夜の帰路
「ただいまー。」
「あんた、随分遅かったわね。」
帰宅した玄関先で、覗き込むように帰りを待っていたのはお母さんだった。
「お母さん、なんかあったんじゃないかって電話しようと思ったわよ。」
「うん、ごめん。」
「見なさいな。あんた帰って来て一緒にやろうと思ってたのに、玄関片付いちゃったわ。」
安心からか、悪態をつくように扉の中を見せ付ける。
「うわ、うちの玄関ってこんな広かったっけ?」
「そうよ。買い物帰り大変だから、重いもの置き場になってたからね。」
箱買いの方が安いから、まとめ買いしては玄関に積む。
車から降ろすのは私がやることも多い。
それが今は、すっかり片付いているのだ。
「しばらくはいいけど、ずっと玄関占領されたら、それはそれで困っちゃうのよね。」
「お店で自転車を展示してあった壁掛けハンガーも注文しといた。」
「あら、そうなのね。壁に固定するの?どこに桟があるかわからないわよ。」
「それに関してはあてがあるんだよね。ホームセンターにあるかなぁ。」
「あら、ホームセンター行くの?今日お茶のケースが安売りしてるのよね。寄るの忘れてまあいっかって思ってたんだけど。」
まさにこれが、玄関を占領していた犯人。
お茶の箱買いである。
そして、買い物に行くことが確定しそうだ。
「じゃあ、ちょっと天井までの高さ測りたい。」
「なによ、まさか桟を立てるの?」
「桟っていうか、柱かな。ほらこれ。」
スマホで検索した画面をお母さんに見せる。
「あら、これは良さそうね。」
「そうでしょ。」
〇
「色々買ってきたわね。」
「だって、トラック借りられるって言われたから。」
ロードバイクは、荷物が積めない。
だけど、自動車の運転免許があれば。
私の世代の運転免許は、中型くらいまで運転できるんだよね。
オートマチックの2トン車だからまあ、関係ないのかもしれないけど。
買い物した客であれば1時間まで無料で借りられるのだ。
「そんなことよか、降ろすだけ降ろしたら戻るね。意外と時間ない!」
測ったりなんかしていたら、あたりはすっかり真っ暗だった。
買ったばかりのライトは、ママチャリで荷物を持ち帰ったときからとりあえず充電しておいたため、早速役立った。
サコッシュを貰えた時点で、君が今日役立つ運命は確定したのだよ、ライトくん。
そのライトとサイクルコンピューターは、今は背中のポケットに入っている。
ホームセンターの自転車置き場には他に自転車は一台もなく、端っこに金属の柵がある造りだった。
私の自転車は、一度はそこにワイヤーロックで巻き付けられた。
「靴はどうするの?」
「このままでいい!」
今履いているのは、踵固定のビーチサンダル。
スポーツサンダルとでも言うのだろうか。
急ぐわけでもないし、買い物で歩き回るし、何より靴底が柔らかい。
ダメ元で履き替えて出掛けたけど、思った以上にちゃんと漕げる。
ペダルはクリートを嵌めるための形をしているけど、サンダルの底が少し柔らかいおかげか、漕げなくはなかった。
私は荷降ろしを終えると、ホームセンターにとんぼ返りするのだった。
〇
良かった。
自転車は無事だ。
2トン車を運転できた安堵より、遥かに大きく安堵する。
実は私の自転車は、自転車置き場にはない。
というのも、ホームセンターを出発するときに、荷台に積んだのだ。
荷台の高さに持ち上げるなんて、ママチャリでは躊躇しただろう。
改めてロードバイクの軽さを実感した。
備え付けのロープで購入した品物より丁寧に固定したものの、転倒したり他の品物がぶつかったりして傷になってやしないか心配だった。
買い物の間だけ自転車置き場に固定していても気が気じゃなかったから、置いたまま離れるなんてあり得なかったのだ。
そのまま自転車を家に置いて、お母さんに迎えに来てもらうことも考えた。
結局私は、自転車に乗りたかったんだと思う。
「さあ、第二ステージは夜のコースだ。行きはよいよい帰りは怖いって言うからね。あと半分、復路を終えてこそ、クリアだ。」
往路ですでに、暗い夜の道は走った。
問題は、ライトの充電表示が赤くなっていること。
「まあ、普通に考えたら充電切れ直前だよね。」
あとどれくらい保つのかわからない。
