物語の中にこそ
暗闇の中、意識が徐々に戻ってくる。
真っ暗闇のなか、自分が目を開けているのか閉じているのかすら判断できない。
視力の利かない中、自分の肩にのしかかってくる控えめな重み、そしてどこか親しみを覚える死臭だけは、まもなく明瞭となった。
「ウゥ……?」
「あ、ハリコくん、気が付きましたかぁ?」
誰かを呼ぼうと声を上げたつもりが、ただ喉の奥で鳴らされた言葉無き唸り声となる。
が、返答は即座に与えられた。自分の肩に体をもたせかけ、緩やかに抱き着いてきていた相手は、嬉し気な声で自分のことをハリコと呼んだ。
「意外と早く動けるようになりましたねぇ、ハリコくん。余っていた養分液をあげたおかげでしょうかぁ。」
「ウゥ゛ー?」
「本当に、デリクさんとグレッサちゃんには感謝ですねぇ。以前おすそ分けしてくれたお返しだと言って、余った養分液は全部譲ってくれたんですよぉ。」
相手はあれこれと話の中に名前を挙げてくるが、そのいずれについても明瞭な記憶は戻ってこない。
ただ、自分がハリコという名前であること、真っ暗闇の中で声と触感だけで存在を感じ取れる相手に奇妙な親しさを感じること、それだけは認識できていた。
「……?」
「ほとんど何も、思い出せないみたいですねぇ、ハリコくん。けれど、何も不安がることはないんですよぉ。」
「……ウン……。」
「気にしなきゃいけないことは、全部済んだんです。気に掛けなきゃならない相手は、皆いなくなったんです。私とハリコくんは、これから気が済むまで、ずぅっと一緒に居られるんですからねぇ。」
相手がこちらに掛けてくる声は、ますます愛おしさをはらんで温もりを増すように、自分の顔の傍でゆっくりと口に含まれ、柔らかに注がれた。
自分が体を動かそうとしても、胴体に両手、両足は繋がっておらず、思うように行動できないことには既に気づいていたが、それも随分前から慣れきったことであるように感じられた。
「そうだ、ハリコくんも、私の姿を見たいですよねぇ。ちょっと待って、くださいねぇ。」
「……ウゥ?」
ゆったりと話していた相手は、初めて身体を動かした。ハリコの肩を抱きしめていた腕を、ハリコの頭のほうへと伸ばす。
相変わらず真っ暗闇だったので、ハリコ自身は相手が何をしようとしていたのか見えなかったが、直後、自分の頭部から何か硬い物が引き抜かれるような感覚と共に、全身に痺れが走った。
「ア゛……!?」
「おっと、まだちょっと影響が出ますかねぇ。けど、ハリコくんはリズァーラーなんですから、痛みはありませんよねぇ。私の声、ちゃんと聞こえてますかぁ?」
「……ウ、ウン……。」
ハリコの頭部から引き抜いた何かを弄り回している相手は、やがてパチリという音と共にそれを点灯させた。
眩い光が放たれ、ハリコは思わず顔をそむける。
「ウァ゛!?」
「そっか、普通の視力では、急激に明るさが変わると順応に時間がかかるんでしたっけ。じっくり目を慣らしてくださいねぇ、時間はいくらでもありますからぁ。」
真っ暗闇からいきなり明るい光に照らされても、ハリコと違って相手は眩しさなど感じることがないのか、そのままじっとしていた。
ハリコが明るさに慣れ、再びこちらへと顔を向けるまで、じっと待ち続けていた。
「ウ゛ゥ゛ゥ゛ー……?」
「ほら、ハリコくん。私のこと……なんとなくでも、覚えてませんかぁ?マナコです、私は、マナコ。」
「……アァ。」
「えへへぇ、ホントに、うすボンヤリって感じでしょうかぁ。でも、私の顔、見慣れた感じは、するでしょぉ?」
改めて、マナコの顔をじっと見つめ、ハリコは小さく頷いた。
伸ばされた前髪のように顔の半分を覆い隠している菌糸、隠れていない左目はまぶた開きっぱなしにする器具によって全開のまま固定されている。死体の血肉を吸って死臭を発するマナコの姿は、確かにハリコの中から親愛の情を喚び起こした。
何よりも、照れたように笑みを浮かべている口元から、鋭利に尖った歯の先が小さく覗く様が、殊に愛おしかった。
「よかったぁ、ハリコくん、なかなか目覚めなかったんですからぁ。もうお話出来ないんじゃないかって、心配してたんですよぉ。」
「ウ゛、ウゥゥ。」
「デリクさんとグレッサちゃんも、別の部屋で一緒に居られますけどぉ……ハリコくんは無事だって、お伝えしてますし、別に、会いに行かなくたって、いいですかねぇ。」
「……ウン。」
「二人っきりの、長い長い時間を邪魔されたくないのは、あちらも同じでしょうしぃ。」
言いながらマナコは、携行照明の光を切る。
ハリコは光が消える際、視界の端にチラと見えた部屋の出口に意識が向いた。
この部屋の外は変わらず完全なる闇で埋め尽くされていたが、外がどうなっているのか、ハリコは気になった。この場所が何なのか、それすら明確には思い出せないのだから。
「ハリコくん、これから何をしなきゃいけないのか、気になってますよねぇ。」
「ウン……。」
ハリコは間を置かずに頷いた。何を為すか定められることなく生まれてくる人間とは異なり、役目を有し、命令されるために存在するリズァーラーならではの疑問であった。
今、自分は何をするために、どういう場所にいるのか。ハリコは我が身に伴う無為を持て余そうとしていた……まるで1ページ目から空白で占められた、物語の主人公のように。
そんな彼の考えも、ことごとくマナコには筒抜けであるらしかった。
「ハリコくんはですねぇ、既に長い長い冒険を終えたところなんですよぉ。もう、あとは私とずぅっと一緒にいさえすれば、それでいいんですよぉ。」
「ウゥー……。」
「時間は、いくらでもありますからねぇ。忘れちゃったのなら、私がぜんぶ、最初っからお話してあげますよぉ。ハリコくんが、どれだけ活躍したことか。」
マナコは、再びハリコの肩に手をまわし、ぐっと抱きしめた。鼻先に死肉の匂いが近づく。
両腕と両脚のないハリコは、マナコに抱きしめられるがままに任せるほかなかった。言葉を発せぬまま、マナコが語るに任せるしかなかった。
「えへへぇ、私にとっての英雄なんです、ハリコくんは。力尽きて動けなくなった私の目を覚まさせるために、幾つもの危険を切り抜けて、帰ってきてくれたんですからねぇ。」
「ウ゛ゥ?」
「ホントなんですよぉ。私、嬉しいんです、ハリコくんのお話を、語り聞かせる相手がいて。私の中だけに留めるには、あまりにも勿体ないんですよぉ。」
だから、ハリコはマナコに言われた通り、マナコの傍でじっと寄り添って、彼女の言葉に耳を傾け続けた。
そうしていれば、マナコは幸せそうだったし、自分の存在意義は他に無かったのだ。
「他の誰にも聞いてもらえなくったって、私の話は、ハリコくん、あなたにだけ届いていればいいんですよぉ。」
「ウン。」
ハリコは、マナコとずっと一緒にいた。
光の一切届かぬ、地下深くの静かな一室の中で聞き続けた。
命が悉く絶えたこの世界で、紡がれる最後の物語を。




