第四話「読める人を探せ」 ― 古書店と、バラバラな三体 ―
翌朝。
宿の机の上に、昨日の石の板が置かれていた。
司書は、徹夜で観察したらしい。目の下の羽が、少しだけ膨らんでいる。
「結論から言う。この文字は、ギルドの蔵書のどれとも一致しない。読める人間を探す必要がある」
「だから、それを探すのが俺の仕事なんだろ」
「そうだと、推測している」
「推測かよw」
アルは石を懐にしまって、ギルドに向かった。受付で聞いてみると、受付嬢は少し考えてから答えた。
「町外れに、古書店があります。店主のミレ婆さんは、変わった文字なら何でも読むって噂で」
「ありがとう。……あ、でも町中に魔物連れていくの、許可いるんだよね」
「はい。同伴許可証が、一体につき銀貨一枚です」
「三体だから三枚か。……今の所持金、ちょうど三枚なんだけど」
「……あの」
受付嬢は、引き出しから三枚の札を出した。
「上に掛け合ったら、通りました。昨日の地下水路の件の功績ということで、許可証の費用は、ギルド持ちです」
「え、マジで?」
「評価は変わりませんからね。……でも、F級魔物の同伴費用がギルド持ちになったのは、初めてのことです」
アルは札を受け取りながら、少しだけ笑った。
「ありがとう。今度、落し物の山、また持ってくるわ」
古書店は、本当に町外れにあった。
傾いた木造の二階建て。看板には「ほこり堂」と、擦れた文字で書いてある。扉を開けると、古い紙の匂いが、どっと流れ出てきた。
店内は、本の山だった。
棚に入りきらない本が、床から天井まで積み上がっている。通路は、人ひとりがやっと通れる幅しかない。
奥のカウンターで、小柄なおばあさんが、分厚い眼鏡越しにアルたちを睨んだ。
「魔物は、入れんでくれと看板に書いてあろう」
「え、書いてなかったけど」
「裏に書いてある」
「裏は見えないw」
「入るな」
そのとき、司書が、すっとアルの肩から降りて、床に着地した。
それから、本の山の前で、静かに首を傾けた。
「……背表紙が、ほとんど分類されていない。だが、傷んではいない。大切に扱われてきた本だ」
ミレ婆が、眼鏡をずり上げた。
「……鳥が、本を褒めたのかい」
「事実を述べただけだ」
「ふん」
ミレ婆は、ぷいと顔をそらしたが、口の端が、ほんの少しだけ動いた。
「見せてみな。何か持ってきたんだろう」
アルが、石の板を差し出す。ミレ婆は受け取ると、じっと見つめた。指で、刻まれた文字を一つずつなぞっていく。
〈読み継ぐ者〉
アルの視界の端に、一瞬だけ、小さな文字が重なった。
「……ふむ」
ミレ婆は、石を机に置いた。
「読めんことはない。古い、ずっと古い魔物使いの文字じゃ。ただ、辞書が要る」
「辞書?」
「『古語大辞典』の第三巻。うちにあるはずなんじゃが、見つからん。三十年前の整理で、どこかに紛れ込んだ」
ミレ婆は、店の中をぐるりと見渡した。
「この店のどこかには、確実にある。見つけてくれたら、読んでやる。ただし、明日の朝までじゃ。明日は骨董市で、店の本を半分、表に出さにゃならん。そのときに片付けをする」
「つまり、今日中に辞書を見つければいいんだな」
「そういうことじゃ」
アルは、店内を見回した。
本、本、本。八千冊はあるだろうか。
「……任せろ」
最初の三十分は、大混乱だった。
「いってみよう!」
青が、棚の天辺に飛び乗った。すぐに、本の山がぐらりと揺れる。
「わっ、わっ、落ちる!」
「落ちるなw 落とすな!」
「待て。まず確認を──」
司書の言葉は、本が崩れる音にかき消された。
その横で、穴掘り猫が、床板の隙間に前足を突っ込んで、ごそごそ掘り始めている。
「にゃ」
「いや、ここ床下じゃなくて店だからな!? 床板剥がすなよ!」
「にゃ」
ミレ婆が、カウンターから叫んだ。
「ほこりが舞う! 店を壊す気かい!」
アルは、頭を抱えた。
三体が、てんでバラバラに動いている。青は上へ、猫は下へ、司書は「まず目録を作る」と言って本の山の前で固まっている。
「待て待て待て!」
アルは、両手を広げて叫んだ。
「いったん止まれ!」
三体が、ぴたりと止まった。
アルは、深呼吸した。それから、店内をもう一度ゆっくり見回した。
棚の上の方。誰も手が届かない、本の隙間。
カウンターの裏の、積み上がった木箱。
床に近い場所の、崩れかけた本の山。
そして、背表紙がばらばらに並んだ、どの棚にも、同じ種類の本が見当たらないこと。
「……あのさ」
アルは、ゆっくり口を開いた。
「青。お前は、棚の上とか、本と本の間とか、天井近くの隙間を見てきてくれ。見つけた本のタイトルは、全部大きな声で言え」
「分かった! 全部言う!」
「司書。青が言ったタイトルを、どこにあったか付けて、全部記録してくれ。それから、辞書の第一巻と第二巻がどこにあるか、見つけたら教えて」
