第12話「あたし、この夏で仕事を辞めるかどうか決めようと思ってます」
「だんだん暑くなってきましたね。私が小さな頃は、30℃を超えたら猛暑という感じでしたが、ここ数年は35℃を超えないと猛暑とは呼べないような観があります」
「……だな」
ハンカチタオルで押さえるように汗を拭き取りながら、月白凪は小難しい言葉を使ってそんなことを言った。
とある祝日の午後3時、俺は凪と一緒にカフェにいた。
エンターテイメントを仕事にしている人間にとって、土日祝日は書き入れ時であり、休日ではないことが多い。もちろん声優だって例外ではない。
ライブや舞台挨拶などのイベントが多いのはもちろん、レギュラーで毎週○曜日の同じ時間からアフレコする仕事などについては、祝日を無視して進めることもある。放映日は、土日祝日を待ってくれないからだ。
前の仕事の終わりから次の仕事の始まりまで2時間半。一旦帰るでもない中途半端な時間をカフェで待つことにしたのである。
目の前でアイスコーヒーをブラックで飲む凪は、キャスケット帽とサングラスをかけている。
声優だって芸能人だし、彼女は一時期子役として有名だった『月白凪ちゃん』なわけだから、彼女が変装をするのは分かる。
分かるのだが、小柄な彼女が変装をしているのを見ていると、どうしても背伸びをしている感じがして微笑ましく感じてはしまう。
「……あの。『小さな頃は、とか言って、お前まだ小さいだろ』と思っていますか?」
サングラスの向こうの瞳がじとっと俺を睨む。
「そんなこと思ってませんよ?」
「はあ……目が泳いでいます。嘘をつくときに敬語になるなんて、誤魔化すのが下手過ぎです。仮にも演技をする人間のマネジメントをしているんですから、神山さんにももう少し演技力というものを身に付けていただきたいものです」
怒るかと思った凪は、出来の悪い弟の将来を案じるような顔つきでため息をついた。
「いや、そんなこと言われてもな……。そもそも、演技ってどうやって練習するものなんだ? 発声練習とか?」
「発声練習。ええ、それも大事でしょう。自分の演技を録画、録音して何度も見返すのも効果があります。しかし、どこでも出来る演技の練習がありますよ。もしかしたら、発声練習よりも大事な」
「ほう……?」
「人間観察です」
何度も頷いた彼女は小さな指で店内をくるりと指差しながら、視線を巡らせてみせる。
「結局、演技というのはその人間として生きるということです。しかし、当然ながら、私たちが生きることが出来る人生は1つしかありません。だから、周りの人々を観察するのです。例えば、あの方」
彼女は視線だけで少し離れた席に座っている30代くらいの女性を示す。
「なんだかイライラした表情をしているでしょう。では、どうしてイライラしていると思いますか?」
「さあ……?」
「あの人は腕時計を何度も見ています。それから、スマホを置いては取ってを繰り返しています。そして、スマホを置くときの音が段々大きくなっている。待ち合わせをしているのに、相手が一向に現れないのでしょう。親御さんでしょうか?」
「友達とか恋人とかじゃなくて?」
「今時、恋人やご友人との待ち合わせでカフェなんて入りますか? 早くつきすぎちゃった、とかならまだしも」
「それは、まあ、たしかに……」
「しかし、携帯電話が普及する前の時代はそれが当たり前でした。待ち合わせは、喫茶店でするものだったんです」
どうして俺は10歳近く年下に、俺すら生まれる前の常識を教えられてるんだろう。
「なので、待ち合わせの相手は、それが当たり前だった時代の方という可能性が高いです。休日に会うことになった年上の人、そしておそらくはスマホをちゃんと見ない方……となると、かなり限定されることになります。昔の恩師か、自分の親か、その程度でしょう。もっというと、来なくてハラハラするならまだしも、イライラするなんて、それなりに身内である可能性が高いでしょう?」
「なるほどねえ……。……あのさ、それって、演技っていうよりは小説家とかの技術なんじゃないのか?」
「小説。言い得て妙です。私が言いたいのは、人、一人一人にそれぞれの物語があるということです。その主人公の気持ちに寄り添い、その気持ちの時にどんな行動を取るのか、最もリアルなことを知ることが出来るのが人間観察だと、そう言いたいわけです」
「なるほど」
「では、神山さんも。次にお店に入って来た方がどんな人でどんなことを考えているかを推測してみましょう」
「やんなきゃだめか……? ていうか、次に入ってくる人って、ここからじゃ見づらいだろ」
カフェはファミレスみたいに席と席の間に座高より少し高めの曇りガラスの間仕切りがあり、ここから入り口を見ようとしたら腰を浮かせないといけない。
試しに2人して入り口を見ていたところ、
「……!!」
ちょうど入店して来たその人にあわててまたしても2人して腰を落とす。
「大変です、神山さん」
凪は目を見開く。
「橘さんが入ってきました」
おれは頷きを返す。
「しかも、男性と……!」
「見たら分かるよ」
俺と凪は小声で応酬する。
「一緒に入って来た男性はどなたですか」
「俺に聞くなよ」
「見たら分かるって言ったじゃないですか」
「なんでもは分からないだろ。分かることだけだ」
そんな話をしているうちに、橘さんと男性は俺たちの仕切り越しの隣のボックス席に座った。
「いやあ、改めてこんなに素敵な方とアプリで出会えるなんて、いまだに信じられないくらいで……」
「あはは、そんな。毎回言っていただかなくてもいいんですよー」
……なるほど、マッチングアプリだか婚活アプリで出会った相手とのデート、それも、『毎回言っていただかなくても』と言ってるということは何回目かのデート、ということか。何回目か、ということは、お互いに少なからず好意を持っているということだろう。敬語同士だから、打ち解けきっていないか、年齢の差があるのかもしれない。
……いかん、凪の考察癖が伝染してる。
こんなことをしてる場合じゃない、なるべく早く、気づかれないように離れないと、と俺が伝票を手にしようとすると、その手首を小さい手に掴まれる。
「ダメです」
「いや、出るぞ」
俺は腰を屈めたまま、凪に小声で言う。
「いえ、ダメです。これはチャンスです。大変興味深いです。アプリで出会った男女がどんな声色でどんな会話をするのか……。演技の肥やしになります」
「おい、演技バカ」
「バカで結構です」
「そうじゃなくて。知り合いのそんな話盗み聞きするわけにいかないだろうが。ほら、他のカフェに連れて行ってやるから。アプリで会った2人の会話なんてどこでも聞けるだろ」
「嫌ですと言ったら嫌です。私はテコでも動きません」
サングラス越しでも眩しいほどの輝いた瞳。おいおい……。
「……はあ」
俺は諦めて、せめて聞かないようにと、イヤフォンを取ろうと鞄を探る。
「亜香里さん。結婚を前提に、お付き合いしてほしいんです」
ほら、聞くべきじゃなかった。
と、その時。
「あたし、この夏で仕事を辞めるかどうか決めようと思ってます」
その言葉に、つい、手が止まる。
仕事を、辞める?




