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石の宝殿

 走り出してすぐ、ブレーキを握る。

 ブレーキのツマミは確認したけど、どれくらいで効き始めるかのダブルチェックだ。

 くるくるペダルを回すと、すぐに90回転を超えるので、一枚ずつギアを重くしていく。

 走り出しは忙しないけど、しっかり90回転を維持できている。

 陸橋の登り口に着くまでに減速しなきゃいけないから、今度は一枚ずつ軽くする。

 なるほど、エンジンブレーキなんか掛からないんだ。

 いやまあ、そりゃそうなんだけどさ。

 漕ぐのをやめてもママチャリほど減速することもない。

 流石、速く走ることに特化しているだけある。

 当然サイドブレーキもないから、ブレーキに細工されると減速の手立てがないことになる。

 店長さんが問題視していた理由を、一段深く納得できた。


「よーし、今度こそ生石神社まで行くぞー。」


 くるくる回して陸橋を乗り越え、くるくる回して真っ直ぐ走る。

 お店の前の自転車レーンが、陸橋を越えてもずっと続いているのだ。


「あ!黄色い新幹線!」


 姫路方面に向け、ドクターイエローが駆け抜ける。

 さっきお母さんが信号待ちしていた交差点を超えたあたり。

 線路はまだ少し先だけど、真下より新幹線がよく見える。

 思わずペダルに入る力が強くなる。

 ふと、お店で見た全身どころか自転車まで真っ黄色だった選手を思い出す。

 あの人はレースに帯同するメカニックだったのかも。

 他の選手と話しながら、笑顔でカメラに手を振ってたし。

 店長さんはレースは多くの人に支えられているって言っていたし。

 店を出て来てしまうと、気になったこともすぐには聞けない。

 帰ってからお母さんに話してみよう。

 新幹線は、あっという間に見えなくなった。

 1日で100キロどころじゃない距離を走り、見る人たちに小さな幸せを届けていくのだろう。


「あ、信号待ちしそう。」


 エンジンブレーキはないけれど、減速に合わせてギアを軽くしていく。

 そうしておけば走り出しも楽なはずだ。

 インナーローまで落とさなくても全然問題なさそうだ。

 フロントギアなんか、アウターのままだ。


明幹(めいかん)!」


 止まった交差点は、明姫幹線(めいきかんせん)

 明石と姫路を結ぶ幹線道路だ。

 250という標識があるから、国道250号線の一部だ。


「しゅっぱぁーつ、しんこぉーう!」


 なんだか楽しくなってきて、電車ごっこみたいな独り言。

 ガチンとクリートを嵌めて、スムーズに漕ぎ出す。

 なかなか上達したのでは?

 さて、坂だ。

 交差点を渡ると急に、ここから山です、みたいな坂が始まる。

 最初は緩やかだけど、初詣のときに地元の人たちが大変そうに歩いているのを尻目に車で登る道だ。

 今日は私が大変な側。

 何を思ったか、重いままのギアで踏み込む。

 6割くらい登ると少しなだらかになり、最後にぐっと登っている道だ。

 ママチャリじゃないから行ける!

