04 「修行だ」とリアルに言われた私。
「修行だ」と父は言った。
母は、大きなバックパックを私に背負わせた。
「パスポートも入れてあるから。これ、家族用のクレジットカードね」
二人は、手に持った黒い石をカンカンと打ち合わせた。
小さな火花が散り、玄関に古い匂いが立ち込める。
――こうして私は、麻美さんのマンションから、しばらく高校に通うことになったのだ。
麻美さんの家から高校までは徒歩で行ける。
いつもより長く寝られることに、私は深く感謝した。
麻美さんは『ミシェポン』の審査員だった。私はそれを知らなかった。
食べて、評価して、お金をもらう。なんてデタラメで楽な仕事だろう、と当時の私は思った。
その日から、麻美さんは私を外食に連れていった。
麻美さんとの外食はどれも美味しかった。
でも、何かが足りない。
気がつけば、私は実家の、あの普通の献立のことを考えていた。
彼女の『いただきます』は独特だ。
「この世は食うか食われるか、今宵はどっち?――では、いただきます」
私は彼女に合わせ、とりあえず両手を合わせた。
食後、麻美さんはバッグから一枚の、くしゃくしゃになった古い紙を取り出した。
「それ、なに?」
「神だよ」
彼女はその紙に向かって、熱心にぼそぼそと何かをつぶやき始めた。
説明はない。
昔から彼女はそうだ。
『見て覚えろ』を地で行く人なのだ。
静かな、天井の高いレストラン。その空間に、突然、麻美さんの笑い声が響いた。
彼女は大きな声で「あっははは!」と笑い出したのだ。
目に見えない誰かと馬鹿騒ぎをしている――そんな雰囲気だった。
私はそんな『劇団麻美』の一人舞台を、目の前の特等席で見届ける羽目になった。
店員さんがチラチラとこちらに向けてくる視線が痛い。
居心地の悪さに耐えかね、店員さんを呼び、デザートの杏仁豆腐を頼んだ。
「あんにん……暗忍ね。それはよいかも」
突然我に返った麻美さんは小さく頷くと、同じく杏仁豆腐のバニラアイス添えを注文した。
彼女は少し目を閉じ、誰かに聞かせるよう。
どこかしっとりとした調子で歌を詠み上げた。
「暗き道 忍び歩めば 花は咲く 飾らぬ日々へ 涼を添えたり」
「なにそれ?」
「……お祈り」
彼女は事も無げに言うと、自分のバニラアイスを半分、私の皿に分けてくれた。
マンションに帰ると、テレビでは総理大臣が退院したニュースが流れていた。
世界各国の要人が、祝賀コメントを寄せている。
"The answer comes after all. At the end... fly. Horse mackerel leads us."
『答えとは、最後に訪れる飛躍なのです。人類を導く基軸、それがホース・マッカレルです』
どのチャンネルでもその映像がリピートされていた。
なぜだろうか。私には、アジフライしか聞こえない。
専門家の理路整然とした解説を聞きながら、私はスマホを見た。
私の耳がおかしいわけではなかった。
SNSのトレンド1位は、当然のように『#アジフライ外交』だった。
風呂上がりの熱を帯びた麻美さんが、濡れた髪をそのままに冷蔵庫を開ける。
吹き出した白い冷気の中に、彼女の細い指先が滑り込み、缶ビールを音もなく引き抜く。
「やるじゃない。兄さん」
そう呟くと、彼女は冷えたアルコールをグビりと喉に流し込んだ。