「……了解した。第一巻と第二巻の位置が分かれば、第三巻の推測ができる」
「猫。お前は、奥の部屋だ。あの崩れた本の山の下。一番下まで掘れ」
「にゃ」
猫は、一度だけ頷いて、奥の部屋に駆けていった。
アルは、自分が言った言葉を、少し遅れて理解した。
「……あれ、俺、今」
「何だい」
ミレ婆が、眼鏡の奥から、じっとアルを見ていた。
「いや、なんか、勝手に口から出てた」
「ふん。続けな」
一時間後。
青が、棚の上から叫んだ。
「『初級魔法理論』! 棚の上から二段目、右から三冊目! 『初級魔法理論・続』! その隣!」
「記録した」
司書が、床に広げた紙に、羽でさらさらと書き込んでいく。
「『古語大辞典・第一巻』、発見。南の壁の棚、下から二段目。第二巻は──」
「ぼく、見つけた! 北の壁、一番上!」
「……二巻と一巻が、反対側の壁にある」
司書が、じっと紙を見つめた。
「通常、同じ巻は近くに置く。つまり、三十年前の整理では、辞書は、順番通りには置かれていなかった。仮説を立てる。第三巻は、第一巻と第二巻の間にあるのではなく──」
司書は、紙の上の二つの印を、羽で結んだ。
「この線の、延長線上にある」
「延長線上って、奥の部屋じゃん」
「そうだ」
そのとき、奥の部屋から、ぼこっ、という音がした。
アルが駆けつけると、猫が、崩れた本の山の下で、必死に床板を掘っていた。山の一番底に、埃まみれの木箱が埋まっている。
「にゃ」
猫が、木箱の蓋を前足でこじ開けた。
中には、分厚い、古びた背表紙の本が一冊。
『古語大辞典・第三巻』
「……あった」
アルは、本を抱えて、ミレ婆のところへ走った。
「あった! これだろ!」
ミレ婆は、本を受け取ると、しばらく黙っていた。それから、ゆっくり背表紙を撫でた。
「……三十年探しとった」
「え」
「亡くなった亭主が、最後に整理した本でな。どこかで失くしてしまってから、ずっと、ずっと探しとった」
ミレ婆は、眼鏡を外して、目元を拭った。
「ありがとうよ」
三体は、それぞれ違う場所で、それぞれ違う顔をしていた。
青は、棚の上で嬉しそうに跳ねている。司書は、記録の紙を静かに畳んでいる。穴掘り猫は、埃まみれのまま、満足そうに尻尾を揺らしている。
アルは、その様子を、ぼんやり眺めていた。
「……これ、俺だけじゃ絶対無理だったな」
「当然だ」
司書が、ぼそりと言った。
「お前は、何も探していない。お前がしたのは、私たちに『どこを』と言っただけだ」
「それだけ?」
「それだけだ。だが」
司書は、少しだけ首を傾けた。
「それだけが、誰にもできなかった」
アルは、返す言葉を探したが、見つからなかった。
夜。
ミレ婆は、辞書を片手に、石の板を長い間見つめていた。その隣で、司書が、辞書の頁を一枚ずつ、羽ペンで写し取っていた。
「……読める。ここまでは」
ミレ婆は、老眼鏡を指で押さえて、ゆっくり読み上げた。
「『これは、測るための石ではない』」
アルは、顔を上げた。
「……何て?」
「それだけじゃ。この続きは、欠けておる。石が割れて、一部がなくなっておるんじゃろう。最後に、小さな印がある。魔物使いの組合の、古い紋章じゃ」
ミレ婆は、石を机の上に置いた。
「もう何枚か、同じ石があるはずじゃ。割れた石は、別々の場所に散っておるのだろう」
「……測るための石じゃない」
アルは、呟いた。
ギルドの石板のことを、思い出した。手を置くと、数字が出る。強さが決まる。
あれは、何のための石だったのだろう。
ほこり堂を出ると、夜風が涼しかった。
石畳の通りに、三体の影が並んで伸びている。
「いったん帰って、休もうぜ」
そう言いかけた、そのとき。
通りの向こうから、数人の足音が近づいてきた。
先頭は、黒い外套を着た、背の高い男だった。ギルドの紋章が、胸元に光っている。後ろには、無表情な部下が二人。
男は、アルの前で止まった。
「アル、で間違いないな」
「そうだけど」
「ギルド査定部、ガルドだ」
男は、アルの懐を、じっと見た。
「昨日の地下水路の件を聞いた。F級の魔物を三体も連れて、妙なことをしているらしいな」
「妙っていうか、普通に探し物してただけなんだけど」
「その石も、見せてもらおうか」
アルは、反射的に、懐を押さえた。
ガルドの目が、細くなる。
「明日の朝、ギルドで査定を受けてもらう。お前の、その石の、そして」
ガルドは、アルの後ろの、三体を順に見た。
「その三体の、な」
男は踵を返して、夜の通りに消えた。
通りには、アルと三体だけが残された。
青が、アルの肩に飛び乗った。
「ねえ、アル」
「……何だよ」
「行ってみてもいい?」
「どこに」
「ギルド!」
「……今夜は、行かない」
アルは、深いため息をついた。
それから、懐の中の石の板を、ぎゅっと握りしめた。
「……明日だ」




