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いつでもどうぞ

「開けた残り物ですけど、白い塗料あったんで、塗っておきました。ちょっと気になるかもしれないですけど、黒地が露出しているよりはマシだと思います。」

「いえ、目立ってないです!ありがとうございます!」

「いえいえ、ちょっとこの世の終わりみたいなお顔が見えたので、良かったです。」

「え、私、そんな顔してました?」


 メカニックの男の子は、動作点検のついでに塗装の剥がれた部分の補修までしてくれたようだ。

 車と違うから、倒れる。

 倒れると、簡単に傷が付く。

 車基準で考えると、つるっとした塗装の表面に傷が入るだけで一大事だ。


「付いて来てへんかったんで振り向いたら、完全にフリーズしてましたよ。」

「傷が付いたらそこから錆びて、ダメになっていくんですよね。」


 ママチャリなんか、気がつけば錆びだらけだ。

 ロードバイクほど高くないし、錆びていても乗れるから、そんなに気にしてなかった。

 でも、錆びたら動きが悪くなるのはわかるし、楽に走るための機材が錆びるのは、やっぱり良くない気がする。


「あー、カーボンとかアルミなら、そこは大丈夫ですよ。」

「あ、そうか。金属じゃないんでした。」

「けど、汗とか海沿い走った後は、しっかり洗った方がええですよ。ね、店長。」

「うん。ボルトとか、フレームの中とかが錆びちゃうからね。塩分を流すつもりで水洗いした方がいいかもね。」

「え、水洗いしていいんですか?」

「ああ、この子からダメって聞いたかな。正確には、水が残ることが良くないんだよ。」

「あ、いえ。もう少しちゃんと聞いてます。」


 店員さんは、水洗い厳禁みたいには言わなかった。

 ちゃんと教えてくれたことを示しつつ、店長さんの意見も聞いておきたいと思って、軽い反応に留めた。


「表面は窪みまで丁寧にしっかり拭き取って、内部にはもちろん入らない方がいいけど、入ったらすぐダメになるわけじゃないということは、知っておいてもいいかもしれないね。」


 意図を汲み取ってなのか、色んな意見を色んなタイミングで聞く方がいいというような考えなのかはわからないが、店長さんは説明を続けてくれた。


「コンプレッサーなんかがあれば、豪快にホースで水を掛けた後、圧縮空気を吹き掛けて一気に水気を飛ばしたりできるからね。要は錆びる原因に、錆びやすい場所を長く触れさせなければいいんだ。」


