06 初期スキン
「あー、終わったー! 一学期おしまい! この瞬間がいちばん好き!」
結衣が両手を上げて伸びをした。
「私は補習なくて助かった……。鉛筆転がしで赤点回避とか、もう奇跡だから」
私は胸をなで下ろす。
「いやそれよりさ、なんで自由研究があるの? 自由って言うくせに必須なの意味わかんない」
里沙がプリントを見ながら言った。
友人たちに連れられて、私は人生で初めて『マグド』に来ていた。麻実さんの修行のおかげで、今の私は外食をしても平気らしい。……もっとも、どうして平気になったのかは、さっぱりわからない。
テーブルにはポテトとバーガーがずらりと並ぶ。
その代金は、里沙の持っていた「マグド株主クーポン」によって、驚くほど安く済んでいた。
「パパが毎年くれるんだよね」
里沙はポテトをつまみながら笑う。
株主優待券ってなんなんだ。
店の商品がそんなに安くなる仕組みが、この世に存在していること。
私はこの世界の成り立ちに、改めて戦慄した。
「そういえばさ、みんな夏どっか行くの?」
結衣がバーガーにアグリと食いついた。
「まだノープラン。というか暑すぎだし、日焼けしたくない」
「ほんとそれ。今年も去年超えてきそう」
冷房の効いた店内から見る外は、性別関係なく日傘を差す人が多かった。
「ね、このゲームやらない? 近くの人とも遊べるやつ。歩くとポイントも貯まるんだって」
結衣がスマホをこちらへ差し出す。位置情報を使うゲームらしい。
「あ、マキたちから連絡来た。『今そっち向かってる』だって」
「え、マジ? 席足りる?」
その一言で、静かだったテーブルは一気に慌ただしくなった。
一学期の終業式後、私は実家へ戻ることになった。麻美さんはしばらく仕事が忙しくなるという。良くも悪くもない通知表をリュックにしまい、私は実家に帰った。
実家では父が変わらず出迎えてくれた。私が通信簿を渡すと、父は他にも何か欲しそうな顔をしている。察して2学期の給食の献立表を渡した。
「まあなんだ、およそ『3』って感じだな?」
父は通信簿をさらりと眺め、家庭科が「5」なのを見ると、満足げに私を褒めた。
夕方、母が帰ってきた。
「優子、これ。明日のお昼だから」
「なにこれ?」
「ん? チケットよ」
手渡された封筒の中身を覗き込む。そこには「フランクフルト」と書かれていた。私の頭の中に、あのソーセージが浮かんだ。
「お父さん。麻美さん、優子に何も言ってないって」
「まあいいじゃないか。チケットは取れたんだし」
その日の夕飯はハンバーグだった。
私は緊張のあまり頭が真っ白になっていた。初めての海外旅行、しかも一人旅。今思えば、その場で抗議しても良かったはずだ。だけど当時の私にはそんな余裕すらなく、本日二度目の「牛肉の塊」を噛みしめるしかなかった。
翌日の早朝、私は二人に玄関で見送られた。
父と母は、私に向かって「トイトイトイ」と言った。
意味がわからなかったし、突っ込む余裕もなかった。
私は大きなバックパックを背負うと、一人家を出た。
「優子の位置情報、なんかヤバくない……?」
スマホの画面をのぞき込みながら、結衣が真剣な顔で固まった。
「…って、待って。これ日本からはみ出してるんだけど」
画面のなかの優子のアバターが信じられないほどの猛スピードで移動していた。日本という小さな枠を軽々と飛び出し、ユーラシア大陸を横断するかのような勢いで伸びている。
「えっ、待って、飛行機? 優子何やってるの?」
「ログイン状態にはなってるけど……?」
昨日までポテトをモシャモシャと永遠に食べていた優子が、突如としてどこかに行ってしまったような喪失感。
「待って、昨日、優子何て言ってたっけ……」
「たしか、『実家に帰る』って……」
「実家ってどこよ!? ヨーロッパ?」
それぞれの家でスマホを覗き込んでいた結衣と里沙は、画面に次々と表示される見慣れない通知に目を丸くしていた。
「『さすらい完了!』……え?」
「今度は『古代遺跡を発見しました』って......」
ゲームの画面には、優子からの通知が連発している。
それだけではない。一緒に歩かなくてももらえるはずのフレンドボーナスや、移動距離に応じたお土産の数々が、優子から次々へと届いていた。
「ちょっと待って、これ……エグい」
画面のなかでは、優子のアバターが初期スキンのままユーラシア大陸を猛ダッシュしている。本人は「離籍中」ステータスのまま一言も喋らない。
「……ねえ」
「うん」
「すごい増えてる」
「うん」
心配するたびに、また新しい通知が届く。
二人は複雑な顔で、それをタップし続けた。




