第1章 第34話 執行者の凍結
僕は転生をして、〈邪神族〉の身体を手に入れた。
それに宿った固有の力、《権能》――《理を変転させる幻惑の坩堝》は、世界の秩序を歪められる。
旧ベルザ教会にて女神ベルザ、いや零花の黄泉灯アルスタラを無効化させたように、《魔法》なら発動を不発に。
秩序なら平常を、異変に改変可能だ。
全ては、僕の望む形になる。
《理を変転させる幻惑の坩堝》に制限はない。
ただ、その力を扱うだけの。
《権能》に飲み込まれないだけの、強力な自我があれば良い。
意思が脆弱なら、行使する度に侵食され、魂が星力に蝕まれてしまう。
〈神族〉や〈邪神族〉の生命力であり、超常のエネルギー物質である星力は、しかしながら扱い方を誤ると、それは己の身体を蝕む猛毒となりえる。
要は《権能》を、自我で隷属させれば問題ないわけだ。
「《理を変転させる幻惑の坩堝》」
カノンが張った結界、《正義の執行官による裁きの天秤》の《執行》で、周囲が黄金に包まれる。
その渦中で、僕は《理を変転させる幻惑の坩堝》を使った。
《理を変転させる幻惑の坩堝》は、言わずもがな《権能》だ。
つまるところ、発動には星力の消費が伴う。
この聖なる結界に囚われ、〈邪神族〉である僕は、大幅に星力を取られていた。
最早、体内には三割弱しか残っていない。
心もとない残量だ。
《理を変転させる幻惑の坩堝》で換算するなら、あと数発使ったら一割を切るだろう。
思ったよりも、厄介な結界だった。
生命力の星力を失うと、僕は滅びる。
〈邪神族〉の身体は朽ちて、生きた屍のような状態、中身のない肉塊になる。
そうなったら、僕の魂は星に還るのだが――。
転生は期待しない方が良いだろう。
僕を復活させても、利益がない。
味方がいない僕には、救済をする者も思い当たらなかった。
唯一の理解者だと思っていた女神様にさえ、裏切られてしまった。
《虚無の巫女》として、それからベルザとの約定を反故にしてまで、僕の肩を持つとは考えづらい。
どのみち、管理者の閲覧会が見逃さないと思う。
この世界レネイストには、僕の味方は誰一人いなかった。
最愛の想い人である女神様には裏切られ、世界の異物といった濡れ衣を着せられ、冤罪で管理者の閲覧会に執行される。
なかなかに悲惨な結末、バッドエンドだ。
孤独に死ぬのは嫌いではないけど、いざそうなると寂寞とした感情があるかも。
「……いや、無いな。うん、全然無い」
僕の心情は、虚無だった。
何も感じない。
思わない。
これといった衝動が、心に起きなかった。
「別に裏切られようが殺されようが……どうでもいい。正直、自分の生死に興味が無いんだよね」
味方に背中を刺される。
大いに結構だ。
それも愉快な結末だと、僕は素直に受け入れる。
価値観に重きを置いている割合の違いだろう。
僕は生命より娯楽を、遊戯を優先している。
目一杯遊び尽した先で、死が待っていようと構わなかった。
「――だけど、折角殺されるなら……孤独死よりも、心中の方が美しいと思うんだ」
僕は前世、〈勇者〉カインの最期は、誰かと一緒に命を絶った気がしている。
多分だけど。
転生前の記憶は、あまり覚えていない。
その相手の名前と顔も靄が、かかっている。
しかし僕も、その人も死ぬ間際まで幸せそうに笑っていた。
お互いに思い描いていた、理想の結末だった。
「それに……僕は、まだ遊び足りないよ」
僕は体内に残存している星力を、余さず放出する。
漆黒の魔力、その粒子が身体に渦巻いた。
窪地を覆った黄金の結界に、竜巻のような波動が空に上がる。
僕の魔力は黄金を巻き込み食らって。
「……《開闢》――《蜃滅幻》」
残った微かな星力を、折れた大太刀、暁灯瑠刀フォルラリスに乗せる。
そして《次元歪曲》は使わず、純粋な歩法で移動した。
僕の身体が残像となり、結界から消える。
