第1章 第33話 執行人の断罪
結界が発動されようとしていた。
黄金の粒子が、カノンの身体に渦を巻いている。
予想される効果範囲は、岩礁がむき出しとなった、この窪み全体だ。
それは、ただの簡易的な術式には思えなかった。
カノンに、いや管理者の閲覧会にとって、必殺の技法だろう。
愚鈍な僕は、この状況下になり、初めて察する。
僕を滅ぼす。
その要点に於いて、見解が合っていたカノンとメノア様は、しかし根本に齟齬がある。
カノンにしてみれば、管理者の閲覧会といった立場を鑑みて、メノア様も執行の対象者だ。
僕を滅ぼそうと、メノア様に便乗して戦っていたが、ここにきて考えを変えた。
否、共闘する必要が消えた。
カノンは待っていたわけだ。
女神と邪神が互いに削り合い、弱ったところを確実に執行する。
それが、いま――。
「……まだ、遊び足りないんだけど。もう少し、執行するのは待ってもらえないかな」
僕は戦闘で、それなりに体力を使ってしまった。
思ったよりも、メノア様が頑強だったせいである。
回復する時間が欲しい。
「申し訳ありませんが、私も暇ではないので……」
「さっき、非常勤だから暇だって言ってたよ」
「聞き間違いです」
「なんだ、聞き間違いか」
「はい。私は毎日、汗水垂らしながら奴隷のように、管理者の閲覧会の一席として働いています」
「偉いね、カノンちゃんは。立派な組織の犬だ」
「権力に尻尾振ってる、狂った犬畜生なだけだろ」
「お褒めに預かり光栄です」
――ニコリ。
カノンが破顔すると、結界の術式を唱えた。
「《正義の執行官による裁きの天秤》」
カノンの右掌に集まった黄金の粒子が、その上空で形を造る。
象られたそれは、女神の虚像だった。
光のベールに覆われた巨大な、女神が顕現する。
容貌は神聖な輝きに包まれていた。
かろうじて、両手に天秤を下げているのが見える。
「裁判でもするのかな? それとも、尋問……?」
「いえ……その、どちらもありませんよ」
と、カノンが右手を僅かに上げる。
女神の虚像、それが右手に持った天秤が下に傾いた。
「《正義の執行官による裁きの天秤》は、管理者の閲覧会に列席する執行者に授けられた清浄な権限です。この女神の天秤は正義の名の下、聖なる者には救済を……悪しき者には断罪を齎します」
「……正義? 偏見の間違いだろ。執行者のクセに、まともな判断も出来ないのか」
「そうかもしれませんね……しかし、狂った罪人を相手に、まともな思考は不要です」
円形の窪地、その外縁に綺麗な黄金の線が走る。
カノンの魔力を感じた。
《正義の執行官による裁きの天秤》による、結界の境界だ。
線は数秒で縁を一周すると、激しい光を発した。
――ズンッ。
と、僕は唐突に圧に襲われる。
身体が重い。
星力を奪われるとは、また違った症状。
急に鉄の塊を、全身に括り付けられたような。
――それに。
僕は指先を見る。
若干の痺れがあった。
痛いとまではいかないが、明らかな異変だ。
メノア様も同様なのか、少し眉を顰めていた。
「――《正義の執行官による裁きの天秤》に囚われた悪しき者は、その身を神聖な女神の光によって浄化されます。体調に変化を感じたのなら、それは貴方がたは天秤に断罪を宣告されたということ……即ち、死刑です」
周囲を囲む光が、上に伸びる。
その境界線は、高い黄金の壁となった。
僕は暁灯瑠刀フォルラリスを握る。
大太刀は、メノア様に折られたが、まだ使いようはあった。
殺傷力は健在だ。
「閉じ込めたつもりかもしれないけどさ。上が、がら空きだよ」
暁灯瑠刀フォルラリスに星力を込める。
《飛翔浮力》で飛び、しかし――。
僕は重ねて異変に気付いた。
身体の中に残存する星力、その量が激減している。
メノア様との戦闘で、消費はした。
だが、この減り方はおかしい。
感覚的に覚えているだけでも、7割はあった。
それが、半分以下しかない。
「……おや、気付かれましたか?」
カノンが言う。
結界に覆われた窪地を見下ろして続けた。
「使い勝手の良いことに、この《正義の執行官による裁きの天秤》は、星力を一定量減らします。星力が生命力である〈神族〉や〈邪神族〉にとっては、非常に有効な結界、ということですね」
「じゃあ、僕やメノア様には抜群なわけだ。便利な術式だね」
「ええ、便利です。これを私に授けて下さった第一席には感謝ですね」
「羨ましいな。僕も、そんな術式が欲しかった」
「いまからでも、投降しますか? まだ、猶予はありますよ」
カノンが僕を見据える。
それの真意は読めないが、僕の答えは決まっていた。
堕天使の手を取り、転生をして管理者の閲覧会になる気はない。
「――言っただろう……? 僕はメノア様の、下痢処理係だよ。女神様のせいで出た汚物は、〈勇者〉である僕が拭き取って、処理をする」
「お前は私の、専属トイレットペーパーだからな」
「あはは、嬉しいな」
メノア様に微笑みを向ける。
それから、空に浮かぶカノンを見上げた。
「残念だけど……僕は今も昔も、女神様のケツ拭き要員だからね。カノンちゃんの提案は、のめないかな」
「ご立派な役目ですね」
「……かといって、素直に首を差し出して執行されるほど、プライドを捨てたわけじゃあないよ」
「土下座して足蹴にされていた奴が、何を言う」
――はて。
知らないな。
