第6話「やっぱりあんた、何にも分かってない!」
「……あんた、昨日と同じ服じゃない」
翌日、テープ録りの音響スタジオに来たエリカは顔をしかめた。
「ああ、まあちょっとな」
「彼女の家にでも行ってたわけ?」
「そんなわけないだろうが……」
「どうだか」
俺はすぐさま事務所に戻ってエリカの過去に録った音源をすべてスマホに取り込む。
さらに、漫画喫茶に移動し、全20巻のコミックスをくまなく読み込んだ。
その結果、自宅に寄る時間がなかっただけなのだが、まあそんなことを説明する必要もない。
「で、なんなのよ? いきなりテープ録りだなんて」
エリカはカバンを置いて、机の上に置いてあるオーディション用の原稿を手に取る。
「『奇々怪々シティ』がアニメ化するだなんてそもそも初耳よ? 原作たまたま読んでるけど、アタシだって役作りの時間くらい……」
と、そこまで言って、彼女は自嘲的に笑う。
「……ま、別に演技なんてどうでもいいわよね。形式的なものなんだから」
「そういうことじゃない」
「いいのよ、新人がヘタな気遣わなくて。おおかた、アタシがこのキャラが好きだってコトを知ってたんでしょ。サプライズのつもりかしら」
エリカは主語を省いて話しているが、彼女の父親が、ということだろう。
「だから、そういうことじゃなくて、」
「だから気を遣わなくて良いって言ってるでしょ。とにかく録るわよ」
彼女は手をひらひらと振りながらレコーディングブースに入る。
まあ、最初はどう思ってたっていいか。
俺はキューランプを点灯させて、オーディションテープの収録を始める。
『ツキダシエンタ、阿賀エリカ。湊ミナト』
冒頭の自己紹介から始まり、いくつかのセリフを読み上げる。
読み終わると、エリカは合図を待たずしてヘッドフォンを外して、ブースから出てきた。
「お疲れ様ー」
「エリカ。俺は、OKを出してない」
「え?」
「戻ってくれ。今の演技じゃ足りない」
「な、なによ……! いつも一発でOKなのに……!」
「いいから戻って」
俺が押し込むように言うと、エリカはむっとしているようだったが、少し驚いた感じでブースに戻る。
「じゃあもう一回録るぞ。さっきよりももう少し気だるそうに、語尾伸ばし気味で」
『う、うん……!』
ヘッドフォン越しにディレクションを伝えると、エリカは面食らったようにうなずいて、また演技を始める。
幾度となくディレクションを行い、必死に役に合わせていく。
こだわり抜いてやっと納得いく声が録れた時、時計は16:30を指していた。
「はあ、つかれたー……。なんだってのよ、あんたのこだわり。そこらへんの音響監督よりしつこいじゃないの」
そう言ったエリカは、言葉とは裏腹に、すっきりした表情をしていた。
「お疲れ様。喉大丈夫か?」
「誰に向かって言ってんの? 毎日8時間はれんしゅ……」
エリカはそこまで言いかけて、口をつぐみ、
「……なんでもないわよ、バカ」
と言った。
「……いや、こんなことしてる場合じゃない」
「あんた今、こんなコトって言った? アタシとの会話を?」
俺は慌てて今のデータをUSBメモリに焼きながら、同時にクラウドにアップしながら身支度を始めた。
「ちょっと、何時締切なわけ?」
「17時!」
「なによ。だったら余裕じゃない。あと30分もあるわ」
「鷺沼さんのオフィスが荻窪なんだよ」
「はあ? 直接行くつもり!? あんた今、令和よ? メールで送ればいいじゃない」
「それじゃエリカの声を聞いてもらえないかもしれないだろうが」
「は、はあ……?」
「俺はあいつらにエリカの声を聞かせたいんだよ」
俺はUSBを抜くと、とるものもとりあえずビルを出て、タクシーで鷺沼さんの会社へと向かった。
財布を忘れたので、アプリで支払いを済ませ、制作会社の受付で鷺沼さんへのアポがあると伝えると、鷺沼さんが奥から現れる。
「ああ、ツキダシさん、本当に来たんだ……」
困りと呆れを混ぜたような表情で、彼は溜息をついた。
「もう打ち合わせは始まるところなので。資料も作れていませんし……」
「お願いします。どうか、こちらを——阿賀エリカの声を聞いてください」
「あのですね、昨日も言いましたけど、もう製作委員会は決まっているので、阿賀さんに参加をしていただく必要は……」