「そうですか……しかし、私は――」
と、僕の動向にカノンは感知が遅れた。
彼の目には、眼前に迫る刃先が映っていただろう。
「――っ」
間一髪で、カノンは首を捻り避けた。
その筈なのに。
カノンの首筋に、うっすらと赤い線が滲む。
即座に再生されて、その傷も癒えるが、カノンの胸中には怪訝があった。
表情も困惑している様子が窺える。
避けたのに、斬られた。
それが不思議でならない。
カノンの疑念が手に取るように伝わる。
「知りたい? でも、教えてあげない。僕は君と違って、意地悪な邪神だからね」
僕に残された星力は、あと一割と少し。
《理を変転させる幻惑の坩堝》と、《蜃滅幻》を同時に使用したので、消費は多い。
前世は、もっと燃費が良かったのだが――。
いまの僕は、〈邪神族〉とはいえ子供の身体だ。
全盛期の力には、及ばない。
だが、カノンを退けるには事足りた。
幻の斬撃、《蜃滅幻》を《理を変転させる幻惑の坩堝》で改変させる。
それにより、避けられても斬れた現実となるようにした。
使っていて実感するが、便利な《権能》を手に入れたものである。
これを授けた女神様には感謝しかない。
《理を変転させる幻惑の坩堝》があれば、僕は秩序や摂理を自在に操れる。
「……私とノワールさんの仲ではありませんか。教えていただけませんか……?」
「だーめ」
僕が暁灯瑠刀フォルラリスを構える。
《理を変転させる幻惑の坩堝》で歪めた《蜃滅幻》で――。
カノンを腹から腰にかけて、逆袈裟に斬り上げた。
大太刀が振られる前に、カノンは両翼で後退していたが、しかし。
間合いの外側に下がっても、歪められた刃からは逃れられない。
カノンの《魔力障壁》と、纏ったフロックコートが裂かれた。
衣服は無惨だが、致命傷には至っていない。
「……《誇り高き精霊の弓士は我が命に応え敵を穿つ》」
後ろに羽ばたきながら、カノンは会の構え。
碧軌弓トラウディクスの弦が引かれる。
「君も芸が無いね。そればっかりじゃないか」
「手加減して差し上げているのですよ」
「優しいね。だけどさ……」
僕の暁灯瑠刀フォルラリスを持った右手が霞む。
瞬間、幾十の剣閃が走り――。
カノンの四肢、そのつけ根が斬られたのだった。
「手加減は強者の特権だよ。弱者のそれは、滑稽な見栄でしかない」
カノンは《不老不死》で再生しようとする。
そんな彼の顔面に目掛けて、僕は暁灯瑠刀フォルラリスを投げた。
刃先が欠けた大太刀は、しかしながら確かな殺傷性は健在だ。
迫る凶刃に、手足を失ったカノンの表情に、僅かな焦りの色が浮かぶ。
足は腿から下が無い。
だが、カノンには背中に携えた翼がある。
移動手段は奪われていない。
「――《死んでも怨みを忘れない毒蛇の呪縛》」
蛇の眼が嵌められた鞭が、カノンを縛り上げる。
予想外の拘束に、カノンは反応出来なかった。
やったのは、僕ではない。
下方、結界の内側にいるメノア様だ。
執行の檻に囚われたその女神は、口元に冷酷な微笑を見せる。
「気持ち悪い盗聴野郎は、さっさと沈め」
どういう気紛れか。
僕の援護をするように《死んでも怨みを忘れない毒蛇の呪縛》で、カノンの動きを封じた。
「なに、私にしてみれば……そいつも、羽虫だ。気に入らん羽虫は叩き落とす。ただ、それだけのことだ」
僕の味方になったわけではない。
こちらの胸中を読み、メノア様は言った。
「……愚かですね、メノアさん……いえ、《虚無の巫女》。貴方は、自身に与えられた死命を放棄しようとしている。いつまで経っても、下らない遊戯にうつつを抜かし、〈竜種〉ミネルヴァさんに命じられた役目を、一向に守ろうとしない。私からすれば、貴方は……ガッ!?」
《死んでも怨みを忘れない毒蛇の呪縛》に縛られたカノンは、それでも口を動かしていた。
語尾に何を言うつもりだったのか。
