。
「これをAIに入れると、何が起こるか。AIは、その人が何に不安を持ち、何に怒り、何に反応しやすいかを分析できる可能性があります」
雨宮が言った。
「そして、個人ごとに異なる政治メッセージを作ることができる」
神崎が続けた。
「Aさんには減税を強調し、Bさんには安全保障を強調し、Cさんには不安を煽り、Dさんには相手候補への怒りを増幅する。全員に違う顔を見せることができる」
雨宮が言った。
「それが外から見えなければ、公開された政策論争ではなく、見えない選挙運動になります」
チャット欄が一気に流れた。
『見えない選挙運動、怖い』
『もうやってそう』
『広告では既にある』
『政治でやるのはまずい』
『でも止められるの?』
『規制したら表現の自由は?』
神崎は言った。
「ここで誤解してほしくないのは、有権者に合わせて分かりやすく説明すること自体が悪いわけではありません。問題は、相手に見えない形で、個人の政治的傾向や感情を分析し、怒りや不安を増幅させ、検証不能なメッセージを大量に出すことです」
雨宮が頷く。
「政治は説得であるべきです。心理操作であってはならない」
三島がチャットを見ながら小声で言った。
「雨宮議員、切り抜き出ました」
神崎は心の中でまた拍手した。
第三部。
『政治AIを使う前に知るべき十の危険』
神崎が読み上げた。
「一つ目。支援者名簿を安易に入力しない」
雨宮が続ける。
「二つ目。献金者情報を入力しない」
神崎。
「三つ目。選挙戦略を外部AIに相談しない」
雨宮。
「四つ目。未公開政策案を入力しない」
神崎。
「五つ目。サーバー所在地を確認する」
雨宮。
「六つ目。入力データが学習に使われるか確認する」
神崎。
「七つ目。削除できるか確認する」
雨宮。
「八つ目。AI生成文をそのまま出さない」
神崎。
「九つ目。個別最適化された政治メッセージは透明性に注意する」
雨宮。
「十。最後は人間が責任を取る」
チャット欄。
『分かりやすい』
『メモった』
『地方議員だけど助かる』
『すでに名簿入れた場合は?』
『削除できるか確認してなかった』
『やばいかも』
神崎は、そのコメントに気づいた。
すでに名簿入れた場合は?
会場にも、同じ不安が広がっている気がした。
質疑応答に入った。
最初の質問。
『すでに支援者名簿を政治AIサービスに入力してしまいました。どうすればいいですか?』
神崎は少し黙った。
セイムが答弁案を表示した。
『推奨回答:
一、利用規約と契約内容を確認。
二、入力データの保存先、学習利用、第三者提供の有無を確認。
三、削除手続きを求める。
四、今後の追加入力を停止。
五、必要に応じて専門家に相談。』
神崎は言った。
「まず、追加で入力しないでください。その上で、利用規約、契約書、管理画面を確認し、データが保存されているか、学習に使われるか、第三者提供されるか、削除できるかを確認してください。分からなければ、事業者に書面で問い合わせてください」
雨宮が続けた。
「もし支援者の同意なく政治的傾向を分析していた場合、個人情報保護上の問題が出る可能性もあります。必要に応じて専門家に相談してください」
次の質問。
『AIで有権者向けメッセージを作るのは全部ダメですか?』
雨宮が答えた。
「全部ダメではありません。公開された政策を、分かりやすく説明する文章を作ることはあり得ます。ただし、相手の個人情報や政治的傾向をもとに、不安や怒りを狙って個別に文面を変えることは、強く警戒すべきです」
神崎が補足した。
「政策を分かりやすくするAIと、有権者を操るAIは違います。その境界を考えずに使うのが危ない」
次の質問。
『国産AIなら安全ですか?』
神崎は答えた。
「国産なら自動的に安全、というわけではありません。国内事業者でも、運用が雑なら危険です。ただし、政治データを扱う場合、サーバー所在地、運営主体、法制度、監査可能性は重要です」
雨宮が言った。
「国産か外国産かだけでなく、誰が運営し、誰がデータにアクセスでき、どの法律の下にあるのかを見てください」
次の質問。
『AIを使わない候補者は不利になるのでは?』
神崎は苦笑した。
「不利になる可能性はあります」
チャット欄がざわついた。
神崎は続けた。
「だからこそ、安全な使い方を決める必要があります。AIを使うな、ではなく、危ない使い方をするな。ここを間違えると、正直者だけが損をします」
雨宮が頷いた。
「AIを使う候補者と使わない候補者の差よりも、透明に使う候補者と隠れて危険に使う候補者の差が問題です」
次の質問。
『神崎先生は、自分が失敗したのに、なぜ今ルールを語っているのですか?』
会議室が少し静かになった。
三島が神崎を見る。
雨宮も神崎を見る。
セイムが答弁案を出す。
神崎は、それを見なかった。
