第七話「強さでは開かない扉」 ― 試す、確かめる、掘る、そして ―
旧街道を二日歩いて、六日目の夕方。
丘の斜面に、半分埋もれた石造りの門が現れた。
苔と蔦に覆われているが、輪郭はまだ崩れていない。高さは、アルの背丈の三倍はあるだろうか。門の前には、野営のテントが三つ並んでいた。
テントの前の焚き火に、黒い外套の男が、背を向けて立っていた。
「……ガルドさん?」
ガルドは、ゆっくりと振り返った。
「来たか。予想より、少し遅かったな」
「先に来てたんですか」
「調査だ。たまたまだ」
「三つもテント張って、たまたまw」
ガルドは、聞こえなかったふりをした。
焚き火のそばでは、年配の部下が、腕に包帯を巻いて座り込んでいる。アルと目が合うと、気まずそうに頭を下げた。
「何があったんですか」
「扉を、開けようとした」
ガルドは、短く答えた。
「魔法を撃ち込んだ。反射された。力で押した。びくともしなかった。解錠の専門家も呼んだが、鍵穴が見つからないと言って帰った」
「で、腕は?」
「反射された魔法に当たった」
「あー……」
アルは、門を見上げた。
扉の表面は、五かける五の、二十五枚の石のタイルで埋まっていた。それぞれに、異なる文様が刻まれている。左右の柱には、びっしりと古い文字。そして、扉の根元には、一行だけ、大きな文字が彫られていた。
司書が、アルの肩から降りて、扉の根元に近づいた。
じっと文字を見つめ、羽を一つ動かす。
「ミレ婆の辞書の写しを、取ってある。……少し待て」
羽ペンの先が、紙の上をさらさらと走る。
「読めた」
「何て?」
司書は、ゆっくりと読み上げた。
「『試せ。確かめよ。掘れ。そして、渡せ』」
静かな時間が、焚き火のはぜる音だけで流れた。
「四つ、あるな」
アルが言った。
「そうだ。動詞が四つ。順番にも、意味があると推測する」
ガルドが、低く言った。
「……それで開くのか」
「検証が必要だ」
司書は、アルを見上げた。
「お前の石を、出してくれ」
アルは、懐から石の板を取り出した。刻まれた紋章を、扉のタイルと見比べる。
「……あった」
アルは、右から二列目、上から三枚目のタイルを指さした。
石の板の紋章と、まったく同じ形。
「それだけではない」
司書が、扉の別の場所を爪で叩いた。
「同じ形の紋章は、あと二枚ある。どれが本物か、確かめなくてはならない」
「青」
「うん!」
「出番だ」
アルは、バケツの蓋を開けた。
「いってみよう!」
青が、紐のように細くなって、タイルの隙間に滑り込んだ。
「中、わかんない! でも、押すと、ぐにゃって動くやつがある!」
「どれが動く?」
「えーっとね、この辺と、ここと、あっち!」
青は、いくつかのタイルを、内側から順番に押していく。ぐ、ぐ、と音がして、三枚のタイルが、わずかに奥へ沈んだ。
「三枚、動く! でも、ぜんぶ、すぐ戻る!」
「戻る?」
「押してる間だけ、沈む!」
司書が、紙に記録していく。
「動くのは、紋章が同じ三枚。そのうち、押し続けても反応がないのは──」
「一枚だけ、重い! ぼくじゃ、動かない!」
「それだ」
司書が、羽の先で印をつけた。
「軽く沈んですぐ戻る二枚は、罠の可能性が高い。押された力に反応して、何かが作動する仕組みだろう。重い一枚が、本物だ」
「待て」
ガルドが、口を挟んだ。
「それは推測だろう」
「推測だ。ゆえに、確かめる」
司書は、ガルドを見た。
「青が、罠かもしれない二枚のうち、片方を、ごく弱い力で押す。結果を観察する」
「危険だ」
「だから、青が押す。ごく弱い力で」
「ぼく、潰れても平気だよ!」
「平気じゃないだろw」
アルが、慌てて言った。
「でも、やるしかないか。青、慎重にな」
「うん!」
青は、一枚のタイルの縁に体を押し付けた。ほんの少しだけ、力をかける。
タイルが、一ミリだけ沈んだ。
次の瞬間、扉の上の石組みが、がらりと崩れた。
「うわっ」
小さな石が、数個、地面に落ちた。青が、アルの足元に転がってきた。
「いたっ、くない! でも、びっくりした!」
