第1章 第32話 神々の戯れ
僕は身体に《女神の聖なる息吹》をかける。
凍らされた魂を癒そうと試みたが、どうやら意味は無いらしい。
魂に付いた傷跡の感触は残ったままである。
《固有体質》――《不老不死》は、既にやっていた。
これは僕が生まれ持った、身体の先天的な機能なので、無意識に自動で発動される。
だが、それも効力はなかった。
「お前が何をしようが、徒労だよ。やめておけ、無駄に魔力を消耗するだけだ」
メノア様が言う。
《権能》――《魂を凍らす聖なる光》を、解除。
いや、解凍する術はない。
と、そう遠回しに告げられた。
最上級《回復魔法》の《女神の聖なる息吹》でも、《不老不死》も効かない。
打つ手は無かった。
「《魂を凍らす聖なる光》が発動し、お前の魂は現在進行系で凍結している。完全に凍るまで、ざっと3分弱といったところか」
「――思ったより、結構猶予があるんですね。てっきり、瞬殺されるものかと」
「私は慈愛溢れる女神だからな。めっちゃ強いし優しいんだよ」
「へー」
「――だから、遺言位は聞いてやるよ。言い残した事があるなら、言ってみろ」
「ありがとうございます。慈愛なんとか女神様」
「溢れる」
「じゃあ、最後に一つだけ……」
「何だ」
僕は顔を上げ、メノア様を見た。
そして、ニコリと柔和に笑う。
「クタバレ、クソ女神……《巨人の撃砕》」
一瞬の間に、メノア様の懐に踏み込む。
巨人の腕力と化した右腕を、腹に捩じ込んだのだった。
女神様を殺す気でやった、僕の殴打は――。
その風圧で星力が舞う。
衝撃は女神の聖杯機の大海にまで伝わった。
メノア様の後ろで、扇状に盛大な飛沫が上がる。
――しかし。
「ほう……? 私が創造した作品なだけあって、なかなかのパワーだな」
メノア様は微動だにしない。
《魔力障壁》など保護となる膜を張っていないのに、それを泰然と受けた。
痩せ我慢でもない。
事実、露ほども痛みを与えられていなかった。
「……だが、この程度のグーパンチでは、生まれたての赤ちゃんも殺せない」
「何か言い方が可愛いですね」
「私は何時でも可愛い」
「そうでした……横暴だけど」
「……ん?」
「いえ、なんでもないです」
あはは、と僕は誤魔化し笑い。
メノア様に勘付かれないよう、密かに術式を練る。
「私は史上最強才色――」
「それ長いので、もういいです」
「兎に角、私はクソ強い女神なんだよ」
「そうですか」
「――故に、《巨人の撃砕》程度では、私の鍛え抜かれた腹筋は破壊出来ない。分かったか?」
「分かりません、何も。頑丈なお腹なようで……」
「いや……最近は禄に運動もしていない。腹も、ぷにぷにだ」
「僕より?」
「お前より」
「それは、大変だ」
「だろう……?」
と、お互い笑い合って――。
そんなメノア様の笑顔を、僕が思いっきり蹴り飛ばす。
回し蹴りを食らい、メノア様が海上を水平にふっ飛んでいった。
僕は動いた。
一歩、前に右足を踏み出す。
靴裏が海面に接触――。
瞬間、僕の身体は霞む。
移動の衝撃波で海水が噴気、何拍か遅れて颶風が起こった。
僕は、ただ歩いただけ。
しかし、本質的に身体能力が超越している僕は、少し魔力を乗せて歩けば音速に達する。
手先に魔力を込め指を弾けば、山をも破壊する。
女神の聖杯機の大海上を、一筋の閃光となって移動した。
メノア様が中空で身体を回転――。
体勢を整え、海面に着水する。
足裏に魔力を凝固させているのか、海中には沈まなかった。
「……んな、ショボい蹴りで殺せると思ってるのか」
――ペッ。
と、メノア様が血を吐き捨てる。
その隙に僕は距離を詰めていた。
メノア様の眼前に、僕の右拳が現れる。
魔力を纏ったそれは、《巨人の撃砕》だ。
顔面を強打する勢いの拳が、しかしメノア様が首を傾げた事で空を穿つ。
《巨人の撃砕》は空振り。
「愚鈍が……どこ狙ってやがる。空気中の酸素に恨みでもあったか?」
「相変わらず無知ですね、女神様は。女神の聖杯機に酸素はありませんよ」
間髪入れずに、僕が顎を蹴り上げた。
