"人らしさ"などいかようにも歪み、物は変わらない
相変わらず身体は動かせぬままであったが、ハリコは自分を包んでいる感覚が、今までにない異様さを有していることを実感していた。
本来リズァーラーには必要ないはずの呼吸が荒くなるような感覚、そして全身を打つような動悸。いかにも興奮状態にある人間が示しそうな反応であったが、呼吸も脈拍も生存に必要ないリズァーラーでは見られるはずのない状態である。
「しかし、心外ですねぇ。そんなも強く、私へ敵意を抱いておられるとはぁ。」
「ウ゛、ゥ゛、グウ゛ゥ゛ゥ゛!」
なにも見通せぬ暗闇の向こう側からマナコの声が響いてくるたびに、実際には行われていない呼吸や心臓の鼓動が強まりそして乱れていくかのような感覚が走る。
ハリコの身体の本来の持ち主、人間であった頃の"リコ"が、リズァーラーたちへ憎悪を抱きながらも……もはや覆せぬ現状に激烈な嫌悪を示しているのであった。
「もとはと言えば、あなた自身が望んだことじゃありませんかぁ、この状況を。」
「ガゥ゛ウ゛、ウ゛ゥ゛ゥ゛……!?」
もちろん、ハリコ自身は望んでいた。リズァーラーへ命令を下す人間たちが一人残らずいなくなり、あの退屈が半永久的に停滞し続ける地上世界からも帰還し、この地下都市でマナコと再会すること。
こうして喋り行動することが出来ているマナコは、グレッサが運んでいった養分液の補充を既に受けたのだろう。ハリコの望み通り、またマナコと一緒に居て、お喋り出来る状態にまで回復したのだろう。
だからこそ、ハリコはマナコを敵意剥き出しの眼差しで睨みつけたくはなかったのに……自分の意思通りに動かせぬ身体が、勝手にそうしていた。
お前が、マナコ……私のお姉ちゃんと同じ名前のリズァーラー……私のお姉ちゃんの血肉を啜って蘇生した、気持ち悪い化け物!
お前さえいなければ!私は、お姉ちゃんとずっと一緒にいられたのに!お前を蘇生させるために、お姉ちゃんは殺された!
こんなこと、私が望んだはずがない!
「何もかも、あなたの望み通りになったんですよぉ?あなたは、一緒に居て、優しくしてくれるお姉ちゃんが欲しかったんでしょぉ?一心不乱に勉強だけに打ち込んで、相手してくれないお姉ちゃんじゃなくてぇ。」
「ウ゛ゥ゛、ウ゛ゥ゛ゥ゛、ウ゛ァ゛ァ゛ゥ゛ゥ゛!」
「お父さんもお母さんも、知能が足りず、何をやらせてもマトモにこなせないあなたに、一切期待などかけておられませんでしたねぇ。自分を取り巻くそんな全ての人間を、あなたは、心底憎んでおられたじゃありませんかぁ。」
でたらめを言うな!私は、幸せに家族に囲まれていたはず、優しいお姉ちゃんと、お父さんとお母さんと!
「覚えておられないんですねぇ、仕方ありませんねぇ、そんなに頭が陥没するほどの大怪我を受けているんですからねぇ。」
何も見えない真っ暗闇の中、足音が近づいて、ハリコの頭を撫でる。
フード越しにも明らかな、二つの角が突き出ているかのような輪郭。それは本来の頭蓋骨が大きく砕け、丸い頭頂部は失われ、ギザギザに割れた形状ばかりが目立っているものである。
ハリコにとって、自分の頭部がそのような形をしていることは、リズァーラーとして存在し始めた時からごく当たり前のことだったのだが……。
「普通の死に方をした人間の遺体は、こんな頭部にならないんですよぉ。普通は頭蓋骨って、かなり頑丈なんですからねぇ。」
「……ウ゛ゥ゛ゥ゛……?」
マナコの手は、ハリコの顎にも触れ、その大牙の一本一本をいとしげに触り始める。
そのまま顎を全力で閉じて噛みしめれば、マナコの指を食いちぎることなど容易かったろうが、ハリコはそうしなかった。
ハリコ自身は当然ながらマナコに危害を加える気などない。が、今、ハリコの身体を操っているのは"リコ"の意思である。"リコ"は、マナコが語る内容の先を、どうしても聞かずにはいられなかった。
「ほらぁ、この顎も、人間が本来持つ口の構造から、かけ離れてますもんねぇ。そりゃあ、リズァーラーはある程度、生前の人間だったころの姿から変わることもありますけどぉ……ここまで大きく、骨格そのものが変わることって、普通は無いんですよぉ。」
「……グルゥ゛ゥ゛……!」
割れてギザギザになった頭部も、並外れて大型化した顎と牙も、ハリコにとっては慣れ親しんだ自分の姿である。
だが、ハリコの内部に居る"リコ"にとっては、今の自分がいかに異形であるかを実感させられる事実に他ならない。マナコによる言及のたび、思考の底が冷たい金属の指先で撫でられるかのような不快さが湧き上がってきた。
そんな話、関係ない……!今、私の姿がどうなっていようと、お前たちリズァーラーのせいで、お姉ちゃんが死んだことに変わりはない!
