1-5 電車の中で母親に「怒鳴る」までするおっさんは、珍しい
それからしばらく経過し『女性解放のための文学賞』の最終選考が終わった日。
夕暮れに二人の男が工場の庭で煙草を吸いながら談笑をしていた。
「おい、イーノス? 帰りさ、久しぶりに飲みに行かね?」
「え?」
彼は工場で働いている同僚にそう声をかけられた。
この男は東欧からの移民二世であり、共に非正規雇用で働いている身だ。
「なんか最近忙しかっただろ? たまにはパブでビール飲みたくなってきてさ。」
「いいじゃん、ちょうどお給料も出たばっかだし! けど、ちょっと待ってね、母さんに連絡するから」
そういうとイーノスはスマホを開いて母親シャーロットに『今夜は晩御飯要りません』と連絡を送った。向こうから了承の連絡が来たのを見て、イーノスは同僚に笑みを見せる。
「よし、これで大丈夫。いこっか」
「ああ」
そして彼らは夜の街に繰り出していった。
ーーーーーーーーーーーー
彼らが訪れたパブは、いわゆる現代的なチェーン店とは異なる古風な個人商店だった。
薄暗い店内で、やや乱暴な態度の店主がバーガーやフィッシュアンドチップス、そしてビールを安価で提供してくれる。
「らっしゃい。……なんだ、あんたらか。いつものでいいかい?」
「うん!」
ありていに言えば『男のための社交場』というイメージであり、若者が入るにはやや敷居が高い印象を与えるような店舗。実際店内にいるのは中高年の男性ばかりだった。ご丁寧に店内には年代物のピンボールもある。
「ぷは~~~~! やっぱ、ビールはこうじゃないとな」
同僚はダン! とジョッキをテーブルにたたきつける。イーノスはその様子を楽しそうにニコニコと眺めながら、ビネガーをかけたポテトを一本咥えながら苦笑した。
「うん。……昔さ、日本で売れているっていう『発泡酒』っていうのを飲まされたんだけどさ、あれは本当に苦手なんだ。シュワシュワするけど、味が薄く感じてさ」
「だよな、分かる! やっぱ、どっしりしたボディがないとな!」
「そうそう!」
二人は労働の後で空腹だったのだろう。フィッシュアンドチップスを一気に平らげた後、追加でフライドチキンを頼んだ。
「……けどさ、最近は仕事の調子も上がってきて助かるよな」
「うん。やっぱりさ、シーリアおばさんが戻ってきてくれたのが大きいよね」
シーリアおばさんというのは、彼らの工場で中核となって働いている女性工員だ。
元々は社長の妻として経営側にいたが、現場仕事の方が性に合っていたらしくリーダー的存在として周囲からは扱われている。
彼女は先日労災事故を起こしてしまったことで作業効率が大幅に落ちていたのだが、今秋から復帰したこともあり、イーノスたちも余裕が出るようになった。
「けど、やっぱ労災は怖いよな……シーリアさんも、指を切っちゃったし……」
「……そうだね……僕らも気を付けないと」
労災は彼らにとっては日常茶飯事だ。
だが、それでも実際に現場に遭遇するのは彼らにとってもショックは大きいのだろう、二人は不安そうな顔を見せた。だが、同僚はすぐに気を取り直して追加のビールを注文する。
「ま、辛気臭い話してもしょうがねえ。そういえばお前さ、この間小説書いてるって言ってただろ? あれどうなったの?」
「小説? なんだっけ……」
そういわれて一瞬イーノスは首を傾げる。同僚は少し呆れたような表情で頭を搔きながら尋ねた。
「ほら、あれだよ。何だっけ。女性のための文学賞……だったっけ? なんか投稿するって言ったじゃんか」
「えっと……ああ、思い出した!」
イーノスはポン、と手を叩きながら叫んだ。
彼は極めて忘れっぽい気質だ。そのため小学校の時にはよく忘れ物をして怒られていたことを同僚は思い出した。
「あったね、そういえば!」
「ったく……。お前、忘れてたのかよ? 投稿が終わったとき、やたらテンション高かったのに」
イーノスは小説を全部書き上げてから、まとめてその作品を投稿するタイプだ。
そのため、自作の感想欄に投稿されている内容なども全く感知していない。少し恥ずかしそうに、イーノスはグラスに視線を落とした。