 全くその通りだと思う。


「でも、内部がどうなってるか知らないから、水がどこにどう入って悪さするかがわかりません。」

「おお、確かにその通りだ。そんなときはね、いい方法があるよ。」

「え、是非聞きたいです。」

「簡単だよ。分かる人にやってもらうんだ。」

「オーバーホール、承っております。」

「毎度ありー。」


 急にどうした。

 びっくりするくらい息ぴったりだ。

 はっはっは。


「そうでした。そもそも、家の近くに専門店があって、店員さんが優しかったから迷わず買えたんでした。」

「え!そうなの?やるねぇ!」


 お茶目な店長さんは、わざとらしく店員さんにリアクションを披露する。


「これからもよろしくお願いします。」

「いえいえ、ご丁寧にありがとうございます。」

「それじゃ、また何かあったら伺いますね。」

「ありがとうございましたー。」


 出戻りしても温かく迎えてくれて、理由を作ってでも来たいと思えるいいお店に出会えた。

 それが実は、何よりだったのかもしれない。


「あ!違う!作業費とか!」


 帰ろうとしてハッとする。


「あ、ええですよ!保証期間やないですけど、今回はサービスしときます!お気を付けて!」


 店長がいるというのに、そういったことを当たり前のようにいちスタッフである店員さんが叫ぶ。

 そんなところからも、お店の人たち同士の信頼関係が見えるのだった。

 揃って見送られるのは、ちょっと気恥ずかしいけれど。

 さて、登って降りただけだから、ギアは一番軽いままだ。

 バチンとクリートを嵌めて、ゆっくり漕ぎ出す。

 90回転、やってみよう。


「あれ?」


 片足を半周踏み込んでも、スピードが出なくて安定しない。

 反対側のクリートが嵌められない。

 見られてるのに漕ぎ出しにもたついて、恥ずかしい。

 なのに思わず振り返ってしまう。

 そこには、同じようなジェスチャーが3人分並んでいた。


「あ、そうか。慣れるまで漕ぎ出し位置!」


 照れ笑いを浮かべながら跨いだ自転車から降りる。


「おお。軽い。」


 トップチューブを左手で握り、後輪を浮かせた。

 残る右手でペダルを回して、シフトを動かす。


「ありゃ?」


 カチッとレバーが反応するのにギアが変わらない。


「あ、そうか。」


 もう一度ペダルを右手で回してみると、なにやら複雑な動きでチェーンが飛び移った。


「おお。カッコいいな、お前。」

「前後同時に変えたらチェーン落ちしますよー。」


 しっかり見ていた店員さんが、今回は問題なくできた危うい操作を指摘する。


「チェーン落ち?」


 チェーンは分かる。

 落ちるのも分かる。

 ギアに嵌まらずに、脇に脱線するのだ。

 私は再びおずおずと店員さんたちの前に戻る。


「チェーンが落ちたらどうすればいいんですか?」


 ママチャリのチェーン落ち経験がある。

 そのときは、手を汚しながら無理やり戻した。


「お帰りなさいませー。」

「大事大事。じゃあまず、チェーンがある側を自分の側に向けて、壁に立て掛けてみようか。」

「お店の壁でいいですか?」

「いいよいいよ。まずはそこでやろう。」

「ありがとうございます。」

「ここが、動きます。」


 そう言った店長さんが触ったのは、後輪の横、ギアが縦に並んでいる部品の一番下のギアだった。


「ここは、ホイールを外すときにも触るところだから、この後外し方もやっちゃおうか。」

「なんか、簡単にバラせるんですよね。」

「そうそう。スピードが命のレース用だからね。ここは、まとめてリアディレーラーって言います。リアは後ろだね。ディレーラーっていうのは脱線装着っていうのが語源なんだ。」

「え、そうなんですか。普通に変速機って意味やと思てました。」


 店員さんが驚く。

 店長さんは、説明を続けながらシフトレバーを操作する。

 後輪が見えやすい位置で車体を持ち上げ、ペダルをゆっくりと回す。

 ゆっくりとチェーンが回り、ギアの歯一本ずつ丁寧に、といった感じでガチャガチャ音を鳴らしながら隣に移っていく。


「うん。全然それでいいよ。動きを見てもらったらわかると思うけど、チェーンを脱線させて変速させることから、転じて変速機っていう意味で使われるようになったんだ。」

「さっき押したところが動いてますね。」

「そうそう。そこを見てもらいたかったよね。この小さい歯車が、変速のときに左右と前後に動くんだ。」

「チェーンを隣に誘導するのと、サイズに合わせてチェーンの長さ調整するのですか?」

「え、一発でそこまで見抜いたの?凄いね。概ねその通り。」

「いえ、さっき自分でやったときにも見てました。上手いことできてるなーと思って。」

「言うてませんでしたっけ。バリバリ理系の方ですよ、店長。」

「だとしてもさ、凄い凄い。」


 むふふ。

 この店員さんにして、この店長さん。

 私を調子に乗せるのがお上手である。

 細かく分けると3回目の出戻りで、本日だけで4度の来店。

 その度にこうして付きっきりで相手をしてもらえるのは、平日だからかな。

 べったり張り付いてくる店員が嫌なお店もあるけど、この店だとありがたいと思えるから不思議だ。

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