07 祝☆初海外!
フランクフルトまでは直行便だった。
緊張していたので、道中の記憶はほとんどない。
最後の日本食かもしれないと『金だこ』を頼み受け取った瞬間にくしゃみで青のりを飛ばした。保安検査では何度も止められ、なぜか搭乗直前にソフトクリームを買って後悔した。空港でやるべきことを一通り間違えたあと、飛行機に乗った。
あとは寝た。
機内食のたびに隣のおじさんが肩を叩いて起こしてくれるので、起きては食べ、食べては寝た。
それを何度か繰り返した。
すると、ドイツだった。
荷物もちゃんと出てきた。
やっぱり、ドイツだった。
いろいろな人種に囲まれながら到着口へ出る。初めての海外。初めてのドイツ。
空港に降り立つと、なぜかイケアとコストコを混ぜたような匂いがした。
ようやくここで、「ああ、本当に来たんだ」と実感した。
☆
「優子ちゃん!」
「サブちゃん! マールツァイト!」
人混みの中でサブちゃんの姿を見つけると、私は唯一覚えたドイツ語を大きな声で披露した。意味はわからない。でも機内で三回聞いたので、重要な言葉なのだと思う。飛行機の隣の席のおじさんがドイツ人だった。機内食の度に私に言っていたから、挨拶のような言葉だと推測している。
サブちゃんは世界を股にかけるバイヤーという仕事をしている。もっとも、何を「バイ」しているのか、私は何も知らない。父と麻美さんは、次なる修行という名目で、この叔父に私を託したらしい。
「優子ちゃん! 悪いんだけど、このまま上海に行くよ」
「へ?」
「はいこれ! 本場のフランクフルトのホットドッグ! メモリー作って! さあレッツゴーだよ!」
そう言われつつ両手に少し冷めたホットドッグを押しつけられた。
私の人生初の記念すべき海外旅行。フランクフルトの滞在は、本場のソーセージをあわただしく食べ、空港の外の空気を吸うことすら叶わず、わずか数時間で幕を閉じた。
☆
上空XXXメートル、ドイツから上海へと向かう機内。離陸とともに遠ざかるフランクフルトの街並みを窓越しに見下ろしながら、私は頭の中で「戦時中の女将校」という架空のキャラクターを演じていた。心の中で「さようなら、我が同盟国のドイツよ。再びまみえるその日まで」と別れを告げた。
そして、その世界観に浸ったまま、窓の外の雲海に向かって先ほど覚えた「ダンケシェーン」とポツリとつぶやいた。
「で、またなんで上海なの?サブちゃん」
私の初海外旅行を台無しにした隣にいる叔父に尋ねた。
「上海というか、昆明なんだけどね。声がね。聞こえたんだよ」
「声?」
私はサブちゃんも父と同類の変人なのかと勘繰りだした。
「優子ちゃんもファミリーがストレンジなことにアンダスタンなんだよね?」
「その……神様関係?」
「そう。僕ら一族は昔から神様に料理を届ける役目なんだ。兄さんが献立を決める。姉さんが味付けする。僕は市場を走り回る」
サブちゃんは早口で、機内食のナプキンの裏に世界地図を殴り書きしながら、熱っぽく持論を語り続けた。
「でも、それは人間に見えてる仕事さ。本当は違う。兄さんは時間を調理してる。姉さんは時代を味付けしてる。僕は世界中から流れを運んでくる」
「——地球の食卓を、神様のお供えとするんだ。わかるかい、優子ちゃん? 僕らは食材を運んでいるんじゃない。神々を、この世界へ繋ぎ止めているんだ」
サブちゃんの声が、しだいに遠ざかっていく。時差ボケなのだろうか。きっとそうに違いない。進んだり逆戻りする時間の密度に、私の身体が耐えきれなくなったのに違いない。なんせ初海外旅行だ。私はいつの間にか、猛烈な眠気に襲われ、意識の底へと沈み込んでいた。
『――聞いているのか!』
まどろみの中で、怒号のような声が脳裏を揺さぶる。
『――早く解放しろ!』
いつだったか、父が苦々しい顔で私を強く抱きしめた時の記憶が蘇る。
『神に仕えているんじゃない。化け物を餌付けしているだけだ!』
耳元で誰かの怒鳴り声が響く。そして父の冷ややかな表情が知らないだれかと混ざり合った。その人は私に気づくと、すまなさそうに静かに笑った。
『……ねえ、優子ちゃん? 聞いてるの?』
ハッと目を覚ます。そこはまだ、雲の上の機内だった。
声の主を探すように見回すが、客室の照明はすでに落とされ、暗闇が広がっている。
ふと隣を見ると、サブちゃんはアイマスクを着け、規則良い寝息を立てていた。




