第2話「おでこのことは言わないでください!」
『名前付きの役を、山田さんにお願いできないかなって』
「……え?」
『最終回のゲストキャラ、ヒロインの妹・目黒アヤメ役で出演予定だった声優さんがちょっと出演難しくなってしまって……その回限りのゲストキャラっていうこともあって、ここまですっごく頑張ってくれている山田さんにお願い出来ないかなー、なんて……。いかがでしょうか……?』
一見普通に素敵なオファーに見えるこの相談が『ちょーっと言いづらい』理由。それは、予算削減のために穂波を起用していると取られてしまうような内容だからだろう。
実は、主役だろうがモブだろうが、出演料は変わらない。キャストの技量や知名度によって1日いくらと決まっているのだ。
さらに、その日呼んだ声優がいくら喋ろうが、役を増やそうが、追加料金を支払うことは基本的にない。
つまり、名前付きの役を与えるだなんて調子の良いことを言いながら、もともとモブ役で押さえていた穂波をそのままスライドすれば、追加でギャラを払わずに役を増やせるというわけだ。
この数週間で勉強したおかげというか勉強したせいというか、とにかくそんな裏が透けていたものの、しかし。
『なので、まずは名前付きの役をゲット出来るように、今目の前にいる『少女F』ちゃんを全力で演じるんです!』
あの穂波の決意と握り拳を思い出したら、俺の答えは決まっていた。理由はどうあれ、どう考えてもこれはチャンスだ。
「もちろん、やらせていただきます!」
電話を切った後、穂波に報告のラインを送ると、
ほなみ『本当ですか!? わたし、初めて名前付きの役です! 今すぐ台本受け取りに行ってもいいですか!?』
と言って、ものの30分もせずに穂波は事務所の俺の席までやってきた。
「はい、これが最終回の台本」
「ありがとうございます! ふわー……!」
何度も台本の役名のところをなぞりながら、
「『目黒アヤメ』ちゃん……! 『目黒アヤメ』ちゃん……! 『目黒アヤメ』ちゃん……! よろしくね、アヤメちゃん……!」
何度も自分の名前を呼ぶ。
「ありがとうございます颯太さん! わたし、死ぬ気で頑張ります!」
「いや、俺は電話を受けただけで何もしてないよ。穂波の努力が認められたんだろ」
「だったらなおさら、努力でお返ししないといけませんね! あ、スタジオ借りてもいいですか?」
「ああ、いいよ」
穂波は宝物のように台本を抱きしめて、スタジオ——というよりは物置の端っこに置かれた段ボール製の防音ボックスに入っていく。
掃き溜めの声優マネジメント室のために事務所が買ってくれた数万円ぽっちの設備だ。
穂波が防音ボックスに入ってから、もう6時間は経った。
担当声優を残して帰るわけにはいかない。
山ほど溜まっているデスクワークを片付けながら様子を窺ってみるものの、穂波は一向に出てくる気配がない。
もしかしてさっき俺がトイレに立った隙に帰ったのか?と一瞬よぎったものの、穂波が挨拶もせずに帰るはずもないことは、付き合いの浅い俺でも分かった。
万が一、中で熱中症や酸欠にでもなっていたら大変だ、と俺はそっと防音ボックスに耳をあてる。すると、
『負けないで、お姉ちゃん。お姉ちゃんは天才なんだから!』
かすかに穂波の声が漏れ聞こえた。
『原作を全巻10周、台本の通読を30回、自分の担当のセリフを100回音読!』
……それだけやるなら、まあ、これくらい時間はかかるか。
喉のケアはしてやらないといけないが、誰よりも努力している彼女のこと自体は微笑ましく思う。
何かに選ばれたくて、何者かになりたくて、効率も近道も知らないままただ時間と体力だけを燃やしていく。
その姿には、見覚えがあった。
「二十歳、か」
——ちょうど、俺たちが『リコシェ』を結成したのも二十歳の頃だったな。
* * *
圭吾たちとの出会いは大学のバンドサークルでのことだった。