僕が投げた暁灯瑠刀フォルラリスが、カノンの額に突き刺さる。
その衝撃で、カノンが仰け反った。
大太刀は脳まで達しているだろう。
だが、その程度ではカノンを殺せはしない。
あらゆる生物の核となる、魂を破壊する必要があった。
――ズズズッ。
と、カノンに刺さった暁灯瑠刀フォルラリスが抜かれる。
《不老不死》による再生で、カノンの身体が不純物を、体外に排除しようとしていた。
僕が遠隔で、暁灯瑠刀フォルラリスに星力を飛ばす。
その抜けかけた大太刀が、深々と頭部を貫いたのだった。
「――ッ!! ノワールさん……貴方も自分が置かれた立場を、まるで理解していない。いま、この場で執行されなければ、貴方はいずれ必ず世界中から命を狙われる……」
傷口から溢れた血液が、カノンの鼻筋に沿って流れた。
然れども、堕天使は口を動かす。
血に濡れた瞼の奥にある、その蒼い双眸を開いて言った。
「私達、管理者の閲覧会だけではない……ヴァルノレイア大陸に支配権を持つ〈魔王〉、それから異世界から召喚された〈勇者〉……何より〈神族〉は、貴方の存在を断じて認めはしないでしょう」
カノンの目が、僕を剣呑に射抜いた。
喉に血泡が溜まっているのか、言葉が詰まる。
「ノワールさん。私は貴方の敵ではありません。言ったでしょう、貴方が《星を喰らう獣》だろうと知ったことではない、と」
多量の血を口端から溢しながら、カノンは語り続ける。
その瞳には、微塵も敵意が無かった。
「私は、ただ純粋に……そう貴方の友人として、救済してあげようとしているのですよ。未来で自我を失った化物に成り果てて死ぬより、或いは世界中の〈魔王〉や〈神族〉といった、理の外側にいる存在から脅かされる日々を送るより、ここで執行され楽になるほうが、貴方にとって……そして、世界にとっても救いなんですよ! 分かるでしょう!?」
「うん、分かんない……全然」
長々と語っていたカノンは、喋るにつれ感情が乗る。
僕に訴えかけるように伝えた。
それに僕は笑って応える。
「君と友人になった覚えはないし、執行されるのも嫌かな」
「執行対象は皆、私の友人ですよ」
「そうなんだ。じゃあ、君の友人ってことで良いけど……執行はされないよ。痛いのは苦手なんだ」
「赤子を撫でるように殺しますので、ご安心を――」
不安しかない。
そんな物騒な手で、赤子に触らないでほしいものである。
「執行はされない。カノンちゃんは殺す。これが、僕の選択だよ。女神様は……まあ、どうでもいいかな」
僕が《星を喰らう獣》だと、仮定して。
《虚無の巫女》のメノア様は、僕を封印する役割にある。
それが真実だろうと、些細な事項だ。
寝たら忘れる。
「物忘れ糞爺が……少しは現実を見ることだな。お前が、滅びる運命は変わらない……変えられない」
「はは、メノアさんは分かっていらっしゃる。その通り、ノワールさんは今日ここで滅び……ガッ!?」
カノンの背後に《次元歪曲》で現れたメノア様。
その細い右腕で、カノンの胸部を抉った。
「何を勘違いしてやがる。聞こえなかったのか? お前が滅びる運命は変わらん、そうデカい声で言っただろうが。散々、盗聴をしていたクセに、執行者様は耳が遠いらしいな」
――クックック。
と、変わらぬ嘲笑を張り付けて。
その女神様は《権能》を口にする。
「何を――」
「お前はノワールと似て、殺しても死ななそうだからな……それに私は慈愛溢れる女神だから、この女神の聖杯機の大海より広い心で、私の玩具を傷付けたことを許してやる……《魂を凍らす聖なる光》」
メノア様の《権能》――《魂を凍らす聖なる光》が発動される。
腕が貫通した胸元から、徐々に霜が張られていった。
薄い、だが魂に干渉する氷だ。
僕にかけた《魂を凍らす聖なる光》は、三分後に発動される時限式だったが、それは即時発動する術式のようで。
