2-6 ポリーのビンタとイーノスの涙
「うう……痛いよ……」
もんどり打って尻もちをついたイーノスは半泣きの表情で頬を抑えた。
「あなた達男は、またそうやって私達女性から居場所を奪うっていうの?」
憤怒の表情で胸ぐらをつかみ上げるポリー。
長身な彼女がそうやって凄むと、イーノスが小さく見えるほどの迫力があった。身震いするようにイーノスは震える声を絞り出す。
「ぼ、僕は別に……そんなつもりじゃ……!」
「私たちはねえ! ……昔は女ってだけで文学界からつまみ出されていたのよ! そして男ってだけであなたたちは下駄を履かされてきていた! そのせいで花開かなかった才能がどれだけあるっていうの?」
「そ、それは……」
「そんな時代にあなたは戻した! しかもマイノリティですらない、健康な白人男性のあなたが! どれだけ私達から文化を奪えば気が済むの?」
凄まじい勢いでまくし立てるポリー。周囲の客は複雑に表情をしながらも、どこか顔はほころんでいる。
「すご……おっさんがボロボロにされてる……」
「つーかあのおばさん、怖すぎ! ……まさか、文学賞でこんなショーが見れるなんてね」
無論彼女の発言にも一理あるというのはあるだろう。
だが一番の理由は、リアルな暴力と暴言のショーを観たいという悪趣味な動機によるものだ。
思わず彼は審査員席にいた唯一の男性である男性学のサカヨリ教授に助けを求めるような視線を送った。
「け、けど...そこのサカヨリ教授さんだって女性小説は書いてたよね……」
だが、サカヨリ教授はポリーの子分だ。彼をフォローするような様子を見せず、それ以上にポリーからの反論を恐れてバツが悪そうな表情で目をそらした。
一方のポリーは動じない様子で、むしろ無知で哀れな人間を蔑むような表情で答える。
「確かにそうね。彼もね。かつては女性を苦しめて、そんな『有害な男らしさ』が自分自身をも傷つけてきたことに気づいた人よ。そのことを反省して、素敵なフェミニズム文学を書いたこともあるわ」
「じゃあ……」
「けど彼はあなたみたいに、女性限定の賞に出てあさましく大賞を奪ったりしない。そして何より、あなたのように面白半分な、いい加減な動機でフェミニズム小説を書いたりしない。真摯に女性の苦しみに向き合って書いていたのよ!」
「そ、そうか……。もっと悩みながら書かなきゃいけなかったんだね……僕は……間違っていたんだ……」
イーノスは単純な男であり、言われたことを素直に受け入れてしまう。
もっともそのせいで金をだまし取られたことは枚挙に暇がない。そのせいで彼が同僚から何度も呆れられることも多かった。
彼が打ちひしがられて頭を下げる様子を見て、ポリーは思わず表情をほころばせた。
「ふん、分かったようね自分がどれほどのことをしたのか!」
大の男を『断罪』して頭を下げさせ、自らの正義を受け入れさせる。
この行動は、強いドーパミンを放出させる。
「あ、あの……もうその辺に……」
「大丈夫よ、私に任せて」
ポリーはとどめとばかりに隣で二人の様子を心配そうに見つめていた若い黒人女性の肩を叩きながらそう笑いかけた。
彼女は、今回の大会で準大賞を受賞した、16歳のタンザニア人だ。
「あなたがいなければ、本当はこの子が大賞、つまりあなたの席にいたのよ」
「え……?」
そういいながらポリーは彼女の隣にそっと立ち、同情するような表情を見せながら会場の全員に聞こえるような声でゆっくりと語りかける。
「彼女はね? 幼少期に義父から酷い虐待を受けていたの。それはもう酷くて、ここでは言えないほどにね」
「……そう、だったの?」
「あ、あの、その話は……!」
彼女がそう止めようとするのも聞き入れずにポリーは続ける。
「それで、その原因にある家父長制ヘの怒り、そして中学を出るまでに無償労働をやらされ続けた、家畜同然の扱いへの怒り……。何より平和への願い! そういう思いを全部この作品『牛に引かせた私の誇り』に載せたのよ! 実際、素晴らしい作品だったわよ」
彼女の作品は、イーノスのものと違いすでに書籍化されている。
両隣にいたエヴァやニコラも、黙って頷いていた。
「そんな可哀そうな彼女が大賞を受賞して、タンザニアみたいな悪夢のような男尊女卑の世界からアメリカに脱出するための資金を得る機会がこの大会だったのに! それをあなたは奪った! ……そんなあなたは泥棒と言わずしてなんというの?」
彼女のその剣幕に、会場はシン、と静まり返った。
タンザニア人の彼女は、ポリーの発言に対してどこか憮然とした表情を見せながらも、頷いた。
そして次の瞬間。
「うわあああああ! ……僕は……僕は……! なんて、なんて酷いことを……!」
イーノスはポリーの話を聴いて、ぽろぽろと大粒の涙を流しながらその場にへたり込んだ。全く単純な奴である。
「そう、男だって泣いていいんだ。……イーノス君も目覚めてくれたようだね」
先ほどまでは他人のふりをしていたサカヨリ教授だったが、その様子を見るなり得意そうな表情で彼にそう語りかけた。男性学の教授である彼が『男だって泣いていい』という言葉をいうのは、決まって『女性に負担がない時』だ。
「うん……。そんな可哀そうな子に僕は酷いことをしちゃうなんて……! よし、分かった! ……えっと、お姉さん。名前はえっと……」
「え、私? えっと、ヤンガです……」
彼は鼻水が少し垂れているのをぬぐおうともせず、司会の女性にも深々と懇願するような表情で頭を下げながら、彼女が脇に抱えていた10万ドルのプレートを手に取った。
「僕は……ヤンガさんに大賞は譲ります。僕の賞金10万ドルも全部彼女に差し上げてください」
「は……?」
「皆さんの大切な場所を荒らして、ほんとうにごめんなさい。悪気はなかったんです……僕はお金は要りません……どうぞ、ヤンガさん。本当の大賞はあなたです……」
「ち……ちょっと!」
そういって、彼がそれを渡した時、もはやコメントはお祭り騒ぎだった。
『ひでえwww女さん、負けたのが悔しくて男性から大賞はく奪かよwww』
『絶対、過去の大会も男が出たらこうなってたろwww 良かったよね、実力が足りないのに大賞取れて!』
『イーノスとかいうクソオス、最低! 絶対わざとやってるでしょ!』
『これで女性の文学賞がまた一つ潰されたか……男ってほんとクズ!』
『だよね! けどさ、ポリーのやり方、まんまパワハラじゃん! ……もしかして、あれって常習犯じゃね?』
『そういえば聴いたことある! マリアの雫って団体で有色人種に酷いパワハラしてたって!』
『うわ、それマジ!? もう彼女のファンやめるわ! 幻滅した!』
やはり後半のコメントは、サナ達による裏工作があるのは言うまでもない。
工作班の彼女たちにとっては、イーノスがどうなろうが、ヤンガが大賞を取ろうが、関心はない。
だが直情的なところがあるポリーが、イーノスに暴力をふるうことは彼女たちの計算の内……というより実体験からくる確信があったため、少しでも騒ぎを大きくするべく、コメントで周りを焚きつけていたのだ。
そしてイーノスは舞台の中央でぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ、僕は帰ります。授賞式、楽しんでください……」
そしてざわざわとした喧騒に包まれる中、申し訳なさそうにイーノスが壇上から降りようとした、その時。
「ちょっと待ちな!」
そう大声を出したものがいた。
大御所のフェミニスト作家、エレーナだ。