「無事か」
「うん! ちょっと潰れた!」
司書が、落ちた石を観察した。
「やはり、罠だった。力を加えた分だけ、落下の量も増える。ガルドの部下は、強い力を加えたのだろう。だから、反射された」
ガルドは、黙って頷いた。
「では、本物の一枚は」
「動かさずに、確かめる」
司書は、青がさっき印をつけたタイルの、真下の地面を見つめた。
「このタイルの下に、空洞がある可能性が高い。重いのは、下に仕掛けがあるからだ」
「掘るんだな」
「そうだ。猫」
「にゃ」
穴掘り猫は、のっそりと立ち上がった。
背中の鞄を揺らしながら、扉の根元に歩み寄る。前足を地面に置いて、じっと耳を傾けた。それから、右に二歩、左に一歩、前に半歩。
ここだ、とでも言うように、一度だけ、前足で地面を叩いた。
「にゃ」
「そこ、掘ればいいんだな」
猫が、掘り始めた。
ざく、ざく、ざく。
土が、後ろにぽんぽん飛んでいく。数分もしないうちに、猫の体の半分が、穴の中に埋まった。
しばらくして、がちん、と硬い音がした。
猫が、穴から顔を出した。鼻先に土がついている。
「にゃ」
アルが穴を覗き込むと、そこには、石でできた環状の台座が埋まっていた。中央に、四角い窪み。
「……これ、俺の石の形じゃね?」
「そうだ」
司書が、静かに言った。
「試せ。確かめよ。掘れ」
三つの動詞を、一つずつ、指折り数える。
「そして、最後の一つ」
「渡せ」
アルが、呟いた。
「誰に?」
「分からない」
司書は、アルを見上げた。
「だが、三つは、それぞれ、私たちがやった。最後の一つは」
「俺か」
アルは、石の板を見つめた。
試したのは、青。確かめたのは、司書。掘ったのは、猫。
その結果を受け取って、渡す。
「……渡す相手は、扉か」
ガルドが、一歩前に出た。
「待て。その石を、扉に渡せば、石が戻ってこない可能性がある」
「確かに、そうかもな」
アルは、少しだけ迷った。
それから、青を見た。猫を見た。司書を見た。
「でも、こいつらが、全部やったからな」
アルは、石の板を、台座の窪みに、そっと差し込んだ。
かちり。
静寂。
次の瞬間、扉の上のタイルが、一枚ずつ、順番に沈み始めた。
ごごごご、と重い音を立てて、五かける五の石が、すべて奥へ引き込まれていく。罠だったタイルも、本物のタイルも、一緒に。
最後に、扉の中央が、縦にひび割れた。
そして、ゆっくりと、左右に開いていった。
暗闇の奥から、冷たい空気が流れ出す。
穴の底から、石の板が、すっと浮き上がってきた。
アルの手のひらに、ことん、と落ちる。
「……戻ってきた」
「そうか」
ガルドが、呟いた。
「強さでは、開かなかった扉が」
ガルドは、扉の奥を、黙って見つめていた。それから、ふっと息を吐いた。
「……調査のためだ。同行させてもらう」
「いいですよ。むしろ、助かる」
「別に、助けるつもりはない」
「w はいはい」
そのとき、野営地のほうから、足音が駆けてきた。
息を切らした若い部下が、ガルドの前で膝をついた。
「ガルド様! 報告が……!」
「何だ」
「ギルド上層から、使者団が派遣されました。明日の昼には、ここに到着する見込みです」
ガルドの眉が、わずかに動いた。
「……漏れたか」
「別ルートから、情報が。『石板の件』と」
ガルドは、少しだけ黙っていた。それから、アルのほうを向いた。
「聞いての通りだ」
「明日の昼、ですよね」
「そうだ」
「中に入って、石を見つけて、戻ってくるのに、どのくらいかかる?」
「分からん。ただ」
ガルドは、扉の奥を見た。
「使者団が来る前に、すべて終えておくほうがいい」
アルは、懐の石の板を、ぎゅっと握りしめた。
青が、バケツの縁から、顔を出した。
「ねえ、アル」
「……行くんだろ?」
「うん! いってみ──」
「待て」
司書と、ガルドの声が、同時に重なった。
二人は、お互いを見て、気まずそうに視線をそらした。
「……w」
アルは、思わず吹き出した。
「ほら、行くぞ。時間ないんだから」
暗闇の奥へ、五つの影が、ゆっくりと降りていった。




