第4話「あんたって何も分かってないのね?」
「ねえ新人。『コーラスがーる!』の台本まだ来ないわけ?」
アフレコが終わり、上着を着ながら阿賀エリカが不満げに言った。
「新人じゃなくて、名前で呼びなさい。社会人なんだから……。ていうか『コーラスがーる!』って、アフレコまだ来月だろ?」
「来月だから何よ?」
睨むように目を細めるエリカ。いち早く練習したいということらしい。
いつも高飛車な態度の彼女だが、練習量は人一倍あるのだ。
「分かった、プロデューサーの鷺沼さんに催促してみるよ」
「言われる前にやりなさいよね」
ふん、と鼻を鳴らすエリカ。今日も相変わらず不機嫌オーラ全開だ。
言いながら肩にかけた小洒落たカバンには、キャラクターもののストラップが付いている。この間何のキャラかと尋ねたら、『奇々怪々シティ』という漫画の湊ミナトというキャラクターらしい。
「ところで、車はどこに駐めてるわけ? アタシ、ここで待ってればいい?」
スタジオから外に出たところで、彼女は俺を見上げる。
「車って?」
「はぁ? あんた、車を知らないの? 自動車よ、自動車。英語でいうとカーね」
「あのな……」
車は知ってるよ、とツッコむ気すら起きない。エリカもそれくらいのことは承知しているらしく、
「所属タレントを送るのは、マネージャーの仕事の基本中の基本でしょ?」
と片眉を吊り上げてみせる。
「道が分からないのか? 駅まで一緒に行ってやろうか?」
「駅じゃなくて、車って言ってるでしょ、車って! なんであんたと二人仲良く隣に並んで電車で帰らなきゃいけないわけ?」
「仲良くとまで言ってないし、車はないし、俺はまだ帰らない。これから穂波の現場があるから」
俺がごくごく当たり前のことを伝えると、「はあ、これだから新人は……」と呆れたように乾いた笑みを浮かべる。
「あんたって何も分かってないのね? この際だから教えてあげる」
エリカは俺の胸に指を突き立てて、
「あんたが働いてるツキダシエンタの声優部の売上は、ほとんどアタシが稼いでんの。あの元気だけが取り柄の田舎娘は端役だけで満足そうにしてるし、あの態度だけは大御所気取りの元大女優様はプライドばかり高くて仕事選びまくった挙句仕事がないし、あの腰掛け女は婚活にばっかり精出してそもそもヤル気ないし!」
言ってて腹が立ってきたらしく、右肩上がりに語気を荒げていく。
田舎娘は山田穂波、
元女優様は月白凪、
腰掛け女は橘亜香里のことだろう。
「あのな……」
「事実を言って何が悪いわけ?」
ふん、と鳴らすエリカ。
よくもまあ、こんなにすらすらと悪口が出てくるもんだ……。
とはいえ、言い方にも言い草にも大変問題はあるものの、部署の売上の話は事実だった。
端役だろうがメインの役だろうがアフレコ自体のギャラは変わらない。
しかし、メインに近いキャラを演じると、おのずとキャラソンを歌う機会やイベント稼働の機会も増えるため、稼ぎも増えるというわけだ。
エリカはその点、端役はほとんどなく、メイン級のキャラしか演じない。wikipediaを見ると、本数は多くないが、ほとんどすべての作品のキャラ名が太字になっている。
「とにかく! 一番の、いえ、唯一の稼ぎ頭のアタシを他の女と同じ扱いするなんて、マネージャーとして愚の骨頂だと思わない?」
「思わない」
「思わないの!?」
なんでそっちがツッコミみたいになってんだよ。
「仕事の量で区別してたら、今仕事がない人はいつまでもないままになるだろ」
「自分で取ってこれないのが悪いのよ。アタシの仕事だって、あんたが取ってきたものなんて一個もないじゃない」
「それは……」
「それとも、」
エリカは先ほどよりも声を2トーン落として俺を睨む。
「アタシの仕事の取り方がフェアじゃないとでも言いたいわけ?」
「……語弊がある言い方をするんじゃない」
それじゃあまるで枕営業でもしてるみたいだろうが。
「だって、あんたがアタシのコトをテキトーに扱うから——」
エリカがまた反論をしようとしたその時、
「お! ちょうどいいところに!」
と、ハスキーな女性の声がした。
「釈さん……!」
声の主は釈亜希さん。界隈に知らない人はいないほどの、いや、日本で生まれ育っていたらその声を聞いたことのない人はいないほどの超有名声優だ。
俺も小学生の頃に見ていたアニメの主人公役で、毎週その声を耳にしていた。
「釈さん、お疲れ様です」
さすがのエリカも丁寧にお辞儀をする。
先程まで収録していたアニメのゲストキャラ……というかラスボスの役を見事に演じ切っていた。
「おー、お疲れ阿賀! 神山もお疲れ」
釈さんのすごいところは、演技力のみならず、こうして俺みたいな新参者の名前も覚えて、フランクに接してくれるところだと思う。元々一方的に知っている人に名前を覚えられて嬉しくない人なんていない。
