第15話「あなたの期待だけは、裏切るわけにはいかないよね」
* * *
あたしの声優最後の日がやってきた。
そうくんが用意してくれたKOEフェスは、あたしの最後の舞台にしてはあまりにも豪華で。彼のマネージャーとしての矜持というか誠実さには、感謝しかない。
本当にありがとう。
彼の眼差しに灯っている『期待』に押しつぶされそうになるのも事実だけど、まあ、それも今日で最後だし。
感慨に耽る間もなく、あたしたちの出番がやってきて、入場のSEが流れる。
「亜香里さん、頑張りましょーねっ!」
「橘さん、穂波、やりきってきてください」
舞台袖でそうくんに見送られて、あたしと山田ちゃんは舞台に上がった。
「こんにちはー!!」「わー、すごーい!!」
客席には、見渡す限りにペンライトが光っている。
色とりどりの光を見て、今さら自分たちには、メンバーカラーがないことに思い当たった。
あーあ、あたし、結局何色にもなれずに終わっちゃったな。
でも、最後にこの景色が見られて良かった。
忘れないように、少しでも焼き付けておこう。
見回していると、そこに。
「え……?」
ペンライトと暗闇だけで出来上がった景色の中、客席にたった一人、認識出来るお客さんがいることに気づいた。
いや、そんなお客さんがいるわけない。
きっと暗闇の中に、幻影として見えてるだけなんだろう。
だって、そのお客さんは。
『……その眼鏡、懐かしいな』
——昔のあたしだったんだから。
オタク丸出しのあたしが、両手にペンライトを握って、何かすごいことが起こるんじゃないかって期待するように目をキラキラさせて、こっちを見ている。
『……ごめんね、あたし』
あたしは、心の中で彼女に話しかける。
『あなたの夢見たかっこいい声優アーティストにはなれなかったよ。『アイプロ』の舞台にも立てないままだったし、声優の仕事だって本名でやってるのに、アプリの相手にすら知られてないし』
苦笑い。
『全力でやるつもりだったんだ。ていうか、はじめは全力でやってたんだよ?』
言い訳にもならない言い訳を続ける。
『でも、全力を出しても、憧れには全然届かなくて。自分に期待をした分、自分に絶望して。だってさ、全力を出してダメだったら、それって、本当に無理ってことじゃん? そのうち、本気なんか出していないって自分に言い聞かせるようになった。中学生男子かってね』
彼女は情けない笑みを浮かべるあたしをじっと見ている。
その目は、残念そうでもなく、怒ってもない。
その目は、相変わらず輝いていて、その口が動いた。
「すごいなあ、舞台の上でキラキラして……!」
その時、今更、本当に今更。
やっと、一つ動かせない事実に気がついた。
『……そっか。あたしが自分に期待できなくなっても、あなただけはあたしに期待してたんだ』
あたしは、自分の口角が自然と上がるのを感じる。
少なくとも、舞台の上の今だけはとびきりにかっこいいあたしでいないといけないんだ。
だって。
『あなたの期待だけは、裏切るわけにはいかないよね』
イントロが始まり、あたしたちの1曲だけのステージが幕を開けた。
何しろ、持ち曲が少ない。ていうか、ない。
でも、それでいいんだ。もう最後なんだから、次の曲のことはもちろん、明日のことだって考えなくていい。
あたしは、全力でパフォーマンスをした。
最初はまばらだったペンライトの揺れが、サビに入る頃には大きな波になっていた。
誰かのために振られていた色が、少しずつ、あたしたちのリズムに乗っていく。
隣では山田ちゃんもキラキラとした笑顔と汗を振りまいていて。
……ああ、山田ちゃんはきっと、あたしが成りたかった誰かになれる。
一瞬に感じる時間が過ぎて、
「ありがとうございました!」
ライブは終わった。
これで、あたしのたった一度の舞台も。
どうだった?
