第11話「もう、 全力で走って転んだ傷が治る年齢じゃないんだよ、あたし」
「ねーねー、そうくんって彼女とかいるの?」
「なんですかいきなり……」
俺の席に来た橘亜香里さんが、取りに来た台本を受け取るなりそんな質問をしてきた。
「わー……大人の会話って感じですねえー……!」
「どこがよ!? ていうかあんた、何よその質問! 事務所で婚活するとかどうかしてんじゃないの?」
「ええ、阿賀さんの言う通り、その質問は無意味です。マネージャーと担当声優が付き合ったり結婚したりすることなんてありえないのですから」
「アタシはそこまでは言ってないけど……」
「はい?」
「はぁ?」
「どうしてお二人が険悪になるんです……?」
女4人集まれば姦しいのさらに上だ。
橘さんだけではなく、穂波、エリカ、凪もそれぞれ台本を取りに来ていた。
「で、」
と、橘さん以外の3人の声が重なり、
「彼女いるわけ?」
「どうなんです?」
「いらっしゃるんですか?」
それぞれが同じことをそれぞれの訊き方で訊いてきた。
「いないけど……ていうか、凪まで訊いてくるのかよ」
「別に神山さんにお付き合いしている人がいるか自体が気になっているわけではありません。しかし、私にはそういった経験がないものですから。仕事上、恋愛をしているキャラクターを演じることは多いと思うんです。そういった場合に、私にテープ録りのディレクションをしている神山さん自体の恋愛経験の豊富さだったりその感情を読み取る力があるのか、ということを知っておくことは意味があると思うんです。何か間違っていますか?」
「すごーい凪ちゃん! そんな早口の長文、よく噛まないで言えるね!」
いや、そこじゃないだろ。ちょっと煽ってるみたいだし。
「やっぱりみんな気になってんじゃんー。なんであたし最初怒られた?」
3人に話題を奪われていた橘さんが口を尖らせた。
「あんたの場合、婚活してます感がにじみ出過ぎてんのよ」
「ひどーい。ていうか、それはエリカちゃんもでしょー? 婚活っていうか、恋活?」
「は、はぁ!?」
エリカの顔が、ぼんっと音を立てて赤くなった。怒らせないでほしい……。
「あの、阿賀さん。あなたの声はよく通るので、大きな声を近くで出さないでください」
「~~~~~! もういい、アタシ帰る!」
何かを不利に感じたのか、エリカは執務室を飛び出していく。
「では、私も失礼いたします」
「あ、わたしも! 凪ちゃん、駅まで一緒に行こうよ!」
対してあくまでもクールな凪と、フレンドリーな穂波が続く。
一人残った橘さんが「あははーにぎやか」と笑いながら、俺にもたれかかるように体を寄せてきた。
「いやー、そうくんにもらってもらおうかと思ったけど、思わぬ障害があるなー」
「何言ってんですか本当に……。そういう冗談言ってるからエリカに婚活とか言われるんですよ」
「いやいや、婚活まじで大変だからね」
くわ、と顔を怖くして俺を睨む橘さん。
「同い年なんだから分かるでしょー? もう売り時のピーク超えたんだってば」
「俺は婚活の大変さの話をしたいわけじゃないんですけど……」
彼女とは同い年だ。同い年だからこそ、2人がため口同士で話していると妙な勘ぐりを受けたり、距離感が近くなりすぎてしまうことを懸念して敬語を使うようにしている。
「それに、今時28歳で独身とかザラですよ。うちの会社の人なんてほとんどそうだし。というか、橘さんなら大変ってことも……いや、なんでもないです」
「今、『美人で声も可愛くて性格もスタイルも良い橘さんならモテまくりの引く手あまたの酒池肉林でしょう』って言おうとしたね?」
「そこまでは言おうとしてませんが」
「それがそうでもないんだよねー。婚活アプリとかで会いもするし、最初はそれなりに興味を持ってくれるんだけどさ」
「じゃあどこに障害が?」
「声優だってこと隠してるから、結局28歳独身のフリーターってことになるじゃん? 怪しい勧誘か何かだと思われて帰っちゃうんだよー」
「なるほど……」
話がひと段落して、なんとなく無言の時が流れる。
……ていうか、どうして橘さんだけ残ってるんだ?
