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気がつけば沼

「この子!」


 車体に黒と赤のライン。

 というか、帯状に塗られている。

 よく見ると、グレーもある。

 だけど、全体的に白基調。

 周りの自転車が、なんか黒っぽくていかつい印象というのもあって、特別可愛く見える。

 そして、なんといってもロゴが可愛い。

 正面から見ると、クローバーがちょこんと描かれている。

 クローバー自体はトランプみたいに黒一色なのに、バックにカラフルな斜めのラインがあることで、可愛さ倍増である。

 青、赤、黒、黄、緑。

 なんか、オリンピックっぽい。

 意味のある配色なんだとは思うけど、可愛いからそれでいい。


「すっかり気に入ってますね。」

「ホームページ見て、一目惚れしたんですよ。」

「ありがとうございます。あのページ、私が作ってるんですよ。」

「へえ、じゃあ、店員さんが仲人ですね!」

「そう言ってもらえると嬉しいですね。でも、それならちゃんと防犯せんとですね。」

「確かに。ママチャリですら盗まれますからね。」


 なんか、嫌な話になってきたな。


「ロードバイクは、知ってる人やったら簡単にバラせますからね。バラして転売とかされてまうと、どうしょうもないんですよ。」


 そうか。

 簡単って、いいことばかりじゃないんだ。


「どうしよう。家に置いとくの怖いんだけど。」

「私は家の中に持って入ってまいます。雨風も防げますし。」

「え、大変じゃないですか?」

「まあ、盗られるよりええですからね。」


 自転車を家の中に持って入るなんて発想、なかったかも。

 でも、この子気に入っちゃったしな。


「家の中って、部屋まで持っていったりするんですか?」

「そうですね。人によっては。すぐに出せるように、玄関の壁に掛けたり、家ん中で乗るために、持ち込む人もおります。」

「え?」


 壁に掛けるのは、目の前に実例があるからわかる。

 でも、壁に穴開けて、専用のフックみたいなのを固定してる。

 玄関に置くにしても、お母さんに相談しなきゃ。


 で、だ。

 家の中で乗るっていうのは、馬鹿なのでは?


「その人は、すごく自転車が好きなんですね。」

「いえいえ、私はそれほどでもないですよ。譲ってもらったもんですし。けどエアロバイクなんかより、自分のバイクがええんは確かです。」

「え?店員さん、家の中で乗る人なんですか?」

「そうですね。せっかくの休みが雨やったりしたときは。」


 どんだけ乗りたいのか。

 自分に当てはめて想像した光景では、もれなくお母さんが変な顔をしている。

 むしろ、そこまで乗りたいなら、エアロバイク買いなさいとか言われそう。


「私はそこまでガチ勢ちゃいますから。」


 ガチ勢とは。

 家の中でも乗っちゃうような人を差し置いて、さらにどんな人たちがいるというのか。


「そういう人たちがやる趣味なんですね。私にはちょっと無理そうです。」

「そうですか。残念です。」


 店員さんは、コルナゴに掛けていた手を、そっと離した。


「いやいやいやいや、買います!この子は買いますよ!絶対!私は家の外で乗れればいいんで!」

「そうですか?まあ確かに、デザインが気に入ったんやったら、今しか買えませんからね。」

「どういうことですか?」

「メーカーが毎年少しずつデザインを変えよるんですよ。だから、在庫があったら買えますけど、なくなったらここでは買えません。」

「え。取り寄せとかもできないんですか?」

「物によっては、販売店ごとに扱える台数が限られたりしてます。私も詳しくは知らんのですけど、実績がないと、そもそもメーカーが卸してくれへんみたいです。」

「じゃあ、次に来てもないかもしれないんですね。」

「まあ、コルナゴは老舗ですから、刺さる人には刺さりますね。でも、心配でしたらお取り置きできますよ?」

「いえ、いいです。買います。この子以外に乗る気になれないんで。」


 自分の発言に、心配など微塵も含まれていなかった。

 買わないことを、すでにあり得ない仮定の話として認識していたのだ。


「あはは。めっちゃ気に入ってますね。」

「え、だって可愛くないですか?てゆーか、ここに来てみて思ったのが、他のがイカつい。」

「このバイクもトップチューブ太めですし、イカつい要素ありますよ?」

「確かに。なんでだろ。」


 店員さん相手のプレゼンは、あっさりと失敗した。


「バイク選びなんて、そんなんでええと思いますよ。さっき言ったとおり、私的にもオススメです。」


 そうだ。

 別に、店員さんを説得する必要なんてないのだ。


「というか、オススメできるバイクしか置いてへんのですけどね。」


 ぐ。

 最後のひと言は私的にはマイナスだ。

 この子が特別なのに。


「……てゆーか、白って少ないですよね。」

「あー。……まあ、白は汚れが目立ちますからね。汚くて家に入れて貰えへんとかふつーに聞きますから。」

「うっ。そうか。毎回洗車しなきゃお母さんに怒られるかも。どうやって洗うんですか?」

「専用の洗剤も取り扱ってますよ。」

「それも買います。」


 即答だった。


「毎度ありー。」


 なんか、店員さんが砕けてきた気がする。

 その方が楽だからいいけど。

 商品を見ながら、洗車方法を教わる。


「すっごい色でしょ。」

「どピンクですね。」

「油汚れにはこれが最強です。」

「この量で、このお値段?」


 安い。

 ピンクの液体がたっぷり入った、透明のスプレーボトル。

 近くにあるスプレー缶の中で、色もサイズも目立っていた。


「そうですね。泥汚れとかやなかったら、乾いた状態でガンガン吹き掛けるんで。」


 ホースで水をぶっかけるのはおすすめしないのだとか。

 ダメな理由とかも聞いた。

 普通に錆びるから。

 ネジとか内側とか。

 ただし、バラせば個別に濯いだりすることもできて、バラし方までレクチャーしてもらった。

 レジカウンターに並ぶ商品に比例して、覚えることが増えていく。


「確かに、ママチャリより簡単にバラせそうですね。」

「え、逆にママチャリバラせるんですか?」

「パンク修理とか簡単なヤツくらいですけど。」

「ならロードバイクのパンク修理も余裕ですわ。ホイールごと外せるんで。私、ロードバイクの修理は自分でやりますもん。ママチャリのパンク修理できませんけど。」

「あー、そっか。出先でパンクすることもあるのか。」

「そうですね。修理キット一式を携帯するのはわりと常識かもですね。私はこれに一式入れてます。」


 そう言って入口から見えていた棚から、筒状のポーチを手に取り、ファスナーを開ける。


「簡単な仕切りもあって、わりと色々入ります。」

「取っ手も紐もないんですが。」

「ここに入れます。」

「おお。ぴったり!」

「ボトルケージに入れとくツールボックスですね。」

「それも買います。ついでに修理キット一式も見たい。」

「毎度ありー。」


 ひょっとして、私はいい鴨なのでは?


「最初なんで、揃える物多いですよね。まあそんなん、他のスポーツでも一緒ですわ。テニスとかでもラケットとかいりますし、ランニングだってシューズとか、こだわり出したら色々買うでしょ。」


 レジカウンターを見ていた私に、まるでエスパーのように店員さんが緩めるのだった。

 財布の紐を。

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