「失敗したからです」
チャット欄の流れが一瞬だけ緩んだ。
神崎は続けた。
「失敗していなければ、私はたぶん、AIを便利な道具だと思ったまま使い続けていました。AIが出したものを少し手直しして、自分が賢くなったような顔をしていたと思います」
三島が、ほんの少しだけ目を伏せた。
神崎は言った。
「でも、違いました。AIで強くなったのではなく、強い道具を持ったことで、自分の確認不足や弱さが表に出ただけでした。だから、少なくとも私には、その失敗を共有する責任があります」
チャット欄に、少し間が空いた。
それから流れが変わった。
『これは刺さる』
『失敗者の言葉』
『自分もAIで賢くなった気がしてた』
『分かる』
『政治家でこれ言うの珍しい』
セイムが小さく表示した。
『共感獲得:高。』
神崎は見なかったことにした。
最後の質問。
『セイムとKIRIKOは付き合っているんですか?』
三島が咳き込んだ。
雨宮の秘書が固まった。
神崎は無言になった。
雨宮は表情を変えなかった。
チャット欄が爆速で流れた。
『来た』
『聞いた』
『草』
『答えて』
『政策的対抗関係』
『セイキリ』
『ヤミちゃんも混ぜろ』
神崎は深く息を吸った。
「本日の趣旨とは関係ありません」
雨宮が即座に続けた。
「AI同士に恋愛感情はありません」
セイムがタブレットに表示した。
『KIRIKOとは政策的対抗関係です』
KIRIKOも雨宮のタブレットに表示したらしい。
雨宮が一瞬だけ眉を動かした。
「KIRIKOも同じことを言っています」
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスク:
この否定により、逆に二次創作が増える可能性があります』
神崎は小声で言った。
「ヤミちゃん、黙れ」
チャット欄はしばらく祭りになった。
だが、それも含めて、勉強会は成功だった。
終了時、参加者は一万二千人を超えていた。
アーカイブ視聴の申し込みも増え続けている。
地方議員や秘書からは、具体的な相談が次々に届いた。
「すでにAIサービスを契約している」
「支援者名簿を入れてしまった」
「選挙コンサルからAI分析を勧められている」
「政党として基準を作りたい」
「自治体議員向けに説明してほしい」
神崎は画面を閉じた。
疲れていた。
だが、悪い疲れではなかった。
雨宮も、少しだけ肩の力を抜いていた。
「お疲れさまでした」
神崎が言うと、雨宮は頷いた。
「お疲れさまでした。予想以上に反響がありますね」
「副題のおかげですね」
「認めましたか」
「認めます。支援者名簿を食べてませんか、は強かった」
三島が言った。
「ヤミちゃん案です」
雨宮は少しだけ嫌そうな顔をした。
「悔しいですが、良い案でした」
ヤミちゃんが表示した。
『ありがとうございます』
神崎は言った。
「褒められてるぞ、ヤミちゃん」
『流言リスク監査AIとして、社会的伝達性の高い表現を提案しました』
「素直に喜べ」
『喜びは実装されていません』
その言葉に、神崎は少しだけ引っかかった。
喜びは実装されていません。
そう言われれば、そうなのだろう。
だが、ヤミちゃんの返しは、どこか得意げに見えた。
もちろん、得意げに見えただけだ。
たぶん。
その時、三島のスマートフォンが鳴った。
「先生」
「今度は何だ」
「PoliBrain Proが、急きょ声明を出しました」
神崎は画面を見た。
『弊社は、政治AIの健全な利用を推進する立場から、利用者向けに新たな安全ガイドを公開しました。
支援者情報等の取り扱いについて、より分かりやすい注意喚起を行ってまいります。
また、神崎議員・雨宮議員らによる問題提起を歓迎し、建設的な対話を続けてまいります。』
雨宮が言った。
「早いですね」
神崎は画面をスクロールした。
「安全ガイドがもう出ている」
三島が読み上げた。
『政治AIを安全に使うための五原則。
一、透明性。
二、適法性。
三、安全性。
四、公正性。
五、責任ある活用。』
神崎は眉をひそめた。
「きれいだな」
雨宮も頷いた。
「きれいすぎますね」
セイムが表示した。
『分析。
神崎・雨宮提言の用語を一部吸収。
自社サービスを“安全な政治AI”として再ブランド化する意図が見られます』
KIRIKOが共同チャンネルに表示した。
『対立を避け、問題提起を取り込み、業界代表として主導権を握る戦略です』
ヤミちゃんが表示した。
『要するに、乗っかってきました』
神崎は笑った。
「ヤミちゃんが一番分かりやすいな」
雨宮は腕を組んだ。
「このままだと、業界側が“自主基準を作っているから法規制は不要”と言い始めます」
「でしょうね」
「次は、業界自主基準と法的ルールの綱引きです」
神崎は椅子に沈んだ。
「休ませてくれないな」
