第20話「……裏を読まないでよね」
「よろしくお願いします!」
スタジオに入ってきた橘さんは元気よく挨拶をし、マイクの前に立つ。
「はい、それでは音かけます」
音響制作さんが少し心配げに——おそらく、橘さんで決まらないと困る部分もあるのだろう——再生ボタンを押す。
すると、オケが流れ始め、彼女がすぅ……と息を吸った瞬間に、
「おお……」
空気が色づくのを感じた。
審査員たる面々が俺と同じように感心しているのが伝わってくる。
そのため息の中には安堵の気持ちもあるだろう。最後まで海里役が見つからなかったらどうしようと思っていただろうから。
だからこそ、そのまま最後まで綺麗に歌い切れば、それだけで十分だった。
少なくとも、落とされる理由はない。
……けれど。
橘さんは、そこで一歩踏み込んだ。
『諦めが肝心と思ってたの』
彼女は、後半のサビの1フレーズ。
アドリブで最後の音を上げた。
「……っ!」
カラオケの精密採点だったら確実に点数は下がる。
キャラソンを規定通り歌えという今回のオーディションにおいても、それがどう作用するか分からなかった。
分からなかったが、それでも、たしかに、これはカラオケじゃないんだ。
「ライブだ……」
圭吾が小さく呟くのが聞こえる。
『圭吾、今日のカウントダウンライブ、「口から音源」だって、すごい褒められてるよ。トレンド1位』
『「口から音源」ってそれ、褒め言葉なのか?』
『そうだよ、うまいってことだろ』
『いや、それ——』
圭吾はあの日、言っていた。
『おれがそこで歌う意味なくないか?』
つい、微笑む。
リコシェがプロデュースするなら、リグレットリユニオンは、当然ライブバンドを目指すよな。
「ありがとうございました!」
歌い切った橘さんはやけにスッキリした表情で部屋を出て行った。
俺も廊下に出て橘さんを迎える。
「おーそうくん、どうだった?」
「攻めてましたね、橘さん。あれさえなければ合格確実なのに、あれがあるので今わかんなくなりました」
俺が正直に伝えると、橘さんは笑う。
「あははーそっかそっか。ごめんねー。でも、さ」
そして、優しい微笑みに戻る。
「——歌が上手いだけの28歳新人なんて価値がないもん。選ばれるだけの理由を自分で作っていかなきゃ」
「失敗するかもしれなくても?」
「うん。置きにいって注目されないで『この歳だし仕方ない』っていうよりも、自分に全力で期待して転んだ痛みの方が気持ちいいし」
俺はあの日の言葉を思い出す。
『……もう、全力で走って転んだ傷が治る年齢じゃないんだよ、あたし』
「……そうですか」
橘さんは、それでも全力で走ることにした。
痛くても、傷が治らなくても、それでも、全力で自分に期待して、全力で転ぶ。
『もう一度、やってみてもいいですか?』
……そして、傷だらけでもきっと、立ち上がる。
「あー……ほら、あたしMだし! 痛いの気持ちいい、みたいな?」
「そんな予防線張るみたいに茶化さなくて大丈夫です」
「え?」
「橘さんは、ちゃんと正面から、めちゃくちゃかっこいいですから」
「……裏を読まないでよね」
橘さんは照れくさそうに前を向く。
「じゃあ、オーディション結果はまた後日、マネージャーさんに連絡します」
「はい、ありがとうございます」
4人はスタジオを出て帰っていく。エレベーターまで見送ったあと、廊下に戻ると、スタジオから圭吾が出てきた。
「おお……颯太」
「お疲れ……様でした」
一応クライアントだった、と慌てて付け足した敬語には耳もくれず、
「なあ……声優ってマジで大変なんだな」
とぼやく。
「ああ、そうだな。演技も歌もやらないといけないから」
「あーいやぁ、それもそうだけどそうじゃなくて……颯太が担当してる4人」
「ん?」
「あの4人……こういっちゃなんだけど売れてないんだろ?」
何が言いたいのか、と一瞬身構えた俺に、心底不思議そうな顔をして彼は言った。
「そんなことありえんのか? あんなにすごくて?」
「はは……」
緊張と緩和。つい笑みが溢れた。
俺はそれを最大級の賛辞だと思う。
「ああ、まだ売れてないだけだよ」
「だよなぁ……」
そして、一週間後。
プロデューサーさんから電話がかかってくる。
「もしもし、神山さん」
「……はい」
どう考えても、リグレットリユニオンの結果の通達だった。
「良いニュースと悪いニュースがあります」
「アメリカの映画みたいですね……」
「まず、良いニュースからです」
しかし、映画と違って、どっちから聞きたい?と選ばせてはくれないらしい。
「今回のリグレットリユニオン、ツキダシエンタさんの4人ともご希望の役で決定です」
「本当ですか……!?」
「磯谷紗良役、山田穂波さん。浅沼悠里役、阿賀エリカさん。五十嵐星子役、月白凪さん。恩田海里役、橘亜香里さん。狙ったわけでは本当にないのですが、結果的に全員御社の声優さんになってしまいました。なってしまったってこともないんですが」
「ありがとうございます……!」
電話のこちら側で深々と頭を下げる。
下っ腹のあたりから喜びが込み上げる。
これで、声優マネジメント室は……!
「ただ、条件というか、かなり言いにくいご相談がありまして……。それが悪いニュースなのですが」
「はい、なんですか……?」
こんなにいいことが決まったんだ。
どんな悪いニュースも霞むに決まっている。
そう思っていたのがよくなかったのだろうか。
そのあと告げられた言葉に、くらっとして、視界はブラックアウトした。
「4人の担当マネージャーを、神山さん以外の方に変更していただきたいんです」




