第1話「才能がない人間には、夢を見る資格なんてないんでしょうか?」
「颯太さん、」
山田穂波は、すがりつくような目で、悲痛な声で、俺に問いかける。
「才能がない人間には、夢を見る資格なんてないんでしょうか?」
車窓から見える朝日の光線が、眠気を引きずった網膜に突き刺さる。
ただでさえ重かった瞼を閉じようとすると、そうはさせないとばかりにスラックスのポケットでスマホが震えた。
メッセージの主は、俺がつい先週から担当マネージャーをしている4人の声優のうちの1人・山田穂波。
ほなみ『颯太さん! 今日のスタジオ初めてですよね? 駅で待ち合わせしましょう!』
いや、立場が逆だろ。と、つい苦笑いがこぼれる。
神山颯太『自分で行けるよ。それよりも自分が遅刻しないように先に向かってて』
今日は、山田が参加している作品『学園都市ペディクス』のアフレコの日だ。
ペラ1の引き継ぎ資料によると、山田は1ヶ月ほど前から毎週この作品のアフレコに参加しているらしい。
とはいえ、彼女は特定のキャラクターを演じているわけではなく、毎回適宜その場限りのモブキャラを演じているという。
『女生徒F』であり『店員B』であり『友人C』であるというわけだ。声優の世界ではよくあることらしいけど、初めて聞いた時は少し驚いた。
いや、こんなのは序の口で、この業界は俺の知らない常識に満ち満ちている。
声優マネージャーとしてはもちろん、芸能マネージャーとしても俺は新米中の新米だ。社会人経験もなければ、アニメに詳しいわけでもない。改めて、事務所が俺みたいなのにこの職を与えた理由に疑問を感じる。
——まあ、俺の立場と、声優マネジメント部の立場からしたら、という、あくまでも消去法的なマッチングなんだろうけど。
とはいえ、せっかくのチャンスだ。一日でも早く追いつかなければ。そんなことを思って昨日は夜中まで家でアニメを観ていた。おかげですっかり寝不足である。
ほなみ『りょーかいです!』
そんな返事が届いた頃、ブルートゥースのヘッドホンが自動再生で次の曲を流す。
「…………」
吐き気がするほど聴き飽きたイントロを、直ちにスキップした。
中野駅から徒歩10分以上。
履き慣れない革靴に苦戦しながらもグーグルマップの示しているあたりに着くと、
「颯太さん、こっちです!」
よく通る声が俺を呼ぶ。
見やると、山田穂波が亜麻色のボブを揺らして、ビルの前で全身を使ってこちらに手を振っていた。
「いや、だから自分で来られるって言っただろうが。俺、そんなに抜けてるように見えてるのか?」
「ちっちっち、ですよ、颯太さん」
山田は人差し指を振る。なんかそれ、古いアニメみたいな仕草だな。
「こちらのスタジオを甘く見ちゃいけません! 初見殺しのスタジオとして有名なんですから!」
「そうなんだ。聞いたことなかったけど」
「わたしの中で有名なんです!」
「じゃあ有名じゃないじゃん」
「実際にわたしが初見の時に殺されちゃったんですよ」
「殺されたの? 今俺の目の前にいる山田は幽霊か?」
「もう、颯太さんは屁理屈ばっかりです!」
山田は頬を膨らませる。
「あと、わたしのことは山田ではなく、穂波って呼んでください。山田ってそんなに珍しくない苗字なので、現場で結構かぶるんです」
「ああ、なるほど……じゃあ、穂波」
「はい!」
にこっと嬉しそうに笑う山田……穂波。
「とにかく! 初見の山田が殺された理由が、こちらです!」
「いや、一人称山田なのかよ」
俺のツッコミをスルーしてなぜか胸を張った穂波が両手で示した先には、外階段。
「なんと、このスタジオは一階の扉ではなく、外階段を上がらないと入れないんです!」
「いや、それもそこに『当スタジオをご利用の方は外階段からお入りください』って看板あるから分かるけど……」
「あれっ!?」
穂波は全身で驚く。いちいち反応がでかいな。
「いつからあったんですかね? こんな便利な看板」
「結構古びてるから、数年前かな……。少なくとも1ヶ月前にはあったんじゃないか?」
「まあ、いいです! とにかくレッツゴーですよっ!」
自分の失敗を振り払うように、彼女は腕を振り上げて外階段を登っていく。結果、俺はそれについていくような形になった。
それにしても、モブの収録とは思えないくらい彼女は楽しそうだ。
「いつもそんなにテンション高いのか?」
「ですです! だって、今日のために何回も練習したんですよ? 原作を全巻10周、台本の通読を30回、自分の担当のセリフを100回音読!」
「へえ……」
「あ、身体を壊しちゃうんじゃないかって心配しました? 大丈夫なんです、わたし、体力だけはあるので!」
えっへん、と胸を叩く穂波。自分のことは『山田』と呼んだり『わたし』と呼んだり気分次第みたいだ。
「あとそんなにセリフ多くないですしね!」
……ちょっと寂しいこと言うじゃん。
「えっと、穂波って、声優始めてどれくらいだっけ?」
俺はペラ1の資料にも書いてあったことを思い出しながら尋ねる。