改めて彼女を見やると、何かを言いたげにもじもじしているように見える。
「えっと……橘さん?」
「あの、さ? そういえばさ、せっかく来たついでに、ほんとただのついでにちょっと聞きたいことあるんだけどね?」
「なんですか?」
「あの……こないだ受けたオーディションってどうかな? 『アイプロ』の新作の……通ってる?」
「ああ……あれなら、最後の2人に残ってますよ」
「そっか……!」
嬉しそうに顔をほころばせる橘さん。
しかし、すぐに元のどこか達観したような微笑みに戻る。
「……まあ、一応ね。期待してはないけどさ? どうせもう片方の人になっちゃうだろうから」
「そんな……気持ちで負けてちゃダメですよ。全力でやらなきゃ出来るもんも出来ませんって」
「あはは、そうくん、同い年なのに熱いなー」
彼女はうつむいて、ぽそりと呟いた。
「……もう、全力で走って転んだ傷が治る年齢じゃないんだよ、あたし」
* * *
台本をもらった足で、あたしは秋葉原に来ていた。
駅の近くのアニメ専門ショップは、1階が丸々『アイドル・プロミス』のコーナーになっていて、そこには毎週のように新しいグッズが入荷される。
『アイドル・プロミス』。通称アイプロは、超王道のアイドル育成ゲームと、それを起点とするアニメ、舞台、コンサートを含んだ2.5次元のプロジェクトだ。
この『アイプロ』ショップに通うのは、かれこれ10年以上も続くあたしの習慣になっていた。
『アイプロ』との出会いは、大学時代に友達に連れていかれたアニソンフェスだった。
社会現象になったアニメだったから存在は知っていたものの、生で見た彼女たちの迫力はものすごかった。
特にあたしの目を引いたのは、センターの神薙葉月ちゃん役の宮本由佳さんだった。
元気印の役の彼女は、歌っているとき、踊っているときはオレンジ色の光でキラキラしていて。でも、宮本由佳として話すMCの時には、ハッとさせられるような深いことを言ったりする。人間の魅力がぎゅうぎゅうに詰まったような人だった。
当時あたしよりも4,5歳上だったから20代前半だったと思うけど、それでも歌って踊る様はまさしく女子高生アイドル・神薙葉月。
「すごいなあ、舞台の上でキラキラして……!」
オタクたちの歓声にまぎれて、あたしはついそんなことを呟いていた。
あたしは彼女のとりこになっていた。ライブに通い詰めているうちに、一つの思いが生まれた。
――あたしも、あの舞台に立って、あんな風に輝いてみたい。
スタートするには、遅いと思った。もうあたしは22歳になっていて、一般的なアイドルは25歳定年説なんて言葉がまことしやかに囁かれるような業界だ。
でも、声優としてなら……そんなことを思いながらのライブからの帰り道、ゲームアプリに新エピソードが届いたので進めていたところ。
『「諦める」なんて言っていいのは、全力でやりきった人だけだよ! 投げ出すだけのことを、いい思い出にしないで!』
葉月ちゃんが、珍しく怒っていた。
そうか、始めてもいないのに、諦めるなんて駄目だよね。
そう思ったその時――偶然は重なるものだけど、『ツキダシエンタ声優オーディション開催!』のバナー広告が表示された。
年齢制限、23歳まで。
これが最後のチャンスだ。
そしてオーディションを通過、合格して……。
……そして、何にもなれないまま、28歳になってしまった。
ショーウィンドウの中に貼られたポスター。年を取らずに輝き続けるアイドルたちを羨望のまなざしで見ていると、ふと、窓に映った自分に焦点が移る。
当然のことだけど、あの頃よりは確実に年を取っていて、いらない深みなんか増して、その分未来がないことも知っている。
アイプロの新シリーズは、あたしがデビューしてからの数年でもいくつか始まっていて、あたしよりも後にデビューした若い子たちがどんどんアイプロの舞台に立っていく。
そりゃそうだ。同じ実力なら、若い子を選んだ方がいいに決まってる。
一日ごとに、あたしの立っている場所は狭くなっていく。
昔やったパーティゲームのミニゲームみたいに、ステップアップしてステージを変えられなければ、このまま脱落してしまうんだろう。
ちょうどこの間まではそんな風に悲観的になるばかりだった。
でも、今は希望が――ほんの少しだけど、ある。
『最後の2人に残ってますよ』
もしかしたら、アイプロの舞台に立てるのかもしれない。
ずっと見ていた夢が、叶えられるのかもしれない。
きっとこれが、最後のチャンスだ。
* * *




