第17話「後悔とか、戻りたいとかそういうんじゃないんだ」
「乾杯」
「……おう」
ジョッキをぶつけるとビールの泡が揺れて溢れそうになる。圭吾は「おっとっと」などといかにもおじさんみたいなことを言って口でキャッチし、「くぅー」とこれまたおじさんみたいな声をあげた。
「この一杯だよなぁ、やっぱり」
昔と変わらない調子で、——多分、努めてそうしているのだろうが、圭吾は口にした。そして、話題を探すみたいに店内をぐるりと見回す。
「それにしても変わんねーな、この店は」
「まあな」
下北沢にある赤ちょうちんの居酒屋・『都春』。
俺たちがバンドを一緒にやっていた頃、毎日のように通っていたこの店は、圭吾の言う通り、変わらない雰囲気で俺たちを迎えてくれた。
ただ、オーダーだけはQRになって、時代だな、とか思う。
「で、いきなりどうした」
このまま回りくどく差し障りのない雑談をしていても仕方ないので尋ねると、
「ま、そう思うよなぁ。あれ以来だもんな」
圭吾は苦笑いを浮かべる。
「怪しい水を買わされるんじゃないか、とか思った?」
「いや、そうは思わないけど……。でも、何か取引とか持ちかけてこないだろうな……?」
「取引? 何が?」
「何がって……明日のオーディションだよ。それで俺を誘ったんじゃないのか?」
「明日のオーディション? ……なんで颯太がそんなこと知って——って、ああ、そりゃそうか!」
そこで彼は本当に思い当たったように目を見開く。
「颯太、今は声優のマネージャーやってんだもんなぁ!」
「そうだよ……。え、今気づいたのか?」
「うん。颯太が声優のマネージャーやってることも知ってたし、明日うちの声優さんたちがオーディションに来ることも知ってたけど、その二つがあんまり結びついてなかった。そっか、そうなんのかぁ」
「そうなんのかぁって……。じゃあ、なんで今日飲みになんか誘ったんだよ」
「マジでたまたまだよ。久しぶりに話したいなって思って」
「なんだよそれ……」
なんだか力が抜けてしまう。それなりに緊張と覚悟をしてここに来たっていうのに。
「じゃあ、別に今日飲まなくても明日会えたのか。まぁでも酒は飲めないか。オーディションだもんなぁ」
「何ぶつぶつ言ってんだよ」
昔と変わらぬ物言いに、俺の頬はつい笑みをこぼしてしまう。
思い出した。圭吾はそんな腹芸が出来るやつじゃない。
出来るやつじゃないから、あの時だってあんなにストレートに俺に脱退をお願いしてきたんだ。
「……いや、でもまあ、オーディションは無関係ってわけじゃないんだ」
「え、そうなの? 今お前の素直さを心の中で褒めたとこだったんだけど」
「いやいや、マジで取引なんてのはないよ。颯太と声優がつながってなかったのもほんとだし。ただ……な」
そこまで言うと圭吾は口をへの字にもにょもにょさせてから、
「バンデシのおかげで、電話できたんだ」
と苦笑気味に言う。
「ずっと勇気が出なかったんだ。颯太に連絡したいと思ってたんだけど、あんなことをしたあとで、どんな顔して話せばいいか分かんなくて。でも、なんか明日のオーディションに向けて、オーディションテープ……っていうのか? あれを聞いてたら、なんか今話さないと後悔するなって思ってさ」
「……そっか」
思い当たる節がないではない。
今回、バンデシで新規で発足する作中バンドの名前は『リグレットリユニオン』。
中学時代に喧嘩別れした幼馴染たちが、高校で再びバンドを組む。そんな再結成の物語だった。
オーディションテープにはいくつか指定されたセリフを入れる。
指定のあったセリフの一つ、リードギター担当の少女・浅沼悠里役のオーディションテープにエリカが吹き込んだセリフに、
『アタシのこと許せなくてもいい。でも、アタシの貸したピック、返してよ。あれ、えっと……親の形見なんだ』
というものがあった。
浅沼悠里の親がどちらも健在であることは、相手のボーカルの少女も知っている。幼馴染だからだ。
つまりこれは、かなり無理をして「もう一度会いたい」と伝える大事なシーンなのだが。
「なんか、オーディションテープに心動かされちゃってさ。不器用なりにもう一度つながろうとするあいつらを、見習わないとって」
「……あっそ」
「冷てえなぁ。……そりゃそうだよな」
圭吾は座ったまま深く頭を下げる。
「……来てくれて、ありがとう」
その言葉には、『ごめん』も含まれているんだろう。
でも、謝るべきではないことは、圭吾も俺も分かっている。
謝ったりなんかしたら、あの日の選択が間違ってたことになるから。
「……いいっての」
「……ありがとう」
沈黙と気まずさと気恥ずかしさをビールで流し込んで、
「唐揚げ頼むか。レモンは抜きでってお願いしよう」
俺はそう言った。
「まだ根に持ってんのかよ。せめて別皿にしてくれ。自分のにだけかけるからさぁ」
「そう言ってお前はいつも勝手に全部にかけるんだ。『こっちの方が美味い』とか言って」
「だってそっちの方が美味いもん。美味い状態で食って欲しいんだよ」
「お前が作ったわけじゃないだろうが」
「たしかに」
圭吾がニヤリとする。
ふん、と鼻から笑いが溢れた。どうやら俺の口角も上がっているらしい。
そこから俺たちは昔話に花を咲かせた。
雪解けは思いの外、簡単だった。
取引を持ちかけられてそれを断って帰るだけのつもりだったのに、結局ラストオーダーをすぎ、閉店時間になって店員さんに2度目の催促を受けるまで俺たちはそこで話し続けていた。
「颯太、何線?」
「小田急」
「そっか。じゃ、ここで。おれ、歩いて帰るから」
店を出たところが俺たちの分かれ道だった。
「おう。それじゃ、」
——また明日。といいそうになってなんだか気恥ずかしくてやめる。
駅の方に向かうため、圭吾に背を向けると。
「……なあ、颯太」
「ん?」
後ろから声が聞こえて、振り返る。
「後悔とか、戻りたいとかそういうんじゃないんだ。そういうんじゃないから、リコシェじゃないんだけど」
「……?」
「おれ、ソロプロジェクト始めるんだよ」
「へえ……?」
なんで飲んでる間に言わなかったのに今さらそんなこと……と思った時、真顔で圭吾が言う。
「神山颯太。そのプロジェクトで、ドラムを叩いてくれないか?」