その一打も、メノア様は上体を反って避ける。
「知るかよ。私を正論で殴るなクソが。興味ない事は覚えない主義なんだよ」
「ただ、意欲が足りない馬鹿なだけでは?」
「そうともいう」
僕が次に狙ったのは、喉元だ。
左手に持ち替えた大太刀、暁灯瑠刀フォルラリスを振るう。
「――が、お前はお前で努力が足りないな」
メノア様が悠然と笑う。
僕の右手首を掴み取り、それから右膝を鳩尾に打ち込んだのだった。
「――っ」
僅かに呻き咽せた僕は、後方にかっ飛ぶ。
それを、正面にいるメノア様が高速で追いかけてきた。
霞むように移動しているが、それはメノア様の音速を超えた歩行だ。
「生まれ持った才能に甘え、努力を怠るから、お前は成長しないんだよ」
メノア様が暁灯瑠傘アルランレイブを、僕の胴体に叩き込む。
その軌道を読み、僕は右腕を盾にして防いだ。
「はなから僕は、成長する気が無いので……未成熟でいた方が、刺激的な経験を楽しめる」
《魔力障壁》を纏わせた右腕。
強固な防御も、だがメノア様の膂力に耐えるには厳しかった。
メノア様は《魔法》で、肉体を強化しているわけではない。
天性の化け物じみた身体能力――。
「……馬鹿力女神」
「褒めるな、クソガキ」
《魔力障壁》を張らず生身で受け止めていたら、骨まで砕かれていただろう。
骨折には至らなかった。
だが、僕がいるのは海上だ。
重力がある。
僕の身体は、暁灯瑠傘アルランレイブに叩かれた衝撃で、海面に激突した。
半身が沈む前に、僕は《飛翔浮力》を使う。
そのままの勢いで、メノア様に飛びかかった。
猪突猛進するように真正面から突っ込む僕は、右足で蹴り飛ばされる。
メノア様の蹴りだ。
もろに食らうと、内臓が破裂するだろう威力。
しかし、僕は。
「何かゾクゾクする」
「するな」
薄気味悪い笑みを見せ、メノア様の右足首を掴もうとした。
それを察して、速やかに足を引っ込める。
「沈め」
突如、僕は視界が反転する。
それは、側頭部に打ち込まれた回し蹴りだった。
「さっきのお返しだ、クソガキ」
僕は海面すれすれを吹っ飛び、着水する。
《飛翔浮力》で身体を浮かすと俊敏に、それからゆらりと上体を起こす。
不安定な体勢だが、身体の軸はぶれなかった。
――瞬間。
僕は霞み消えた。
「――ん」
同時、メノア様の首筋に悪寒が走る。
振り向けば、そこにあるのは僕の大太刀だ。
避けるのは間に合わない。
「ははっ、どうやら私は少しばかり、お前を見誤っていたようだ」
と、メノア様。
大太刀の刃先が接触する。
だが、首は斬り裂かれなかった。
それどころか、折れたのは暁灯瑠刀フォルラリスだ。
「かけっこが得意なことも、お前の魅力に付け足しておこう」
「本当に僕って、褒める箇所しかないですよね。困っちゃうなぁ」
「ああ、実に憂鬱だよ。お前と喋っているだけで疲れる」
メノア様の首筋に《魔力障壁》は見られない。
素肌で、大太刀に打ち勝った。
どういう肉体をしているのか。
「気になるか?」
「ええ、興味津々です」
――フッ。
と、メノア様が嗤う。
折られた刃が海面に落ちるより先に、僕は近距離で《巨人の撃砕》を放つ。
それを、メノア様が受け止めた。
「芸が無いな」
「手加減してあげているんですよ」
「この私を相手に、随分と優しいじゃあないか」
僕の右拳を握りしめ、メノア様が力を入れた。
――ギシギシ。
骨の砕ける音が立つ。
「今更、気付きましたか……? 僕はメノア様に対してだけは、優しいんですよ。貴方のことが大好きなので」
「私もお前のことが大好きだよ。心の底から愛している。セラスの次位には、お前が好きだ」
「……それ、嫌いなランキングでは?」
「いいや……? 大嫌いなランキングだよ」
「なら、良かった」
「良いんだ」
「はい」
「……本当に気持ちの悪い狂った奴だよ、お前は」
「ありがとうございます。おかげさまで、元気にやらせてもらっています」
メノア様が、拳を握り潰す。
それから、僕の胴体を蹴り飛ばした。
僕は宙で勢いを殺す。
刹那、《次元歪曲》でメノア様の懐に潜り込み、腹部めがけ《巨人の撃砕》を打った。
