第2章 第48話 商人の鑑定
煙となった妖亜の口角が吊り上がる。
術式が呟かれた。
「《亡骸の片割れ》」
瞬間、妖亜の身体が二つに割れた。
身体を構成する紫の煙が左右に分かれ、そして――。
ばらけたそれらが、また分裂をする。
一体が三体に。
三体が九体へ。
自らの分身体を増やした妖亜が、僕を取り囲む。
「そんなに劣等品を作り出して、どうするつもりかな」
僕は目を光らせる。
この〈邪神族〉ノワールの、いや〈勇者〉灰から継承した眼の能力――。
《魔眼》で、九体の妖亜を見据えた。
僕は複数の《魔眼》を発現させている。
そのうちの一つが。
――《深純の魔眼》。
これは、対象の本質を解析する《魔眼》だ。
物体を伴った存在や実体の無い無機物など、あらゆるものを見通し、底を暴き出す。
《深純の魔眼》で見た妖亜は、どれも本人と同量の魔力を纏っており、魂の質に大小が無かった。
全部、本物にしか思えない。
《深純の魔眼》でも、簡単には見分けがつかない。
「手厳しいですねぇ~、ノワールさんは~……」
しかし、と妖亜。
九体の中の一体が、ニンマリと笑った。
「虚勢を張っている余裕があるのなら、《権能》を使ったら如何ですか~? 貴方の眼は役に立たないようですし~」
こちらが《深純の魔眼》を宿していること。
それで解析をしようと試みたことを、妖亜は読んでいた。
だが、僕は《権能》は行使しない。
妖亜を見上げて言う。
「なに、そんなに僕の《権能》が見たいの? メフィストテスにでも頼まれた? 〈邪神族〉に転生をしたノワールの力を探ってこい、ってさ」
「……さあ~? どうでしょうねぇ。そうかもしれないしぃ~ そうじゃないかもしれませんね~」
――フフフフ。
と、妖しい笑みを顔に貼り付けた妖亜。
「まあ、私としては~……ノワールさんが〈邪神族〉に転生しようがしまいが、どうでもいいのですよ~。私は商人であって、どこぞの偽善執行者様ではないのでぇ~」
「じゃあさ、お願いがあるんだけど……良いかな」
「ええ~、どうぞ~」
「メフィストテスには、こう伝えておいてよ。僕はただ、平穏無事に今世を満喫したいだけ。君達〈魔王〉に歯向かう気もなければ、迷惑もかけない。……だから、僕のことは放っておいて、とね」
僕はいま、冒険者をやっている。
この先、どういう人生を歩むかは不透明だが、しかし目下は冒険者稼業で日銭を得ようと思っている。
『私との約束も忘れるなよ』
と、メノア様。
勿論ですよ。
僕は記憶力が良いので、しっかりと覚えています。
この異世界レネイストを、メノア様の遊び場に改造する、でしょう。
『分かっているならいい、物忘れクソジジイ。その高貴な野望を忘れないよう、毎朝起きたときに復唱しておけ』
顔洗ったり歯磨きしたりで忙しいので、そんな無駄口を叩いている時間はありません。
残念なことに。
『なら、朝飯食ったあとで復唱しろ』
それも難しいかな。
朝ごはんを口にしたら、胃を休めないと。
『たった数文字を声にする程度の余力はあるだろうが』
無いですよ。
僕は体力が少ないので。
『この軟弱者め』
ケッ、とメノアが吐き捨てた。
僕のお願いを聞いて、考える素振りをしていた妖亜が答える。
「ん~。それは、私の独断では決められませんねぇ~。私達は、メフィストテスさんの命に従っている立場なので~。メフィストテスさんに判断を仰がないことにはなんとも~……」
「これは女神様の教えなんだけどね。約束は破る為にあるらしいよ。そんな面白みのない下命、反故にしようよ。どうせバレないって。メフィストテスは、頭が空っぽなんだしさ」
『お前は存在自体が空っぽの、虚無だ。意思も感情も欲望も、何も無い。都合の良い私の玩具。狂った偽善者のような人物像も、そう魅せているに過ぎない。本来のお前は、自我が欠落した人形だ』
そんなに僕のことを理解してもらえているなんて、光栄だな。
流石は僕のお嫁さんだ。
『気持ち悪い。誰がお前みたいな、すっとこどっこいとキッスするかよ』
そこまで関係が進んだ覚えはありませんが――。
僕はメノア様と口づけをする光景を想像して、変な汗をかいた。
「確かに~。メフィストテスさんはぁ、頭のできが残念な御方ではありますが~……しかし、分不相応の力を秘めているのは末恐ろしいことで~、いやはや逆らいでもした日には、どうなることやら~」
と、身を震わせる妖亜。
顔は笑みが浮かんでいて、ちっとも怖がってはいなかった。
「交渉は無理?」
「――ですね~」
「悲しいな」
僕は暁灯瑠刀フォルラリスの鍔を、親指で押す。
――キンッッ!