カノンの魂を徐々に凍らせる。
《魔力障壁》や《虚空からの超音波》など、そういった防御は意味をなさない。
《不老不死》を使おうと、その凍傷は治せない。
カノンの顔色に、冷や汗が流れた。
「――宜しいんですか? 私を滅ぼすということは、間接的にベルザさんとの約定を破ることになる。同時に、貴方は《虚無の巫女》としての役割を放棄したと見做され、神々から……そして、ミネルヴァさんと敵対……それだけに限らず、私達管理者の閲覧会が――」
「お前は脅し文句まで、いちいち長い奴だな。良いから、さっさとクタバレ」
《死んでも怨みを忘れない毒蛇の呪縛》に縛られ、身動きが出来ない状態での《魂を凍らす聖なる光》。
防御も治癒も効かない、女神様の《権能》に、カノンは成す術が無かった。
それでも、カノンは魂が凍りきるまで警告をする。
メノア様は構わず吐き捨てた。
「私は傲慢なんだよ」
「知ってます。女神様は傲慢です」
「それに、強欲だ。故に、この世界レネイストの全てが欲しい」
「ついでに、尊大ですよね……女神様は」
「――だから、ベルザとの約定は守るし、《虚無の巫女》の役目も完遂する。その上で、私は世界の秩序を乱して、欲望のまま遊び尽す。それには、ノワールの《権能》が必要不可欠だ」
「嬉しいな。女神様に、そんなふうに言ってもらえるなんて」
「この愚鈍な私の玩具は、利用価値が無いと判断するまで、その力を最期まで使い潰してやる。それが、ノワールを創造した母である私の選択だ」
「ありがとう、お母さん」
僕は感動に打ち震えた。
やはり、信じられるのは女神様だ。
この御方しかいない。
「……終始、矛盾している。メノアさん、貴方が《虚無の巫女》である限り、いつかはノワールさんを滅ぼさなければならない。貴方の選択は、問題を先送りにしているだけですよ」
「そうかもな。管理者の閲覧会の第一席にも、そう報告しておけよ」
「ええ、言われずともしますよ。一応、仕事ですので……」
魂が凍っているからだろう。
カノンの声音には力が入っていなかった。
いまにも瞳が閉じてしまいそうである。
「……まあ、お前の魂が解凍されたら、の話だがな」
「待ちますよ。何年……何百年でも。私は気は長いのでね……」
霜が胸部を覆う。
生命が散るように、黄金の粒子が霧散した。
「――残念。《魂を凍らす聖なる光》の効果は、最低でも千年はある。お前が目覚めるのは、数千年後だ」
「それは……困りますね。エリアル様とのデートに、遅れてしまいます……」
「安心しろよ。代わりに、私のノワールが行ってやる」
――ありがとうございます。
と、言ったのだろう。
発声する気力も失われたカノンは、微かに唇が動いただけで言葉は出なかった。
カノンの魂を、霜が完全に覆い尽す。
凍りついた堕天使は、その生命活動を停止――。
四肢を奪われ魂を凍結された管理者の閲覧会の第四席、《碧落》のカノンは、星力の大海に落ちていった。
【次話予告】
ノワールは執行者カノンが発動をした結界、《正義の執行官による裁きの天秤》を《理を変転させる幻惑の坩堝》で歪める。
残った僅かな星力を使い、折れた暁灯瑠刀フォルラリスを握って、カノンに斬りかかった。
何の気紛れか、援護をする形でカノンを拘束したメノアにより、その執行者を追い詰める。
カノンの四肢を斬り落とし、そこをメノアが《魂を凍らす聖なる光》でとどめを刺す。
魂を凍らされたカノンは、執行者としての責務を遂行出来ないまま、大海に落ちていった。
執行を免れた邪神と、《虚無の巫女》の役割を放棄した女神は、女神の聖杯機からレネイストに帰る方法を模索する。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
良ければ評価を貰えると嬉しいです。