右拳が、メノア様の側頭部を穿つ。
しかしながら、その女神様は――。
「何度やっても同じだよ。お前では、私に致命傷は与えられない」
整った顔貌に冷笑さえ湛えて、僕の額を指で弾いたのだった。
視界が猛烈な速度で流れる。
僕は指一本で弾き飛ばされた。
背中が海面に触れ、水飛沫を盛大に噴き上げる。
今度は海中に沈むことになってしまった。
海底に沈む僕、そこにメノア様が割り込む。
暁灯瑠傘アルランレイブを、横に一振り。
真っ二つに海面が断ち割られる。
「――よう、クソガキ。死ぬ前に、一緒に水遊びでもするか?」
瞬きする間に、至近距離に近付いたメノア様が言う。
大海の底に身体を押し込まれる。
僕は戯けて笑った。
「折角なら、女神様の水着姿が見たいな。ほら、冥土の土産的な……」
「エロすぎて鼻血が出るが、いいのか?」
「鼻血を出しているのは、貴方でしょ」
メノア様の鼻には、赤い血液が染みたティッシュが詰められている。
僕は暁灯瑠傘アルランレイブを持ったメノア様の手首を捻り上げ、そして胸骨部を蹴る。
呻きはない。
メノア様は無表情だ。
「残念だが、お前と暢気に乳繰り合っている暇はない……時間切れだ」
「……悲しいな。もっと、遊びたかったのに」
――ハッ。
メノア様が鼻で笑って。
その鼻息で、詰めていたティッシュが抜けた。
血液が染み付いた汚いそれが、僕の顔に当たる。
最悪だ。
「ばっちぃ……」
帰ったら顔を洗おう。
消毒も忘れないようにしないと。
変な感染症を発症するかもしれない。
病院に行ったほうがいいかな。
「安心しろ。お前の身体は、髪の毛一本に至るまで、私という存在に汚染されている」
「それ、何ていう病名ですか?」
「糞女神欠乏症、だ」
「……してませんけど、欠乏」
メノア様が指を弾いた。
海中なのに、動きは緩慢ではない。
瞬間、周囲の海水――。
星力が散り、消滅する。
その一帯だけ、メノア様の衝撃波に、円形状に海水が刳り抜かれた。
露わになったのは、真珠色に輝きを放つ、海底の岩礁だ。
僕は足場の悪い、むき出しの岩場に着地する。
少し離れた岩壁の側に、メノア様も降り立った。
「メノア様……自然破壊は、いけないことですよ」
「前世で好き放題、虐殺をしていた畜生に説教される筋合いはないな」
「覚えてませんね……そんな大昔のことは」
「それで許されるなら、管理者の閲覧会はいらない」
「メノアさんの仰るとおり……ついでに《虚無の巫女》である貴方も、この世界には不要な存在ですが……」
と、カノンの声が遠方から響いた。
位置を探すと、彼は円形に抜かれた海面の縁にいた。
両翼を羽ばたかせ、こちらを見下ろしている。
「――気が変わりました」
「私は変わっていない」
「疑問形ではありません。私自身の話です」
「分かりづらい狂信者だな」
「女神様の理解力が無いだけかと」
カノンが右腕を天に掲げる。
その掌に黄金の粒子が集まった。
大規模な《魔法》を繰り出そうとしている。
「出来の悪い神が、二柱とも良い具合に削り合ってもらったおかげで、私の手間が省けました。残業をせずに定時で帰れる幸せに、感謝しますよ」
「……おい。何か言い返してやれ、ノワール」
「どういたしまして……じゃあ、お先に失礼するね」
僕は片手を挙げ、去ろうとした。
その帰宅が認められるわけもない。
堕天使の術式が発動し、海底に広範囲の結界が張られた。
【次話予告】
ノワールは裏切った女神メノアの《権能》――《魂を凍らす聖なる光》により、時間経過で魂を凍らされることになった。
治癒が効かないのを悟ったノワールは、凍結する前に術者であるメノアを対処しようとする。
メノアに《巨人の撃砕》で殴りかかり、大海の上で女神と戦うが、全盛期の力を取り戻していないノワールは弄ばれる。
そんな女神と邪神が削り合っているところに、堕天使は大規模な結果を発動させ、二人纏めて執行しようとしたのだった。
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