私は、お姉ちゃんと仲直りして、お姉ちゃんとずっと一緒に生きていくはずだったの!
ハリコの思考内面に居る"リコ"の声が聞こえていないのだろう、マナコは変わらぬ調子で語り掛け続ける。
仮に聞こえていたところで、マナコの語りに淀みは無かったろうが。
「あなたは、お姉さんに殺されたんですよぉ。管理局職員に採用されなかったと決まった時、もう人生の終わりだと思い込んだお姉さんに。」
「……ア゛、ァ゛ア゛ァ゛……!」
「酷い苦痛に満たされた最期でしたねぇ、あなたによってたびたび勉強を邪魔されたせいで、試験に落ちたんだと考えたお姉さんは、あなたを家の前に引っ張り出して押し倒し……金属製の廃材で、幾度も幾度もあなたの脳天を殴打したんです。」
ハリコは、自分自身の意識ではない、自分の内面に潜む"リコ"の思考が極限状態に陥りつつあるがために、自分までも気を失ってしまうのではないかと感じていた。
それは、"リコ"にとっては意外な情報では決してなかったのだろう。記憶の抜け落ちていた部分を綺麗に繋ぎ埋めるように、残酷なほど正確な"答え合わせ"が彼女の意識のなかで行われていたのであった。
"リコ"の記憶は不完全なままであり、現在のハリコの頭部は人間から大きくかけ離れた形状になっているのは、何故か。
「あなたの頭蓋骨は陥没し、殴打の衝撃を地面で幾度も受け止めたあなたの顎は圧壊しました。そんなにも損壊した頭では、あなたは意識を保てておらず、記憶も出来ていないでしょうけれど……。」
「ウ゛……ウ゛ゥ゛ゥ゛、ア゛ァ゛……。」
「そう、最後に告げられた言葉が『二度と邪魔すんな』でしたっけねぇ。あなたの切なる願いは、あなたの強烈な怨恨は、届きましたよぉ。私のもとに。」
マナコが語っている声の向こう側から、別の小さな足音が近づいてくる。
マナコ以外に動ける存在となれば、グレッサだろう。まもなく、携行照明を構えながらマナコを追ってきたのだろう、どこか不安げな顔つきの彼女が見える。
この場に照明の光がもたらされたことで、ようやくハリコはマナコの顔を見ることが出来た。相変わらず、まぶたを全開のままで固定する器具によって開きっぱなしの左目が、今までになく優しい光を湛えてこちらを見つめていた。
「リコくんは、見ていますよね、覚えてますねぇ。私が服を全て脱いだ時の姿を。」
「……ウ゛ゥ゛、ウ゛……!」
「私の身体、動かすのに最低限の菌糸だけしかなかったでしょぉ?リコちゃんからの想いを受け取った菌糸が、一緒になってあげるために、姿を得たのが私なんですよぉ。」
確かに、ハリコが最上層区画の崩落事故から救出された際、捜索に協力していたマナコは地上から降り注いだ胞子によって汚染された服を全て脱がされ、その姿をハリコは見ている。
リズァーラーは人間だったころの面影を残しつつも、多少は歪な肉体を有しているのが普通である。が、マナコの身体は、臓器がことごとく脱落し、脊髄や肩部、臀部などにワイヤーのごとき菌糸の束が通っているだけという、殊に異様な形状であった。
所々、菌糸が重なって補強された骨格は確かに人間のものだったろうが、もはや一度肉体が完全に失われた後に、改めて菌糸が集まって形成された身体であるようにも見えた。
「ねぇ、リコちゃん、この顔、見覚えあるでしょぉ。」
「……ア゛……ア゛ァ゛……ガァ゛……!」
グレッサが横から照明の光を当てているのを確認しつつ、ハリコの目の前に、ずいと顔を近づけるマナコ。
顔の半分はボサボサした髪の毛のような菌糸で隠れ、左目はまぶたを開きっぱなしにする固定器具で四角く囲われている。
それはまるで、稚拙な描き手による、メガネをかけた人物のイラストそのもののような容貌であった。
私が、あの物置の壁に、何度も描いた、お姉ちゃんの顔……!
