第1章 第35話 戦闘後の休息
落ちていった堕天使を見つめる。
水飛沫を上げ、海の中に沈む身体は、数秒程で海底の闇にのまれ消えた。
僕は、一息。
刃先が欠けた大太刀、暁灯瑠刀フォルラリスを《異空間収納》にしまった。
連戦で傷を負った身体に《女神の聖なる息吹》をかけながら、メノア様の方を向いて言う。
「一件落着……ってことで、良いのかな?」
「……どこがだ。問題しか残っていない」
「というと……?」
僕は何も思い当たらない。
管理者の閲覧会の執行者、カノンが死んで――。
いや、完全に死んだわけではないか。
《魂を凍らす聖なる光》により、半永久的に魂が凍らされて、眠りについた。
最低でも数千年は起きない。
僕に被せられた容疑が晴れたとは言えないが、それでも生命を脅かす存在を排除することは出来た。
カノンを凍結させたことで、間接的にエレンも守れた。
そういえば、あの皇子は何処に行ったのかな。
女神の聖杯機に飛ばされたときから、姿が見えない。
『竜脈の畔』に、取り残されているのかも。
一応、依頼に助力する立場ではあるし、迎えに行ってあげよう。
管理者の閲覧会だけが外敵とも限らないし。
カノン以外の、他の席次が送り込まれる可能性も考えられる。
事情を断片的に聞いた感じ、エレンは中々に扱いに困る存在に思えた。
それはヴァミリド神教国の皇帝、星凱帝としてだけではない。
星凱帝に課された、女神の聖杯機を破壊するといった役割だ。
エレン本人が、それをどの程度認識しているのかは定かではないが、管理者の閲覧会などからすると、さぞ厄介だろう。
「会ったばかりの他人を心配する暇があったら、お前は自身が置かれている状況を鑑みることだな」
メノア様が言った。
戦いは終わり、続行する意思は無いのか。
手に持った暁灯瑠傘アルランレイブを、《異空間収納》に戻した。
「僕は共感性が高いので、エレン君の面倒な立場に、哀憐を抱いてしまうんですよ」
「虚飾だな。お前は転生をしてから、今に至るまで一度も本音を口にしていない」
「僕は考えなしですからね」
「知ってる」
――あはは。
と、僕は乾いた笑いをした。
「……だが、後先考えない馬鹿ではない」
「自覚のある阿呆です。女神様と、一緒で」
「私は学習をしない馬鹿だ。履き違えるな」
――そうでしたね。
どっちでも、良いけど。
「そんな阿呆なケツ拭き〈勇者〉の、濁りきった目でも、現実は見えているだろう……?」
「僕より綺麗に透き通った目をしている子供も、いないと思いますが……」
僕が糸目を開いた。
眼鏡の奥に光る瞳孔を見て、メノア様が鼻を鳴らし失笑する。
「溝色の、その目には何が見えている? 命を狙う敵を倒して、めでたしめでたしな、平和な結末か? だとしたら、お前は自覚のある阿呆ではない。真正の阿呆だな」
「真正でも、誠実でも良いですけど――」
「誠実とは言ってねぇよ」
「……しっかりと、現状は把握していますよ。僕は理解するのが早いので、ね」
「諦めと寝返りも高速だがな」
――そうかも。
僕は笑顔で続けた。
「メノア様にオススメしてもらった料理屋、『蛇鶏王亭』の営業時間を過ぎてしまったことを、気にしているんですよね。分かっていますよ」
「…………」
「――というのは冗談で……女神ベルザに関して、でしょう?」
僕はふざけて言っていたが、メノア様の顔色を見て訂正した。
無表情に見ないでもらいたい。
怖いし不気味だ。
「メノア様は、僕を〈邪神族〉に転生させるにあたり、多方面に便宜を図ったと……そう言っていましたよね? それには、女神ベルザとの約定も入っている。内容は、転生をした僕を未成熟な間に滅ぼす……或いは封印する、ということ。だから、僕を裏切った」
「ああ、そうだ。分かりやすい説明をありがとうよ」
「どういたしまして……しかし、結果的に見ると僕は、こうして生きている。カノンちゃんの執行も失敗して、メノア様も僕を封印出来ていない。それが事実です」
