第18話「絶対にやりたいんです、この役を」
「この大事な日に寝不足ってどういうコト?」
翌朝、バンデシ新プロジェクトのスタジオオーディション会場にやってきた俺を、腰に手をあてたエリカが叱り飛ばす。
「そう言われると思ったから、遅刻もしてなければ、あくび一つしてないんだけど……」
「目の下のクマが物語ってんのよ! 風邪でもひいたらどうすんの」
「阿賀ちゃんは心配してんのか怒ってんのか分かんないねえ」
ふふ、と橘さんがなぜか微笑ましそうにしているのを見ていると、視界が突然|亜麻色で塞がれる。
「それにしても、ほんと目の下まっくろですねー……」
「んぎゃー! そんであんたはいちいち距離感近いのよ!」
「あわっ」
俺のクマを見ようとした穂波を、エリカが引っ張る。
「で、そうくん、元カノから告白でもされたの?」
「元カノとかじゃないですけど……」
「ほう? 元カノじゃない人から告白はされたのですね」
今度は凪が脇腹をつついてくる。『ほう?』って。
「そんなことも言ってないだろ。なんでそうなるんだ」
「本当に何もない時は『なんでもないです』とか『台本を読み込んでて』みたいな本当の理由をいえばいいだけの話です。『元カノとかじゃないですけど……』は何かあった証拠です」
出たよ、凪の考察癖……。
「いいから。オーディションに集中しなさい。別になんでもないから。台本を読み込んでただけだ」
「うわあ、ごまかすの、へたっぴですね……」
穂波がひいてる。やめて、分かってるから。
「気になってオーディションどころじゃないわよ……!」
と俺の胸にエリカが指を突き立てたその時、
「おぉ、颯太。おはよう」
と後ろから声がする。
振り返ると、
「圭吾……」
寝不足の種がそこにいた。
「昨日は……ありがとうな」
「お、おう……」
どうしたらいいか分からず俺も頬をかく。
「じゃ、じゃあ、先に入ってるな。今日はよろしくお願いします」
照れくさそうに挨拶を残して、圭吾はマスタールームの方に入っていった。
「はぁ!? なんなのよ、あいつ……!」
エリカが歯ぎしりをする。
「いや、あの人、今日のクライアントだからな」
「ツキダシさん、そろそろよろしくお願いしまーす」
そうして、オーディションが始まった。
複数の役を受けることの多いオーディションだが、今回は4人それぞれ別のキャラクターのオーディションを受けることにした。
事前のテープ審査で通った役者だけではあるが、全部で20名がセリフ審査と歌唱審査を順番に行っていく。
まずは山田穂波。
『「一緒にいたって、何一つ叶わなかったじゃん! 世界は1ミリも動かなかったじゃん! ねえ、どうして今更もう一回やろうなんて言えるの!?」』
「ありがとうございます。うーん、それじゃあ次は、もっと湿度を上げて読んでみてくれますか?」
『湿度……分かりました』
湿度。
その言葉に不安に感じたのも束の間、
『「一緒にいたって、何一つ叶わなかったじゃん……! 世界は、1ミリも動かなかったじゃん……! ねえ……どうして今更、もう一回やろうなんて言えるの……!?」』
彼女は同じセリフを見事に演じ分けた。
『全然違うよ』
『アヤメはたしかに表面上は元気っ子だけど、ただ明るく送り出すんじゃなくて、その中に確かな『お姉ちゃんへの信頼』があるっていうのを表現して欲しいんだ。もっと湿度を高めて』
あの日のスタジオでのリテイクがフラッシュバックする。
「そっか、乗り越えたんだな……」
俺は思わず口にしてしまう。
ホームランを打つための最低条件は、打席に立つことだという。
山田穂波は、まだ諦めずに、マイクの前に立っている。三振ばかりでも、立ち続ける。
「うん、いいですね」
音響監督が手元の紙にマルを書くのが見えた。
次に、阿賀エリカ。
テープオーディションに引き続き、リードギター担当の少女・浅沼悠里役を受けた。
『「ねえ、あんたの声は、アタシが作った曲を歌うための声でしょ? 他のやつの歌なんて歌わないでよ」』
「はい、ありがとうございます。えっと、次のセリフは……」
『……すみません。本当にすみません。もう一度だけやらせていただけませんか』
「え?」
『今、気づいてしまったんです、悠里のこのセリフはもっと情けなく演じるべきですよね……もう一度だけ、お願いします。絶対にやりたいんです、この役を』
窓ガラスの向こう、エリカはこちらを振り返り深々と頭を下げる。
「そうですか……」
搦手かもしれない。悪手かもしれない。この役を絶対にやりたい人しかオーディションには来ないはずなのだから、わざわざそんなことを言うべきじゃないのかもしれない。
ただ、それでもエリカは真剣にお願いしていた。
その目は、誰をも説き伏せられそうなほどまっすぐだ。
「……では、もう一度どうぞ」
ふ、と微笑む音響監督。
『ありがとうございます!』
そう言って、もう一度エリカは同じセリフを言う。
『「ねえ……あんたの声は、アタシが作った曲を歌うための声でしょ? 他のやつの歌なんて歌わないでよ……!」』
彼女の演技にビリビリ……と鳥肌が立つ。
さっきの悠里は、強かった。
今の悠里は、強く見せようとしていた。
「ああ……そっか。悠里は本当は自信がないんだ。気付かされた」
シナリオライターさんが独りごちた。
「阿賀さん、繊細な幅の表現が出来るんですね……」
プロデューサーが音響監督に耳打ちした。
そして、俺は『事前に相談しとけよ……』と心の中で苦笑する。
おそらく、エリカはわざとやり直した。
最初にまずは『合格点の正解』を示し、二度目に『正解のその先』を見せる。その差を見せることで、解釈の深さと演じ分けの幅を印象づけた。
彼女はあの日に決めたのだ。
コネじゃない、実力で役を勝ち取る。
でも——そのためなら、なんだってする。
培った実力をどう見せれば一番刺さるかまで、彼女は考えている。
『ありがとうございます。ワガママ言ってしまって申し訳ありませんでした』
エリカはズルい。
でも、それは、かっこいいズルさだった。
セリフ審査のあとは、歌唱審査だ。
そこでは、凪と橘さんも、俺を驚かせることになった。




