第9話「プライドじゃない」
* * *
寝不足の身体を引きずって、アタシはツキダシエンタの社屋に向かっていた。
昨日立ち聞きしてしまった話が、どうにもアタシの胸につっかえていて。
颯太は今日、あの大女優サマにあの話をするつもりだろうけど、プライドだけは大御所の彼女が、そう簡単に言うことを聞き入れるとは思えない。けど、颯太は颯太で押しが弱いトコがあるから……。
ハラハラとモヤモヤを抱えて歩いていると、社屋から、いつにも増してむすっとした顔の月白凪が出てきた。
向こうもアタシに気付いたらしく、一瞬立ち止まると、すぐに表情を戻して、
「……お疲れ様です」
と脇を通り過ぎようとする。
アタシはその細い腕をぐいっと掴む。
「ちょっと、待ちなさい」
「何ですか?」
「あんた、その顔……もしかして、颯太と何か話したの?」
月白凪は「"颯太"……?」と顔を顰めてから、
「何かとはなんでしょうか?」
ととぼけてきた。
「何かは何かよ。キャラソンの話」
「……知っているんですね」
「昨日のアフレコの後、話してるのがちょっと聞こえちゃってね」
「そうですか」
月白はアタシに何かを挑むような目つきになる。
「『ミス探』のキャラソンを歌えと言う話なら、今お断りしてきたところです」
「やっぱり……。颯太は何も言ってなかったわけ? あいつ自身の話を」
「彼自身の話……?」
いぶかしげに目を細める月白。
あいつ、なんで言わないのよ……!
大きな溜息を吐き出す。何も察してないこの子もこの子だけど、言わないあいつもあいつだ。むしろ、あいつの方が悪いまである。
「あのね、たまたま聞いた話だから教えてあげる。あんたがその仕事を断ったら——」
ハッとため息を一瞬で吐いてから続ける。
「——あいつは会社をクビになるの」
「クビに……!?」
月白は目を見開く。何よ、一応人の心はあるんじゃないの。
「ええ。分かったらすぐに戻って、『やっぱりやらせてください』って言ってきなさい。それとも、佐渡島さんからメールだけ来てスタジオに派遣されるだけの、あの日々に戻りたいわけ?」
「それは……。でも、私は……」
噓でしょ。まだ迷うわけ?
「ねえ、どうしてそんなに歌いたくないわけ? あんた、音痴なの?」
「音痴じゃない!」
「びっくりした……そのちっちゃい身体のどこからそんな大きい声出るのよ」
月白は自分の二の腕をもう片方の手で掴んで、視線を脇に逃がす。
「そうじゃなくて、今回は絶対に歌えない理由があるんです。歌ってしまったら、私はもう二度と胸を張って演技をすることが出来なくなってしまう」
「……ねえ、」
呆れと怒りで声が震える。
「人の人生を棒に振らせてまで貫くべきポリシーなんてあるわけ?」
「……!」
「女優としてのプライドってわけ? プライドとかポリシーを持つコトはかっこいいわよね。それで成功したらさぞかし気分もいいでしょう。でも——」
段々と自分の語気が荒くなっていくのを感じる。
「——でも、それは貫いて成功した時だけの話よ! 失敗したら美談にもならないじゃない! あいつがいなくなったら、それは成功じゃないでしょう!? あんたのプライドのために、人の――颯太の人生まで犠牲にしてもいいわけ!?」
「それは……」
「……もういい」
アタシは月白の腕を振り払うように放し、元来た道を歩き出す。
「パパの圧力でもなんでもかけて、あんたの代わりにアタシが出てみせるわ」
「でも、だとしても、歌は……!」
悔しそうにつぶやく声が後ろから聞こえた。
ダイヤモンドみたいに透明できれいで、ガラスみたいに脆い声が。
* * *
俺は、『ミス探』プロデューサーの三宅さんにアポイントを取るべくショートメールを打っていた。
なるべく早く、出来るなら今日あの人と話したい。
すると、そこに。
「神山さん!」
声の方を見やると、胸元を押さえて息を荒くしている凪がした。
「凪。どうした? 戻ってきて」
「下で、ずっと、考えていたんです。あの、エントランスで阿賀さんと会って、それで……」
「エリカか……。ごめんな、あいつ、余計なこと言ったろ」
「私、そんなこと知らなくて……。でも、知らなかったで済ませていい話でもなくて……。それで、考えたのですけど、やっぱり、あの仕事」
「絶対に受けちゃダメだ。断ろう」
「え……?」
俺の言葉に、凪は理解できないという風に顔をしかめる。
「凪が絶対に歌わないって言ってた理由、分かったよ」
俺はPCの画面を見せる。
それは、雑誌の最新号の『ミス探』の1コマだ。
「凪があの仕事を受けなかったのは、凪が歌いたくないからじゃないんだよな?」
単行本しか追いかけてなかったから知らなかった。しかし、雑誌の連載での最新のエピソードを見れば分かる。
「このキャラが――佐久間有希が、歌にトラウマがあるからなんだよな」
目を丸くする凪。
佐久間有希がミス研に入った理由、ひいては引っ込み思案になった理由。
それは、彼女が小さい頃に音楽の歌のテストで歌声をバカにされたことだった。声を出すことも怖がっていた彼女は、自己表現をミステリー作品の執筆で行っていった。
物語の進行とともに、ミス研のメンバーと共に居場所を見つけていく彼女だが、まだ歌声の克服だけは出来ていない。
「は、はい……」
「それが、凪の矜持なんだよな」
俺の言葉に背中を押されるように、ゆっくりと、彼女は話し始める。
「声優は――役を演じるのでも、役になりきるのでもなく、役そのものであるはずです。私が有希として歌うなんてことをしたら、もう二度と私は有希にはなれなくなってしまいます」
極端かもしれない。それでも、凪の言いたいことは痛いほど分かった。
「でも、私がそんなプライドを振りかざしてるせいで、神山さんがマネージャーでなくなってしまうなら……私は、どうすればいいんでしょうか?」
「プライドじゃない。さっきも言ったはずだ。それは矜持だろ?」
単なる言葉遊びな気もしたが、それでも。
「俺は、マネージャーじゃなくなっても、なんとかなるさ。でも、こだわるべきことをこだわれなくなったら、月白凪は、月白凪じゃなくなっちゃうからな」
「神山さん……!」
俺のポケットでスマホが震える。
ちょうど、三宅さんからのショートメッセージの返事が届いた。
「今ちょうど関係者が集まって台本打ち合わせしてるらしいから、ちょっと頭下げに行ってくるわ。凪は気を付けて帰れよ」
「神山さん」
行こうとする俺を、小さな体躯が強いまなざしで引き留める。
「私も行きます」
タクシーで本打ちの会議室に行く。
行き道で凪がエリカとした会話を聞いたので、エリカに「何とかするから何もしなくていい」とだけメッセージを送る。
凪がもう一度だけ、「本当にいいんですか?」と聞いてきたので、「ああ」とだけ答えた。
さて、俺は何をどうやって何とかするつもりなんだろう。
どうやって彼女との約束を守るか、とそれだけがまだ答えが出ていなかった。




