第2章 第42話 予定にない邂逅
空気が張り詰めていた。
凍るような静けさ。
誰も何も喋らない。
ゴクリ、と冒険者が息を呑むのが聞こえた。
殺気を感じて後ろに引いた死煙は、しかし技を繰り出さない。
後退と同時に納刀したのだろう得物、そこに手をかけた状態で固まっていた。
血色の眼光が、僕を一点に睨みつける。
僕は言った。
「来ないの?」
「…………」
返答はない。
僕を睥睨したまま動かなかった。
その胸中では、何を考えているのか。
読めないし、探ろうとも思わないが――。
「君が来ないなら、こっちから先制させてもらうよ……《開闢》」
《異空間収納》から、それを出して。
――《蜃滅幻》。
そう呟き、だが。
「……っと」
目先に煌めいた赤黒い切先を、目前で首を捻り躱す。
音も出さず肉薄した死煙が、腰を落とし抜刀しようとしていた。
紫の唇が僅かに上下すると。
「……《滅却の斬撃》」
それは、死煙の長刀が秘める技なのだろう。
瞬きする間に抜かれた刃が、僕の首に添えられて。
常人なら、否――
仮に剣術に心得のある者だとしても、その一刀を肉眼で追えられたかは難しい。
抜刀に乗せられた魔力は、僅か。
最低限のエネルギーで、だが無駄のない単純な太刀筋だった。
思考を加速させて、視覚の流れが緩やかになっている僕は、しかと長刀をいなす。
暁灯瑠刀フォルラリスの柄で弾いた。
「…………」
死煙は発声しない。
けれども、その表情には驚きが見え隠れしていた。
いまの、《滅却の斬撃》を防がれたのが予想外だったようである。
目の奥が揺らいで、彼女は追撃をしない。
そんな死煙に近付き、僕は冷たい声音で諭す。
「戦いの最中に胸中を乱すのは、関心しないな。剣士なら、敵を剣で斬ることだけに集中しなよ」
僕は口にはせず、秘技を放った。
《蜃滅幻》、その幻影が袈裟斬りに振られる。
《権能》――《理を変転させる幻惑の坩堝》は使わない。
あまり、手の内を明かしたいと思えなかったのもあるが――
それを行使する程の、難敵でもなかった。
《開闢》だけで、十分だ。
「――ッ!!」
と、意外にも感覚が優れているらしい死煙は、幻の斬撃を見極める。
僕が放った《蜃滅幻》は、三撃。
狙いは、死煙の首筋。
それと、長刀を手にした右腕の手首に、両目だ。
彼女に《蜃滅幻》は、見えていないだろう。
しかしながら、その肌感覚を持ってして、当惑を押し殺しながら幻を斬り伏せた。
「君は五感が鋭いのかな。目に映らないそれを、確かに感じ取っている。野生動物的な感知能力だ」
「……貴方は……いや、オマエは一体……何者だ……?」
僕の皮肉には応えない。
距離を取り、警戒心を露わに向かい合う。
「自己紹介は、さっき済ませたと思うけど……僕は〈聖女〉セラスの義弟、エレン・ヴォルドリフスだよ。ヨロシクね」
「……先刻は……メノア、と言っていた……」
「あれ……? そうだっけ……じゃあ、そっちで。いまのは忘れてね」
「……どっちだ」
「うっかり間違えちゃったんだよ。爆睡したけど、まだ疲れが溜まっているのかな」
「……己の名を、うっかり間違えることが……あるのか?」
「偶には、そういう時もあるんじゃない? 季節の変わり目とかは、特にさ」
「四季は関係無いと思うけど……私としても、少々興味深いねぇ」
受付カウンターの側で観察していたジゼルが、話に入ってきた。
ルーベンスハットのつばを下げ、僕に視線をやる。
その深緑の瞳には、好奇の色が浮かんでいた。
「そんな幼気な小動物に向けるような目で、僕を見ないでよ……思わず、興奮してしまいそうだ」
「別に君を、幼気だとは思っていないよー? ……ただ、死煙に警戒を抱かせた君に、私も興味と猜疑が湧いたよー」
ジゼルは面白い物を発見したように、顔を輝かせている。
だが、笑ってはいない。
平坦な口調で、僕の力量を見定めていた。
「残念、僕は君や死煙? ……さんにも、全然興味が無いや」
そう言うと、ロビーがざわついた。
職員や冒険者が驚愕に、唖然としている。
――あははは。
と、頬を掻いて苦笑したのは、ジゼル。
「そんな無関心を正面から向けられたのは、久しぶりだよー。私も黒鋼鉱になって、知らないうちに驕っていたのかなぁ」
「うん、そうだね。自意識過剰だったんじゃないかな。皆が皆、全員君たちに関心があるわけじゃないと思うよ? 反省してね」
「そっかぁ……悲しいなー」
変わらない話し声で、ジゼルが額に手を当て演技をする。
悲哀を醸し出すと。
――一転。
冷徹な低声で、彼は告げた。
「予定には無い邂逅ではある……が、想定内の実力だな」
それは告白というより、独り言に近い。
聴覚が鋭い僕の耳は声を拾っていたが、発言の意味までは判然としない。
――予定に無い邂逅。
まるで、こことは異なる場で、僕と会う未来があったかもしれないような言い方だ。
問い返しはしなかった。
僕は聞こえていない様相を作り、ニコリと笑った。
「試験、はもう終わりかな?」
そう僕が言うと。
――?