ベテランの音響監督に聞いたところによると、釈さんは新人のころからずっとこうらしい。うちの所属声優たちにも見習ってもらいたいが、単純に常軌を逸した記憶力が必要になるだろうな。
「いやー神山、『渡りに船』とはまさにこのことだな」
「はい?」
突然背中を叩かれて声がうわずる。
「次の現場、君のところの山田穂波と一緒なんだよ。君も行くんだろ?」
「はい」
「じゃあ、ちょっと乗っけて!」
「え?」
俺が戸惑っているうちに、釈さんは道に出て「すみませーん!」と手を挙げる。
やはり『持ってる』ということなのか、さっきまで通っていなかったタクシーがすぐに目の前に停まった。
「はい、乗った乗った!」
「え?」
タクシーの奥の席に押し込まれる。
「ちょっと!?」
エリカが何かを言いかけるのを、閉じるドアが遮った。
「中野の方にお願いしまーす!」
元気に釈さんが言って、タクシーが走り始める。
「いやー、これでツキダシのお金で移動出来るわー」
「そんな、決定事項みたいに……」
「うちは個人事務所だからね。節約できるとこで節約しないと」
「節約っていうか、うちの会社がその分払ってるだけなんですけど」
「はっはー、人の金で乗るタクシーが一番快適ってね」
「憧れの声がそんなこと言うの聞きたくなかったです」
彼女のフランクな雰囲気に飲まれて、俺も軽口を叩く。
「またまた、助かったって思ってるくせに」
すると、彼女の声が不意に、低く、しかし鋭く俺を刺した。
「……聞いてたんですか」
「聞こえてたんだよ。なにしろ阿賀の声は高くてよく通るからね」
「……すみません、気を付けます」
「いや、別に? で、何か悩んでんの? どしたん? 話聞こか?」
ナンパ男みたいなことを言い始める釈さん。いや、というか。
「……まさか、そのためにタクシーに誘ってくれたんですか?」
「節約のためだっての」
照れ隠しにも見えるし、本音にも見える。
……いや、新人マネージャーの俺が大御所声優の演技を見破ろうなんておこがましい話か。
いずれにせよ、他に話すことがあるわけでもない。
「エリカ……阿賀が、」
「エリカでいい」
「いや、でも」
一度言いかけた自分を棚に上げるのもなんだが、他社の人に対して下の名前を言うのはどうだろうか。
「少なくとも君は彼女をエリカと呼び続けた方がいい」
「はあ……」
いまいち釈然としないが、俺は続けることにする。
「エリカがずっと不機嫌で。不機嫌というか、不満を持ってるという方が近いかもしれませんけど」
「ふうん、どうして?」
「本人曰く、自分が取ってきた仕事がほとんどで、部署の売上もほとんど自分のおかげなのに、他の声優と同じ扱いしかされないってことが不満らしく」
「ふーん。本当にそれが理由なのかねー? 彼女は、絵に描いたような……というか、アニメに描いたようなあまのじゃくだからなあ」
もっというと、と彼女は続けた。
「阿賀は本当にその仕事を自分で取ってきたと思ってるのかね?」
「それは……」
さすがというべきか、当然というべきか、釈さんは事情を把握しているらしい。
阿賀エリカは、超大手総合商社・阿賀商事の社長の娘だ。
近年、阿賀商事はアニメへの出資事業に力を入れている。
そして、エリカをメイン級の役に据えると、阿賀商事がその作品に出資する。
——そんな暗黙の法則が、業界には出来上がっていた。
製作委員会の組成に苦慮しているプロデューサーの持っている共通の切り札。それが阿賀商事だった。
釈さんは、「それは阿賀エリカが取ってきた仕事じゃなくて、親のコネで取ってきた仕事だろ?」ということを言いたいのかもしれない。
「別に揶揄してるわけじゃない。どういう経路の仕事だろうと大差ないさ」
釈さんは「だってな、」と続ける。
「声を吹き込むのがどんなに上手だろうと、印象の悪いやつは採用されない。印象をよくするには身なりが整ってないといけないし、そのためには金も必要だ。金をもらうきっかけを作るために金が必要なんだ」
「それは、たしかに……」
「そうなってくると、どこまでが自分の力で、どこからが他人の力やズルなのかなんて、誰にも分からん」
釈さんほどの実績を持つ人ですらそんなことを思うのか、とこっそり驚く。
「ただ、重要なのは阿賀自身がどう思ってるのかってこと。彼女自身が、本当にそれを鼻にかけているのかって話だ」
「……少なくとも、僕が取ってきた仕事ではないです」
「神山は真面目だなー」
俺が「いや、そんな……」と首を振ろうとすると、釈さんは言葉を続ける。
「と、同時に不誠実だ」
「不誠実……?」
思わぬ言葉に、鈍器で殴られたような衝撃が走った。
「神山、君がマネジメントしてるのは何だ?」
「何、とは……?」
「仕事か? それとも、人か?」
その言葉に俺はハッとする。
そして釈さんは、もう一度さっきの言葉を繰り返した。
「——だから、少なくとも君は彼女をエリカと呼び続けた方がいい」




