踏み込んだ先に
「今日のログインは?」
店員さんが、女の子に声を掛けた。
「帰ってからする。」
「時間、大丈夫?」
「大丈夫。でも、眠くなってきたかも。」
ゲームか何かかな。
まあ、私には関係ない。
「店長さん戻って来んし、今日はこれだけ買うてそろそろ帰ろか。」
女の子の父親が、レジ前の補給用品をいくつか取る。
「毎度ありー。」
店員さんが、すぐに対応する。
「じゃあ、娘をよろしくお願いします。」
ん?
私に言ってる?
固定された自転車に跨ったまま、首を傾げて自分を指差す。
「お願いするなら、店員さんでは?」
「あー。それもそう……すね。」
なんか、変なこと言っただろうか。
ショップライドなんだから、責任者は店員さんでしょ。
店員さんに目を向けたにも関わらず、お願いし直すわけでもなく。
一方で店員さんは、会釈で返している。
そこに商品の受け渡し以上の意味があるように見えたのは、もの言いたげにまた、こちらを見たからだろう。
「……どうも。お力になれず。」
「いえいえいえいえ。そんなそんな。では、失礼します!」
過剰に思えるほど恐縮し、深々と頭を下げられた。
「お姉ちゃん、ばいばい。」
「う、うん。ばいばい。」
なんか、変な縁ができてしまった。
なんとなく女の子に気に入られたことはわかるけど、ショップライドの参加を見送ろうとは思わなかった。
その理由の一つに、この父親が不参加だというのもある。
店員さん相手には砕けていても、私に対しては初対面として、一定の節度を保っていた。
それでも知らない人が集まるイベントで、知り合いとして話し掛けられることがもう、面倒臭い。
だけど女の子は、一人で参加する可能性が高い。
「えーと、何だったんでしょう。」
「さあ。僕は何があったか知らないので。」
「何かあった風には見えたってことですね。」
「まあ、あの子がよくあそこまで懐いたな〜、とは思いました。」
「え。懐かれたんですか?あれくらいの子なんて、みんなあんなもんじゃ?」
「それなら、お客さんにとっては子どもに懐かれるんが当たり前なんかもしれませんね。」
「え。私、子ども苦手ですけど。」
「そうですね。そんな風に見えました。」
「なんか、矛盾してません?」
「さあ。どうでしょうね。」
ショップライドに参加することになれば、女の子だって話し掛けてくるだろう。
でも、それについては問題視していないことに気が付いた。
会話が続かないのは苦いけど。
「さて、次は外に出てクリート付け外しの練習をしましょうか。」
店員さんがレジカウンターから出て来て、そう告げる。
「え。でも私、まだ会計してないですけど。」
「後で構いませんよ。今ならウェアも選ばれるんやないかと思いまして。」
「確かに。察してくれてたんですね。」
「じゃあ僕は、作業場に戻ります。ライトとかもちゃんと付けてくださいね。無灯火は絶対ダメです。」
「確かに。それも後で選びます。」
さっきの自転車レーンに出る。
自分で押している今回は、なんだか新しい相棒みたいで高揚する。
サイクルラックが目に入ると、この子がリンボーダンスできそうだと思った。
そんな発想がもう、浮かれ具合を示している。
店内の自転車立てやハンガーとは形が全然違って、肝心の置き方はわからなかった。
「中で少しは練習しましたが、今度はバイク固定してませんからね。」
「コケないように頑張ります。」
このクリートというヤツは、嵌めるときも外すときも、結構力がいる。
嵌めるのは体重を掛ければいいけど、外すのは普段使わない筋肉を使って捻る必要がある。
それを今度は、走りながらやらなければならない。
「まず跨ぎます。」
「はい。」
トップチューブに跨り、車体を歩道側に傾ける。
「車道側のペダルを一番下に持ってきて嵌めましょう。嵌めにくかったらそっから少し前寄りにしてもええですよ。」
「はい。」
ガチン。
体重を掛けると車道側に倒れてしまいそうで、自然と左足が歩道側に広がろうとする。
そのせいで、最初の位置より少しだけ遠くに足を付く。
嵌めた側に車体が傾くと、なす術もなく向こうに倒れるのが分かる。
そう思うと、歩道の縁石に付いた足が自転車を起こしてしまうことが、少し怖い。
「店内でやったのと同じです。嵌めたペダルを高い位置に持ってきたら、ブレーキを握ってサドルにお尻を乗せましょう。慣れてきたら、踏み込んで進みながら座れるようになります。」
「よっと。」
サドルに腰掛ける。
これは逆に、歩道の縁石に足を付けるから簡単だった。
「あとは片足で漕ぎ出して、安定したら左足も嵌めるんですが、最初はペダルの位置を確認しながら嵌めんとあかんので、そのまましばらく片足で走ってみましょか。」
「わかりました。」
調整してもらったからそれほどでもなくなったけど、いざ走り出そうとすると、一層前のめり感が気になる。
店員さんの自転車には、ママチャリ感覚で乗れたのに。
とはいえ、サドルに腰掛けた状態から走り出すことは、ママチャリでも経験があるため、難なく漕ぎ出すことができた。
「おお。」
何というか、この漕ぎ出す感じには、ママチャリにない爽快感がある。
せっかくなのですぐに足を付いて、漕ぎ出しをもう一度。
しかしこうして意識してみると、足を付いた状態からの漕ぎ出しは、わりと色んなことを同時にしていると気付く。
まずブレーキを握って、ペダルに体重を掛ける。
ペダルに立つような感じで、空いている足が地面から浮く。
車体が起きてきたら、ブレーキを離すことで、ペダルを踏み込める。
そしてペダルにシューズがくっついているので、ママチャリではできないことができる。
少しぎこちなくはなるが、引っ張り上げるような動きでまた、ペダルを踏み込める位置に戻せるのだ。
それは、順回転でも逆回転でも同じで、回転か往復かの違いだけだ。
「大発見です。」
交差点手前でUターンして、店員さんのところに戻ってきた。
「どうしたんですか?」
「ペダルって踏むものじゃないかもしれません。」
「踏んでたじゃないですか。」
「そうなんですけどね。だから気付いたといいますか。」
「というと?」
「回るのはわかってましたけど、回すものだと思ってないことに気付きました。大発見です。」
一番下で踏んでもサドルからお尻が浮きそうになるだけだった。
ペダルの動きは円運動なんだから、考えてみれば当たり前だ。
その当たり前を、考えたこともなかったのだ。
「なるほど。もしかして、ビンディングだからですか?」
「あ!そうかも!これ、足を上げても付いてくるので。もしかして、だから楽に走れるんですか?」
「そうですね。それも大きいと思います。」
「はー、天才ですね。もうちょっと練習してみます。」
「クリートの付け外しも練習してくださいね。」
「そうでした。」
私は一度もクリートの付け外しをすることなく、Uターンして店員さんのところに戻ってきてしまっていたのだ。
それから店員さんは、三往復目くらいまで見てくれた後、店内に戻った。
足元を見ずに嵌められるようになると言われたが、そんな兆しが全く見えてこないまま、あっという間に時間が過ぎていくのだった。




