第8話「……神山さんもやっぱり、そうなんですね」
「エリカ? あれ、帰ってなかったのか?」
「あんた、何回言ったら覚えんのよ! 担当声優を送るのはマネージャーの仕事でしょっての」
「そっちこそ何回言ったら分かるんだよ。送らないってば。車は無いって言ってるだろ?」
「車なんて別にいいのよ。駅まで一緒に歩ければ、それで」
「まだ夕方だから安全だろ」
「うるさいわよ、バカ颯太。黙って連れて行きなさい」
「無茶苦茶だな……」
俺の担当声優が傍若無人すぎる件。
「で、何か嬉しいコトでもあったわけ? にやにやしてるわよ」
「ああ。凪の仕事が一つ決まったんだ」
「そうなの? ふーん……」
なんだか不愉快そうな表情になるエリカ。
「ああ……すまん。エリカが一からコツコツと再スタートしたところに、凪の成功の話するのはちょっと無神経だったか」
「うーん、そういうコトじゃなくて……」
エリカは腕組みをして、むむむ……と首をかしげる。
「別にいいわよ、いいけど……アタシの仕事が決まった時もそういう顔しなさいよ? 絶対に」
「そりゃするだろ」
俺の答えに顔をほころばせるエリカ。
「じゃあいいわ。いやダメね、もっと嬉しそうな顔しなさい。そういう顔出来るような仕事を掴んでみせるから」
「それは頼もしいな」
なんにせよ、悔しさをバネに頑張ってもらえるならそれでいいか。
「それにしても、あの態度だけ大きい大御所風女優さんも歌って踊る覚悟が出来たの?」
「いや、キャラソンもイベント稼働もナシでいいらしい」
「へえ、そんな仕事よく見つけたわね。それにしても、あの子、顔だけは良いんだから、踊ったら映えるのにね。もしかして、音痴なのかしら……?」
「そういうことじゃないだろうけど……」
子役時代、大御所演歌歌手のドキュメンタリーで彼女の子供時代を演じていたこともある。その時は歌っていたはずだ。なおのこと、どうして今は歌わなくなっちゃったんだろう……。
「颯太、このまま事務所に戻るの?」
「ああ、そのつもりだ」
「ふーん、じゃあ、アタシも事務所に行くわ」
「いいけど、どうしてだ? 何か用あったっけ?」
「あのー……す、スタジオ! 防音室で練習したいのよ」
「そうか。じゃあ一緒に戻るか」
「うんっ!」
席につくと、エリカは名残惜しそうにスタジオという名の防音室に入っていく。
凪にメールを送ったり、『ミス研は探偵事務所じゃありません!』通称・ミス探の原作漫画をネットショップで買ったりしていると、
「首の皮一枚繋がったって感じか、神山」
と、野太い声が聞こえる。
「お疲れ様です、佐渡島さん」
佐渡島隆。声優マネジメント部の部長だ。
「でも、気を付けろよ。当然だが、仕事は決まってからが本番だ」
「はい……と、おっしゃいますと?」
「この後何かあって、この仕事が飛んだ、なんてことになったら」
佐渡島さんはばしん、と俺の肩を叩くと、
「お前も飛ばされるぞ」
と低い声で囁いて立ち去った。
「あ、こ、こんにちは!」
「おう、阿賀エリカ」
佐渡島さんが執務室を出て行くところで、いつの間にかトイレに行っていたエリカが戻ってきたらしく、鉢合わせて挨拶をしていた。
「ねえ颯太、今のって……」
「聞こえたか……? まあ、とにかく、エリカが気にすることじゃない」
「うん、そうかもだけど、でも……」
「大丈夫。充分気をつけるようにするから」
「絶対よ? アタシ、嫌だからね」
何が嫌なのか、をはっきり言わないまま、彼女はまたブースにこもっていった。
しかし1か月後、事態は悪化する。エリカの現場の後のことだ。
「すみません。『ミス探』の佐久間有希ですが、やはりED曲のみユニットで歌っていただくことになりました。ミス研5名でのユニットです」
「え……?」
茫然とする俺に三宅さんは続ける。
「いやー、先日話した、委員会に入っているレコード会社のイチオシのアーティストなんですけど、喉の不調で活動休止に入るらしく……。別のアーティストにすることも考えたのですが、ユニットの方が収益上良い感じかな、ということで」
「でも、それだと月白は……」
「うーん……」
三宅さんは聞き分けの悪い子供を見るみたいな表情でため息を吐く。
「話が変わってしまったのは申し訳ございませんが、こちらもビジネスなので……。歌いたいし踊りたいしこの役がやりたい声優さんは、正直他にも山ほどいらっしゃるので、もし月白さんがそれでも降板されたいということでしたら……ねえ」
「そんな……!」
明言はしていないものの、『キャラソン対応しないなら降ろす』と言われているのと同じことだった。
目の前が真っ暗になる。
凪の降板は俺自身の退職を意味し、すると彼女たちの今後を見届けることも、約束を果たすこともできなくなる。
これは、自分の実力不足だ。しかし、それで諦められない。
「……もう一度、月白と相談してみます」
「よろしくお願いしますね。僕としても月白さんがやってくれた方が嬉しいですから。ほら、ファンなんで」
「は、はい……」
振り返ると、物陰からエリカの明るい髪の毛が見えた。あいつ、頭隠して頭隠さずじゃんか……。
「私、今回ばかりは絶対に歌いませんよ」
翌日、席に来た凪は、会議室に入るのも待たず、俺に言い放った。
「今回ばかりはも何も、一回も歌わないだろ」
「私だって、別に……!」
凪は俺のPCの画面に映されている電子書籍版『ミス探』の原作マンガを見やる。
「……原作、ちゃんと読んだんですか?」
「ああ、何周も。面白いよ、これ。だからこそ、俺は凪にやってもらいたい」
本心からそう伝えた。
「そうですか。それなのに……」
「それなのに?」
「……神山さんもやっぱり、そうなんですね」
「え?」
「失礼します」
「いや、えっと……」
「歌うくらいなら降板すると言っているんです。それでは」
凪は軽く頭を下げて、子供を傷つけられた親のような顔で俺を睨んで出ていった。
「はあ……」
一人残された俺は天を仰ぐ。
「どうして、そんなに……」
声優が本来歌いも踊りもしない職業だった、ということは分かる。
しかし、それはもうずいぶん前の話だ。
そもそもミュージカル調になっているアニメ映画で歌手でもなんでもないキャラクターが歌うことだってざらにある。彼女が生まれる前から声優は歌っているのに。
『私だって、別に……!』
『……原作、ちゃんと読んだんですか?』
『それなのに……』
彼女の声が脳内で反芻される。
こんな時になんだが、やっぱり凪はきれいな声をしているな、と思った。
『ええ、全部読んでいます』
なんだかつられて、もっと前に言っていたことまで思い出される。
『少しでも話題になった作品は先回りして読んでおく必要があります。主要なマンガ雑誌については、毎週買って読んでいます。それだけの話です』
……ん?
『……原作、ちゃんと読んだんですか?』
……もしかして。
俺は急いでパソコンを開いた。




