人目があるから
「これにSLのペダル付けといてくれへん?」
落車騒動で入口側に来ていた店員さんは、私の買う自転車を自転車立てから下ろして奥に運んだ。
「おお、コルナゴですか。いいですね〜。あ、いらっしゃいませ、こんにちは〜。」
奥の部屋の左側にある関係者スペースから、小柄な男の子が顔を出す。
「初心者さんやよ。」
「え。ビンディング大丈夫すか?」
「楽な方がええって。」
「そんならまあ、ビンディング一択ですかね。」
大きめのエプロンには、ところどころに黒い汚れが付いている。
「メカニックの人ですか。」
「そうですね。ホビーレーサーでもありますよ。そこに優勝した瞬間の写真ありますよ。店ではあんな感じですけど、レースやと人が変わったみたいにカッコええんです。」
ハンドルを握ると人が変わる。
車みたいなことが自転車でも起こるのだろうか。
そんなことを考える。
「おお、なんか主人公みたいですね。」
ウェア置き場に戻りながらレジカウンターを見ると、雄叫びが聞こえそうな顔でガッツポーズをした写真が貼ってあった。
「通勤もロードバイクなんですよ。」
「まさか、200キロ先から来てるとか。」
「はは。流石にそれはないです。たぶん、20キロくらいですかね。」
あれ?なんか急にお手頃な気がする。
そして、私の通勤距離と同じくらいだ。
「ぴっちり服で通勤かぁ……」
「サイクルウェア用のスカートとかもありますよ。」
「え、でも空気抵抗になるんでしょ?ちなみに、おすすめのメーカーとかってあるんですか?」
「楽に走るためって目的やったら、カステリがおすすめです。」
「カステラ?」
「カステリです。このサソリのロゴのやつです。」
店員さんは、着ているウェアに付いているロゴを見せる。
隣では、女の子も同じ主張をしている。
「えーと。特に好みとかはないので、それにしてみます。」
ハンガーに掛けてあるウェアのうち、サソリマークのものを順番に見ていく。
「あれ、スカートないですね。」
「カステリからは出てへんかもしれません。レース特化なんで。カペルミュールとか、別メーカーのを重ね着するとええですよ。用途とかに合わせてください。」
「なるほど。ところで、なんかクッション付いてますが。」
手にしたもの全てに、真っ赤なクッションが付いている。
「これも、楽に走るための工夫です。」
「色のせいで、お猿さんのお尻みたいなんですけど。」
「カステリのカラーが赤やから、しゃあないですね。正直、血液汚れはきれいに落ちたかわかりにくいです。そこら辺の工夫については、後でお教えします。」
それでも、選ばれる理由があるのか。
「なんか、レスリングのユニフォームみたいですね。」
「そうですね。だいたいのお客さんがそう感じるかもしれません。パッドがズレへんとか、この形にも意味はあります。」
これ、もしや男の人がいるところでは買いにくいのでは?
「あの、ウェアについては後日でもいいですか?」
「そうですね。構わないですよ。後日来られるんでしたら他のものも後日にされますか?」
どこまで察してくれたのかはわからないが、店員さんは私の申し出を快く了承してくれた。
「じゃあ、今日の分だけでもお支払いしますね。」
「わかりました。では、計算してしまいますので、お待ちください。」
色々買ったな。
ついにあの子がうちに来るのか。
「ねえ。表の自転車、お姉ちゃんの?」
「え?そうだよ。」
「お家、近いの?」
「まあ、あのママチャリで行けるくらいには。」
「そうなんだ。」
会話、終了。
女の子の家とか聞けばいいのかもしれないけど、私は深入りを避けてしまう。
大した情報でもないのに出し渋るから、相手も壁を感じていることだろう。
「ショップライド、来る?」
「え?うん。色々と教えて貰えるみたいだし。」
「そっか。」
会話、終了。
「店員さん。これ、ツールボックスに入るかやってみていいですか?」
「あ、いいですよ。パッケージとか要らないものはこちらで捨てておきます。あと、ハサミです。」
「ありがとうございます。」
炭酸ガスボンベとそのアダプター。
タイヤレバーっていうのか、これ。
チューブは箱から出して、自転車用万能工具。
そして、ワイヤーロック。
これだけでもう、パンパンだ。
「入った。」
「全部いけました?」
「見てください。鍵を一番上にしたんです。一番よく使いそうでしょ?だから、全部出さなくても取れるようにしました。」
「ええと思います。」
「大発見です。」
網状の仕切りの中に、キーロックの一部を差し込んで、開けても落ちない工夫もしてある。
「パパ。私、一人で参加するから。」
「へ?」
「ショップライド。」
「そうか。……ママに店まで送ってもらうか?」
「一人で参加するの!」
なんかまた、ホームドラマが始まった。
えー、お願いだから、泣き出すとかやめてよ。
「そうか……そうか。そうかそうか。」
ぎょ。
お前が泣くんかい。
女の子のお父さんは、何度も頷くようにして、静かに涙を流していた。
「あーあ。お父さん泣いちゃったねぇ。」
「私、悪くないもん。」
店員さんが、その様子を茶化す。
女の子は、なぜか私の後ろに隠れる。
おい、私を巻き込むな。
「えーと、じゃあ色々教えてね。と言うべき?」
「任せて!」
女の子は、誇らしげに胸を張る。
しまった。
なぜ自ら巻き込まれに行くような真似を。
「ペダル付きましたよ。」
奥から私の新しい自転車が現れる。
「こっちで高さとか調整しましょか。」
メカニックの小柄な男の子が、入口のスペースに自転車立てを用意した。
「お姉ちゃんの邪魔しちゃアカンで。見るなら離れて見とき。」
「うん。」
いや、見られてると落ち着かないんだが。
「せっかくなんでシューズも履いてみてください。クリート位置も調整します。」
言われるままに、新しいシューズを履いて、ダイヤルを締める。
それで立つと、つま先が上がるような、変な感じがする。
男の子がそっと用意してくれた椅子に腰掛ける。
「いっぺん付け外しもやってみましょか。この上やったらコケへんので。」
クリートと呼ばれる三角形の部品を指の位置とかを確認しながら固定し、いざ付け外し。
「トップチューブを跨いで、片方だけ嵌めましょう。先端を引っ掛けて、ペダルに立つような感じです。ペダルが回らんように、ブレーキは握っておいてください。」
ガチン。
すごい音が鳴って、ペダルとくっついたのがわかる。
「いいですね。嵌めた方の足を反対側に回して、高い位置に持ってきましょう。次はそのペダルを足場にして、サドルに座ります。」
「足場にするには、前側の高い位置で、ブレーキ。よっと。」
ママチャリと変わらないからできるけど、止まって乗るのは変な感じ。
何より、逆回転でペダルが付いてくる。
手が、遠い。
ママチャリより、ハンドルが明らかに低い。
「すごい前のめりですね。」
「あー、高いかもしれませんね。ちょっとポジション見ます。」
その後、店員さんも参加して、そんなところまで?と思うくらい、色んな箇所の調整が続くのだった。