「えっと、高校卒業してすぐ東京で事務所のオーディションを受けて、それからなので……2年くらいですね!」
「……そうか」
2年。
微妙なラインではあるが、この若さの2年間、この量の努力を重ねていれば、名前のある役やメイン級の役をやっててもおかしくはない。
そこらへんはミュージシャンでも役者でも声優でもそう変わらないはずだ。
……もちろんそれは、『才能さえあれば』という枕詞の付くものであるが。
穂波にも未来がないとはまだ言えないし、どこかで覚醒したり確変を起こす可能性はなくないが、少なくとも、圧倒的な天才というわけではないのだろう。
「それがどうかしたんですか?」
「……いや、知っておこうと思っただけ。ありがとう。収録頑張ろう」
「はいっ!」
その日の収録は、音響監督に「ちょっと、山田さん、ガヤなのに張り切りすぎだよ。ここで爪痕残そうとしなくていいから」と苦笑されつつも、概ねつつがなく終わった。
穂波が収録している間や前後で、アニメのプロデューサー、音響制作のスタッフ、他演者のマネージャーなんかと名刺交換をさせてもらった。
『名刺交換の方法』とググっただけの付け焼き刃の知識で名刺交換をしていたら、「いや、神山さん、めちゃくちゃ低いところまで下げますね! 営業長いんですか?」と、やや好意的に笑われた。「こんなばっちりのスーツで現場に来るマネさんも珍しいですね」とも。
同時に、本当に俺のことなんか顔も名前も誰も認識していないのだな、と当然のことを再確認した。
別に期待していたわけではない。いや、むしろこうなることを期待していたくらいだ。
「お待たせしました颯太さん、駅まで一緒に帰りましょう!」
帰宅の準備を終えた穂波が俺のもとにやってくる。
「穂波はどうして声優になったんだ?」
「うーん、そうですねー……」
駅まで十分強。薄暗い道を歩いていると、自然と会話はそんな方向に転がっていく。
「わたし、物語の世界の主人公になるのが、夢だったんです」
「へえ……」
「小さい頃、ケーブルテレビの子供向けチャンネルでいつもアニメ見てて。画面の向こうの世界は本当にキラキラに輝いてて……」
「そういうもんか」
「颯太さんはそういうこと、ありませんか? 『魔法が使ってみたい』とか、『タイムスリップして昔を救ってみたい』とか、『ナンバーワンアイドルになって禁断の恋をしてみたい』とか、『屋上で好きな男の子とご飯食べてみたい』とか」
「壮大な話の最後に結構こじんまりしたの来たな」
「いやいや、結構ファンタジーなんですよ? 屋上を開放してる高校なんてほとんどないんですから! んー、男の子だとまた違うんですかね……『ヒーローになって敵をやっつけたい』とか、『勇者になって世界を救いたい』とか……あ!」
思いついた!とばかりに穂波は手を打つ。
「『武道館でライブ!』とかですかね?」
「……!」
その言葉にふと息が詰まる。
「あれ? どうしました? わたし、何か変なこと言っちゃいましたか……?」
「……いや、なんでもない」
「そうですか? ……まあ、とにかくですね、そんな感じで、物語の世界の主人公になりたかったんですけど、それって物理的に無理じゃないですか。でも、実際にはなれなくても、主人公を演じることが出来たらそれに近い体験が出来るのかなって思って。それが声優を目指した理由です!」
「なるほどな」
「って、わたし、主人公どころか脇役どころか、まだ名前のある役すらやったことないんですけど」
穂波は苦笑いを浮かべる。
「なので、まずは名前付きの役を頂けるように、今目の前にいる『少女F』ちゃんを全力で演じるんです!」
「……そっか」
頑張れよ、なんて言葉を続けるのがなんとなく憚られて余韻を濁していると、
「あ、こっち! 近道なんです」
穂波が暗がりの公園を指差す。
「ずいぶん暗いけど……いつもここ歩いてるのか?」
「ですです!」
「危なくないか?」
「全然大丈夫ですよ? とにかくレッツゴーです!」
古ぼけた蛍光灯に小さく照らされたベンチにはカップルばかり座っていた。
こちらに危害を与えてくるわけではないが、なんとなく穂波には見せてはいけないような距離感で囁き合っているというか、くっつき合っているというか……。。
なんだか気まずいなと思いながら公園を抜けたあたりで、すれ違う人たちから好奇の目を感じる。
ふと横を見ると、ファミレスの窓に写ったのはスーツの28歳男性と見るからに若い女性。
……今度からはスーツはやめておこう。
後日。
『学園都市ペディクス』の現場で名刺交換したプロデューサーから電話がかかってきた。
「もしもし」
『あ、どうも神山さん! あの、先日台本をお渡しした最終話のことで、ちょーっと言いづらいご相談があるんですけど』
「ご相談? なんでしょうか?」
『名前付きの役を、山田さんにお願いできないかなって』
「……え?」
それは間違いなく朗報だった。
ただ、わざわざ「言いづらい」と前置きされた理由も、すぐに察しがついた。