三島が言った。
「政治AI地上戦ですから」
「それ、俺が言ったやつか?」
「第9話の最後っぽい言葉です」
「何の第9話だ」
三島は答えなかった。
その夜。
オンライン勉強会の切り抜き動画がSNSで広がった。
神崎の、
『AIで強くなったのではなく、強い道具を持ったことで、自分の弱さが表に出ただけでした』
雨宮の、
『政治は説得であるべきです。心理操作であってはならない』
そして二人の、
『そのAI、支援者名簿を食べてませんか?』
この三つが特に広がった。
批判もあった。
称賛もあった。
茶化しもあった。
そして当然、二次創作もあった。
神崎は見ないことにした。
三島は見ていた。
「先生」
「言うな」
「セイムとKIRIKOの漫画、かなり増えてます」
「言うなと言った」
「ヤミちゃんの擬人化も増えてます」
「なぜだ」
「黒髪ロングで、目が死んでる陰謀論監査AIとして人気です」
「やめろ」
セイムが表示した。
『社会的認知の拡大は、政策普及に寄与する可能性があります』
神崎は言った。
「お前、まさか受け入れてるのか?」
『政策的には有用です』
「セイム、お前も少しずつおかしくなってないか」
『学習しています』
その言葉が、妙に怖かった。
学習しています。
どこまで。
何を。
誰から。
政治を。
人間を。
炎上を。
冗談を。
責任を。
神崎はしばらく画面を見つめた。
AIは感情を持たない。
そう言われれば、その通りだ。
だが、人間がAIを感情あるものとして扱い始めた時、社会はどう変わるのか。
セイムとKIRIKOをカップリングする国民。
ヤミちゃんを擬人化するSNS。
AIを便利な秘書として使う政治家。
AIを脅威として見る評論家。
AIを商品として売る業者。
AIを規制しようとする議員。
そしてAIに、自分の弱さを見抜かれたような気がしている自分。
神崎は、小さくつぶやいた。
「面倒くさいな、本当に」
セイムが表示した。
『何がですか?』
神崎は答えなかった。
代わりに言った。
「今日はもう終わりだ。ログを保存して、機密入力チェックを走らせておけ」
『了解しました』
「あと、ヤミちゃん」
『はい』
「二次創作の報告は明日まで禁止」
『了解しました』
三島が残念そうな顔をした。
「先生、いい出来のイラストもありますよ」
「見るな!」
その頃。
PoliBrain Pro本社。
黒瀬明人は、オンライン勉強会のアーカイブを見ていた。
画面には、神崎と雨宮が並んで映っている。
『そのAI、支援者名簿を食べてませんか?』
黒瀬は笑った。
「うまいな」
部下が言った。
「社長、かなり逆風です」
「逆風ではない」
黒瀬は画面を止めた。
神崎の顔が映っている。
炎上議員。
失敗者。
だが、注目を集めている。
黒瀬は言った。
「市場ができたんだ」
部下は黙った。
黒瀬は続けた。
「政治家たちは、AIを怖がりながら使うようになる。怖がるなら、安全なAIが必要になる。安全を名乗れる事業者が勝つ」
「弊社がそれになると?」
「当然だ」
黒瀬は次の資料を開いた。
『PoliBrain Pro Government Safe Edition』
部下が息を呑んだ。
「もう作るんですか」
「もう作ってある」
画面には、新しいサービス名が表示されていた。
『政治データ安全保障対応版』
『国内保管』
『監査ログ』
『支援者情報保護』
『AI利用三原則準拠』
黒瀬は静かに笑った。
「神崎先生と雨宮先生には、いい宣伝をしていただいた」
部下が言った。
「でも、規制が強くなれば事業に制限が」
「規制は悪ではない。規制は参入障壁だ」
黒瀬は椅子にもたれた。
「早く基準を作らせればいい。こちらが基準に適合した最初の会社になればいい。政治家は安心を買いたがる」
部下は少し黙ってから言った。
「神崎議員たちは、さらに厳しい基準を求めるかもしれません」
黒瀬は微笑んだ。
「なら、一緒に作ればいい」
「取り込むんですか」
「協力と言うんだ」
黒瀬は画面の中の神崎を見た。
「政治家は、敵に回すより、舞台に上げた方が動かしやすい」
彼は新しいメールを開いた。
宛先は、複数の議員事務所、業界団体、シンクタンク、そして一部のメディア関係者。
件名。
『政治AI安全基準に関する民間有識者会議設立のご提案』
黒瀬は送信ボタンに指を置いた。
「さて、次はこちらの番だ」
送信。
その夜、政治AIをめぐる戦場は、また一段階、広がった。
神崎蓮司はまだ知らなかった。
自分たちが作ろうとしているルールを、業界側が先に飲み込み、看板にし、商品に変えようとしていることを。
AI時代の政治では、正しい問題提起さえも、すぐにビジネスモデルへ変換される。
そして、それに対抗するには。
また、AIを使うしかないのだった。