「それに……折角、生まれ変わった二度目の人生だ。秩序の奴隷に成り下がりたいとは思わないね」
異世界を調整する秩序の番人、管理者の閲覧会。
数ヶ月、務めたら飽きそう。
メノア様の玩具の方が、マシだ。
汚物と腐敗物があったら、僕は汚物を選ぶ。
「……おい。それは、私が汚物で良いんだよな?」
「勿論。まあ、内面は腐ってるので、腐敗物でもありますが……」
「……フッ。私のことを分かっているじゃないか。流石は、私が創った玩具だ」
「いえいえ、褒められるようなことではありませんよ」
「――遺言は、その辺で。続きは、下水道に流された後にでもどうぞ、女神の下痢処理係、トイレットペーパーさん」
カノンが右腕を上げる。
それを垂直に振り下ろした。
「《執行》」
と、一言――。
短い、だが確かな命令が実行される。
右手の天秤が、下がりきった。
《正義の執行官による裁きの天秤》の断罪、《執行》により、結界内にいる僕とメノア様は裁かれる。
僕が立っている地面、岩礁から黄金の粒子が浮き出た。
それは、僕の足元だけではない。
境界線の内側が、粒子に満たされる。
このまま留まれば、清浄な光で邪神の身体を焼かれるだろう。
星力が残り少ない状態の僕では、耐え凌げるかは怪しい。
メノア様は、どうかな。
見た感じ、僕より星力はあるけど。
それでも目減りはしている。
殺せされずとも、瀕死にはなりそう。
「……狂信者が。《虚無の巫女》である私諸共、《星を喰らう獣》を滅ぼすつもりか」
微細な黄金の粒子が舞い上がる中で――。
静かに睫毛を下げ、メノア様は呟いた。
そして、乾いた笑いを零す。
「管理者の閲覧会にしてみれば、《虚無の巫女》も《星を喰らう獣》と同様に、秩序の安定を脅かす、不安要素でしかないからな。使い道が消えたら、手っ取り早い方法で処分するのは当然か……」
その瞳の奥にある感情は、悲しみ。
メノア様が自身の掌を見つめる。
「……思い返せば、つまらん人生だったな。私は生まれたときから、その誕生を誰にも望まれていなかった。最初から私は《星を喰らう獣》を封印する為だけに、〈神族〉に創造された道具、世界を円滑に循環させるパーツでしかない」
結界内に黄金が満ちる。
断罪の輝きが溢れた。
「――何故なら、私は……」
「その独白の続きは、あとでも良いですか? 喋っている間に滅びますよ」
メノア様が閉じていた瞼を上げる。
どこか責めるような視線を寄越した。
「愛する妻が伝える別れ際の台詞は、黙って聞け」
「妄想が逞しいですね。女神様は僕の妻ではありませんし……愛してもいません。使い捨てるだけの存在です」
「都合の良い女か」
「いえ、貴方は僕の人生に愉悦と享楽を起こす、道具ですよ」
暁灯瑠刀フォルラリスをしまう。
僕は空いた右手を、メノア様に出した。
「メノア様、貴方は僕にとって欠かせない、女神様です……多分……いや、絶対」
「どっちだ」
「……ですので、ここで死なれては困ります。というか、迷惑です……本当に」
メノア様が、出された掌を見る。
しかし、その手を取ろうとはしない。
「迷惑なのは、こっちだ糞野郎。お前が転生するせいで、その交換条件でベルザの奴に、煩わしい約定をさせられた」
「それが《虚無の巫女》となって、《星を喰らう獣》を……つまりは、将来の僕を滅ぼすこと、ですか」
「――ああ。転生中、気持ちよさそうに寝ていたお前は、記憶に無いだろうがな」
メノア様は不満げだった。
今更、そんな文句を言われても困る。
と、メノア様が顔を歪めて嗤った。
「わざわざ、私を《虚無の巫女》にして、転生をしたお前を滅ぼそうと企むとは……ベルザは相当、お前の力を恐れているらしい」
――クックック。
メノア様は嘲笑を抑えきれていなかった。
「――でも、その約定を承諾したから、現に僕を裏切ったのでしょう?」
「裏切った……? やはり、お前はベルザよりも被害妄想が激しいな。それに……私は承諾したが、確約はしていない。考えておいてやる、そう言っただけだ」
「約定が結ばれた時点で、双方の合意はされていると思いますが……」
「知らんし、覚えていない。仮に、そうだとしても守る義理はないな。約束事など破るものだ」
眩しい断罪の光が満ち溢れる。
結界の内部に浮き上がった粒子は、いまにも破裂しそうだった。
執行までの時間は残されていない。
僕はかけている眼鏡の奥、糸目を笑わせ言った。
「じゃあ、僕も女神様に倣って……破りますね」
「……何をだ?」
「神に創られた世界に定められた、つまらない秩序を」
《正義の執行官による裁きの天秤》が発動される。
激烈な黄金に飲まれた僕は、《権能》を――。
《理を変転させる幻惑の坩堝》で、秩序を歪めた。
【次話予告】
ノワールは女神の聖杯機の大海上で、メノアと戦っていた。
それは理を超越した存在、女神と邪神の殺し合いであったが、どちらも全力は出さず、単なる戯れの延長に過ぎなかった。
二柱の神々が争っている最中、時期を見計らい結界を張ったのは、カノンだった。
その管理者の閲覧会の堕天使が発動した、聖なる断罪の結界により、ノワールとメノアは生命力を徐々に奪われる。
執行をされ滅びる運命、それを変える為に、ノワールは《理を変転させる幻惑の坩堝》で、結界の術式を歪めた。
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