第三話「ちょっと待て。そこ、もっと掘れるぞ」― 穴を掘る猫 ―
翌朝。
ギルドの裏庭は、ひどいことになっていた。
花壇があったはずの場所に、穴、穴、穴。土が盛り上がって、掘り返された球根が転がっている。
「全滅です。昨日まで、春の花が咲く予定だったんです」
職員が、肩を震わせていた。
「で、犯人は?」
「あそこです」
指さされた先で、小さな猫が、一心不乱に地面を掘っていた。
灰色と白の、ふわふわした毛並み。背中には、擦り切れた小さな革の鞄を背負っている。前足で土をかき出すたびに、後ろ足の間から、茶色の山がぽんぽん積み上がっていく。
「……猫だな」
「猫型の魔物です。F級です。ステータスは攻撃力3、防御力2、特殊能力なし。花壇の損害は、飼い主がいないので、引き取る人の負担になります」
「引き取る前提で話すなよw」
「昨日の流れからして、そうなるかと」
職員は、ため息を吐いた。
「日没までに引き取り手がつかなければ、処分です」
アルは猫に近づいた。しゃがんで、顔を覗き込む。
「おーい。何掘ってんの?」
「にゃ」
猫は、アルを一度だけ見て、また掘り始めた。
「……答えになってないぞw」
「にゃ」
「いや、質問に質問で返すなw」
青が、アルの肩から飛び降りた。猫の隣に着地して、同じ穴に頭を突っ込む。
「ねえねえ、何が出てくるの? ぼくも掘る!」
猫は迷惑そうに青を見て、少しだけ位置をずらした。それでも追い払いはしない。
そこへ、司書が羽音もなく降りてきた。穴の縁に止まって、じっと観察している。
「穴は全部で十七。間隔は、およそ三歩ずつ。そして」
司書は、爪で穴の壁をなぞった。
「どれも、斜めに掘られている。斜面の向きが、すべて同じだ」
「同じ方向に掘ってるってこと?」
「正確には、一点に向かって掘っている。延長線を引けば、交点が出る」
司書は、資料庫から持ってきたらしい地図を、土の上に広げた。ギルドの敷地図だ。羽の先で、穴の位置に印をつけ、線を引いていく。
十七本の線が、一箇所に集まった。
アルは、その場所を見て、眉をひそめた。
「……これ、廊下の下じゃん」
「そうだ。昨日、紛失物が集まっていた、あの継ぎ目の真下だ」
青が、穴から顔を出した。
「あ! 昨日の! 隙間のとこだ!」
三人が、同時に猫を見た。
猫は、相変わらず、掘っていた。
昼過ぎ。
アルたちは、廊下の床板を数枚外して、床下に降りた。薄暗い土の空間に、湿った匂いが漂っている。
「やっぱり。床下の土が、場所によって沈んでいる」
司書が、羽で土の高さを測る。
「継ぎ目の真下だけ、他より指二本分低い。何かが、下で抜けている」
「じゃあ、下に何かあるんだな。穴を掘って確かめよう」
「待て。まず確認を」
司書が言い終わらないうちに、青がもう掘り始めていた。猫も、その横で黙々と掘る。
アルも、手近なスコップを借りてきて、ざくざく掘った。
一時間後。
穴の深さは、アルの腰を越えた。底に、固い灰色の層が現れる。
司書が、爪でこつこつと叩いた。
「岩盤だ」
「え」
「この深度で岩盤なら、空洞は存在しない。……推測を訂正する。水の通り道があると考えたが、誤りだった」
「え、ここまでやって?」
アルは、スコップを持ったまま固まった。
「一時間も掘ったのに」
「事実だ。ここは、岩盤だ」
職員が、穴の上から覗き込んで、冷たく言った。
「ほら、だから言ったでしょう。F級の魔物の言うことなんて、当てになりません」
「……」
アルは、何も言い返せなかった。確かに、結果は岩盤だった。
そのとき、猫が、ぴたりと止まった。
灰色の岩盤の上に、前足を置いて、じっとしている。
それから、ゆっくりアルのほうを向いた。
〈掘り当てる者〉
一瞬だけ。すぐに消えた。
猫の口が、小さく開く。
「……ここ。まだ下がある」
低い、静かな声だった。
穴の中が、しんとした。
「え」
アルは、固まった。
「今、喋った?」
「にゃ」
「いや、今喋ったよな!? 絶対喋ったよな!?」
「にゃ」
司書が、翼を少し広げた。
「根拠は」
「にゃ」
「……」
司書が、考え込んだ。
「根拠は、にゃ、か」
「www にゃ、が根拠w」
笑いながら、アルは猫の前足の下を見た。灰色の岩盤。叩くと、確かに固い音がする。
でも、さっきから妙に引っかかっていた。
猫の掘り方は、岩盤に当たってからも、同じ場所を、何度も何度も前足で撫でていた。
「……司書。岩盤って、全部同じ音するのか?」
「厚い岩盤ならば。ただし」
司書は、爪でこつこつ叩いて、ゆっくり、耳を傾けた。