と、彼女を見ると、
「え……?」
さっきまで真一文字に結ばれていた口が開いて、何かを叫んでいた。
「アンコール!! アンコール!!」
幻想じゃなかった。客席から大きな声が聞こえてくる。
フェスの、トリ以外にこんな声が上がるなんて、異例中の異例だ。
「亜香里さんっ……!」
山田ちゃんが嬉しそうにこちらを見る。
そして、あたしと同時に舞台袖を見ると、舞台監督が手で大きく丸を作っていた。――やってもいい、ってことらしい。
「ありがとうございます!」
山田ちゃんがマイクを通じて客席に向かって話し始める。そして。
「わたし、声優になれただけでも夢みたいで、こんな素敵なフェスに出られるのももっと夢みたいなのに、アンコールまでいただけるなんて……! また夢が一つ叶っちゃいました!」
その言葉に、あたしはハッとする。
そっか。
あたしも、もう叶えていたんだ。
初めて台本をもらった時。初めてマイクの前に立った時。初めてエンドクレジットに自分の名前が刻まれた時。
毎回あたしは「夢が叶った!」って、そう思っていたはずだ。
いつの間にか慣れて、当たり前みたいになってしまったこと。
夢が叶うと次の夢に向かって歩き出すのは当然のことなのに、それを『何者にもなれない』だなんて、謙虚に見せかけた卑屈で自分の本当の願いから逃げようとしていた。
『「諦める」なんて言っていいのは、全力でやりきった人だけだよ! 投げ出すだけのことを、いい思い出にしないで!』
葉月ちゃんは、厳しいなあ。
いい思い出にさせてくれたらよかったのに。
でも、それでも。
「——あたし、夢見た舞台にちゃんと立ってるんだ」
つい、あたしはオフマイクでそう呟いていた。
まだまだ望んでいた未来には足りない。
でも、振り返れば、あの日よりはずっと前に進んでいる。
でも、でも。やっぱり一番大事な夢は叶えていないんだから。
「ねっ、亜香里さん!」
山田ちゃんがあたしに話を振ってくれている。
きっと、あたしは『もう一曲やってもいいですか?』と言うべきだったのだろう。
でも、先走ってしまった心は、
「もう一度、やってみてもいいですか?」
そう、問いかけていた。
そんな、違和感たっぷりのあたしの言葉に、お客さんは、そして昔のあたしは、満開の拍手で肯定してくれる。
もう一度、やってみよう。
全力でやって、きっとまだそう簡単に上手くはいかなくて、転んで痛くて仕方なくて、傷は治らなくて。
それでも、そうでもしないと、『諦める』だなんて言うことは出来ないし、あの子に顔向けもできないから。
「では、もう一度、やらせてください!! 全力でやります!」
そしてもう一度、あたしたちは歌い始める。
どう、惚れた? と、舞台袖の彼を見てみたら、彼は目頭を押さえてあたしのことなんか見えてないみたいだった。
ばかじゃないの、そうくん。
客席のあたしと同じ顔してるよ。
ぼやけてにじんでいく景色の中、あたしは心の中で、ずっと言えなかったことを言った。
ねえ、そうくん。
ねえ、過去のあたし。
あたしに期待してくれて、ありがとう。
***
フェスの一週間後。
俺は橘さんに呼び出されて会社にいた。
目の前の橘さんは見透かしたような笑顔を浮かべて、俺をじっと見ている。
「そうくんさ、あたしに言わないといけないこと、あるんじゃない?」
「えっ……」
「あの日、月白ちゃんとカフェにいたでしょ?」
「あっ……!?」
気付いていたのか……!?
「すみません……すぐに出ようと思ったんですけど」
「いいよいいよー。それなら話が早いから。昨日、飯田さん……あの時に一緒にいた彼と会って、話したんだ」
「それで、結局どうなったんですか……?」
「オーディションは落ちたんだけどさ、お付き合いはしないことにした」
「そう、ですか……!」
俺は、もう迷わない。
「頑張りましょう、橘さん」
彼女が声優を続けてよかった、と思えるように導くのが、俺の選択だから。
「ねえ、そうくんがあたしをこの世界に残したんだよ?」
そして橘さんは俺の耳元に唇を寄せて、イタズラな声で囁く。
「だから、責任とってね?」




