第5話「のーぐっどですよ」
「なんだか難しい顔してます?」
「うお、びっくりした。終わったのか、お疲れ」
気が付くと、アフレコブースから出てきた穂波が、俺の顔を覗き込んできた。
「お悩みごとですか?」
「ああ、いや……」
「穂波、神山、お疲れー」
穂波の後ろを釈さんがあいさつしながら通り過ぎる。
「亜希先輩、お疲れ様です!」
「お疲れ様です」
穂波が元気に深々と頭を下げ、俺もお辞儀をした。
「それで、どうかしたんです?」
せっかく話題が流れかけたのに、穂波は逃してくれない。
「いや、なんというか……年頃の女子の悩みは分からないなあ、と思って」
「わたしのことです?」
「え? 穂波、何か悩んでるのか?」
「そんなに意外そうにしなくても。わたしって、そんなに悩みなさそうです……?」
穂波は少しむくれてみせる。
穂波が心の奥底に悩みや葛藤を抱えていることは知っている。今は違うことを考えていたので、少し不意をつかれただけだ。
「あーそっか、山田、分かりました、分かっちゃいました。前の現場がエリカさんと一緒だったんでしたね」
「俺、言ったっけ……?」
「颯太さんのスケジュールは把握してるんです! 担当声優の務めです」
「そうかな……? 逆じゃない?」
「お互いですよ!」
にこっと爽やかに言い放つ穂波。笑顔に影がなさすぎて、逆に少し怖いんだけど……。
「でも、颯太さん、さっきのはNGですね、のーぐっどですよ」
「さっきのって?」
「『年頃の女子』って言ったじゃないですか。年頃の女子にも色々いますよ? ひとくくりにしちゃダメです」
「まあ、そうかもだけど……」
「『年頃の女子』じゃなくて、エリカさん自身のこと見てあげないとです!」
穂波は胸を張る。
「……たしかに、そうだよな」
阿賀エリカには、阿賀エリカなりの、というか阿賀エリカ独自の不平不満があるのだろう。特に彼女は、置かれている環境も特殊だ。
「あ、わたし、そろそろ帰らないと。颯太さんは帰らないんですか?」
「ああ、ちょっと鷺沼さんに用があって。急いでるところ引き留めてごめんな」
「いえいえ! ちょうどいい時間でした! 早すぎてもダメなんです」
「え?」
「スーパーの閉店直前15分はお弁当が70%オフなんです! さすがにお弁当の前でシールが貼られるのを待つのはわびしいので、こうしてなるべく時間ぴったりに着けるようにしてるんですよ。では、お先に失礼します!」
穂波がぴょこんとお辞儀をしてスタジオを出ていく。涙ぐましい……。あいつが定価のお弁当を迷わず買えるように、俺も頑張らなきゃな……。
しかし今はエリカのことだ。
「鷺沼さん」
俺はミキサールームでパソコンを眺めている、今の現場のプロデューサーであり、『コーラスがーる!』のプロデューサーでもある鷺沼さんに声をかける。
「ああ、ツキダシさん。どうしましたか?」
「呼び止めちゃってすみません。『コーラスがーる!』の話なんですけど」
「ああ、そういえば次クールもツキダシさんとはご一緒ですね、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いいたします」
どうでもいいことだが、彼は俺のことをツキダシさんと社名で呼ぶ。
「あの、初回収録の台本って、いつ頃出来そうでしょうか?」
「ああ、脚本がだいぶ押しちゃってて。とはいえ、まだ来月予定ですよね?」
「本人気合入ってまして。読み込みたいので、早めにいただけるとありがたいです」
「そう、ですか……。まあ、そんなに頑張らなくても、ね?」
制作が遅れていることにバツの悪さを感じているのか、鷺沼さんは気まずそうに笑う。
「阿賀さんの場合、出てくれるだけで嬉しいので。あはは」
「出てくれるだけで……?」
「いやあ、阿賀商事さんには本当に助けられてますよ。今回も出資が決まらなかったら、正直かなり厳しかったので」
「ああ、そういう……」
俺は改めて、エリカの置かれている状況を把握する。
彼女は彼女自身じゃなくて、スポンサーを引っ張ってくるための道具としてしか見られていない。
ただ、彼女なりに頑張りたいと思っているだけなのに、それすらも不要だと、無駄だと切り捨てられてしまう。
『君がマネジメントしてるのは何だ? 仕事か? それとも、人か?』
仕事をマネジメントしているなら、今のままでいい。最小限のリソースで最大限の金を引っ張ってこれる、効率のいい仕事だと言える。
でも。
『エリカさん自身のこと見てあげないとです!』
俺がマネジメントしているのは、阿賀エリカなんだ。
だったら、俺は。
「……鷺沼さん」
「はい?」
「来年のアニメで企画しているものでキャストがまだ決まっていない作品ってありますか? 阿賀……エリカを参加させたくて」
「え?」
突然変わった話題に少しばかり面食らったように鷺沼さんが言う。
「ああ、あるにはありますけど、原作が有名なので、もう製作委員会は全部決まってますからね……」
苦笑いを浮かべる鷺沼さん。
キャストのオーディションに参加したいと思っての質問をしているのに、製作委員会の話を返される。暗に、『スポンサーが付かないエリカは起用する意味がない』と言われているようなものだった。
「なんという作品の誰のオーディションですか?」
「えっと……『奇々怪々シティ』の湊ミナト役です」
俺はハッとする。
それはまさしく、エリカがカバンに付けているぬいぐるみストラップのキャラクターだ。
「オーディションに参加させていただくことは出来ますか?」
「まあ、受けるだけなら構いませんが……テープ締め切りは明日ですよ? 明日の17時にキャスト決定打ち合わせなので」
「それまでに必ず届けます」
俺はエリカに電話をかけ、明日の13時に音響スタジオに来るよう伝える。
『明日? 何よ急に』
「『奇々怪々シティ』の湊ミナト役だ」
『……え?』
いつもの棘だらけの声が、一瞬だけ、子どもみたいに揺れた。