「阿賀エリカは声優です!」
自分が出した声が思った以上に大きい。その勢いに任せて、伝えないといけないことを続けた。
「……阿賀エリカは、声優です。社長令嬢じゃなくて、声優なんです。これまでのどの作品にだって、誰よりも真摯に向き合い、人一倍努力を重ねてきました」
「いや……」
「もちろん、努力するのは当然のことですし、頑張ってるから彼女を選んで欲しいと言いたいわけではありません。ただ……」
頭を下げる。
「どうか、阿賀商事でもなく、ツキダシでもなく……声優・阿賀エリカの声を聞いて判断してくれませんか? それでも、エリカがまだ至らないのなら、いっそ」
一社員として、こんなことを言ってもいいのかは分からない。俺に決裁権があるわけでもない。しかし、それでも。
「阿賀商事がスポンサーの作品だとしても、阿賀エリカを出演させないでください」
「……!」
鷺沼さんが息を吞む音が聞こえた。
「……オーディションにかけるだけですよ。音響監督はじめ誰かがNGを出したら、採用はありませんから」
「はい! ありがとうございます!」
顔をあげると、鷺沼さんも少しだけ微笑んでいた。
「では、結果は追って連絡しますね、神山さん」
俺の渡したUSBを受け取って、鷺沼さんは打合せ室の方に戻っていった。
「ふう……」
なんとか聞いてもらうことは出来そうだ。
よし、次の現場に向かおう。月白凪のアフレコだ。
自分の頬を両手で叩いて振り返ると、そこにエリカが茫然と立っていた。
「エリカ、どうしてここに?」
「あんたが、これを忘れたから届けてあげようと思って……」
エリカの手元には俺の財布。
「ああ、すまん……。え、タクシー乗ったのか?」
「うん……。大丈夫、この財布から払っておいたから」
「ああ、そう……」
さすがにほぼ同じ時間のほぼ同じ料金のタクシーは経費で切れなさそうだな……。
「ねえ、そんなことより、『奇々怪々シティ』って、阿賀商事がスポンサーするアニメじゃなかったわけ……?」
「いや、違うけど」
「じゃ、じゃあ、なんでよ!?」
眉間にしわを寄せて、エリカはまた、俺の胸元に指を突き立てる。
「アタシを事務所に置いておけば、あんたたちは何もしなくても勝手に仕事も金も入ってくるじゃない。それをなんで、こんな、勝算があるかも分からない仕事にかけずり回って……。ていうか、あんた、さっき勝手なコト言ってたでしょ!? 阿賀商事がスポンサーしててもアタシを出さなくていいとか……! あんたが許しても、パパが許さないでしょ!?」
「それは、本当にそうだよな……」
俺も勢いづいて勝手なことを言ったと思っている。
「でも、そうでもしないと、エリカはいつまでも自分のことを肯定できないだろ」
「……っ!」
エリカは目を見開く。その瞳が少し潤んで見えた。
「エリカが自分自身の力で、演技と声の実力で仕事をもらえたって思えないと、ずっとエリカは自信が持てないままだ。いつまでも楽しくないままだ。それに、今は仕事が入ってくるかもしれないけど、これから何十年も声優をやっていくためには、エリカ自身が成長して認められていく必要がある」
「そんな、そんなの、綺麗事よ。金を、稼がないと、いけないのに、あんた、ビジネスマンとして、どうか、してるわよ」
何かを我慢しているのか、細切れに彼女は俺をなじる。
「俺がマネジメントしてるのは、仕事じゃなくて、阿賀エリカだから」
釈さんの受け売りだが、今の俺にはその言葉がしっくりきた。
「バカね、ほんと」
表情を隠すように、エリカは俺に背を向ける。
「……ありがとう、颯太」
「いや、別に。それが俺の仕事だから。じゃあ、そろそろ行くわ。財布ありがとうな」
話してる間に凪のアフレコの時間が近づいている。間に合うだろうか、と時計を見ながら出口の方に向かうと、
「颯太、ちょっと待って」
肘のあたりを引っ張られた。
「ん……?」
振り返ると、上目遣いで唇をとがらせているエリカ。
「……駅まででいいから、送ってよ」
「え? いや、だから、次の現場あるんだってば。スタジオはちょうどここらへんだから歩いていくよ」
俺が当たり前のことを伝えると、エリカは髪の毛を逆立てる。
「~~~~! やっぱりあんた、何にも分かってない!」
よく通る綺麗な怒号が、オフィスビルの一階に響き渡った。