様子を伺っていた周囲の人間が眉を寄せる。
僕の問いを理解したのは、ジゼル。
笑顔の彼は、無言で死煙に目配せする。
死煙は僕を一瞥して、長刀を鞘に戻したのだった。
カウンターに寄りかかっていたジゼルが、歩み出て喋る。
「うん、試験は終わったよー。君の実力も計れたし……黒鋼鉱冒険者である私が保証しよう。君は……ノワール君は――」
「名前言ったっけ」
「冒険者の素質を、生まれながらにして持ち……」
「いや、そんな天性の才は無いよ。僕は無個性な凡人だよ」
「神に定められた運命を辿り、遠い或いは近い未来……はたまた時空を越えた先で――」
「曖昧な表現だなー。神が定めた運命とやらも、あてにならないね」
「世界を救う英雄に、なりえる……可能性を内に秘めた、未来の――」
「長いよ、黙って」
演劇さながらに、流暢な語り口のジゼル。
冒険者ギルドのロビー全体に響き渡る声量で、意気揚々と発していたが――。
僕は殺気を飛ばして遮る。
それにジゼルが身振りを止め、僕に笑いかけた。
「……おっと、失礼。つい、調子が乗ってしまったよー。まあ、何が言いたいのかというと……試験は合格、君は冒険者になる資格があるということだねぇ。この私が保証するよー」
注意をしたが、割って入れなかった受付嬢のシスベル。
彼女が状況を飲み込めず口を開いた。
「……ど、どういうことですか、ジゼル様。試験とは……一体何の……」
「んー? そりゃあ、勿論……ノワール君が冒険者になるための試験だよぉ?」
「……??」
シスベルの疑問は解かれない。
説明を頭の中で、噛み砕こうとしていた。
そんな、シスベルの様子を見て――。
ジゼルが言葉を足す。
「当組合、第三支部のギルドマスター……ガイオスさんに頼まれていたんだよー。今日の昼頃に、子供が冒険者の登録をしにギルドに来ると思うから、その子の実力を見定めてほしいってねぇ。試験というのは、そういうことさ。分かったかなー?」
「……なるほど? では最初から、クソガキ様を試していただけで、危害を加えるつもりはなかった、と」
「当たり前じゃあないかぁ。私は、そんな野蛮人ではないよぉ? 人畜無害な放浪気質で、自由な冒険者さー」
「……ジゼルは天邪鬼で、その上……嘘つき。気紛れで……子供を殺すのも……無いとは言い切れない……」
「言い切ってほしいねぇ。身内に信頼されていないのは、悲しいものだよー……本当にー。涙が出てきてしまった」
一筋も流れていない。
ジゼルは、ずっと笑っている。
僕は暁灯瑠刀フォルラリスを収めた。
「……クソガキ様は、分かっていて試験を受けたのですか?」
シスベルが落ち着いて尋ねた。
肩を竦めて返答する。
「――まさか。そんな試されてるなんて、全然分からなかったよ。だけど、もしかしたらって思ったのは……死煙さんの攻撃に殺気がこもってなかったからかな」
と、死煙を見て微笑む。
実際のところは、真逆だ。
死煙には、僕を殺すまでは行かずとも、致命傷を与えるつもりはあった、ように思える。
冒険者になる試験に関しても、ジゼルのでまかせだろう。
――が。
その是非を確認するには、ガイオスに聞かなければならない。
冒険者、それも最上の級にいるジゼルの発言を、シスベルは怪しまなかった。
どういう意図が、ジゼルにあったのかは読めないが――
単に冒険者ギルド内で、刀を抜いてしまった死煙が罰則を受けないよう、それっぽい建前を作っただけかもしれない。
空気の読める僕は、話を合わせてあげた。
「だからさ……死煙さんを怒んないであげてよ、シスベルちゃん。事前に試験を通達出来ていなかったことは落ち度だろうけど……彼女は、ギルドマスターに頼まれてやっただけなんだよ。僕も怪我をしたわけでもないしさ?」
――不問にしよう。
と、僕は提案する。
「さり気ない口調で、私をちゃん付けしているのは、あとで問い詰めるとして……」
「怖いな。別に良いじゃん」
「私は受付嬢であり、冒険者の依頼の受注処理や書類仕事が、主な業務。違反者を処罰する権限は、持ち合わせておりません」
