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脱線回

「長さ調整をバネでしているから、こうして手で押すと、チェーンがたわむんだよね。」


 そんな説明をしている間に、メカニックの子が店内に戻って行く。

 そうか、預かり自転車があれだけあるんだから、仕事の邪魔しちゃってるよね。


「たわむということは、チェーンが落ちやすいということでもあり、元に戻しやすいということでもある。」


 説明を聞きながら、軽く会釈をする。


「なるほど。」

「ちなみに、サイクルラックの使い方は知ってる?」

「え?知らないです。」


 多分、この鉄棒みたいなのがそうなんだろうけど。


「自転車をくぐらせます。」

「はい。」

「サドルをバーに引っ掛けます。」

「おお。」


 自転車の後輪が浮き、サドルでぶら下がる形になる。


「次の人は反対側から掛けると、たくさん引っ掛けられるんだよね。チェーンでこの簡単に外せるホイールとフレームをまとめてバーに巻き付けるといいよ。」

「やってみていいですか?」

「どうぞ、そのつもりだよ。」


 ボトルケージには、筒状の工具入れを付けておいた。

 空ボトルは一度洗ってから使うため、さっき持って帰ったのだ。


「見てください。チェーンがパッと取り出せます。」

「おお、工夫したね。」


 むふふ。

 そうでしょ。


「あれ、これだと前輪まで届かないですね。」

「そうだね。この長さならフレームと後輪を通すだけかな。伸びるから掛けられないこともないけど。軽い気持ちで盗んでやろうって人は、時間が掛かりそうか、売れるかどうかで品定めするからね。まあ、絶対ではないけど。」

「なんか、空き巣の心理とかで似たような話を聞いたことがあります。本格的に盗む気なら、ワイヤー切っちゃう道具とか用意しますよね。」

「そうだね。前輪だけ盗っても売りにくいけど、困らせることが目的なら盗って行くだろうし。嫌な話だよ。」


 そんな話をしていると、店内からメカニックの子が戻って来た。

 しかも、自転車を持って。

 チチチチと高い音を鳴らしながらやってきて、さっきまで私の自転車が立て掛けてあった場所に置かれる。


「あら、僕のでいいのに。」

「そうなんですか?まあいいですよ、僕ので。」


 真っ黒な車体だ。

 ハンドルはなんか平べったいし、ホイールの空洞が狭いというか、後輪なんかもうフリスビーだ。

 そして、リアディレーラーの歯車がでっかい。


「ビッグプーリーだね。」

「プーリー?」

「この下二つの歯車のことを、プーリーって言うんだよ。日本語だと滑車かな。」


 私が何に注目したか、お見通しだったようだ。

 でかいということは、あんまり回らないのかな?

 そうか、摩擦だ、たぶん。


「それから、こっちの重なった歯車は、鎖歯車といって、スプロケットって言うんだよ。工学的にはもっと厳密に定義があるけど、プーリーがこの二つ、スプロケットがこの山型に重なった歯車として使い分けるのが通例かな。」

「ギアとは言わないんですか?」

「ギアを1枚重くするとか、ギア噛んだとか、普通に使いますよ。ね、店長。」

「そうだね。きちんと定義して使う場面じゃなければ、言葉なんてそんなものだよ。伝わることが大事。」


 それはそう。

 そして、その究極を見た。


「なんで持って来たんですか?」

「これから、チェーンを落とすからね。」

「え?」

「実演で傷いったら世界終わるやないですか。」

「え?」


 もしかして、私のため?

 誰のを使うかという齟齬はあったけど、言葉を交わした様子などなかった。


「あの、ありがとうございます。」

「いやいや、お客さんのためやないですって。世界を終わらせたないだけです。」

「ちょっと、なんですかそれ。」


 ぷりぷりしてみせるが、笑ってしまった。


「はいはい、じゃあ早速、チェーンを落としてみようね。」


 そう言って店長さんは、下のプーリーを前に押してチェーンをたわませ、ペダル側のギアからチェーンをゆっくりと外した。


「これが、外側に落ちた状態だね。」


 外側という言葉の通り、チェーンがペダル側に脱線した。


「直すのは、今の反対の動きをすればいいよ。」


 チェーンを挟んでいた指を離さず、そのまま逆再生のようにギアに引っ掛けた。

 店長の指が真っ黒になっていた。


「もともとアウター、外側のギアに掛かっていたからそこに掛けただけだね。掛ける側にシフトを合わせておくことが大事だよ。」

「引っ掛かりましたけど、全部じゃないですよ?」

「そうでしょ。でもこれでいいんだ。あとはペダルをゆっくり回せばいい。」


 言葉通りにゆっくりとペダルを回すと、送られてくるチェーンが次々と歯に掛かり、外れていた部分はギアから離れて行った。


「そうか、起点だけ掛けておけばいいんだ。てことは、最初に引っ掛けるのはチェーンの掛かり始めである上部分じゃなきゃいけないってことですね。」

「いやぁ、優秀な生徒さんだなあ。その通り。残りを自転車にやってもらうためにこそ、掛ける側にシフトを合わせるんだ。」

「内側に掛けたい場合は、内側に合わせておくってことですね。」

「半分正解!間違い方まで優秀だね。それを次に説明しようと思ってたんだよ。」


 半分間違えたのに、褒められてしまった。


「チェーンが外側に落ちてるのに、インナーにシフトを合わせると、アウターに阻まれてしまうからね。」

「確かに!ほえー、頭いいなあ。」


 外側がアウターだから、内側はやっぱりインナーだった。


「ふふふ。じゃあ今度は、内側に落としてみよう。」


 またしても、丁寧にギアからチェーンを外し、フレームとインナーの間に落としていく。


「あ、確かにこれは傷付くかも。」

「そうだね。走りながらこの状態になって、そのまま気付かずにペダルを踏んじゃうと、チェーンがここで擦れて傷だらけになっちゃうんだ。」

「あー、なるほど。」

「だけど、踏まなければ汚れはするけど傷は最小限で済むから、慌てずに自転車から降りて落ち着いて直すといいよ。」


 そう言いながら、また上側にチェーンを引っ掛けた。

 でも、今度はインナーだ。


「落ちた側に掛けたらいいんですか?」

「そうだね。その場合、ちゃんとシフトはインナーにする。でも、アウターに掛けてもインナーは邪魔しないから、掛けた方とシフトがあっていれば、内側の場合はどちらでも大丈夫。原理的にはね。」

「近い方が楽だと思うか、落ちたらアウターと覚える方が楽かってことですか?」

「いや、アウターは大きいからね。後ろも大きいギアに掛かってる状態はアウターローといって、実は内側に落ちやすい。」


 おお、後ろもそれぞれ呼び名があると思ったけど、低い高いなのかな。


「だけど、チェーンの余裕もない。この場合、力もいるし、引っ掛けられてもピンピンだから指を挟んだりして危ない。だから内側に戻す方がいい。」


 なるほど。


「ちなみに、小さいギア同士のインナートップという状態は、チェーンのテンションが一番弱くなる。段差などでチェーンが暴れると、アウターを飛び越えて外側に落ちやすいんだ。」


 えぇ。

 ハイじゃなくてトップなんだ。

 山型と表現したのはそのためか。

 まあ、脱線したら、近い方に掛けて、回す。

 少なくともそれは、しっかりと覚えておこう。

ちなみに実際は、完成車であっても購入日に納車というのは難しいと考えています。完全に組み立てられて、そのサイズのお客さんをピンポイントで狙い撃ちなんていう商売はあり得ませんから。

購入キャンセルでこれからバラす予定のものがあったりすれば可能性はあるのかな。

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