「……ここだけ、わずかに軽い」
「だよな」
「訂正する。岩盤ではない。薄い石の蓋だ」
司書が、羽の先で、岩盤の隅の一点を指した。
「ここを、割る。青、手伝え」
「うん!」
青が、石の割れ目に体をねじ込んだ。ぐ、ぐ、と膨らんで、石の隙間を押し広げる。
ばき、と音がして、灰色の板が、割れた。
穴の底に、黒い口が開く。
ごおお、と低い水の音が、下から響いてきた。
職員が、後ずさった。
「……水路?」
「旧ギルドの地下水路だ」
司書の声が、少し震えていた。
「崩れて、蓋がされていたのだろう。その上に、床板が乗っている。水が抜けて、地面が沈んでいたのだ」
アルは、ぽかんと穴を見下ろした。
「じゃあ、昨日床下に何度も落し物が落ちたのは……」
「継ぎ目の下の地盤が、沈み始めていた。床の隙間が、広がっていたのだ」
青が、穴の中から顔を出した。
「下、道がある! 水がさらさらしてる! 行ってもいい?」
「待て! 崩れる可能性が──」
司書の言葉は、もう届いていなかった。
青は、黒い穴の中へ、ずるりと消えた。
数分後。
青が、水路から戻ってきた。ぐっしょり濡れて、体の中に、小さな石の板を抱えている。
「取ってきた! これ、使える?」
アルが受け取る。手のひらサイズの、平たい石だった。表面に、見たことのない文字が刻まれている。
「……何これ」
司書が、じっと見た。
「未知の文字だ。……検証が必要だ」
猫が、石の板に鼻を近づけて、くんくんと匂いを嗅いだ。
それから、満足したように、一度だけ頷いた。
夕方。
「地下水路の崩落箇所の補修費用は、床板ごと倒壊する前に分かったため、およそ十分の一で済みます」
受付嬢が、書類を握りしめて、アルに頭を下げた。
「本当に、助かりました。このまま放っておいたら、ギルドの廊下ごと沈んでいたかもしれません」
「いや、掘ったのは猫で」
「猫さんに、お礼を言っておいてください。それで、あの……」
受付嬢は、少し言いにくそうに、言葉を探した。
「評価は変わりませんからね。……今のところは」
「今のところは?」
「上に、掛け合ってみます」
そう言って、小さく頭を下げて、走っていった。
職員が、渋々、書類を取り出した。
「F級猫型魔物の引き取り料は銀貨三枚。花壇の損害の弁償が、銀貨二枚。……ただし」
職員は、封筒を一つ、テーブルに置いた。
「ギルドからの臨時報酬が、銀貨六枚出ています。差し引き、一枚お渡しします」
「w ちゃんと残るんだな」
アルは、サインした。
ペンを置いたとき、ふと思った。
二日前は、F級の魔物は、誰も欲しがらないものだった。
猫は、アルの足元に座って、尻尾をゆらゆらさせていた。
「名前、ある?」
「にゃ」
「ねえのかw じゃあ、穴掘ってたから、穴掘り猫でいいか」
「仮称を受理する。恒久化には、検証が必要だ」
「穴掘り猫! かっこいい!」
「にゃ」
猫は、小さく頷いて、また尻尾を揺らした。
夜。
ギルドの裏庭は、掘り返された花壇のあとだけが残っていた。補修の人足が帰ったあとの、静かな時間だ。
アルは、石段に腰を下ろして、三体を眺めていた。
青は、補修された穴の縁をぐるぐる回って、まだ何か探している。司書は、石段の上に止まって、図鑑を読んでいる。穴掘り猫は、花壇の隅で、懲りずに別の場所を掘っていた。
「……お前ら、ほんとバラバラだなw」
司書が、顔を上げずに言った。
「役割が違うだけだ」
「役割ね」
青が、ぴょんと跳ねる。
「いってみよう!」
猫が、土を掘る。
「にゃ」
アルは、小さく笑った。
「……まあ、そうか」
石段の横に置いた、さっきの石の板が、月明かりで鈍く光っている。
司書が、ちらりと視線を向けた。
「その文字は、ギルドの蔵書にない。明日、調べる」
「俺、読めないけど」
「お前は読まなくていい。読めるやつを、探せばいい」
「探すの、俺の仕事なの?」
「そうだと、推測している」
アルは、石の板を拾い上げた。刻まれた文字が、月光を受けて、うっすらと浮かび上がる。
その一番下に、小さな紋章が刻まれていた。
見覚えがあった。
アルは、思い出す。二日前、ギルドの石板に手を置いたとき。結果が出る直前、石板の端に、同じ形の印が、ほんの一瞬だけ光った。
「……なあ、司書」
「何だ」
「この印、ギルドの石板にも、ついてた気がするんだけど」
司書の手元の本が、ぱたん、と閉じた。
「……確認が必要だ」
穴掘り猫が、花壇の隅で、新しい穴を掘る手を止めた。
青が、振り返った。
三体の視線が、アルの手の中の石の板に、集まった。