「そうだな。残念だよ……本当に。痛恨の極みだ」
と、白々しい態度のメノア様が肩を竦めた。
僕は糸目を笑わせる。
その女神に言ってやった。
「最初から僕を滅ぼす気が無かったのでしょう? 最低限の……カノンちゃんの言葉を借りるなら、体裁を整えただけに過ぎない。それが女神としての矜持か、ベルザとの義理かは知りませんが」
すると、メノア様も笑った。
首を傾げて、口角を吊り上げる。
「私は責任感の強い女神だからな。自分が創造をした、どれ……玩具の面倒は最後まで見る」
奴隷と言いかけたような――。
気の所為だと思おう。
「面倒見が良いんですね。嬉しいです」
「私は基本的に人間には冷たいが……というか蛆虫程度にしか思っていないが、奴隷には優しいんだよ。慈愛溢れる女神を舐めるなよ」
「舐めてないですし……はっきりと、奴隷と言いましたね。嬉しいな」
メノア様が僕を見た。
長い睫毛を上げ、覗いた蒼い氷のような瞳と視線が合う。
「――故に、お前は滅ぼさないし封印もしない……今は、まだな」
それが、メノア様が出した答えらしい。
僕の味方でもないが、敵でもない。
的確な立場を表すなら、保護者が妥当かな。
僕が暴走をしないように見張る、首輪的な役割といった意味で。
「ありがとうございます、慈愛溢れる女神様。おかげで、寿命が延びました」
「せいぜい、早死しないよう気を付けることだな。〈魔王〉にでも目をつけられたら、ギッタンギッタンのバッコンバッコンにされる」
「ギッタンギッタンのバッコンバッコン、ですか」
「ああ」
「……気を付けようかな、うん」
何か分かんないけど、痛そう。
〈魔王〉とは関わらないほうがいい。
「〈魔王〉といえば……」
「……ん?」
「禍九羅は、元気かな」
「……禍九羅? ああ……お前が、〈勇者〉やってた頃の知り合いか」
「ええ、彼には色々とお世話になった過去があるので。今世でも、挨拶位はしておこうかな、と」
「お世話……? 迷惑をかけていた記憶しかないがな。胃に穴が開いてしまうような……」
覚えてないな、そんなこと。
不運にも、転生をする前の記憶は曖昧にしかない。
「都合の良い言い訳にしか聞こえんな」
「この先も、都合の悪い出来事に直面したら、使わせてもらいます」
「好きにしろ、物忘れ糞爺」
「ありがとうございます、学習能力のないクソババア」
――禍九羅。
僕の前世、〈勇者〉カインを名乗っていた時代で、出会った人物。
ヴァルノレイア大陸に支配領域を持っている〈魔王〉の、一柱だ。
彼、禍九羅とは友好的だったと、僕は思っている。
別段、恨みを向けられるような真似もしていない。
偶にイタズラで、禍九羅の飲み物に下剤を入れた位だ。
その直後に転生をしたので、どうなったかは知り得ない。
飲んだのなら結果と反応が気になるし、〈魔王〉とはいえ禍九羅とは会っておきたい。
「向こうは、お前とは死んでも会いたいとは思わんだろうがな」
と、メノア様。
魔力を流し《次元歪曲》の魔法陣を構築する。
「歓喜で気絶するかも――」
「……ああ。憤怒で頭の血管は切れるだろうな。ご愁傷様なことだ」
魔力の線が、僕に繋がれる。
《次元歪曲》で転移をする対象にされた。
「ここ、女神の聖杯機はレネイストの外側にある、異界ですよね」
「そうだな。徒歩でせっせこ歩いたところで、一生辿り着けん」
「《次元歪曲》で戻れる距離なんですか?」
「いいや……? 無理だな、絶対。女神の聖杯機とレネイストは、物理的な距離が離れているのもそうだが、女神の聖杯機は魔力の流れが乱される。体外に放出をした魔力は即座に海に沈殿してしまう。《魔法》の構築も、ままならない」
カノンは女神の聖杯機を、星の墓場と称していた。
その是非がどうあれ、この大海の性質は異常だ。
星力以外の物質が存在しない。
否、残存を認められていない。
不純物として処理され、大海に還される。