「シスベルちゃんは、したっぱ職員だからね」
「ええ……その通りです、ペンペン草様」
「せめて、四葉のクローバーにしてほしいな……」
「何ですか……その、こだわりは」
「大事なことだよ。僕のアイデンティティーだからさ」
「成長の余地を感じられない人格をお持ちなようで……流石ですね」
「ありがとう」
僕は礼をして、カウンターに近寄る。
服の内ポケットに入れていた仮登録の文書を、シスベルに手渡した。
「はい、これ」
「…………」
今度は受け取ったシスベルは、しかし表情はしかめっ面だ。
渋々といった様子で、文書を開いて――。
漏れが無いか、数十秒かけ精査する。
下まで読み、また目線が文書の上に戻る。
何度か熟読すると、シスベルは言った。
「確認しました。文書に不備はありません。ギルドマスターの署名も、偽造ではないでしょう」
「分かるの? そんなの……」
「はい。したっぱ職員は、特殊な慧眼を宿しているんですよ」
と、シスベル。
隣の席にいた受付嬢が、僅かに首を横に振っていた。
そんな眼があるのは、シスベルだけらしい。
「凄いね、ジョンは……優秀なんだ。そんな能力があるなら、詐欺とかには引っかからなさそう」
「戻るな、クソガキが……私はシスベルですっつってるでしょう」
――それに。
シスベルが隅に置かれた備品、判子を取って続ける。
「私は人を見る目はある、と自負しておりますが……」
赤いインクを染み込ませて、文書の右下に押す。
鳥居に竜が巻き付いたような印が、羊皮紙に刻まれた。
「壊滅的なまでに男運が無いので……頻繁に騙されます」
「直近だと、どんな男の人に?」
「つい先日……自称芸術家で、互助会の運営に携わり、外資系の企業にも資金を援助していた男と離婚しました」
既婚者だったんだ。
まず、それに驚いた。
シスベルは、何歳なのかな。
「そうなんだ。大変だね」
「……ええ。毎度のことながら、またもやクソ男に騙された事実に『シスベルちゃんの、ばかばか!』と内心、叫び散らかしていましたよ、三十分ほど」
「立ち直りが早いね」
「慣れたものですから……それに、嫌なことを引きずっていても、現実は変わりません。前を向いて生きなければ……」
「ポジティブなんだ。良い心構えだと思うよ、うん」
「それは、どうも……こちら、正式な契約書になります。名前や級などは、既に仮登録の書面に記載があったので、結構です。本人確認を行う魔道具を準備しますので、少々お待ち下さい」
そう言い、シスベルは席を立って――
僕に顔だけ向け、遠い目をした。
「これは、ちなみにですが……その自称芸術家クソ野郎殿、実は私以外に何人も、関係を持っていたメスがいたんですよ」
「元気一杯な人だったんだね……七人位かな?」
「いえ……正確に数えてはいませんが、約三十一人」
「わーお」
「元気一杯精力満載なクソ野郎殿は、互助会の入会者のメス……そして入会者の男、その妻と……娘にも手を出していたわけです」
器用なものだ、と僕は素直に感心した。
僕に性欲は殆ど無いけど――。
あったとしても、そこまで欲望に走れないと思う。
「見習いたい活力だなー」
「ええ、是非とも見習っていただいて……冒険者として活動するのに、探求や欲求は必要不可欠な要素ですので」
残念だが、誠実な僕には無理そう。
僕は善人にも、かといって畜生にはなれない、中途半端な偽善者でしかない。
【次話予告】
ノワールは冒険者ギルドで登録の手続きをするにあたり、受付嬢のシスベルと言い合っていたところ、偶然居合わせた冒険者ジゼルと死煙に怪しい目で見られる。
身分を証明する方法として、血の気の多い死煙が、長刀を抜いた。
それをいなし、《蜃滅幻》で反撃をしたノワールに、側で観察していたジゼルが告げた。
試験というジゼルが作った言い訳に、その場の空気を読みノワールは乗っかる。
冒険者組合連合第三支部に、正式な登録をしたノワールは、早速依頼を受けてみることに。
数ある依頼書の中で、ノワールが手にしたのは――。
町外れの牧師が出していた、記憶を消す魔獣の討伐依頼だった。