念のため、ホームセンターのレジ横で見付けた電池式の小さなLEDライトを買っておいた。
1000円しないやつで、30分くらいしか保たないやつだけど、保険としてだからいいかな。
サドルの下の方に後ろ向きに取り付けた赤いライトは、順調にチカチカ光っている。
暗いから、減速した瞬間に点滅から点灯に切り替わることが、壁とかへの反射光で確認できた。
この子まで消えたらいよいよお母さん出動だ。
気付いてもらえず追突なんかされたら洒落にならない。
「よし、とりあえずちゃっちゃと帰ろう。」
クリートがなくても、跨いでから漕ぎ出すのは変わらない。
サイクルコンピューターはやっぱり全く見えないけど、ポケットに入れておくよりはいいから取り付けておいた。
「うん。当たり前だけど、90回転がわかんないね。」
結果的に、感覚頼りでシフトチェンジしていく。
回す意識も忘れて、というか、回そうとするとサンダルが微妙に滑る。
引っ張り上げる動作ができないから、縦に踏み込んでいると思う。
「うわ、何これめちゃくちゃ快適!」
90という数値を見て回すよりもママチャリの延長である感じが強く、ぐんぐん進む感じに圧倒的性能差を納得させられる。
自然と腰が浮く。
立ち漕ぎである。
一段と風を切る感じが強まり、爽快感が増す。
「もっと重くてもいいかも。」
踏んでいる間は、ペダルからサンダルが離れる心配が減る。
加えて、体重を掛けるならもっと重くした方がいいような気がしたのだ。
座って漕いで、一枚重くする。
立ち漕ぎしながらシフトチェンジは、ちょっとムリ。
階段を一段登るような感じで立ち上がりながら、体重を乗せて踏み込む。
まだいける。
強く踏み込むと、それだけスピードが出る。
下まで踏み込んだ体勢のまま、漕いでなくても進むようになる。
反対のペダルが上がってきて止まるから、踏み外す心配がさらに減る。
また座って、一枚重くする。
何度繰り返しただろうか。
体重をストンと落とせるように、頭の真下くらいに踏み込む足が来るように。
そんなママチャリの立ち漕ぎ経験から、自転車を左右に寝かせながら踏み込んでいた。
「あれ、もうないや。」
ママチャリではあり得ない速さで街灯が後ろへと流れて行くことに調子に乗せられた結果、一番重たいアウタートップになっていた。
回転数はめちゃくちゃ低いだろう。
ママチャリと違って、スケートが連想される。
蹴る代わりに踏んで、そのポーズのまま長くフリーズしてても滑る。
そんな繰り返し動作。
息も弾んでいて、うっすらと汗もかいていた。
そのとき、前のライトが消えた。
「あー、消えたや。」
私は、思ったほど慌てなかった。
何せ幹線道路だ。
そう、私はあの明姫幹線を爆走しているのだ。
路地裏と違って、明るいんだよね。
「てゆーか、めっちゃ進むじゃん。」
ゆっくり止まってから、背中のポケットにしまった保険ライトを出すつもりだったのに、惰性でめちゃくちゃ進むのだ。
「ダメダメ。見えるからって、無灯火はダメ。」
そうしてようやくブレーキを握る。
キュッとロックするような感触、ザザッと路面を擦る音、ガクンとつんのめりそうになった気がして、慌ててブレーキを握る手を緩める。
「あっぶな。ひっくり返るかと思った。握り込みはやめよ。」
車体が軽く、サドルが高いということは、重心が高いということ。
下り坂に限らず、極端なブレーキは危険だと理解した。
ハンドグリップをニギニギするように、断続的にブレーキレバーを握ることで、ゆっくり減速して停車した。
「こんなこともあろうかと、テープも買ってある。」
自転車用のライトをスライドさせて、台座から外す。
そのレールに保険ライトを置く。
それを、テープでグルグル巻きにして固定した。
「スイッチオン!え、何これ、明るっ!」
暗い車内でのちょっとした探し物に。
そんな触れ込みで売られていたライトは、前方を煌々と照らす。
まるでハイビームだ。
これなら無灯火とは言わせない。
「自転車用のより明るいのは解せないけど、まあいいか。帰ろっと。」
自分の施したテープ固定をあまり信用していない私は、立ち漕ぎをやめて軽いギアでくるくると帰るのだった。