と、僅かに瑠璃色の刀身を出して。
「《蜃滅幻》」
幻影の斬撃を、妖亜の分身体に放つ。
妖亜の身体は、煙の状態だ。
それは大方、魔力で構築した人工的な煙。
彼女の采配で、調整が可能なのだろう。
単純に斬ろうとしても、またすり抜ける。
――ならば。
「《権能》――《理を変転させる幻惑の坩堝》で、煙を歪めたらどうですかぁ~?」
「いいや。その必要は無いよ」
荒れ地の咆哮に続いている峠に、〈魔王〉妖亜が待ち伏せしていた訳、そしてメフィストテスの命令。
どうやら〈魔王〉は、僕が手にした《権能》の性能に興味津々らしい。
そんなに警戒せずとも、殺したりはしないのに。
『私との約束に、〈魔王〉が邪魔になった場合は?』
まあ、そのときは。
――ね?
「では私も~、全力は出さずに相手をしてさしあげますねぇ~……《壊雲》」
〈二角獣〉の馬車を壊した衝撃が、四方から放たれる。
僕は何気ない口調で尋ねた。
「さっきは『かいうん』って、聞こえたけど……」
「……ああ。すみませんねぇ。故郷の訛りが抜けていないようでして~、偶に出てしまうんですよ~。ヴァルノレイアでは、《壊雲》と言ったほうが聞き取りやすいと思いまして~」
「助かるよ。僕もマーディノス大陸のことは、あまり知らないからさ」
「……おやおや、私の出身地をご存知とは。同じ〈魔王〉にさえ明かしていない情報を、どこで耳にしたので?」
「さあね。僕を滅ぼせたら教えてあげても良いよ」
「滅ぼしてしまったら、口がきけないでしょう~」
分身体、九体の妖亜。
それらが烈風の波状攻撃を繰り出す。
僕は囲まれている。
距離を取り逃げるのは困難だ。
全身に《魔力障壁》を張り、衝撃に備える。
が、しかし――。
「脆弱、劣等、低濃度。そんな薄い魔力では、私の《壊雲》は防げませんよ~」
鋭い烈風が《魔力障壁》を破り、僕の素肌に裂傷を刻み込む。
〈魔女〉の鞭打ち刑に耐えれる、女神様特製の身体というのもあり、粉々に切られはしなかった。
「それに、ここは私の亜空間……《快庭煙》。既に、貴方は私の手中です」
と言われて僕は、周囲に目を向ける。
元々が魔素の霧に包まれた道だったので気付かなかったが、知らないうちに亜空間とやらに閉じ込められていたようである。
「亜空間《快庭煙》は現世と黄泉の境目に存在する、私の庭園。この空間に取り込まれた生者は死ぬまで霧の中を彷徨い、そしてやがては孤独に息絶える」
――亜空間。
メノア様がいる異界とは違い、亜空間は術者が魔力で構築して、維持している空間だ。
異界は《権能》の力で創造されており、主を滅ぼしても異界は即座には壊れないが、亜空間は術者を殺すか空間を保てないほどの致命傷を与えれば崩れる。
「ノワールさん。貴方に取れる手段は、二つ。《権能》を使い私と殺し合う……或いは、このまま滑稽に亜空間に封印される。……さて、どうしますか~?」
『ままごとでも商人をやっているだけはあるな。突発的にも、お前に対して有効な手を計算して打ってきたわけだ』
突発的ではないでしょう。
わざわざ棒立ちで、僕が来るのを待っていたんですから、対抗する手法を事前に練っているのは少し考えれば予想できる。
『できたところで、どうする。共感するわけでもないが、その女が言ったように《理を変転させる幻惑の坩堝》を用いないのなら、お前はこの霧しか無い亜空間で孤独死する』
そう、メノア様は平静に告げた。
僕は女神様を安心させようと、胸中で笑みを送った。
大丈夫ですよ。
『何が』