 そんな誤った見積もりは、あっさり砕かれる。


「あ、ムリ。」


 アウターからインナーに切り替え、即座に後ろもローまで落とす。


「ふいー、焦った。全然ムリじゃん。」


 一番軽くしたというのに精一杯。

 陸橋と違って見通しは悪いし、傾きも一定じゃない。

 さて、困った。

 足を着いてしまった。


「えーと、右足で踏み込んだ勢いで走っている間に、反対側のクリート嵌めるんだよね。ムリじゃない?」


 なだらかだと思っていたところですら、登っている。

 何度か漕ぎ出してみるが、すぐに止まる。

 片足でもう一周。

 ママチャリだと嵌める必要がないからそのまま反対を踏めばいいけど、ビンディングシューズはクリートが邪魔で踏めない。


「うわ!ムリムリムリムリ!」


 勢いを失った自転車のバランスをとるために私が取った行動は、ハンドルを切ること。

 すぐに足を着くこと。

 一度だけ右側にハンドルを切ってみたところ、固定された右足が坂の下側に来てしまう。

 心臓がバクバクする。

 これ、固定されてる下側に転んだらヤバい。

 その結果、よちよち坂の上に向かって漕ぎ出せるように車体の向きを変えては漕ぎ出し、道の左に突っ込みそうになっては足を着くという円運動が繰り返されることとなった。


「ヤバい、これは登るどころの話じゃない。」


 なまじ勢いと根性だけで半分過ぎまで来ているから、なんとか登りたいと思ってしまう。

 そして、押して歩けば確実に今もたついている時間で登りきれる。


「よし、一旦戻ろう。」


 歩いたら負けだとでも過ったのか、坂の下に向けて滑り出す。


「うわぁ、これはこれで怖い。」


 下りは、勢いに関しては問題ないどころか、勝手につく。

 それなのに恐怖で萎縮している私にとって、左のクリートを嵌めるのが躊躇われた。

 結果、ブレーキを握って、右足のクリートすら外す。

 クリート固定も恐怖の原因だから、まず足を自由にしたかったのだ。

 全力ブレーキみたいな状態だから、ほとんど止まりそうな速度で、サドルに跨がったまま両足を外へ逃がす。

 これならママチャリと条件は同じだから、いつでも足を地面に着けられる。

 サドルの高さに目をつぶれば。


「この前傾姿勢というやつがまた、下りだと恐ろしい。」


 このまま前にでんぐり返りしてしまいそうなのだ。

 自然と前輪のブレーキを緩める。

 前を強く握ると、いよいよお尻が浮いてきそうに思えたからだ。

 上半身も可能な限り起こしたいというのに、ブレーキレバーは前側に付いている。

 力の入り具合からして、横から見たらまさに、へっぴり腰になっているに違いない。


「やるな、石の宝殿。ちょっとそこで待ってろ。今作戦を考える。」


 第一ステージ、石の宝殿。

 めっちゃいいお宝を隠し持っていそうな、石属性のボス。

 坂の入口の交差点で敵を見上げながら、ステータスオープン。

 鑑定さんならぬ、グーグルマップさんである。

 スマホを操作する手が、明らかにプルプルと小刻みに震えている。

 経路案内では、たかだか550メートル。

 高低差24メートル。

 自転車で、3分。

 緩やかな坂って、ウソでしょ?

 最後にぐっと登るというのは単なる印象に過ぎなかったのか、驚くほど一定勾配の坂が表示されている。

 あんなにハンドル捌きが要求されたと感じた下り坂だって、陸橋ほど見通せないというだけでマップ上ではほぼ真っ直ぐだ。

 私は、グーグルマップをそっと閉じた。


 日本三奇。

 登る前は気が付かなかったけど、目の前にでかでかと史跡案内がある。

 知らなかった。

 何お前、そんな凄そうなやつだったのか。

 後でお母さんに聞いてみよう。


 水に浮いているように見える浮石と呼ばれる石があって、初詣のときに一度だけ拝観料を払って入った覚えがある。

 震える指で検索してみる。

 石の宝殿。

 生石神社。

 次なるお相手は、ウィキペディア先生だ。

 へぇ、地元なのに知らないことだらけだ。


 自転車で登るのに全く関係のない情報をサーフィンしていく。

 今知りたいことは、平地でクリートを確実に嵌め直してから、適切なギアにすれば登りきれるのか。

 登り直すなら、芽生えた恐怖心と折り合いが付けられるのか、だというのに。


 浮石の挿絵の出典に、シーボルト『NIPPON』と書いてある。

 シーボルト。

 名前くらいは知っている。

 ジャパンじゃないんだ。

 大名行列を横切って無礼討ちされた……のは、この人じゃないのか。

 国外追放って書いてあるじゃん。

 うろ覚えにもほどがある。


 石属性に加え、歴史持ち。

 これは初期装備で挑む相手ではなかった。

 結論、三十六計逃げるに如かず。

 なにも初日から無理をすることはない。

 震えが止まったのは、落ち着くための時間稼ぎのおかげか、立ち向かわないことに決めたからか。


「今日のところはこれくらいで勘弁しておいてやる。」


 私に簡単には拭えないトラウマを植え付けたそいつは、かかって来いよとさえも言わず、平坦ルートで帰路につく私をただただ見下ろしているのだった。

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