昔、小学校のブラスバンドで小太鼓を叩いていたというだけの理由で高校時代にドラムを叩くことになって以来、なんとなく大学でもバンドサークルに入った俺が、同じバンドをコピーすることになって組んだだけの即席のバンドが『リコシェ』の前身だ。
ライブ後の打ち上げで、ギターボーカルの大沢圭吾が「実は自分自身でも曲を作ってる」と俺にこっそり打ち明けてくれたのがきっかけでオリジナル曲をやることになる。
圭吾は天才だった。彼の曲は名曲ばかりで、これが広まらない世の中なんて間違ってる、と、ドラムを一生懸命練習した。
腱鞘炎になっては元も子もない、と効率的な休息方法やテーピングなども学びながら、それでも時間の許す限り練習に励んだ。
その甲斐あって——と、当時は思っていたのだが——あれよあれよという間にライブハウスシーンを席巻し、3年後にはメジャーデビューを果たすことになった。
しかし、デビューしてから俺は気づいてしまった。
……いや、その前から薄々勘づいていた。俺よりも後に楽器を始めたやつらが、涼しい顔をしてデビューをして売れていくのを見て、それが確信に変わっただけだ。
俺には、音楽の才能がない。
才能が欲しい。と何度も思った。
圭吾の歌唱力も、ソングライティングのセンスも、申し分なかった。
才能が欲しい。と何度も思った。
ギターだってベースだって、才能の塊みたいなプレイヤーだった。俺よりも圧倒的に少ない練習量で、どんどん観客を魅了してファンを増やしていく。
才能が欲しい。と何度も思った。
それでも、がむしゃらに努力して、それで迎えたデビュー5周年の冬。
「颯太はさ、颯太じゃなくても叩けるドラムしか叩かないんだよ」
圭吾は苦しそうな表情で、そんなことを言った。
「だから……ごめん」
泣きながら彼は、俺に頭を下げる。
他で解散したバンドの優秀なドラマーがリコシェに入りたいと言ってきて意気投合してしまった、とのことだった。
——俺はバンドをクビになった。
「今更放り出されても働き口もないだろう」
その時に俺をマネージャーとして拾ってくれたのが、所属していた大手芸能事務所・ツキダシエンタだった。
ただし、掃き溜め部署と名高い、声優マネジメント部に、だが。
『今年度中に最低でも1000万円売り上げる目処が立たなければ声優マネジメント部は解散だ。看取り人になるか、救世主になるか……それはお前次第だよ』
部長の言葉が蘇る。
看取り人も救世主も何も、それを達成できなければ俺自身も今度こそ職を失うことになる。
才能が欲しかった。
才能さえあれば、と、俺は、自分に言い聞かせるように呪い続けていた。
* * *
「おーい、颯太さん?」
「……っ!」
気が付くと、首をかしげた穂波が俺を下から覗き込んでいた。
「あ、戻ってきた。もしかして颯太さんって、考え事したり何かに集中したりすると、周りが見えなくなるタイプですか?」
「……集中して6時間も防音ボックスに籠って、汗で前髪をおでこに貼り付けてるやつがよくいうよ」
「あ、おでこのことは言わないでください! わたし、ちっちゃいころにでこっぱちって呼ばれたの気にしてるんですから!」
おでこを手のひらで隠して頬を赤らめる穂波。
「それは悪かったよ」
知らなかったとはいえ、人の傷口に塩を塗るのは本意ではない。
「で、今日の練習はもういいのか?」
「はい! やりすぎて喉壊したら元も子もありませんから!」
「そうだな、体調管理は大事だ。……今度の収録、上手くいくといいな」
「はい!」
当たり前のことだが、山田穂波は俺じゃない。
彼女の努力と俺の努力は違うし、彼女の才能と俺の才能だって違う。
穂波の努力が報われますように。
この役が、彼女を躍進させるきっかけになりますように。
——その時の俺は、そんなことを、他人事みたいに考えていた。