メノア様と意識が繋がっている限り、僕が孤独に死ぬことはありません。
最期の時まで、メノア様とは一緒です。
『ははは。すまんが、私は愚者の葬儀に付き合ってやるほど暇ではない。本当に駄目そうになったら、迷わずお前を切り捨て、次の駒を探す』
それはメノア様の本心、でもあるのだろう。
この女神はいざ、やるといったらやる。
天邪鬼な面もあるが、実行力もまた高い。
同時に、冷めきった思考回路をしている。
メノア様にとって、僕は通常よりも僅かに高性能な手駒でしかない。
前世での付き合いがあるとはいえ、僕の存在価値が失われたら、意識の繋がりは断たれる。
『そうならんよう、精々私に価値を示し続けるんだな』
メノア様は欠伸をこぼすと、傲慢に命じた。
僕はそれに不遜な態度で返す。
「メノア様も、僕に見限られないよう……創造主としての価値を示して下さいね」
『ほう……? 人形が主人に進言するのか』
「いいえ。これは、劣悪な玩具のささやかな我儘……ですよ」
僕は口にする。
《理を変転させる幻惑の坩堝》。
――と。
「あっはははははっ! 使いましたねぇ~、ノワールさ~ん。そうです、それが最善の選択です~」
妖亜の笑い声は、しかし耳に入らない。
僕は淡々と、《理を変転させる幻惑の坩堝》で《蜃滅幻》を歪めた。
「さあさあさあ! 見せて下さい、ノワールさんが手に入れた特別な品を~!」
妖亜は興奮気味だった。
上半身は人体だが、下半身は煙状で――。
両手を左右に広げて、キラキラとした眼差しを僕に向けている。
「そんなに純粋な目をされても困るんだけどな……」
『純粋ではないだろ。物欲で濁りきっている』
「君の期待に沿える《権能》かは、分からないよ」
「構いません、構いませんよ~! 未知の品を見れるだけで、私は絶頂するほどに快感を覚えていますのでぇ~! ああッ! 勃ってしまいそうだぁ~!」
『…………』
「女性でしょ、君」
「そうでした、そうでした~。間違えました~」
「間違えた?」
「イッてしまいそうです~!」
妖亜の頬は紅潮している。
その瞳は欲情に染まっているが、僕を性的な対象として狙っているわけではないだろう。
商人が珍しい一品の本質的な値段を見定めるような――。
「さあ! ノワールさん、貴方の全てを私に曝け出して下さい! 貴方が底に秘める……妖艶で、美麗な魂の真なる輝きを~!」
「僕の底を掘ったところで、汚ったない糞の残りカスしか出てこないけど……」
『誰もケツとは言ってないだろ。変な解釈をするな、糞漏らしの〈勇者〉』
正確には下痢で――。
漏らしたと言うより、ちびった程度ですよ。
あれは女神の聖杯機で襲って、僕の肛門を圧迫させた執行者のカノンが悪い。
【次話予告】
ノワールは荒れ地の咆哮に向かう途中、峠に入った地点で、〈魔王〉妖亜に待ち伏せされ襲いかかられた。
どうやら、ノワールの転生を知った〈魔王〉メフィストテスが他の〈魔王〉達に命令を下したようで、先んじて妖亜はノワールを見定めに来ていた。
ノワールは殺し合いは避けようと、交渉を持ちかけるも、会話で解決できる案件ではないと悟り――。
また、妖亜もノワールに《権能》を使わせようと実力行使に出る。
妖亜が創り出した亜空間、《快庭煙》に閉じ込められたノワールは、妖亜の思惑通り《理を変転させる幻惑の坩堝》を使わされる。
前世、全盛期とは程遠い実力のノワールは、レネイストで不可侵な世界の敵である〈魔王〉の一角と、相手の得意とする舞台で戦う事となったのだった。