「アハハ……。最近ゲームが面白くってさ。小説サイトも見てなかったな。帰ったら確認してみるよ」
「ったく……。まあ、お前みたいな非モテ野郎が書いた作品なんか、予選落ちだろうけどな」
「あ、酷いな! 自分は奥さんに逃げられたくせに!」
「女の子の手を握ったこともない、お前に言われたくねーよ、バーカ!」
「バカとは酷いなあ……。まあいいや、もう一杯頼んじゃおっと」
イーノスは男子校の出身であり、女友達が今までいたことがない。
イギリスの田舎では、彼はそのことでからかわれることも多かったが、元来温厚な性格もあり、イーノスはいつも笑って済ませていた。彼はごくごくとビールを飲んだ後、ジョッキを置いて少し寂しそうに苦笑する。
「まあさ、確かに君のいう通り、僕の作品は予選落ちなのは違いないだろうけどね」
「だよな。……ところでお前さ。全然恋愛経験ないのにどうやって女性小説を書きあげたんだ?」
彼はフェミニズムという言葉を使うことに抵抗があるのだろう、常に『女性小説』という言い方をしている。
「え? そりゃ、昔にSF小説を書いたときと同じだよ」
「SFか……」
同僚は呟いて、パブの隅に貼ってある古い映画のポスターを見た。
それは古き良き時代の『大作映画』とも呼べるものであり、彼も小さい時に母親にねだって、連れていってもらったものだ。
フライドチキンをかじりながらイーノスは続ける。
「とにかく読者の好きな言葉を調べて、それを徹底的に作品に盛り込んだんだ」
「ああ、タイムパラドックスとか、量子力学とか、シュレディンガーの猫とか、そういう用語か」
「そうそう! それで、読者の人たちがイライラするような悪役を出してさ。そいつは『ああ、スカッとした!』って思えるような、ぶっ飛ばされかたをするんだ」
「イライラするような奴?」
「『電車の中で赤ん坊に怒鳴るおじさん』とか、そういうのだよ。まあ、僕はいままで生きてきて見たことないけどね」
ビールをもう一口飲んだ後、イーノスは不思議そうに呟く。
「勿論、子どもを睨んだり小声で文句をいったりする人は見たことあるけどね」
「そういや確かに、俺も実際に怒鳴るまでする奴は見たことないな……。ネットでの報告はなぜか、よく聞くんだけどな。けど、大勢人がいる満員電車で泣いてるはずなのに、なぜか『目撃者も投稿する人も、なぜか一人だけ』という怪現象が起きるんだよな、あれ」
カウンターの奥で店主の妻が泣いている赤ん坊をあやしているのを見ながら、同僚もそう皮肉っぽく笑みを浮かべる。
「けどさ、そんなネット記事の寄せ集めなんて、選考で読まされた奴は、たまったもんじゃねえな」
「酷いなあ。一応僕なりに頑張ったんだよ。読者の皆が『これ、私じゃん!』って思ってもらえるように工夫したしさ。それに……」
「それに?」
「審査員の人に喜んでもらえるようにさ。『現代の欧米が、世界で一番素敵な場所と時代なんだ!』って気持ちよく思えるようになることも、バッチリ意識したから!」
「へえ。けど、若い女とろくに話したこともないお前がやってもな。きっと誰も見てねーよ、その作品」
「アハハ、そうだろうね……。まあ、楽しかったからそれでもいいんだけどさ」
因みに同僚はイーノスの書いたSF作品は読んだことがない。
まあ、素人でしかも顔見知りの小説を『読みたい! 読ませて!』という人はレアだろうが。
「けどさ、大賞作が出たらさ、一緒に読書会でもやろうぜ? まあ女性小説なんて俺たちには縁のない世界だけどさ、たまにはそういうのも悪くねえし」
「うん、そうだね。それじゃ、残念賞の前祝いってことで、乾杯!」
イーノスは屈託なく笑ってジョッキを掲げた。
先ほど彼を『非モテ』扱いしたことに後ろめたさがあったのだろう、同僚はニカッと笑いながら同じくジョッキを掲げる。
「よし、それなら今日は俺のおごりだ! 代わりに大賞取ったら、最高の店を予約してくれよな!」
「勿論! なんなら店のお酒、全部買い取ってあげるよ!」
二人はそういいながら、新しく注文したビールのジョッキをゴン、とぶつけ合った。