「そうですよぉ、あなたが求める"お姉ちゃん"ですよぉ。」
「……ア゛、ァ……。」
「ずっと一緒に居てあげられるんですよぉ、あなたを怒鳴りつけたり、冷たく突き放したり、気が住むまで殴り続けたりしない、優しいお姉ちゃん……マナコです、私が。」
ハリコは、ほとんど自分の思考を働かせられなかった。
自分の頭の中は、"リコ"の声でいっぱいになっていた。絶叫で、埋め尽くされていた。
違う!違う、お姉ちゃんは、お前じゃない!
本物のお姉ちゃんに、会えたの!会えたのに、この身体が、勝手に殺した!
お姉ちゃんは、私に謝ったの!私も、お姉ちゃんをゆるしてあげるつもりだったのに!
「そりゃあ、あなたのお姉さんは、許しを請うでしょう。自分が妹に対してしたことを、忘れられるはずがありませんからねぇ。あなたが姿を変えて現れたとき、心底怯えたでしょうねぇ。」
「……ア゛ァ゛。」
「ですが、あなたに対して、真実を告げましたか?自分があなたを殺したのだと……言っていないでしょう?きっと、あなたは自分の死に様を記憶していないし、もしも知らされたら、許せるはずがないでしょぉ?」
人間として警備兵を務めた、"リコ"の姉の"マナコ"は、リコの死因が酸素欠乏によるものだと告げていた。狭く暗い物置に閉じこもっていたため、一時的に空気供給システムの停止があった時、存在に気づかれなかったのだと。
が、下層街の貧困住民が住まう区画ならばともかく、上層街にて住民が酸素欠乏症に陥るほど、空気供給が断たれること自体あり得ない。そも、一つの街区という巨大な空間では、多少人間が呼吸を続けた程度で簡単に酸素欠乏には至らない。
何よりも……人間の"リコ"だった肉体、ハリコの身体が、頭部に明確な損壊の痕を有している説明がつかない。
「自分の家族が、真っ当な人間だったという保証は、どこにもありませんよぉ。あなたのお姉さん、躊躇せずに人命を奪えるような人間なんですからねぇ。」
「……ウ゛ゥ゛、グゥ゛ゥ゛、ゥ゛ゥ゛ゥ゛……!」
「もしもお姉さんが警備兵としてマトモであれば、管理局の内部、最も安全な隔離室に避難した職員の皆さんは、今なお生きていて良いはずですよぉ。まぁ、出自だけを見られて採用されなかったお姉さんが、彼らに良い思いを抱いていないのも事実ですけどねぇ。」
「ウ゛ガァ゛ァ゛ゥ゛ゥ゛!ウ゛ゥ゛グルゥ゛ゥ゛!!」
マナコが次々に挙げていく、"リコ"の姉であった人物が歪んでいた証。
それらを聞かされる耳を塞ぐ腕もなく、ただただ"リコ"は獰猛な唸り声をハリコの身体に上げさせ、マナコの声を聴くまいとし続けていた。
自分には救われるべき安楽の終着点があった、悪意あるリズァーラーに奪われたのだ。そう信じている方がよほど救いであった。最初から、自分が安んじて心を寄せていられる拠り所など無かったのだと……信じることは、もはや不可能であった。
「……それでも、リコちゃん、あなたの望んだとおりの姿の私と、一緒に居ることは出来ませんかぁ?」
「グルォ゛ゥ゛ゥ゛ア゛ア゛グゥ゛ゥ゛!」
「そうですかぁ……そのまま頑張り続けられると、その体の養分が尽きちゃいますねぇ。"リコくん"とお喋りできなくなるのも、私は嫌ですのでぇ……」
マナコは、すぐ隣でグレッサが構えていた携行照明をひったくるように掴むと、その柄でハリコの脳天を思い切り打った。
ハリコの頭蓋断面は、骨格の代わりとなって固形化している菌糸で覆われていたが、アッサリと突き破られて内部構造をさらす。まるで、マナコはハリコの頭蓋のどこが薄く、簡単に破れる箇所であるか、知っているかのようであった。
「ガァ゛……。」
「さようなら、最後の人間さん。もう、恨まなくていいんですよ。皆、居なくなったんですからねぇ。」
マナコは言いながら、もう一度ハリコの頭蓋の中へと力任せに携行照明の柄を突きこむ。
頭の内部構造が大きく潰されると同時に、ハリコも、"リコ"も、自らの存在を感じ取れなくなった。




