3-1 事件後、書籍は大ヒットになった
それから数カ月が経過した。
「なあ、読んだ? イーノス・ソーカルの小説!」
「ああ。面白かったよね。ネットのバズワードを集めまくってるけど、話自体普通にいいよな」
「だよね。けど、男がああいう女性目線の小説を書いたってのは正直気に入らないかなあ……」
「ハハ、気持ちは分かるよ。けど、それも含めて名作だってことだろ?」
結局、文学賞の大賞をお人好しのイーノスは固辞した。ただし、ヤンガも彼からのおさがりの大賞を辞退したため、事実上今回は『大賞なし』となった。
だが表彰式の時に大騒ぎになったことがきっかけで、彼の作品は全世界に知られることとなり全世界で書籍化した。その様子を見ながらエレーナはゆっくりと街を歩きながら少しだけうらやむような気持ちになった。
道行く人が何人もイーノスの小説を手にしているのを見てエレーナは、キッチンカーの隣でスムージーを飲みながら呟く。
「やれやれ、やっぱり凄いねえ……。こういう形で本が売れるのは感心しないけどねえ……あんたはどうだい?」
「正直私もあまり嬉しくはないですけど……。けど、それでもエレーナさんに会いに行けるだけの印税を稼げたのは嬉しいですよ?」
「そうかい? ……ま、そう言ってくれるなら私も嬉しいけどねえ」
エレーナの隣には、アメリカ旅行に来ていたヤンガが嬉しそうな表情を浮かべながらチョコアイスを食べていた。
彼女の作品も先の事件の余波で名が知られるようになったことにより、印税が大幅に増えたため、エレーナに会いに来ていたのだ。
「そういえば、あの時に色々ポリーさんの悪事を訴えていたスージィさんや、他の人たちたちはどうしているんですか?」
「ああ、相変わらず裁判で争ってるみたいだね。ポリーの奴、詐欺まがいのやり方で金儲けしていたのと、パワハラで相当おいたが過ぎたみたいだからさ」
「へえ……けど、裁判が終わったらみんなどうするんでしょう?」
「ああ、一部の子は私のところに来たからさ。こういう本を渡しといたよ」
エレーナが見せたのは、様々な資格の本だ。ただし、いわゆるオフィスワークではなく酪農や運送業、革職人やワイン職人など『需要が絶対的に不足している職業』だ。
「こういう仕事ってキラキラはしていないけどさ。死ぬまで夫に甘えずに一人で自立するんなら、昔っからこういうのがいいって思うからね。AIとかいうやつらも、こういう仕事は奪えないし、さ」
もっとも、彼女が勧める職種には、フランス人のエレーナの好みも多分に含まれているのは言うまでもない。とはいえヤンガは感心しながら頷いた。
「へえ……。けどなんでこういう本をポリーさんは勧めなかったんでしょう?」
「決まってんだろ。信者が『消費』しないからだよ。化粧品を買ってくれない、スーツも買ってくれない。エンパワメントの講座にも出てくれないだろ? つまり、ポリーみたいな奴には都合が悪いのさ」
「消費、ですか……」
「そ。ポリーは女性の自立なんて言ってたけどさ。本当は誰より『女性に依存してほしかった』って思いを持っていたのかもねえ。居場所がない奴ほど、誰かに依存してもらいたがるから」
「…………」
勿論、ポリーのやり方そのものを批判するつもりはヤンガにはなかった。
ポリーのビジネスが、本当に現在を肯定して互いに支え合える、女同士の絆を確かめあうサロンだったら寧ろ理想の者だったといえるからだ。
オフィスワークで必死で働く女性たちが、たまの休みにサロンでお茶を飲みながら、上司の悪口を言い合う居場所、それ自体はヤンガも憧れていた。
だが古い価値観を持ち、それを自覚もしているエレーナには、そのことを伝えずに言葉を呑み込んだ。
「それじゃ、あんたも頑張んなよ。あのイーノスの坊やに負けないようにね」
「はい! 次の大賞は絶対とります!」
イーノスは事件の後、責任を感じてペンを置いてしまった。
そのことをエレーナは気にしていており何度も連絡をとっているが、今のところは作家業に戻ることはないと言っていた。
そのことを少し気にしながらも、エレーナはベンチから立ち上がるとヤンガに別れを告げた。