この異界に飛ばしたカノンは兎も角、本来は僕やメノア様は、女神の聖杯機で《魔法》を構築することすら不可能に近い。
術式には必ず魔力の放出が伴う。
その時点で、身体の外に出たそれは、沈殿してしまうだろう。
しかし、そうならず戦っていたのは――。
単純な地力だ。
膨大な魔力総量を活用して、沈殿されながらも術式に必要な魔力を送っていた。
「じゃあ、どうするんですか。もしかして、死ぬまで女神様と女神の聖杯機に閉じ込められるとか?」
「良かったな。偶然にも合法的に、私と二人っきりになれる空間だ……喜べよ」
「……新手の拷問かな」
合法とも思えないし。
カノンが言っていたけど、議会に許可申請をせず女神の聖杯機に入るのは、違法だと――。
僕は頭上を見上げる。
星を管理する樹が覆い被さった巨大な恒星、管理者の閲覧会の本部。
女神の聖杯機の上空に点在するその星が、管理者の閲覧会だ。
議会とやらも、そこにあるのだろう。
――大丈夫かな。
結構、派手に戦ったけど。
これといって視線の類は感じないが、見つかる前に女神の聖杯機から去りたい。
「私もお前と仲良しこよしで、この大海に骨を沈めるのは御免だ。そんな結末になるなら、全裸で海老反りをして砂浜を駆け回るほうがマシだ」
「少し見てみたいですけど……僕も、ずっと女神の聖杯機にいるのは嫌ですね。何か、薄気味悪い空間ですし」
景色は静謐で美麗だが、それが僕には悍ましさしか感じられなかった。
ずっと、死体の山に囲まれている。
そんな錯覚が拭えない。
レネイストに帰りたかった。
「――なら、協力しろノワール」
「……?」
メノア様は術式に魔力を流している。
沈殿しているが、放出された魔力がそれを上回っていた。
「お前の《権能》――《理を変転させる幻惑の坩堝》で、《次元歪曲》を歪めろ」
――なるほど。
僕は納得する。
通常の《次元歪曲》だと、絶対に届かない距離。
しかしながら、《理を変転させる幻惑の坩堝》で、その理を変えたら空間を繋げられる。
「……ホント、便利な力ですね……これ」
「《正義の執行官による裁きの天秤》より、使い勝手良いだろ?」
「ええ。カノンちゃんの誘いに乗って、管理者の閲覧会にならず正解でした」
「あんな悪徳な偽善者、信じるに値しない」
「――ですね。醜悪な女神様しか信用出来ません……裏切られたけど」
僕は《理を変転させる幻惑の坩堝》を使う。
あと数回程度、使用する位の星力は残っていた。
《次元歪曲》の術式に干渉し、その理を歪める。
僕が行える手伝いは、ここまで。
目的地など、誤差の調整は女神様に任せる。
「ネチネチと……うるさい奴だな、お前は。そんな昔の些事は、忘れてしまえ」
「ついさっきのことですよ。素晴らしい記憶力ですね、女神様」
「褒めるな。お前ほどではない」
メノア様が《次元歪曲》の術式を完成させる。
そこに魔力を流すと――。
僕たちは、レネイストに転移をしたのだった。
【次話予告】
ノワールは《虚無の巫女》としての役割を放棄して、約定を先送りにしたメノアの手助けを受け、管理者の閲覧会の執行者、カノンを大海の底に落とした。
執行を免れたノワールは、面倒事が片付き安堵する。
しかし現下、滞在している空間は管理者の閲覧会の監視下にある異界、女神の聖杯機で――。
暢気に休んでいたら、議会に見つかってしまう恐れもある。
ノワールの《理を変転させる幻惑の坩堝》で、メノアが構築した《次元歪曲》を歪め、二人はレネイストに転移をした。
魂が凍る間際まで警告をしていたカノンの発言を念頭に置いて、ノワールは今世での振る舞い方を考える。
そして、異界に帰ったメノア宛に、一通の手紙を書いたのだった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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